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第46話 えりゃめりゃ
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かろん。
いつものカウベルが「夜に鳴く鶏亭」に響く。
いつもと違うのは、ドアを開けても誰一人いないということだ。
「本当にあいつらは去ったんだな」
「へぇ、寂しいんだ。ママが恋しいでちゅかー?」
「あほか。クソ女神は親じゃねぇ。お前こそパパに甘えたいんじゃないのか」
「は?クソ魔王なんかどうでも良いんですけどー」
が、ハルとアルノの言い合いは健在だ。
そこに殺伐さはないけれども、軽口を叩き合いながら店内に入ると先客が声を掛けた。
「遅いぞハル、アルノ」
「お兄ちゃん、アルノちゃん、こっちですよ」
カノ王女とアリアが半個室の入り口から顔を出している。片手を上げて挨拶代わりにしながらテーブルを囲んで座ると、妖族の街での最後の会合が始まった。
「まず報告だ。王国でも無事に承認された。王室派の妨害はあったがな」
口火を切ったカノ王女は、どこか苦々しげに報告する。
どうやら御前会議で何かあったらしい。どうした、とハルが口を開く前に表情で聞きたいことを悟ったのであろうヴェセルが、肩を竦めながら話す。
「王室派の引き伸ばしじゃよ。しかもボーエン公爵は我関せずでな、派閥の貴族らが回りくどく遠回しな言い方で質疑応答ばかりを始めおった」
「あれは凄かったですね、ある意味見ものでした。教会ですらもう使わない婉曲表現のオンパレードでしたから」
アリアの言葉に棘がないところを見ると、教会関係者が感心してしまうほどの古風な言い回しだったのだろう。彼らはどうやら純粋に学術的関心を持って聞いてしまったようだ。
「結局二週間だ。さすがの私も途中で席を蹴りそうになったわ」
「四日目くらいから無表情でしたもんね、殿下」
「ありゃあ言ってる本人たちも半分以上理解してなかったと思うがのう。まあ、抵抗しているという体を王家にアピールするものでしかなかった訳じゃが」
なるほど、と頷く。
革命じゃあるまいし統治形態が変わる訳ではないから、王室派としても国のためになる融和派主導の和平を止めようがない。事前に出した和平交渉を開始するための条件もクリアされている、かと言って融和派に完全に主導権を握られるのも面白くないから反発して睨みを効かせるくらいはしておく、と言ったところだろうか。まったくもってご苦労なことだ。
「魔族側の準備は既に整っております。お嬢様から族長会議への権限移譲、統治体制を支える各部の設置と人選も終わり、現在は王女殿下に派遣して頂いた法務官の手を借りながら法整備を進めております」
カレンが魔族側の状況を報告する。
アルノからも聞いていたから、ハルにとって真新しい情報はない。
「ハル様の間違った発音からとった交易・学究都市『アルメラ』はセーガル西の支流、オラル川の河畔に定まりました。来週から人族が測量等を行う予定です」
カレンの言葉にハルは苦笑いだ。
エル・ラメラを発音できなかったハルがアルメラと発声し、それが彼の中で常態化してしまったために未だハルは山麓ラメラをアルメラと言っている。それを揶揄するかのようにつけられた名前に、微かな抵抗を見せてハルはこほんとひとつ咳払いをした。
「『エリャメリャ』一帯の」
「ぶっ!」
「んぐっ!」
「ぷぷ」
噛んだみたいになった発音に、一同から笑いが漏れた。
都市名にするという大げさな揶揄への精一杯の反発として、エル・ラメラを正確に発音してやろうとしたハルは、ぷるぷると震えている。
「ぷくく、えりゃめりゃ」
「えりゃ……くっ、えりゃだって……くっくくく」
