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第28話 勇者返還の条件

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「え、いや可愛い顔して物騒だなあ。そんなこと言わずに楽しく飲もうよ」
 と、アルノが凄んだにも関わらずにこやかな笑みを崩さないカミジョウとやらは、さすが勇者と言ったところだろうか。もしかしたら単純にアルノの殺気に気づいていないだけかも知れないが。

 アルノ視点ではにやにやと、本人からすればにこにこしている顔を見ていると馬鹿らしくなり殺気を収める。
「あ、大将こちらの彼女にも白酒を。好きなんだよね?」
 確かに白酒は好きだし、前回も今日も飲んでいるがここはそういう店ではない。気障ったらしいのは人族王都の小洒落た店でやって欲しい。ここはあくまでも「居酒屋」なのだ。
「アルはよくここには来るの?」
 教えた途端に呼び捨てとは慣れ慣れしいにも程がある。それ以前に、カレンや彼女の部下たちが聞いたらあまりの不敬に問答無用で襲いかかるだろう。
 が、少し落ち着いたアルノは考える。
 自分たちは人族ほど諜報を使わない。必要性を感じないのもあるが、大雑把で脳筋ばかりという人材面の問題の方が強い。人族の戦術面はある程度探りを入れているものの、市井にまで注意を払っていない。
 故にカレンも勇者軍内でのハルの評価を正確には掴みきれていないだろう。
 となるとこれはなかなかの情報源ではなかろうか。
 情報を仕入れれば、主を主とも思わないメイドも少しは私を見直すかも?と淡い期待が生じる。
「たまに」
 なのに返答はやっぱり素っ気ない。生理的に受け付けないから仕方ない。
「ふうん。じゃあ君も特別な存在なんだね」
 そりゃそうだ。
 世界の気を集めて一千年かけて魔王様が作り上げたのだから。とは言えもちろん勇者カミジョウはそのことについて言ったのではなかった。
「この街のことは教えてもらってなかったらからさ、最初は興奮して大騒ぎしちゃったけど……中立地帯なんだよね。ここでは絶対に争うことはできないって聞いたよ」
「まあ、そうね」
 存在の次元そのものが恐らく違う。だからアルノですら手が出せない。
 だが、魔王様や女神だったらどうだろうか。アルノが頻繁に出入りしておりハルと飲み交わしていることなどを知っていたことから、手を出せないということはないのだろう。実際に何ら手を出していないから、多分黙認といったところだろうか。

「人族も魔族も争わない、理想的な街だよね」
「は?」
 理想?ここが?
 冗談も大概にして欲しいものだ。
 アルノは白けた目で勇者を見るが、どうやら彼は本気でそう思っているらしく目を細めて背後の喧騒を眺めている。
 ああ、こいつは地獄の釜を覗き込むような悪意に晒されたことも、そのせいでギラつく欲望の眼差しにも、触れたことがないんだな。
 アルノは生まれて二百年だが、最初の五十年はそれはもう凄かった。
 人族に侵攻し始めた百年前というのは、要するに魔族が魔王の下で種としてのまとまりを得て社会に余裕ができた年代だ。それまではあっちで盗み、こっちで犯し、そっちで殺す、ということは至る所で行われていたし、魔王もまたそんな魔族の常らしく生まれたてのアルノを庇護するでもなく辺境の街角に放り出したから、彼女は襲いかかる魔族を殺しに殺し、血塗れになって魔王城に辿り着いたのだ。
 生みの親だからと言って保護もしない魔王は魔族らしいのか、それともそれだけ自分の創造物に自信があったのか。それはわからないが、とにかく魔王はアルノに事もなさげに魔族統一を命じた。
 当然憤って煮えたぎる殺意で挑んだアルノはあっさりと返り討ちにされ、以来何度か挑んではいるものの傷一つつけたことがない。あれは正真正銘の化物だ。

 ともあれ、そんな社会で同族も異種族も殺しまくって生きてきたアルノにとって、悪意と欲望は生に必須なものだ。
 悪意があるから秩序の渇望が生まれて生にしがみつく思いも生じるし、絶望があるから欲望も強烈な匂いを放つ。
 平穏な時間など詰まらない。終わりが見えないからこそ、アルノはぎらぎらとした強い意思が渦巻く中で生きることを望んだ。
 そしてここには、生も死も希望も絶望もない。欲もなければ罪もない。
 全てがあるように見えて、その実は何もない死者の街だ。
 見てくれは平和で美しい街だが、空っぽで虚ろな世界にアルノは何の価値も見出していない。
 足を運んでいるのはハルと飲むため、ただそれだけだ。



