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五 : 青葉 - (31) 蟻の一穴
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織田家が着々と天下布武の階段を上がっていく中、遂にこの男の元にも変化の足音が近付いてきた。
天正九年十二月。岐阜城の信忠へ、河尻秀隆が訪ねて来た。入ってきて早々に人払いを求められ、信忠も“何かあった”と察せられた。
部屋で二人きりになったのを確認してから、秀隆はゆっくりと切り出してきた。
「……遠山“久兵衛”から報せが入りました。木曽“左馬頭”が我が方に付くとのこと」
控え目な声量で明かされた内容に、信忠も思わず前のめりになりそうになる。それくらいの衝撃だった。
木曽“左馬頭”義昌。美濃国境に近い信濃国木曽谷を地盤とする有力国人で、その地理的重要性を鑑みた武田信玄が自らの三女・真理姫を嫁がせていた。武田家の親族衆に列するものの、実際は従属的な扱いを受けていた。元亀三年の西上作戦、天正二年の東美濃侵攻にも従軍しているが、あまり恩恵は受けてなかった。
義昌の心境を変化させる出来事が天正九年に二つ起きていた。一つは、遠江・高天神城の顛末。様々な者達の思惑が絡んでいた事情はあれど勝頼が孤軍奮闘する将兵達を見殺しにした事実に変わりはなく、織田家と隣接する木曽家には高天神城の顛末は他人事のように思えなかった。もう一つは、勝頼が新たに築き始めた新府城だ。
勝頼の祖父・信虎の代から武田家の居館として用いられてきた躑躅ヶ崎館だが、数ヶ国を領有する戦国大名の城下町にしては規模が小さい上に拡張の余地がなかった。また、防御面に不足はないものの近年の潮流である商業が発展しやすい土地とは言い難かった。そこで勝頼は躑躅ヶ崎館に代わる新たな居城・政庁を韮崎に築く事を決めた。地形を活かした平山城は守りも堅い上に、城下には複数の街道が通っていて新たに町を造るに適した土地だった。さらなる繁栄を夢見て、勝頼はこの年から普請に着手した。
だが、それは“為政者・武田勝頼”の視点。元々勝頼に代替わりしてから度重なる外征で税負担が重くなっているところへ、さらに上乗せで新城建設費用捻出の税と賦役が課された。ただでさえ重税に喘ぐ民からしてみれば、たまったものではない。統治者は“これで民達も潤うから、生活が向上するから”と安直に税を徴収するが、税は打ち出の小槌ではないのだ。適性を超えれば、人心は離れていく。勝頼は民だけでなく国人衆や家臣達からも不平不満が高まっている事に気付いていなかった。十二月二十四日に完成した新府城へ勝頼は移ったが、この時にはもう既に手遅れとなっていた。
木曽谷は良質な木材で生計を立てていたが、山間で傾斜地が多く農耕に不向きな地だった。決して豊かとは言えない土地柄なのに「新しく城を築くから木材を提供しろ」「人員を出せ、金を出せ」と一方的に催促されれば、義昌の気持ちが離れていくのも分からなくもない。その隙間を突いたのが秀隆だった。与力で美濃国人の遠山“久兵衛”友忠を介して調略を行い、織田方へ引き込む事に成功したのだ。
「その話、本当だろうな。敵の罠の可能性もあるのではないのか?」
信忠が念押しするように確認する。設楽原の戦いでは織田家の筆頭家老を務めていた佐久間信盛が武田方へ内応の約束をしたとされ、織田家が一枚岩でないと錯覚させた事が勝頼を決戦に踏み切らせた要因の一つになったとされる。騙された方が悪いのだが、それだけ敵を嵌めようとあの手この手を使っている証拠でもある。
しかし、信忠の懸念を打ち消すように秀隆は首を振る。