「二箇所も噛んだ、二箇所も……うく、うぐっくく」
「うっせぇよ!しょうがないだろ、何だかその発音で固定しちまったんだから!おいてめぇヴェセル、お前がちゃんと教えてくれなかったのが悪い!」
「なんじゃハリュ、儂に責任転嫁きゃ?」
「翁、そ……ぶふっ、それはひどい、ぞ……ぷぷぷ」
アリアまでが聖衣の袖で顔を隠しつつ明らかに笑っているのを見て、ちくしょうせめてアルノは、と愛しの妻を見ると机をバンバン叩きながら最も大笑いしていた。
「機嫌なおせ、ハル」
「そうじゃぞ、大人気ないぞハル」
「ハル様、過ちは誰もが犯すものです。これから気をつければ良いではないですか」
「私は可愛くて良いと思います!」
ぶすっくれたハルを総出で宥め、何とか持ち直して報告を続ける。
「……え・る・ら・め・ら、の非武装化は予定通り年明けには完了する。都市防衛と治安維持は両陣営から騎兵小隊と憲兵中隊を出して交互に担当すことで相互承認済みだ」
再び笑いそうになったアルノを睨むと、彼女は慌てて顔を逸した。
「んんっ、ロヒから魔法指導者を派遣する。研究と実験、それに実践の必要もあるから学校と研究所の設計はこちらで作るわ」
「魔族には信仰がないとのことでしたので、教会も布教活動を行わず、既存の人族信者が礼拝するためだけの教会を設置することで、教主様も了承されました」
「そういや魔族独特の施設とかはないんですか?」
アリアの報告から思い出したようにハルが尋ねたのは、アルノではなくカレンだ。そのことにむっとしたアルノが何故自分に聞かないのかと抗議するも、
「いやだってお前、人族どころか魔族の文化や風習にも興味持ってなくね?」
「……そんなことない」
「では、北部で毎夏行われている祭祀について、必要な設備の報告はお嬢様にお任せ致します」
「すみませんでした」
その後も幾つかの話し合いが進み、休憩にするかとなった所でカレンが立ち上がり厨房へ向かう。誰一人いなくなった妖族の街では、水ひとつ用意するにも自分でやらなくてはならなくなったからだ。
「ここがなくなるのは、ちょっと寂しいかも」
珍しく神妙な顔でアルノが店内を見渡す。
ハルと飲み交わした数十年が詰まった店だ、愛着もあるし思い出も刻まれている。
カノ、ヴェセル、アリアは何度も来た訳ではないけれども、ハルとアルノの思い出がここにあるということはよく理解している。
しみじみと眺めるアルノの邪魔にならないよう黙って見守っていると、同じように見渡していたハルが、
「うん、決めた」
「え?」
「いや、非武装化が済んでアルメラが稼働するようになったら俺もお役御免になるだろ。なあカノ、もう退役していいよな?」
「ああ、それは構わない。と言うかお前がそう決めたのなら誰も邪魔はできないが……退役してどうするのだ」
「お兄ちゃん、どこか行っちゃうの……?」
カノが不安げに尋ねると、アリアも青い目を揺らす。
そう不安になるなよ、と言いたげに笑うと、
「カノ、欲しいものがあるんだが退職金代わりに貰って良いか?」
「そうだな……だが国庫が傾くようなものは困るぞ」
「そんな額貰ってどうしろってんだ。いや何、アルメラに店を作って欲しい。俺の店を」
「それって」
とアルノが顔を向け、期待に目を輝かせる。
ああ、と頷いて、
「新しい『夜に鳴く鶏亭』、手伝ってくれるかアルノ?」
「当然!」
嬉しげに大きく頷いたアルノに、人数分のグラスに水を入れてきたカレンが微笑ましげに声をかける。
「良かったですね、お嬢様」
「カレンも手伝うでしょ」
「お嬢様の居る場所が私の居場所ですので」
夫婦生活の邪魔になるのではないか、と魔王城へ移るつもりだったのだが主が来いというのならば否やはない。念の為ハルに視線を投げると、
