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五 : 青葉 - (26) 馬揃え

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 天正九年(一五八一年)、信忠二十五歳。
 今年の正月はここ十年で一番穏やかに迎えられた、と信忠は思う。佐久間信盛父子や林秀貞の追放はあったものの長年の課題だった石山合戦も決着がつき、中国・北陸戦線でも大きな進展が見られた。その結果、播磨・但馬から(紀伊と伊賀を除いた)加賀・美濃・尾張に至るまで広大な版図が織田家のものとなった。信忠も年賀の挨拶に安土を訪れたが、例年と比べて諸国から挨拶に赴いた者達の数は多いように感じた。
 父も同じ気持ちだったみたいだ。一月十五日の小正月の左義長さぎちょうでは、通常は正月に飾った門松や注連縄しめなわ、書き初めで書いた紙などを焼く“どんど焼き”が行われるが、信長は爆竹を鳴らして盛大に祝ったとされる。安土城下は爆竹の破裂する音や煙に包まれ、派手に行われた……と人伝に信忠は聞いていた。
 そんな話から程なくして、信忠にある事が伝えられた。
「馬ぞろえ、とな?」
 聞き馴染みのない単語に小首をかしげる信忠。
「はい。武家の者が馬に乗って一堂に会し、自らの武威を示す行動です。かの源義経も木曾義仲討伐へ向かう前に駿河国浮島原うきしまがはらで執り行った例があり、上様は今回京で行う意向をお持ちだとか」
 あまりピンときていない信忠に、解説する新左。以前は父の下で吏僚として仕えていたのもあり、現在も安土に居る者と繋がりを持っているみたいだ。
「また何故なにゆえ、京で行うのだろうか。安土なら広い土地もあるだろうに」
 素朴な疑問をぶつける信忠。
 新左の話では大勢の人と馬が行進するらしいが、一斉に全員全頭が歩き出す訳ではない。順々に出立していくにしても、出番を待つ場所や行進を終えた者達の待機場所も必要となる。人だけなら立つなり座るなりしてじっと待てるが、馬はそうもいかない。歩き回れるだけの用地が必要となるが、京で行うとなれば何処どこにそんな場所があるのか。
「どうやら、帝に御覧頂くみたいです。用地も内裏の空き地を使うみたいで、お許しも得ているとか」
「ふむ……ならばいいが」
 その回答を聞いて、信忠も納得した。
 大規模な馬揃えを帝の前で執り行うとなれば、織田家の威信を広める絶好の機会となる。“これだけの軍勢を持っている”“帝のお墨付きがある”と二重の意味で示せるのは大きい。
 ただ、馬が暴れたりみすぼらしい恰好で参加したりすれば、世間から笑い者にされる。織田家の威信と名誉に懸けて、絶対に失敗は許されない。
「此度の馬揃えは日向守様が奉行に任じられました。正式な要請は追って連絡があると思われますが、朝廷との折衝や会場の設営もありますので開催は来月になるものかと。若もそのつもりでいて下さい」
「……相分かった」
 織田家の晴れの舞台に、名目上ではあるが家督を継いでいる信忠も呼ばれない筈がない。織田家当主に相応しい陣容と振る舞いをする必要がある。
 片や、差配を任されたのが明智光秀と聞いて、信忠は安心感を覚えた。有識故実に詳しい光秀は上洛当初から幕府や朝廷との折衝役を務め、吏僚としての実績も申し分なかった。四年前の雑賀攻めの折、落ち着いた口調で雑賀衆の特徴と対策を説いてくれた光秀の姿が脳裏に浮かび、信忠は成功を確信していた。
 一月二十三日に信長から光秀へ馬揃え実行の意向とその差配を命じられると、光秀は諸将に対して馬揃え実施の旨を通知。過去に前例のない馬揃えへ向けて、動き出した。

 織田家の威信が懸かる一大企画が水面下で進められる中、暗澹あんたんとさせる出来事が起きた。
 天正九年一月三十日、前年から捕縛され続けていた高野聖を処刑したのだ。その数は数百とも千を大きく超えるとも諸説あるが、どちらにせよ大勢の者が殺された事実に変わりはない。荒木家残党の引き渡し要求に応じようとしない高野山側の対応にごうを煮やした信長による報復の意味合いが強かった。この惨劇に、世間の人々は“高野山も延暦寺と同じ運命を辿るのでは?”と危惧する声も出始めた。
 一方の高野山側も、処刑された者達の中には高野聖をかたる偽物も含まれていたが罪のない者達を殺されたからには、黙っていられなかった。協力関係にある根来寺も引き込み、織田家と一戦交える覚悟を固めたのだ。戦支度を始める高野山に対し、紀伊国と隣接する和泉国にある織田方の諸将はその動向を注視していくのであった。
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