「左馬頭は既に勝頼を見限っております。もし仮に我等が木曽谷に攻め込んだとしても、一門衆ながら譜代でもなく甲斐から遠隔の地へ救援に赴けるだけの余力が今の武田家にはございません。新府城築城で金蔵は空、人民も疲弊している中で出征を強行すれば、別の国衆の離反を招く恐れがあります。助けに来ないのに負担だけ求める武田家に尽くす義理はないでしょう」
秀隆の説明に疑問を挟む点はない。それでもなお、信忠は慎重な姿勢を崩さない。
「……質はどうする?」
「弟の蔵人を差し出すとのこと。……それから、武田家に差し出している質は捨てる、と」
あの秀隆が僅かながら言いにくそうに明かす。それを受け、信忠の顔に影が差す。
人質を出すのは裏切らない証を立てる為だが、離反すれば見せしめに殺される。出す側も裏切りを前提に出していないので、身内が殺される事態は何が何でも避けたい。しかし……武家は当主だけのものではなく、一族郎党に領内で暮らす民やその家族達の命運も預かっている。仕えるに値しない家に従えば、自らも巻き込まれて沈んでいく恐れがある。そうなる前に見切りをつける必要があり、多くの民が命を落とすくらいなら人質数名が処刑された方が犠牲が少なく済む場合がある。辛い選択かも知れないが、私情を捨てる事も求められるのが武家に生きる者の宿命だ。
義昌は武田家に預けた人質が殺されると分かっても織田方に鞍替えすると言っているのだ。これ以上の証左は必要なかろう。信忠はその一事で納得した。
「して、上様は何と仰っておられる?」
信忠が話を向けると、秀隆は眉一つ動かさず答える。
「ただ一言。『機は熟した』と」
遂に、この時が来た。待ちに待った瞬間が訪れた信忠は、気持ちの昂りを実感していた。
岩村城攻めを命じられた天正三年六月から、実に六年半。弱るのをじっとじっと待ち続け、ようやく打って出る時を迎えた。自分にも他の重臣達と同じように手柄を挙げる場面がやっと巡ってきた。武家に生きる者として、血が騒がずにいられなかった。
木曽義昌は信玄の娘を娶った武田一門衆の一人であり、勝頼に近い立ち位置にある。義昌の離反が蟻の一穴となって鉄の結束を誇る武田家崩壊の引き金になるかも知れない。この機を逃さず、一気に決着をつける。
「上様は年明けに自ら出陣する方向で、動かせる兵を全て武田攻めに投じる考えのようです。また、盟約を結ぶ徳川家にもこの旨は既に伝えられており、先方も我が方と連携して攻め入るとのこと」
秀隆から説明され、信忠も気を引き締める。天下人・信長が出馬するとなれば大掛かりな規模となり、恐らくは他の方面からも応援が入る。武田方面を任されている信忠は先陣を託されるだろうが、織田家の沽券に係わるので無様な戦は許されない。
また、織田家と同じく武田家に苦しめられてきた徳川家も戦に加わると秀隆は言う。恐らくは駿河方面から攻めるのだろうが、モタモタして遅れを取る訳にはいかなくなった。重圧がまた一つ加わる。
「……怖いですか?」
ふと、秀隆が訊ねる。自分は不安そうな表情をしているのか。
色々な感情が複雑に入り混じっているので、自分の胸の内と向き合ってみる。目を閉じて、静かに呼吸の音に耳を傾ける。
そして、ゆっくりと瞼を上げた信忠が答えた。
「いや……不思議なものだな。あれだけ父の目を気にしていたのに、今はワクワクしてたまらない」
自分でも意外に感じた。失敗を恐れるよりも晴れの舞台に立てる喜びの方が上回った。早くその日が来て欲しいくらいだ。
興奮で上気する信忠の顔を見て、秀隆は表情を変えずに応えた。
「……では、手筈を整えておきます」
「うむ。頼んだぞ、与四郎」
かつては不気味に感じていた秀隆を、今日は頼もしさを抱いていた。この者に任せておけば万事上手くいく。信忠はそう思った。
嵐の前の静けさのような天正九年は幕を閉じ、信忠にとって運命の年を迎えることとなる――!!