「それは助かるな。まずは料理を教えて欲しいし」
「誠心誠意、努めさせて頂きます旦那様」
「だ、旦那様?」
言われ慣れていないハルがひくり、と頬を引きつらせる。
なんだか妙に落ち着かない気分になる。
が、カレンは構わず、
「お嬢様のご夫君ですから私にとっては旦那様です。ああ、そう言えばいつまでもお嬢様とお呼びする訳にもいきませんね、奥様」
「おおお、奥様……?!あ、なんかすごく良い響き」
ひゃー、と顔を覆って照れてるのか喜んでいるのか、きっとそのどちらもなのだろうアルノがはしゃぐ。こちらはさすがに魔王の創造物だけあって、様付けで呼ばれる違和感は感じていないようだった。
為政者としての意識を徹底してきたカノ、ハルの行く末が定まった以上は教え子でもあるカノを補佐することを決めているヴェセルは、珍しくからかうでもなく見つめている。
が、納得できない者が一人。
「お兄ちゃんとアルノちゃんはずるい……」
「アリア?」
頬を膨らませてじっとりと二人を睨む聖女。
カノ王女とヴェセルはまたか、と頭を抱えカレンは面白そうに静観する。魔王の血を飲んで幼児退行したんじゃないかな、と思ったハルがヴェセルたちに相談したのだが、どうにも信じられないことにこちらが本来の気質であるらしい。
おかしい、自分はこんなアリアを見たことはないのに。
とは言え、二人には「対ハル限定だが」と付け加えられたけれども。
「ずるいって……」
「ずるい。アルノちゃんはずっとお兄ちゃんと一緒にいるということでしょう」
「そりゃまあ……ふ、ふふ、夫婦、だし?」
「二人のことはちゃんと祝福してますよ、ずっと敵同士だった二人が永遠を共にするというのもロマンチックで素敵ですし」
「え、いやそんな乙女チックな理由で祝福したの?聖女が?」
「でも、それを言ったら私だって同じじゃないですか。私だけ一人で永遠に生きろと言うんですね、お兄ちゃんは」
ヴェセルは口の中でもごもごと何かを言いかけていたが、カノは何かを諦めたような呆れたような、微妙な表情で聖女を見る。
いじけたような顔のアリアを見て、それからハルに視線を移したアルノが、
「ハル、あんたアリアに言ってなかったの?」
「いや、言わなくても当たり前のことだと思ってたんだよ。戦争終わったわけだし、俺とアリアが離れて暮らしてる理由もなくなったから普通についてくるんだろうな、と」
「え、お兄ちゃんもしかして……」
「ああ、一緒に来るんだろアリア」
すると急にもじもじとしながらハルとアルノをちらちら交互に見やって、
「あのでも、お邪魔かな、とか……」
あれだけ不貞腐れておいて今更か、と二人は顔を見合わせて苦笑する。
「アリアが神格化しちゃったのはうちのバカ親のせいでもあるしね。まあ……それ以前に女神の眷属になったのはアリア自身の暴挙なんだけど」
「アリアがどうしたいか、どうしたらアリアは幸せになれるのか、それを決めるのはアリアだからな。一緒に来ることがアリアの幸せなら、俺は受け容れるだけだ」
「と、私がハルを叱ったんだけどね」
「え……せっかくかっこよく決めたと思ったのに。それ、言わなくてよくね?」
「お兄ちゃん、アルノちゃん……」
うるうるとするアリアに、ヴェセルがぼそりと「どのあたりまでが演技なんじゃろうか」と呟くがカレンにしか聞こえていなかった。
「構わないだろ、カノ。王都の大聖堂で聖務がある時とか、カノが会いたい時には行かせるし」
「いくら魔王も神の一柱とは言え、その血を飲んで神格化したという事実は可能な限り伏せたいからな。本当なら王城で私の手伝いをして欲しかったが、それは翁で我慢するとしよう」
肩を竦めて笑うカノ王女に、聖女はがばりと抱きつくと、
「ありがとう殿下!呼んでくれればいつでも行きますからね!」
