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第2章:横浜で空に一番近いカフェ

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 タクシーから降りた天流は、千晴をおぶってエレベーターホールに向かう。

 千晴はすっかり酔いが回り、両腕で天流に抱き着いていた。

 ――なんか、安心するなぁ。

 初めて抱き着く異性、その肌のぬくもりが、千晴の心を刺激していた。

 一人暮らしでなれたつもりでも、孤独は千晴の心を蝕んでいた。

「天流さん」

「おや、まだ意識があるのかい?
 もうすぐ部屋だから、我慢してね」

「もう少しこうやってくれませんか」

 エレベーターに乗りこんだ天流が、嬉しそうに微笑んだ。

「こうやってって、どういうこと?」

「こうしていたいんです」

 天流が困ったような微笑みで応える。

「くっついていたいのかな?
 そんなに寂しかった?」

「寂しいです……。
 でも天流さんが一緒だと、寂しくないんです」

 天流がフッと笑って応える。

「そっか、それは光栄だね。
 ――さぁもう少しだ」

 エレベーターから降りた天流が、千晴の部屋の前で足を止めた。

「広瀬さん、ロックを解除して。
 自分でできる?」

「できません……」

 千晴が自分でスマホのロックを解除しないと、スマートロックも解除できない。

 困った天流は仕方なく、自分の部屋のロックを解除した。




****

 荷物を部屋の隅に置き、天流は千晴をベッドに寝かしつけようとした。

 だが千晴の腕はしっかりと天流にしがみついて、離れようとしない。

 天流が困ったような笑みで告げる。

「広瀬さん、ほら手を放して」

「……千晴」

「ん? なんだい?」

「千晴って、呼んでください」

 天流がスーツ姿で千晴を負ぶったまま、器用にコップに水を用意する。

「ほら広瀬さん、お水飲んで」

「だから、千晴って呼んでくださいよ」

 天流はどこか嬉しそうな笑みで口を開く。

「……千晴、お水を飲んで。
 今日は少し飲み過ぎだよ」

「……もっと名前を呼んでください」

「どうしたの?
 今日は甘えん坊だね」

 千晴の腕が、さらに強く天流を抱きしめていた。

「やっぱり一人は寂しいです。
 天流さんは寂しくないんですか」

「私はずっと一人だったからね。
 孤独には慣れてるんだ」

 千晴が顔を天流の背中に押し付けた。

「……私は、慣れたくないです。
 慣れることなんてできないですよ」

 天流が小さく息をついて、コップをキッチンに置いた。

「そっか。じゃあ今夜は一緒に居てあげる。
 それで千晴は満足する?」

「はい……ずっと一緒に……居て……」

 天流に力いっぱい抱き着いたまま、千晴は寝息を立てだした。

 その腕を天流は振りほどくことなく、千晴をベッドに運んだ。




****

 翌朝、千晴が目を覚ますと目の前に天流の胸元があった。

 ――なにごと?!

 驚いて離れようとしたが、天流にしっかりと抱きしめられている。

 しっかりと抱き締められ、密着している千晴はみるみる顔が赤くなっていった。

 ――昨夜、何があったんだっけ?!

 ゆっくりと思い出していくうちに、自分が天流に何を言ったのかが蘇ってくる。

 首から上が真っ赤になるほど羞恥で染め上げ、千晴はこの状態からどう逃げようかと悩みだした。

 自分が口にした言葉を思い出すほど、恥ずかしさと共に心地良さを実感する。

 寂しさが癒されていく感覚が、千晴の決意を鈍らせていた。

「――起きたの? 千晴」

 ビクッと千晴の肩が震えた。

 顔を天流の胸に埋めたまま、小さくうなずく。

 天流がクスリと笑みをこぼし、千晴に優しく告げる。

「酔いがさめた?
 お水でも飲むかい?」

 小さくうなずいた千晴を解放し、天流が冷蔵庫に向かった。

 千晴は自分から離れていく体温を惜しく感じ、思わずその背中に手が伸びる。

 ――何を手を伸ばしてるの、私!