天正九年十二月。岐阜城の信忠へ、河尻秀隆が訪ねて来た。入ってきて早々に人払いを求められ、信忠も“何かあった”と察せられた。
部屋で二人きりになったのを確認してから、秀隆はゆっくりと切り出してきた。
「……遠山“久兵衛”から報せが入りました。木曽“左馬頭”が我が方に付くとのこと」
控え目な声量で明かされた内容に、信忠も思わず前のめりになりそうになる。それくらいの衝撃だった。
木曽“左馬頭”義昌。美濃国境に近い信濃国木曽谷を地盤とする有力国人で、その地理的重要性を鑑みた武田信玄が自らの三女・真理姫を嫁がせていた。武田家の親族衆に列するものの、実際は従属的な扱いを受けていた。元亀三年の西上作戦、天正二年の東美濃侵攻にも従軍しているが、あまり恩恵は受けてなかった。
義昌の心境を変化させる出来事が天正九年に二つ起きていた。一つは、遠江・高天神城の顛末。様々な者達の思惑が絡んでいた事情はあれど勝頼が孤軍奮闘する将兵達を見殺しにした事実に変わりはなく、織田家と隣接する木曽家には高天神城の顛末は他人事のように思えなかった。もう一つは、勝頼が新たに築き始めた新府城だ。
勝頼の祖父・信虎の代から武田家の居館として用いられてきた躑躅ヶ崎館だが、数ヶ国を領有する戦国大名の城下町にしては規模が小さい上に拡張の余地がなかった。また、防御面に不足はないものの近年の潮流である商業が発展しやすい土地とは言い難かった。そこで勝頼は躑躅ヶ崎館に代わる新たな居城・政庁を韮崎に築く事を決めた。地形を活かした平山城は守りも堅い上に、城下には複数の街道が通っていて新たに町を造るに適した土地だった。さらなる繁栄を夢見て、勝頼はこの年から普請に着手した。
だが、それは“為政者・武田勝頼”の視点。元々勝頼に代替わりしてから度重なる外征で税負担が重くなっているところへ、さらに上乗せで新城建設費用捻出の税と賦役が課された。ただでさえ重税に喘ぐ民からしてみれば、たまったものではない。統治者は“これで民達も潤うから、生活が向上するから”と安直に税を徴収するが、税は打ち出の小槌ではないのだ。適性を超えれば、人心は離れていく。勝頼は民だけでなく国人衆や家臣達からも不平不満が高まっている事に気付いていなかった。十二月二十四日に完成した新府城へ勝頼は移ったが、この時にはもう既に手遅れとなっていた。
木曽谷は良質な木材で生計を立てていたが、山間で傾斜地が多く農耕に不向きな地だった。決して豊かとは言えない土地柄なのに「新しく城を築くから木材を提供しろ」「人員を出せ、金を出せ」と一方的に催促されれば、義昌の気持ちが離れていくのも分からなくもない。その隙間を突いたのが秀隆だった。与力で美濃国人の遠山“久兵衛”友忠を介して調略を行い、織田方へ引き込む事に成功したのだ。
「その話、本当だろうな。敵の罠の可能性もあるのではないのか?」
信忠が念押しするように確認する。設楽原の戦いでは織田家の筆頭家老を務めていた佐久間信盛が武田方へ内応の約束をしたとされ、織田家が一枚岩でないと錯覚させた事が勝頼を決戦に踏み切らせた要因の一つになったとされる。騙された方が悪いのだが、それだけ敵を嵌めようとあの手この手を使っている証拠でもある。
しかし、信忠の懸念を打ち消すように秀隆は首を振る。
「左馬頭は既に勝頼を見限っております。もし仮に我等が木曽谷に攻め込んだとしても、一門衆ながら譜代でもなく甲斐から遠隔の地へ救援に赴けるだけの余力が今の武田家にはございません。新府城築城で金蔵は空、人民も疲弊している中で出征を強行すれば、別の国衆の離反を招く恐れがあります。助けに来ないのに負担だけ求める武田家に尽くす義理はないでしょう」