「いや、私が呼ぶ前に聖務ではちゃんと来てくれ……」
国の統治権はあくまでも王家にあり、その王家を取り巻く貴族たちが王室派として未だ強い勢力を誇っている。
王国と民のために魔族との関係調整をし戦争を終わらせることが王女の目的であって、この先は普遍的にある政策における争いでしかない。魔族との価値観共有に失敗すれば再び開戦する可能性だってあるし、その時にそれが人族のためになると判断すれば王女は反対しないだろう。彼女の価値観はあくまでも王国にあるのだから。
そこへ行くと聖女は違う。
王女を竹馬の友としていても、価値の原点は自分を救い育ててくれたハルにある。
生まれついての為政者であり冷厳な政治家でもあるカノ王女と、加護を受けてたまたま聖女になっただけの村娘である聖女アリアとは、友人であってもそこは大きく異るのだ。
それを嘆くつもりもなければ変えるつもりもない。ただ、アリアと道を違え争うことがないよう、王国の道筋を可能な限り理想的な方向へと進ませることが自分のすべきことであると正しく理解しているだけだ。
十五の少女がそんな決意と能力を持っていることが幸いなのか不幸なのかわからないが、その道が決して平坦で穏やかなものでないことを理解しているから、ヴェセルは老骨に鞭打って王女についていくし、長年の戦友であるハルもそんな彼を引き止めない。
「ある程度の聖務は行えるよう、アルメラの教会を整えればよかろう。カレン、積極的な布教活動さえしなければ問題ないか?」
「魔族は各自の信念を妨げません。個人の思想的自由を犯すものでなければ問題はないですね」
カノ王女とカレンの実務的な話を聞きながらも、両脇に絡みつくアルノとアリアにようやくこの世界で「生きる」実感が湧き始めたハルだった。
ふ、と笑って言葉を紡ぐ。
「楽しみだな、えりゃめりゃの開は……つ……」
もちろん、「夜に鳴く鶏亭」には爆笑が湧き上がった。
いつものカウベルが「夜に鳴く鶏亭」に響く。
いつもと違うのは、ドアを開けても誰一人いないということだ。
「本当にあいつらは去ったんだな」
「へぇ、寂しいんだ。ママが恋しいでちゅかー?」
「あほか。クソ女神は親じゃねぇ。お前こそパパに甘えたいんじゃないのか」
「は?クソ魔王なんかどうでも良いんですけどー」
が、ハルとアルノの言い合いは健在だ。
そこに殺伐さはないけれども、軽口を叩き合いながら店内に入ると先客が声を掛けた。
「遅いぞハル、アルノ」
「お兄ちゃん、アルノちゃん、こっちですよ」
カノ王女とアリアが半個室の入り口から顔を出している。片手を上げて挨拶代わりにしながらテーブルを囲んで座ると、妖族の街での最後の会合が始まった。
「まず報告だ。王国でも無事に承認された。王室派の妨害はあったがな」
口火を切ったカノ王女は、どこか苦々しげに報告する。
どうやら御前会議で何かあったらしい。どうした、とハルが口を開く前に表情で聞きたいことを悟ったのであろうヴェセルが、肩を竦めながら話す。
「王室派の引き伸ばしじゃよ。しかもボーエン公爵は我関せずでな、派閥の貴族らが回りくどく遠回しな言い方で質疑応答ばかりを始めおった」
「あれは凄かったですね、ある意味見ものでした。教会ですらもう使わない婉曲表現のオンパレードでしたから」
アリアの言葉に棘がないところを見ると、教会関係者が感心してしまうほどの古風な言い回しだったのだろう。彼らはどうやら純粋に学術的関心を持って聞いてしまったようだ。
「結局二週間だ。さすがの私も途中で席を蹴りそうになったわ」
「四日目くらいから無表情でしたもんね、殿下」
「ありゃあ言ってる本人たちも半分以上理解してなかったと思うがのう。まあ、抵抗しているという体を王家にアピールするものでしかなかった訳じゃが」
