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第48話 夜に鳴く鶏亭、ビールあり〼

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 ※本編はこれで完結です。



 アルメラの街に夜の帳が降り、「夜に鳴く鶏亭」のある通りも店に明かりが灯り始める。
 家族たちは家に帰り団欒と眠りを求めるが、建築ラッシュでアルメラ人口のかなりの割合を占める人足たちは酒と喧騒を求めて通りに出てくる。

 かろん。

 カウベルが呼び込んだのは、本日貸し切りの店最後の来客だった。
「この色ボケ聖女!聖堂大祭礼の召喚に、欠席なんて返事がある訳ないだろうが!」
 入店するなり怒鳴りつけたカノ王女に、アリアがびくりと震えてハルの後ろに隠れる。
「だ、だって殿下……参列したら一ヶ月くらい捕まるじゃないですか」
「当たり前だ馬鹿者!教主が困り果てて相談にいらしたんだぞ、おいハル、お前が責任持って連れて来い!」
「わ、わかった、うん、流石に大祭礼に聖女がいないのはマズイな、連れて行くから安心してくれ」
「殿下、ヴェセル様、いらっしゃいませ」
「おおカレン殿、久しぶりですな」
「ん?おお、勇者たちか、久しいな。壮健なようで何より……というかケンは珍しい格好をしているな」
「ご無沙汰しております殿下。この格好の方が魔族領では違和感がありませんし動きやすいものでして」
 どやどやと入ってきた一行を、カレンが護衛騎士を案内しアルノとアリアがカノ王女とヴェセルをテーブルにつかせる。
 アリアは王女の剣幕におどおどしながらだったが。



 半分ほどの席が埋まり、ビールと先附が配膳されたところでカノ王女がジョッキを掲げる。カウンターのハルとカレンも、小さなグラスを手にした。
「よし、今日は久しぶりに皆が集まる無礼講……というのも無理だろうな、だがまあここはハルの奢りだ、遠慮なくやってくれ」
「ちょ!おいカノ、何で俺の奢りなんだ!」
 慌てて叫ぶハルに、カノ王女はきょとんとした表情で、
「アリアはお前の妹なのだろう?いや恋人、愛人か?どちらでも構わないが、アリアがここで暮らす条件としてお前が責任持って聖務をさせるというのがあったと思うが」
「いやそうだけど!だからって何で」
「大祭礼の件については教主だけじゃなく教会全体からとんでもない数の陳情が来ているが、なにか?まさかお前、聖女が大祭礼に欠席なんてふざけた返事を寄越したことが冗談で済むと思っていないよな?」
「よーし、俺の奢りだ、じゃんじゃんやってくれ!」
 半泣きになりながらハルが叫ぶと、歓声と共にジョッキが掲げられた。





「殿下、ヴェセル様、ご無沙汰しておりました」
「キリアよ、お前も協商国では頑張っているそうだな。外務大臣付護衛官として正式に勤めているそうではないか。まあ今日は外交の場ではない、気を楽にせよ」
 グラスを持ってやってきたキリアをカノが労う。
 その横ではヴェセルが満足げに、
「ケン、お主も板についておるのう。どうじゃ、魔族領は」
「人族も私達の世界とはそもそも違いますが、魔族領は輪をかけて目新しいものばかりです。まだまだ奥深いので新しい商材を探すのが楽しいですよ」
「そう言えば、ユーコはどうしたのじゃ。一緒に暮らしておるのじゃろう?」
 魔族領で畜産されている豚の焼豚をつまみながらヴェセルが尋ねる。言われてみれば、とカノ王女も店内を見渡して怪訝そうな目を向けた。
「元気でやっています。ただ……」
「妊娠しているそうですよ」
 後ろめたさからか口ごもるケンに代わってキリアが答える。
「ほう?手の早いことだな」
 にやり、とカノ王女が笑う。
「あー。いえそのぅ……恐縮です」
「ほっほっほ、まあ若いもんはそれで良い。家族ができれば気力も湧く。ならば以前のハルのように無気力に呑んだくれるようなこともなかろうて」
 上機嫌にジョッキを空け、ヴェセルは愉快そうだ。

