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六 : 大志 - (7) 十三年振りの対面

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 甲府に滞在している信忠は、武田家が滅んでからも戦後処理に追われた。知行割に花押を記したり面会を求める人と応対したりと、息つく暇もなかった。
 そうした中、伝兵衛が少し困った顔をして近付いてきた。
「殿、真田“安房守あわのかみ”がお目通りを願っておりますが……」
 伝兵衛から名前を伝えられても、信忠はすぐにピンと来なかった。織田家の嫡男であり織田宗家の当主の身として、人の名は覚えるよう意識している信忠ではあるが、武田攻めが始まってからは新しい人が一気に増えたのもあり、処理が追い付かずにいた。
 誰か分からず考え込む信忠に、伝兵衛がソッと声を掛けた。
「武田家旧臣で、信濃と上野の二ヶ国にまたがる地域を治める国人にございます」
 その説明を受け、信忠も「あぁ」と合点がいった。武田家中の者達は全て把握している訳ではないので、思い出すのに時間が掛かるのも致し方ない。
「捨て置け。どうせ旧領回復の嘆願だろう」
 信忠はうんざりしたように応える。武田家の領地の大半は今回の戦で功のあった者に与えられたが、何とか旧領の一部だけでも取り戻そうと武田家旧臣があの手この手で働きかけてくる。真田家が領有していた上野国は滝川一益のものとなり、要衝の沼田城は滝川家が接収する運びとなっていた。それを何とか返して欲しいと陳情に来たに違いないと信忠は解釈した。
 しかし、伝兵衛は首を振る。
「それが……『中将様に是非ともお耳に入れたい事がある』と申しておりまして」
「……他の旧臣達とは違うというのか?」
「はい」
 直接応対した伝兵衛の言葉に、信忠もやや考える。
 武田家を滅ぼしてから、まだ一月も経っていない。新たな土地を授かった者達は転封の準備に追われていたし、統治はまだ行き届いていない。そうした状況の中で新たにやって来る統治者は余所者よそもの、これに不満を抱く者達が一揆を扇動せんとたくらむ輩が出ないとも限らない。昌幸はそうした情報を掴んでいる可能性があった。
「分かった。会おう」
「畏まりました」
 考えた結果、信忠は会ってみる事にした。伝兵衛の勘を信じたいのが決め手だった。
 一旦下がった伝兵衛は昌幸を伴って再び現れた。端正な顔立ちをした昌幸は、落ち着いた所作で座る。
「お久しゅうございます」
 開口一番、そう言って頭を下げる昌幸。その言葉に、信忠は小首をかしげる。
 過去に一度でも会っているからこそ“お久ししゅうございます”と述べたのだろうが、肝心の信忠は覚えがない。武田攻め以前に武田家と会った人物は限られているが、いずれも“真田”姓を名乗っていなかった。しかし、この場で会った事を偽って、何の得になるというのか。突然のことに信忠は困惑した。
 すると、昌幸は僅かに頭を上げてから付け加えた。
「……それがし、かつて“武藤喜兵衛”と名乗り、十三年前に徳栄軒様の名代で馬をお届けに上がった事がございます」
 そこまで言われて「あぁ!」と信忠は思い出した。姓も名も改めていたので気が付かなかった。
 真田“安房守”昌幸、当年三十六。武藤家へ養子に入っていた喜兵衛だったが、天正三年五月の設楽原の戦いで長兄・信綱、次兄・昌輝が討死。真田家の家督が空白となった為、真田家へ復帰した。元は北条家のものだった沼田城を調略で手に入れるなど、上野国内で武田家の版図拡大に大きく寄与していた。譜代ではないが上野方面で多くの裁量権が認められ、昌幸は武田家に欠かせない存在となっていた。
 信忠の反応を見て「思い出して頂けてありがたいです」と昌幸はニッコリと微笑む。
「安房守、私に話したい事とは何だ?」
 和やかな空気が流れる中、信忠が訊ねる。
 十三年前に一度会ったきりで面談を申し入れる訳がなく、何かしらの理由がある筈だ。一揆の兆候を掴んだか、織田と同調する北条家に不穏な動きがあるか、それとも武田家旧臣の間で不満が溜まっているか。いずれにしても穏やかな話ではない。
