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第2章:横浜で空に一番近いカフェ

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 静まり返ったランドマークタワーを抜け、千晴は天流に手を引かれて歩いていた。

 動く歩道から横にそれ、ランドマークタワーの足元に降りていく。

 ――うわ、カップルばっかり。

 扇形の階段のあちこちに、カップルが肩を並べて座っていた。

 少ない街灯だけが照らす空間を、カップルを縫うように天流が歩いて行く。

 空いて居る場所に天流が腰を下ろすと、その隣に千晴も腰を下ろした。

 目の前には白くて大きな船。

「あ……これ、日本丸ですか」

「そう、見たことある?」

 千晴が小さくうなずいた。

「子供の頃に、遠足で。
 横浜市民なら、だいたい見てますよ」

 氷川丸と日本丸は、子供の遠足で定番の場所だ。

 マリンタワーも含めて、どれかに一度は来ている。

 天流がクスクスと笑みをこぼした。

「そっか、そうだよね。
 この船を、誰かとこうしてみるのが夢だったんだ。
 ――ほら、ここって夜だと一人じゃ入りづらいでしょ?」

 千晴が天流を見上げて尋ねる。

「でも天流さんなら、ひとりでも来れそうなきがします」

「カップルの邪魔をするほど、無粋じゃないさ。
 でもようやく、こうして夜の日本丸を見れた。
 夢が一つかなったかな」

 千晴が周囲のカップルを見ながらつぶやく。

「私たちも、カップルに見えるんでしょうか」

「たぶんね。
 それとも広瀬さんは、それが不満?」

「不満というか……だって天流さんは、狐だし」

「天狐って言って欲しいなぁ。
 それに天狐だって、人に寄り添うことはできるよ」

 千晴が天流の目を見つめた。

「だって、天流さんは平安時代から生きてるって……」

「そうだね、人は私より先に居なくなってしまう。
 だけど生きてる間なら、寄り添ってあげられる。
 私にはそれで充分かな」

 うつむいた千晴が黙って天流に体重を預けた。

 天流も黙って、千晴の体重を受け止める。

 波の音が静かに聞こえる中、千晴は天流の体温を感じながら告げる。

「こんな感じで満足なんですか?」

「今は、これ以上望めないんじゃない?
 一緒にお酒を飲んで、ご飯を食べて。
 それで幸せなら、いいんじゃないかな」

 千晴は天流の体温から安らぎを感じながら考えた。

 ――もしかして天流さんも、本当は寂しいんじゃ。

 千晴のお腹が、空腹を訴えた。

 天流がクスリと笑って告げる。

「じゃあそろそろ行こうか。
 帰る前に倒れちゃうと大変だ。
 コンビニで食料を調達して、部屋で食べよう」

 うなずいた千晴が、天流と一緒に立ち上がった。

 二人は手をつなぎ、夜の桜木町を、自宅近くのコンビニに向かって歩きだした。




****

 コンビニで弁当や総菜、ビールを仕入れた二人は、千晴の部屋に上がりこんでいた。

 千晴が弁当や総菜を温め、ローテーブルの上に置いて行く。

 向かい合って缶ビールを打ち鳴らし、二人で労働を労いあう。

「今日はお疲れ様。
 明日は早番だからね。
 その分、飲み過ぎないように」

「はーい」

 食事を口に運びながら、千晴は天流を遠く感じていた。

 さきほどまで手をつないでいた天流のぬくもりが恋しかった。

 箸を持つ天流の手を見つめ、千晴の手が止まる。

 天流が楽し気な笑みを浮かべた。

「どうしたの? 隣で食べる?」

「――いえ! 大丈夫です!」

 あわてて弁当を口に運んでいき、ビールで流し込む。

 そんな千晴を見て、天流が楽しそうに目を細めた。

 食事を終えると、二人でビールを体に流し込んでいく。

 ほろ酔いになった千晴に、天流が告げる。

「あー、隣が寂しいなぁ。
 誰か隣に座ってくれないかなぁ」

 千晴が顔を赤くしながら応える。

「わざとらしいですね!
 もっとはっきり言えないんですか!」

 天流が千晴の目を見つめて告げる。

「千晴、おいで」

「――?!」

 千晴は黙って立ち上がり、天流の隣に腰を下ろした。

 天流に体重を預けながら、ビールを喉に流し込んでいく。

「……寂しくないんじゃなかったんですか?」

「一人でも平気だけど、二人ならもっと楽しい。
 そうは思わない? 広瀬さん」

「……千晴って、呼ばないんですか」

「呼んでいいなら、そう呼ぶよ?」

 黙ってうつむいてる千晴の肩を、天流が抱いた。

 お互いの体温が、言葉以上に感情を交わし合う。

「ねぇ千晴、今夜はどうする?
 一人で眠れる?
 それとも、添い寝してあげた方が良い?」

「……天流さんって、意地悪ですよね」

 天流が微笑みながら応える。

「そうかな? 私は優しいつもりなんだけど」

 千晴が思い切って缶ビールを飲み干し、次の缶のふたを開けた。

 その缶ビールも飲み干してから、千晴は無言で天流に抱き着いた。

「……なんだか酔っちゃいました。
 だから今夜はこうしててください」

 天流は優しい笑顔で千晴の頭を撫でる。

「いいよ、朝までこうしていてあげる。
 だからそのまま寝てしまうといい」

 千晴は安らぎと共に、それまで感じたことが無い心の衝動を感じていた。

 ――もっとそばに近寄りたい。

 その思いが、千晴の背中を押していく。

 天流に強く抱き着いた千晴は、やがて安心しきった顔で寝息を立て始めた。

 天流は黙って千晴を抱きとめたまま、ビールを味わい続けた。




****

 夏真っ盛りの朝の日差しは、既に千晴を蒸し焼きにしようとしていた。

 天流は楽しげにそんな千晴と並んで歩いて行く。

 ランドマークタワーに入って冷房で涼みながら、千晴は額の汗を拭った。

 二人でエレベーターに乗り、カフェのある高層へと向かっていく。

 カフェの事務所に辿り着くと、天流が告げる。

「今日から広瀬さんも正社員、気持ちを入れ替えて頑張ってね」

 千晴は姿勢を正し、天流に向かって頭を下げる。

「これから、よろしくお願いします!」

 顔を上げた千晴に、天流が優しく微笑んだ。

「うん、よろしく。
 できれば末永く――ね」

 顔を真っ赤にした千晴が「着替えてきます!」と更衣室に駆け込んだ。

 その様子を、天流は楽しそうに見守っていた。




 千晴はホールの清掃をしながら、窓の外を眺める。

 夏の空に大きな入道雲が広がっている。

 眼下には横浜ベイエリアが広がり、太陽を照らし返していた。

 ここは『横浜で空に一番近いカフェ』。

 千晴の新しい職場。

 これからも来場者に、多くの幸せを提供するのが千晴の役目だ。

 そのためにも気は抜けないと、気合を入れ直し、清掃に戻っていく。

 横で清掃する天流と、千晴の目が合った。

 二人は微笑みを交わし合ってから、清掃を再開する。

 ――いつか、天流さんとここで。

 そんな思いを胸に、千晴は新しい一歩を踏み出した。
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