 その様子を見てお代わりを持っていこうとするアリアに、ハルが厨房から声を掛ける。
「アリア、お前もそのまま加わっていいぞ。こっちは俺とカレンさんで回せるから」
 何年も一緒に育ってきたカノ、ハルと共に指導してくれたヴェセルとも久しぶりに会うのだ、こちらから出向くのは渋るアリアだが、それはハルと離れるのが嫌なだけで彼らに会いたくない訳ではない。そんなアリアの心情を汲んだハルに続いてカレンが、
「どうぞアリアさん」
 とアリアの分の飲み物を手渡してくる。
 どうやらアルノも王女の護衛連中と騒いでいるようだし、お言葉に甘えても良いのだろうとアリアは礼を言ってテーブルに向かった。

「旦那様は本当にアリアさんのことを理解されているのですね」
「まあ……暫く付き纏って来て離れなかったし、ほぼ一日中一緒に過ごしてましたからね。ヴェセルはもう老いてたからあくまでも先生としてしか思っていなかったみたいですが」
 未だにハルはカレンにぞんざいな口をきけない。
 アリアくらいの見た目ではあっても、切れ長の目に卒のない言動、怜悧な雰囲気がどうしても丁寧な口調にさせてしまうのだ。
「旦那様がカノ様とアリアさんの教育に関わっていらした間は、私たちにとってはご褒美期間でしたからね……数だけは多かったのでそこは苦労しましたが」
 ヴィー牛のステーキに付け合せの野菜を飾るとカウンターに置く。もはやただの乱痴気騒ぎになっているから、勝手に取りに来いというスタイルだ。
 気づいた護衛騎士が向かってくるのを横目で確認し、次の皿へと作業の手を移す。
「ですが、我々魔族の侵攻を許してまでお二人の教育に旦那様を引き抜いたヴェセル様の慧眼は、流石ですね」
「うーん、あいつはまあ人を見抜く目は凄いですからね。あれはあれでチート能力なんじゃないかと思いますよ。実際、カノは傑物だった訳ですし」
「そんなヴェセル様やカノ様でも、旦那様の能力をすべて見抜くことは出来なかったということですか。いえ、アリアさんの性質を見抜けなかったと言うべきでしょうか」
 ヴィー牛を焼きながら、ハルが何のことかと言う目を向ける。
「旦那様がアリアさんを猫可愛がりしてしまうこと、アリアさんが旦那様に執着することまでは見抜けなかった、ということです」
 これには苦笑いしかない。毎晩獣のようにまぐわっておいて、可愛がっていないというのも無理があるし、当時は確かに父親目線で見ていたとしても、今こうなっている以上は最初からそういう想いがあったのではないかと言われると強く否定もできない。
 いや、もちろん七歳の少女に欲情するような気持ちはなかったけれども。
「ですがまあ、私としてはこれ以上ない結果です」
 ふっと笑みをこぼしながら魔族領産、ケンが今日持ってきたばかりのアカマスを串に刺していく。
 ハルは炭の準備をし、受け取った端から塩を振る。
 炭の周囲に刺しながら、
「カレンさんが満足してくれているようで何よりだよ。だがまあ、不思議なもんだ、ついこの間まで殺し合いしていた人族と魔族がこうして同じ席で酒飲んでるんだから」
「二年前をついこの間、と表現するのは旦那様と奥様、アリアさんくらいでしょうけど」
「ん?カレンさんもでしょう。フルドラ民は二百年くらい生きるんじゃ」
「それはそうですが。けれど旦那様方は何百年後でも、ついこの間と言ってそうですので」
「さすがにそれはどうかなあ……」
 笑いながら空のグラスをカレンに差し出す。
「これが終わったら後は作り置きのデザートくらいだ、一杯やりましょうか」
 受け取ったカレンはクスリと笑った。
「そうですね、奥様も出来上がっていらっしゃるようですし」
「壊さなきゃいいんだけどなあ」
 カチン、とグラスを合わせるカウンターの向こうでは、護衛騎士と腕相撲を始めたらしいアルノがメイド服で無双していた。










 三日間の滞在で、アルメアの統治機構確認や様々な会談を終えると、カノ王女の視察旅行は完了した。
「ではな、アリア。絶対にばっくれるんじゃないぞ」
 太陽が九時の位置に辿り着く市門で、カノがアリアにきつい目を向けながら最後の釘を刺す。
「い、嫌ですね殿下、そんな訳ないじゃないですか。私これでも聖女ですよ」
「聖女の方が副業になっているから言っているんだが……ハル、わかっているな」
「わかってるって、安心しろ。ヴェセル、カノを宜しくな」
「殿下はもう儂らの手助けは不要じゃと思うがの。まあ、くたばるまでは頑張るとするか」
「そう言い続けて、一体いつヴェセルはくたばるのかしら」
「奥様、失礼ですよ。いくらセンスも寿命も化物じみたヴェセル様相手でも、言って良いことと悪いことがございます」
 そんな下らない遣り取りの後、ハル、アルノ、アリア、カレン、キリア、ケンに見送られたカノ王女とヴェセルの乗った馬車を護衛騎士が取り囲み、アルメラの西市門を出ていく。
 その長い隊列を見送りながら、「ヴェセル一人で充分じゃね」と散々彼にのされてきたハルなどは思うのだが、当然のことながら王妹殿下がそんなに軽々しく出歩ける訳がない。