なるほど、と頷く。
革命じゃあるまいし統治形態が変わる訳ではないから、王室派としても国のためになる融和派主導の和平を止めようがない。事前に出した和平交渉を開始するための条件もクリアされている、かと言って融和派に完全に主導権を握られるのも面白くないから反発して睨みを効かせるくらいはしておく、と言ったところだろうか。まったくもってご苦労なことだ。
「魔族側の準備は既に整っております。お嬢様から族長会議への権限移譲、統治体制を支える各部の設置と人選も終わり、現在は王女殿下に派遣して頂いた法務官の手を借りながら法整備を進めております」
カレンが魔族側の状況を報告する。
アルノからも聞いていたから、ハルにとって真新しい情報はない。
「ハル様の間違った発音からとった交易・学究都市『アルメラ』はセーガル西の支流、オラル川の河畔に定まりました。来週から人族が測量等を行う予定です」
カレンの言葉にハルは苦笑いだ。
エル・ラメラを発音できなかったハルがアルメラと発声し、それが彼の中で常態化してしまったために未だハルは山麓ラメラをアルメラと言っている。それを揶揄するかのようにつけられた名前に、微かな抵抗を見せてハルはこほんとひとつ咳払いをした。
「『エリャメリャ』一帯の」
「ぶっ!」
「んぐっ!」
「ぷぷ」
噛んだみたいになった発音に、一同から笑いが漏れた。
都市名にするという大げさな揶揄への精一杯の反発として、エル・ラメラを正確に発音してやろうとしたハルは、ぷるぷると震えている。
「ぷくく、えりゃめりゃ」
「えりゃ……くっ、えりゃだって……くっくくく」
「二箇所も噛んだ、二箇所も……うく、うぐっくく」
「うっせぇよ!しょうがないだろ、何だかその発音で固定しちまったんだから!おいてめぇヴェセル、お前がちゃんと教えてくれなかったのが悪い!」
「なんじゃハリュ、儂に責任転嫁きゃ?」
「翁、そ……ぶふっ、それはひどい、ぞ……ぷぷぷ」
アリアまでが聖衣の袖で顔を隠しつつ明らかに笑っているのを見て、ちくしょうせめてアルノは、と愛しの妻を見ると机をバンバン叩きながら最も大笑いしていた。
「機嫌なおせ、ハル」
「そうじゃぞ、大人気ないぞハル」
「ハル様、過ちは誰もが犯すものです。これから気をつければ良いではないですか」
「私は可愛くて良いと思います!」
ぶすっくれたハルを総出で宥め、何とか持ち直して報告を続ける。
「……え・る・ら・め・ら、の非武装化は予定通り年明けには完了する。都市防衛と治安維持は両陣営から騎兵小隊と憲兵中隊を出して交互に担当すことで相互承認済みだ」
再び笑いそうになったアルノを睨むと、彼女は慌てて顔を逸した。
「んんっ、ロヒから魔法指導者を派遣する。研究と実験、それに実践の必要もあるから学校と研究所の設計はこちらで作るわ」
「魔族には信仰がないとのことでしたので、教会も布教活動を行わず、既存の人族信者が礼拝するためだけの教会を設置することで、教主様も了承されました」
「そういや魔族独特の施設とかはないんですか?」
アリアの報告から思い出したようにハルが尋ねたのは、アルノではなくカレンだ。そのことにむっとしたアルノが何故自分に聞かないのかと抗議するも、
「いやだってお前、人族どころか魔族の文化や風習にも興味持ってなくね?」
「……そんなことない」
「では、北部で毎夏行われている祭祀について、必要な設備の報告はお嬢様にお任せ致します」
「すみませんでした」
その後も幾つかの話し合いが進み、休憩にするかとなった所でカレンが立ち上がり厨房へ向かう。誰一人いなくなった妖族の街では、水ひとつ用意するにも自分でやらなくてはならなくなったからだ。