「今は戦っているけどさ。ああやって同じテーブルを囲めているんだから、いつかきっと手を取り合える日が来ると思うんだよ」
 人族と魔族が?
 馬鹿じゃなかろうか。
 人族の中にも、魔族の中にも同じ族の中で種や民も違えばその中でも集落や家族も違う。家族に於いてすら親と子は同じ存在ではないし、兄と弟も別の存在だ。
 それが個性であり個性とは差異でもある。
 差異は優劣になり、共通項を認められない者への排除になり、優越感と劣等感を生み、争いの種火を熾し、やがて戦火となる。
 この世界ではそれが当たり前の認識だ。

 だから戦争やっているのだ。
 魔族と人族の垣根がなくなっても、どうせ争いは起こる。
 族の中、種の中、民の中、隣人同士や家族内でも争いは避けられないのに、どうして族間での争いがなくなるのか。

 こいつあれだ、ほんとのお花畑野郎だ。
 前の勇者と同じ世界から来たらしいが、あっちの方が戦いに躊躇がなかった分だけマシだった。クズなハーレム野郎だったが、それだけに欲望に忠実でギラついていた点で、生命としてはこいつらよりも好ましい。
「偉そうなことは、家族や恋人を殺された人に同じこと言ってきてからにして」
 ついイラっとして反応してしまった。
 ち、と心中で舌打ちするが、カミジョウは自分に都合よく捉えたのか更に相好を崩した。
「大事な人を失うのは辛いことだけど、その悲しみを乗り越えなければ復讐と恨みの連鎖が続くだけじゃないかな」
「当然でしょ、それの何がおかしいわけ?」
「復讐は復讐しか生まないだろう?動物と違って人間は許すことができる、耐えることができる、だから乗り越えることもできる」
「あんたの言う人間ってのは動物のことなのね」
 そうでしょう、と問うと勇者カミジョウは怪訝そうな顔をした。
 呆れるというよりもおかしくなってしまう。
 思わず吹き出しそうになるのを堪え、
「だって動物は復讐しないわ。家族を殺されようが相手が捕食者であり自分が被捕食者である限り、仇を討とうなどと考えることはないのだから」
「……つまり動物は相手を理解し許容することもできない。でも、だとしたらそれが出来るのなら動物ではなく人間だってことだよね」
「本当に出来るのならね」
 ふん、と鼻で笑うが、自分や自分の大切な人を殺されてまで同じことを言えるのか少し興味が湧いた。
「あんたにだって大切な人はいるでしょう」
「もちろんいるよ」
「あそこにいるのかしら」
 背後のテーブル席を眺める。
 すると向こうもこちらに気づいたようで、女どもは両手を口に当てて目を見開いたり隣とこそこそ話したりしているし、男どもはアルノを見て驚くとすぐに囃し立て始める。あいつらこそ獣じゃないか、と思わなくもないが今の本題はそこではない。
 勇者カミジョウはアルノの視線を追いながら頷く。
「俺たちはクラスごと召喚されてしまってね、異世界でのクラスメイト……勇者仲間なんだ。もちろん大切な友達だよ」
「あんたの番は?あの小煩い中にいるのかしら」
「つが……ああ、恋人ってことならいないよ。元の世界の家族を除けばあいつらが全員俺の大切な人ってことになるな」
「ふぅん。ならあれが全員殺されても、復讐はしないわね?」
「本当にアルは物騒だなあ。もちろんあいつらを失ったら悲しいし、まずはそうならないように全力を尽くすよ」
 なるほど、今の返答で彼らがどうしてこれほど能天気な考えなのか理解できた。
 要するに理不尽な目に遭ったことがないのだろう。思い通りにならないことはあったかも知れないが、理由も意味もない、無価値な死というものを知らないのだ。自分がそんな目に遭ったことはもちろん、そういった死や理不尽な力に直面したことがないのだ。