 王都への街道の彼方に消えるまで見送ったハルは、うーんと伸びをして振り返ると、
「さって、じゃあ今日の開店準備をするか。ケン、悪いが昨日で食材も酒も殆ど消えたから早めに納品頼めるか?」
「毎度ありがとうございます。そうですね、このまま店に戻ってすぐ納品に伺いますよ」
「助かる」
「キリアはどうするの、もう帰るのかしら」
 相変わらずのメイド服姿のアルノがハルに続いて歩きながらキリアに尋ねる。
「小峰……いや今はユーコですか、久しぶりに顔を見ておきたいですからね、ケンと一緒に店に行ってまた伺います。実は、秋に我が国の外務大臣が表敬訪問するので、それまでこちらで情報収集と準備を命じられているんですよ。宿も探さないとですね」
「あら、それならうちに泊まったらいいんじゃない」
 とアルノが気軽に言うが、それに待ったをかけたのはカレンだった。
「お勧めはしませんよ、キリアさん」
 なぜ、と表情で問うキリアに、
「私も通いですから。毎晩、獣達の饗宴を耳にして平静でいられるのなら止めはしませんが」
「カレンさん、お勧めの宿を教えて頂けないでしょうか」
 即答するキリアに、さすがにバツが悪くなったかハル、アルノ、アリアは目線を逸して空を仰ぐ。
「い、いやあ今日も良い天気だな、アルノ、アリア」
「そそそ、そうねハル。掃除も捗りそうだわ」
「あ、わ、私は教会行こうかなー。お昼だけお願い、お兄ちゃん」

 そんな三人を見ながら、キリアはついケンに目をやってしまう。そんな彼の視線が意図するところを察したか、三河屋は慌てて手を振った。
「いやいやいや、俺は別に。特殊な性癖もないし、ユーコ一筋だぞ。ていうかお前まだ俺のこと三河屋とか思ってるだろ」
「……何も言ってないが」
 どうして思ったことがわかった、と考える前に何も言ってないのに「特殊な性癖」とか言い出す所に不穏な雰囲気を察し、ケンの店に顔出すのやめようかな、と思うキリアだった。ユーコを見たら色々想像してしまいそうだ。

「まあ、そんな訳で当分はアルメラにいるから、暇だったら声かけてくれ。ハルさんの店で飲もう」
 数少ない同郷人が幸せならそれで良いかと考えながら提案すると、前を歩くハルが顔だけ向けて釘を刺す。
「キリアお前、協商国の官僚扱いだよな、ってことは給料多いんだろ」
「え、別に普通だと思いますけど」
「旦那様、協商国外務大臣付護衛武官の俸給は『夜に鳴く鶏亭』の売上の少し下くらいです」
「大儲けしてるってことね。キリア、あんた昼夜はこれから毎日うちに来なさい、いいわね」
「協商国の外務大臣は敬虔な信徒であらせられます。教会への寄進も期待していますね、キリアさん」
 相変わらず有能なカレンの余計な情報に、三人が追撃する。
 ご愁傷さま、と言わんばかりのケンにひとつ睨みを入れるとキリアは大きく溜息をついた。
「三人とも神格化してるんですよね、神様じゃないですか。ただの人間に集る神様って、どうなんです」
 ハル、アルノ、アリアは聞こえないふりをして談笑しつつ先を歩く。
 経費で落ちるかなと懐具合を探ったキリアは、まあ神様が居酒屋やってる世界で何をか言わんやか、と諦め混じりに笑う。日々いろんな料理を増やしているみたいだし、ケンが納品する店なんだから他に金を落とすよりマシだろう、とケンを見るとこちらも期待した目つきで見ていた。
「いや待て、お前とは割り勘だろ」
「……ちっ」
「おい!」

 昼前の交易学究都市アルメラ、その東西大路に笑い声が響く。
 今日も「夜に鳴く鶏亭」は盛況だろう。
 夏の近づいた高い空を見上げながら、キリアの耳にカウベルの音が聞こえたような気がした。
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