「ここがなくなるのは、ちょっと寂しいかも」
珍しく神妙な顔でアルノが店内を見渡す。
ハルと飲み交わした数十年が詰まった店だ、愛着もあるし思い出も刻まれている。
カノ、ヴェセル、アリアは何度も来た訳ではないけれども、ハルとアルノの思い出がここにあるということはよく理解している。
しみじみと眺めるアルノの邪魔にならないよう黙って見守っていると、同じように見渡していたハルが、
「うん、決めた」
「え?」
「いや、非武装化が済んでアルメラが稼働するようになったら俺もお役御免になるだろ。なあカノ、もう退役していいよな?」
「ああ、それは構わない。と言うかお前がそう決めたのなら誰も邪魔はできないが……退役してどうするのだ」
「お兄ちゃん、どこか行っちゃうの……?」
カノが不安げに尋ねると、アリアも青い目を揺らす。
そう不安になるなよ、と言いたげに笑うと、
「カノ、欲しいものがあるんだが退職金代わりに貰って良いか?」
「そうだな……だが国庫が傾くようなものは困るぞ」
「そんな額貰ってどうしろってんだ。いや何、アルメラに店を作って欲しい。俺の店を」
「それって」
とアルノが顔を向け、期待に目を輝かせる。
ああ、と頷いて、
「新しい『夜に鳴く鶏亭』、手伝ってくれるかアルノ?」
「当然!」
嬉しげに大きく頷いたアルノに、人数分のグラスに水を入れてきたカレンが微笑ましげに声をかける。
「良かったですね、お嬢様」
「カレンも手伝うでしょ」
「お嬢様の居る場所が私の居場所ですので」
夫婦生活の邪魔になるのではないか、と魔王城へ移るつもりだったのだが主が来いというのならば否やはない。念の為ハルに視線を投げると、
「それは助かるな。まずは料理を教えて欲しいし」
「誠心誠意、努めさせて頂きます旦那様」
「だ、旦那様?」
言われ慣れていないハルがひくり、と頬を引きつらせる。
なんだか妙に落ち着かない気分になる。
が、カレンは構わず、
「お嬢様のご夫君ですから私にとっては旦那様です。ああ、そう言えばいつまでもお嬢様とお呼びする訳にもいきませんね、奥様」
「おおお、奥様……?!あ、なんかすごく良い響き」
ひゃー、と顔を覆って照れてるのか喜んでいるのか、きっとそのどちらもなのだろうアルノがはしゃぐ。こちらはさすがに魔王の創造物だけあって、様付けで呼ばれる違和感は感じていないようだった。
為政者としての意識を徹底してきたカノ、ハルの行く末が定まった以上は教え子でもあるカノを補佐することを決めているヴェセルは、珍しくからかうでもなく見つめている。
が、納得できない者が一人。
「お兄ちゃんとアルノちゃんはずるい……」
「アリア?」
頬を膨らませてじっとりと二人を睨む聖女。
カノ王女とヴェセルはまたか、と頭を抱えカレンは面白そうに静観する。魔王の血を飲んで幼児退行したんじゃないかな、と思ったハルがヴェセルたちに相談したのだが、どうにも信じられないことにこちらが本来の気質であるらしい。
おかしい、自分はこんなアリアを見たことはないのに。
とは言え、二人には「対ハル限定だが」と付け加えられたけれども。
「ずるいって……」
「ずるい。アルノちゃんはずっとお兄ちゃんと一緒にいるということでしょう」
「そりゃまあ……ふ、ふふ、夫婦、だし?」
「二人のことはちゃんと祝福してますよ、ずっと敵同士だった二人が永遠を共にするというのもロマンチックで素敵ですし」
「え、いやそんな乙女チックな理由で祝福したの?聖女が?」
「でも、それを言ったら私だって同じじゃないですか。私だけ一人で永遠に生きろと言うんですね、お兄ちゃんは」
ヴェセルは口の中でもごもごと何かを言いかけていたが、カノは何かを諦めたような呆れたような、微妙な表情で聖女を見る。