 これは面白い。

 人族はこれからも勇者を召喚する。だとしたら、同じ世界から来るとは限らないがどうしたら壊れるかのサンプルは多ければ多いほど良いだろう。
 退屈な戦場に楽しみができた気分で上機嫌になったアルノは本題を思い出す。
「まあいいわ。それであんたは私が魔族であることを知って声を掛けてきたのよね」
「あ、やっぱり魔族なのか。あんまりにも人間っぽいから自信はなかったんだけど」
「……どんなのを想像してるのよ」
「いや、二メートルくらいのガチムチな筋肉の塊みたいなのとか、頭から角が生えてるのとかしか見てないからさ」
 ノッテとロヒだ。
 まあ確かに彼らは魔族四種族の中でも人族から最も遠い見た目ではあろう。ロヒに関しては、他はまだしも角がある時点で別種であることは明白だ。
「あまり戦場には出ていないのね」
「そうだね、半年くらい前に召喚されてしばらくこの世界のこと学んだり戦闘訓練ばっかりやっていたから。二ヶ月ちょっと前にセーガル河の戦線に来たんだ」
 知ってるかなと尋ねて来るが、魔族なら女子供であっても戦場のことを知らない者はいない。
 アルノを魔王軍司令官だと知らないことからの確認かと思ったのだがそうではなく、ただ人族としての常識で考えて聞いて来たのだろう。

「どこで戦争やってるかなんて、魔族なら誰でも知ってるわ。人族は違うのかしら」
「王都で王族や貴族、軍関係者までくらいしか話してないんだけどね。貴族の中でも戦況がどうなっているかを知らない人がいるくらいで、最初の頃は本当に戦争やってるのかなって思ってたよ」
「人族同士で争うくらいだから、余裕があるんでしょうね」
「ああ、西方諸王国だっけ、そのことかな。詳しくは聞かされてないけどさっき言ってたハルって人が行くくらいだから大きな問題ではないらしいよ」
 貴重な情報源だ、むっとするのを抑える。
 ようやく話がアルノにとっての本題、ハルの人族内での扱いに入った。ああいや、本題は人族の戦争に対する考えだったが、まあ主題には余禄がつきものだからどうでも良い。
「……魔族の中でも有名な人族だけど」
 これは事実だ。
 魔族は知り合いが誰一人戦場を知らない、ということがあり得ないため老人であろうと幼子であろうと人族勇者軍参謀ハルの名前を知っている。悪辣な戦術を使うこともあり、「ハルが来る」は子供への躾に用いられるくらいだ。
「いや、俺たちも詳しくは知らないんだ。こっち来てから暫くは指示を受けていたけど直接会うことはあまりなかったし」
「勇者なのに勇者軍参謀に会わない?」
 怪訝そうな顔をすると、
「命令系統が違うんだって。勇者軍は王国の近衛直結で、ハルって人が指揮するのは人族連合軍だから」
 ハルが制限を受けていた情報だが、ハルが西方へ去り勇者軍が直接対峙するようになったから制限を受けなくなったのだろう。
「何度か戦闘訓練見に来て注意も受けたけど。でもあの人自身はそんなに強そうじゃなかったな。参謀って話だったけど、作戦については勇者軍にも作戦立てる人たちが専属でついてるし……何の役に立つのかよくわからなったよ」

 本当にこいつの言う通りなら魔族はこれほど苦戦していない。
 まあ、たかが十数年しか生きていない平和な世界のガキにはわからなくても仕方ないだろう。
 と、そう思わないと大将の目の前にも関わらず引き裂いてしまいそうだ。
「……ふーん。じゃあそのレベルが行くくらいだから西方は大したことないんだ」
「だと思うけどね。俺たちの誰かが行けばそれだけで終わりそうだけど、人間同士で争うのは断ってるし」
「は?断ってる?」
「うん、できれば魔族とも争いたくはないけど、魔王を倒すことが俺たちを元の世界に還す条件らしいから。でも人間同士で戦うことだけは絶対にしないって王様にも言ってあるんだ」

 魔王様を倒せば元の世界に還せる?
 魔族では異界からの召喚というそれ自体を考えたこともなかったから良くわからないが、そんなことがあるのだろうか。
 そりゃまあ、あの化物のことだ、「ん?還せるけど?」くらい普通に言ってきそうだが、それは魔王様だからあり得るだけの話で人族にそれができると思えないし、魔王様を「倒す」ことがその条件になるというのは理屈が不明だ。というかそれはつまり、返還は不可能と言うことと同義ではなかろうか。

 だからアルノは素直に聞いておくことにした。
「なにそれ、どんな理屈なのよ」
「さあ?」
 あ、こいつほんとにバカだ。
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