秀隆の説明に疑問を挟む点はない。それでもなお、信忠は慎重な姿勢を崩さない。
「……質はどうする?」
「弟の蔵人を差し出すとのこと。……それから、武田家に差し出している質は捨てる、と」
あの秀隆が僅かながら言いにくそうに明かす。それを受け、信忠の顔に影が差す。
人質を出すのは裏切らない証を立てる為だが、離反すれば見せしめに殺される。出す側も裏切りを前提に出していないので、身内が殺される事態は何が何でも避けたい。しかし……武家は当主だけのものではなく、一族郎党に領内で暮らす民やその家族達の命運も預かっている。仕えるに値しない家に従えば、自らも巻き込まれて沈んでいく恐れがある。そうなる前に見切りをつける必要があり、多くの民が命を落とすくらいなら人質数名が処刑された方が犠牲が少なく済む場合がある。辛い選択かも知れないが、私情を捨てる事も求められるのが武家に生きる者の宿命だ。
義昌は武田家に預けた人質が殺されると分かっても織田方に鞍替えすると言っているのだ。これ以上の証左は必要なかろう。信忠はその一事で納得した。
「して、上様は何と仰っておられる?」
信忠が話を向けると、秀隆は眉一つ動かさず答える。
「ただ一言。『機は熟した』と」
遂に、この時が来た。待ちに待った瞬間が訪れた信忠は、気持ちの昂りを実感していた。
岩村城攻めを命じられた天正三年六月から、実に六年半。弱るのをじっとじっと待ち続け、ようやく打って出る時を迎えた。自分にも他の重臣達と同じように手柄を挙げる場面がやっと巡ってきた。武家に生きる者として、血が騒がずにいられなかった。
木曽義昌は信玄の娘を娶った武田一門衆の一人であり、勝頼に近い立ち位置にある。義昌の離反が蟻の一穴となって鉄の結束を誇る武田家崩壊の引き金になるかも知れない。この機を逃さず、一気に決着をつける。
「上様は年明けに自ら出陣する方向で、動かせる兵を全て武田攻めに投じる考えのようです。また、盟約を結ぶ徳川家にもこの旨は既に伝えられており、先方も我が方と連携して攻め入るとのこと」
秀隆から説明され、信忠も気を引き締める。天下人・信長が出馬するとなれば大掛かりな規模となり、恐らくは他の方面からも応援が入る。武田方面を任されている信忠は先陣を託されるだろうが、織田家の沽券に係わるので無様な戦は許されない。
また、織田家と同じく武田家に苦しめられてきた徳川家も戦に加わると秀隆は言う。恐らくは駿河方面から攻めるのだろうが、モタモタして遅れを取る訳にはいかなくなった。重圧がまた一つ加わる。
「……怖いですか?」
ふと、秀隆が訊ねる。自分は不安そうな表情をしているのか。
色々な感情が複雑に入り混じっているので、自分の胸の内と向き合ってみる。目を閉じて、静かに呼吸の音に耳を傾ける。
そして、ゆっくりと瞼を上げた信忠が答えた。
「いや……不思議なものだな。あれだけ父の目を気にしていたのに、今はワクワクしてたまらない」
自分でも意外に感じた。失敗を恐れるよりも晴れの舞台に立てる喜びの方が上回った。早くその日が来て欲しいくらいだ。
興奮で上気する信忠の顔を見て、秀隆は表情を変えずに応えた。
「……では、手筈を整えておきます」
「うむ。頼んだぞ、与四郎」
かつては不気味に感じていた秀隆を、今日は頼もしさを抱いていた。この者に任せておけば万事上手くいく。信忠はそう思った。
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