 どんな話が出てくるか分からず身構える信忠に、昌幸は柔らかな笑みを崩さずに告げた。
「折入ってお伝えしたいのは、松姫様についてです」
 警戒していた信忠は、昌幸の口から出た人物の名に思わず拍子抜けしてしまった。頭の片隅にずっとあった筈なのに、目の前の事に追われて忘れていた。
 三年前に快川の手を経て届けられた松姫の手紙には、高遠城下で暮らしていると書かれていた。高遠城と言えば先日仁科盛信との激しい攻防が繰り広げられた場所。今更ながら戦禍[せんか]に巻き込まれていないか心配になってきた。
 不安気な表情を浮かべる信忠へ、落ち着かせるような口調で昌幸は言った。
「ご案じには及びません。薩摩守さつまのかみ(盛信の受領名)様の差配で姫は事前に甲斐へ逃れ、薩摩守様のご子息ご息女達と共に武蔵方面へ落ち延びて無事です」
 その言葉に、ホッと安堵の溜め息を漏らす信忠。
 織田方の侵攻が始まると、激戦になると予想していた盛信は実の妹である松姫を甲府へ送った。松姫は武田家と所縁ゆかりのある開桃寺かいとうじ(後の海島寺かいとうじ)に身を寄せた後、盛信の嫡男・勝五郎しょうごろう、盛信の娘・小督、勝頼の娘・貞を連れて武蔵方面に逃れた。武蔵国は北条家が治める地で、今は敵対しているが当主氏政の正室は信玄の娘・黄梅院おうばいいん(永禄十二年六月十七日死去)でその嫡男・氏直を産むなど、武田家と縁があった。そうした背景から、甲斐から逃れてきた避難民については秘かに受け容れる対応を取った。この措置は事前に武田攻めの通告が無かった織田家への意趣返しも含まれていた。この時、松姫一行が通った峠は後年“松姫峠”と呼ばれるようになる。
 ただ、安心したのも束の間、ふとした疑問が湧いた。
「……どうして安房守が松姫様の動向をご存知なのですか?」
 松姫の父は武田信玄、母は武田家一門の油川信友の娘・油川夫人。どちらも真田家とは繋がりがない。いくら武田家の一族とは言え、昌幸に松姫の安否を確かめるだけの義理はない筈だ。
 直後、昌幸はそれまでと一転して真剣な表情で声を落としながら話し始めた。
「……我等真田家は海野うんの家を祖としており、望月もちづき禰津ねずと近いですから」
 昌幸はややぼやかして言うが、信忠はすぐに察しがついた。
 武田家には“三ツ者”と呼ばれる優れた忍び集団を抱えているのは有名だが、他にも忍びが居た。信濃国禰津の地に“ノノウ”と呼ばれる歩き巫女がおり、諸国を渡り歩いて祈祷きとう勧進かんじんおこなっていた。禰津の他には近隣の望月・海野は修験しゅげんの地で知られ、並外れた体術や奇術を会得する修験者が現れ始めた事に着目した国人勢力が忍びとして用いるようになった。こうした修験者やノノウの存在を知った信玄は、家臣の望月盛時もりときの妻・千代女ちよじょかしらとする重宝集団を作らせたのだ。
 真田家は海野家から派生した家柄で、望月家や禰津家とも関係は悪くなかった。海野・望月・禰津の三家は戦国期に没落していくが、それを保護した真田家がノノウなどを取り込み、勢力拡大に利用していた。
「薩摩守様は信濃国衆の旗頭のような存在。松姫様も亡き徳栄軒様のご息女で大切な御方。その御身おんみに何かありましたら先代様に申し訳が立ちません。僭越せんえつながら松姫様の御身を守る為に、我が手の者を配したまでです」
「……警護と共に探りを入れる、か」
 信忠の指摘に、昌幸はニコリと笑い「ご想像にお任せします」と否定しなかった。
 昌幸は父・幸綱の代から武田家で重きを成してきたが、譜代の臣ではない。信が置かれてないのは自覚しており、万一の時に備えて武田家中枢の動きを掴む為に忍びを送り込んだのだろう。恐らく信玄もこの事は知っていただろうが、武田家の機密を守るのに繋がっていたので放置していたものと思われる。
 主家も疑うとは、なかなか食えない男だ。しかし、秘密にしておくべき事柄を明かしたのは……。
「忍びを抱えている事を明らかにして二心ふたごころ無い事を示す……そうだろう?」
 信忠が質すと、昌幸は「しかり」と頷く。
「我等の誠意を示すには、百の言葉で弁ずるよりも包み隠さず手の内をつまびらかにする方が説得力にまさります。もしご希望とあらば、松姫様に中将様のお気持ちをお伝え致しますが……如何いかが致しましょうか?」