 天流に見られないよう、急いで千晴は手を胸元に引き戻した。

 天流が冷蔵庫から天然水のペットボトルを取り出し、ベッドに戻ってくる。

「ほら、お水。
 今夜は忙しいんだから、体調を戻して置いて」

 水を受け取った千晴は、天流から顔を背けてペットボトルを開け、水を体に流し込んだ。

「二日酔いはないよね?
 あったら正直に言ってね」

「……だいじょうぶ、です」

「そう? 無理はしなくて大丈夫だからね。
 それと……『千晴』って、まだ呼んでいいのかな?」

「――それはやめてください!
 今まで通り、『広瀬』でお願いします!」

 天流が少し寂しそうな笑顔で応える。

「そっか、そうだよね。
 じゃあ広瀬さん、何か食べたいものはある?
 簡単なものなら作れるよ」

「……なんでもいいです」

「わかった、ちょっと待ってね」

 スーツのジャケットを脱いだ天流が、キッチンに向かう。

 ――私、男性と一夜を共にしちゃった?!

 千晴は赤い顔を隠すように、下を向きながら天流を盗み見ていた。




****

 ベーコンエッグとトーストを食べ終えた千晴は、まだ天流の顔をまともに見れなかった。

 天流が寂し気な顔で告げる。

「昨晩のことは気にしないで。
 私も忘れるから。
 だから、ちゃんと顔を見て欲しいな」

 千晴がおずおずと上目遣いで天流の顔を見る。

 そこには千晴を見守る、優しい眼差し。

 酔うと理性が無くなり本音が出る――それくらいは知っていた。

 千晴は自分でも気づかないうちに、孤独を癒したいと強く思っていたらしい。

 だがまさかその相手が天流だとは、千晴自身も思っていなかった。

「その……天流さん、あきれました?」

「なにをだい?」

「だって……いい年して、あんなに甘えて」

「初めての一人暮らしなんだろう?
 それで余計に寂しさを感じるだけさ。
 今まで家族に愛されてきた証拠だ」

 ――そう、なのかな。

 天流が時計を見て告げる。

「もう昼が近い。
 遅番に備えて、広瀬さんは家に帰りなさい。
 今ならもう一眠りくらいはできるよ」

 ――また、あの一人の部屋に戻るのか。

 千晴がおずおずと告げる。

「天流さん」

「なにかな?」

「時間まで、一緒にいちゃダメですか」

 天流がきょとんとした顔で千晴を見つめた。

「構わないけど、シャワーを浴びなくていいのかい?」

「出かける準備をするまで、ここにいちゃダメですか」

 千晴の手が小刻みに震えていた。

 恥ずかしいが、それ以上に孤独が怖かった。

 天流はしばらく考えたあと、ニコリと微笑んだ。

「構わないよ、大丈夫。
 午後三時まで、添い寝でもしてあげようか?」

「――ちょ、それは恥ずかしすぎます!」

 天流が妖艶な微笑みで千晴を見る。

「恥ずかしがることはないよ。
 朝までそうやって、抱き着いてきてたんだから。
 私にくらい、正直になってもいいんじゃない?」

 真っ赤な顔の千晴が、うつむいて考え始めた。

 今さら過去は取り消せない。

 あれが本心なら、認めてもいいのかもしれない。

 千晴は天流のぬくもりを求めていた――。

 そこまで考えて、千晴は勢いよく立ち上がった。

「いえ! 大丈夫です!
 家でシャワーを浴びてきます!
 ご迷惑をおかけしました!」

 荷物をひっつかみ、千晴はばたばたと部屋から飛び出していった。

 天流はそれを見送ったあと、小さく息をついて食器を片づけ始めた。




****

 部屋に戻った千晴は、シャワーを浴びて頭を冷やしていた。

 ――何を考えてるの、私!

 忘れようとするほど、天流が抱きしめてくれたぬくもりが蘇る。

 あの安らぎがまた欲しい――そう思ってしまう自分を、心の奥に無理やり押し込めた。

 バスルームから出た千晴は、小さく息をついて部屋を見回す。

 天流がいない部屋。

 味気なく、色あせて見えた。

 時計を見ると、まだ午後二時。遅番の出勤まで、かなり時間がある。

 猫の動画を流してみても、以前ほどの安らぎを感じられなくなっている自分に気が付く。

 昨晩の、そして今朝のぬくもりを心が求めている――それをとうとう、千晴は認めた。

 深く深呼吸をした千晴がスマホを手に取る。

 千晴の指が、天流へのショートメッセージを打ち込み始めた。
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