いじけたような顔のアリアを見て、それからハルに視線を移したアルノが、
「ハル、あんたアリアに言ってなかったの?」
「いや、言わなくても当たり前のことだと思ってたんだよ。戦争終わったわけだし、俺とアリアが離れて暮らしてる理由もなくなったから普通についてくるんだろうな、と」
「え、お兄ちゃんもしかして……」
「ああ、一緒に来るんだろアリア」
すると急にもじもじとしながらハルとアルノをちらちら交互に見やって、
「あのでも、お邪魔かな、とか……」
あれだけ不貞腐れておいて今更か、と二人は顔を見合わせて苦笑する。
「アリアが神格化しちゃったのはうちのバカ親のせいでもあるしね。まあ……それ以前に女神の眷属になったのはアリア自身の暴挙なんだけど」
「アリアがどうしたいか、どうしたらアリアは幸せになれるのか、それを決めるのはアリアだからな。一緒に来ることがアリアの幸せなら、俺は受け容れるだけだ」
「と、私がハルを叱ったんだけどね」
「え……せっかくかっこよく決めたと思ったのに。それ、言わなくてよくね?」
「お兄ちゃん、アルノちゃん……」
うるうるとするアリアに、ヴェセルがぼそりと「どのあたりまでが演技なんじゃろうか」と呟くがカレンにしか聞こえていなかった。
「構わないだろ、カノ。王都の大聖堂で聖務がある時とか、カノが会いたい時には行かせるし」
「いくら魔王も神の一柱とは言え、その血を飲んで神格化したという事実は可能な限り伏せたいからな。本当なら王城で私の手伝いをして欲しかったが、それは翁で我慢するとしよう」
肩を竦めて笑うカノ王女に、聖女はがばりと抱きつくと、
「ありがとう殿下!呼んでくれればいつでも行きますからね!」
「いや、私が呼ぶ前に聖務ではちゃんと来てくれ……」
国の統治権はあくまでも王家にあり、その王家を取り巻く貴族たちが王室派として未だ強い勢力を誇っている。
王国と民のために魔族との関係調整をし戦争を終わらせることが王女の目的であって、この先は普遍的にある政策における争いでしかない。魔族との価値観共有に失敗すれば再び開戦する可能性だってあるし、その時にそれが人族のためになると判断すれば王女は反対しないだろう。彼女の価値観はあくまでも王国にあるのだから。
そこへ行くと聖女は違う。
王女を竹馬の友としていても、価値の原点は自分を救い育ててくれたハルにある。
生まれついての為政者であり冷厳な政治家でもあるカノ王女と、加護を受けてたまたま聖女になっただけの村娘である聖女アリアとは、友人であってもそこは大きく異るのだ。
それを嘆くつもりもなければ変えるつもりもない。ただ、アリアと道を違え争うことがないよう、王国の道筋を可能な限り理想的な方向へと進ませることが自分のすべきことであると正しく理解しているだけだ。
十五の少女がそんな決意と能力を持っていることが幸いなのか不幸なのかわからないが、その道が決して平坦で穏やかなものでないことを理解しているから、ヴェセルは老骨に鞭打って王女についていくし、長年の戦友であるハルもそんな彼を引き止めない。
「ある程度の聖務は行えるよう、アルメラの教会を整えればよかろう。カレン、積極的な布教活動さえしなければ問題ないか?」
「魔族は各自の信念を妨げません。個人の思想的自由を犯すものでなければ問題はないですね」
カノ王女とカレンの実務的な話を聞きながらも、両脇に絡みつくアルノとアリアにようやくこの世界で「生きる」実感が湧き始めたハルだった。
ふ、と笑って言葉を紡ぐ。
「楽しみだな、えりゃめりゃの開は……つ……」
もちろん、「夜に鳴く鶏亭」には爆笑が湧き上がった。
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