 全く想像もしていなかった提案に、信忠はすぐに答えられなかった。
 三年前に持ち掛けられた松姫の輿入れは、武田家へ誤った印象を与えかねないと信忠が断った。その武田家が滅んだ事で障壁しょうへきは取り除かれたが、寄るを失った松姫は生活が引っ繰り返ってしまった。勝者と敗者に分かれた今、明日も分からない中で生きている松姫に、どういう顔で声を掛ければいいのだ。恨まれても仕方ない、いや恨んでいることだろう。
 本音を言えば、やっとしがらみから解き放たれた今なら松姫を迎え入れたい。でも、自分の家を滅ぼした仇敵きゅうてきに、誰が嫁ぎたいと思うか。松姫の心情を思えば、躊躇する気持ちの方が強かった。
 複雑な表情で黙り込んでしまった信忠に、昌幸は再び口を開いた。
「恐れながら……松姫様は誰かを恨んだり憎んだりされるような御方ではありません」
 断言するようにはっきりと言い切った昌幸に、信忠は驚いたように目を大きく見開いた。
「安房守は、松姫様にお会いした事があるのか?」
「はい。時節じせつの挨拶で高遠城へ伺った折、幾度かお会いしております」
 そう答えた昌幸は懐かしむように目を細めながら続ける。
「松姫様は本当に心根のお優しい御方で、身分の差など気にせず誰にでも分け隔てなく接しておられました。いつも朗らかな笑顔を浮かべられ、決して他人を悪く言ったりおとしめたり事はありませんでした。ですから、家臣だけでなく領民達からも慕われておられました」
 昌幸の言葉に、信忠も何となく分かる気がした。
 手紙でのやりとりしかしていないが、幼い頃から相手を気遣う思いが文字に表れていた。三年前の手紙でも、信忠の苦しい立場に理解を示し、無理に“婚儀を進めて欲しい”とか“同盟を結んで欲しい”とは触れていなかった。人の痛みや苦しみが分かる御方だと思っていたが、昌幸の言葉からその印象は正しかったことが証明された。
「武田家が滅んだのは、天運に見放されたまで。それで中将様を恨むような御方ではありません。お慕い申し上げてきた中将様から手を差し伸べれば、きっと掴んでくれるでしょう。……如何いかがされますか?」
 思い留まった信忠の背中を押すように、昌幸が問い掛ける。信忠の気持ちは揺れ動いていた。
 相手の家を滅亡に追い込んだ引け目と、積年の願いだった松姫と結ばれたい気持ち。果たして、自分はどちらを優先すべきか。これまでの人生で一番迷い悩む選択かも知れない。御家事情やあるべき姿といった指標がない分、自分の意思に委ねられていた。
 悩み、迷い、葛藤にもだえ――信忠が出した結論は。
「……本当に、伝えてくれるのだな?」
 弱々しい声で訊ねた信忠に、昌幸は「はい」と力強く応じる。
 その返事を受け、信忠はフーッと長く息を吐いてから覚悟を決めたように言った。
「『お待ち申し上げます』、そう伝えてくれ。返事は不要」
「……畏まりました」
 あれこれ言葉を並べても、言い訳にしかならない。それならばいっそ、“待っている”意思だけ伝えるに留めた。武田家を滅ぼした信忠が“嫁いでくれ”と言うのは筋が違う。松姫にその意思があるなら来てくれるし、許せないと思うなら応じなければ済む。きっと、信忠の想いは相手に伝わるだろう。どうするかは松姫の気持ち次第だ。
 昌幸は「責任を持って、必ずお伝え致します」と言い残して信忠の前から辞していった。
 本当に、人の縁とは不思議なものだ。十三年前に一度会った人物をキッカケに、二度も切れた松姫の縁がまた繋がるなんて。信忠は感慨深げに、昌幸が座っていた席を見つめていた。
 天正十年四月八日。昌幸は信長から信濃と上野の一部旧領を安堵された。旧領の大半を削られるか全て召し上げられる武田家旧臣が多い中、真田家は寄騎として生き残れたこととなる。武田攻めの後に関東方面を任された滝川一益の下で、東へ勢力を拡大させる一助いちじょを担う。そうした流れだったが……三ヶ月後にはこの昌幸が近隣一帯の命運を握る鍵になるとは、この時まだ誰も予想していなかった。
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