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三 : 萌芽 - (3) 難行苦行

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 越前・朝倉家、北近江・浅井家を倒した織田家が次に目を向けたのは、伊勢長島の一向一揆だった。
 信長は長島の一向一揆を討伐する下準備として、九月に入って伊勢・大湊の会合衆に対して船を出すよう要請した。大湊は伊勢神宮の最寄り湊として参拝客や荷物の揚げ降ろしなどで栄え、北畠家の統治下にありながら会合衆が取り仕切る自治の町の一面があった。しかし、天下人となった信長の要請に会合衆は色よい返事をしなかった。会合衆の協力を受けられず予想外に船が集まらなかったものの、何とかなると信長は判断。九月二十四日に北伊勢へ向けて岐阜を出陣した。
 織田勢は一揆勢に加担する国人衆が籠もる城を次々と攻略していく一方、船の調達は一向にはかどらず一揆勢の拠点となっている長島への攻撃へ移れずにいた。信忠も父率いる本隊とは別に一軍を率い、城攻めに加わっていた。
 十月に入ってからも織田家と敵対する国人を降し、一定の成果を挙げた信長は押さえに滝川一益を矢田城に入れ、十月二十五日に岐阜へ戻るべく引き揚げを始めた。
 尾張・美濃の家臣達と一緒に戻る中に、信忠の軍勢もあった。船が揃えられない想定外の事態もあり一揆勢の本拠となる長島を攻められなかったが、北伊勢の反織田勢力を鎮圧させたのはまずまずの成果と言えよう。
 折から雨がシトシトと降り始め、足元も泥濘ぬかるみ始めた。鎧の隙間や紐が雨で濡れ、不快に感じる。馬に乗る信忠はまだマシな方で、徒士の者達は雨と泥に塗れながら足を進めていた。
 このまま何事も無く岐阜へ戻れれば……そう思っていた矢先、信忠の元に後方から急使が駆けてきた。
 険しい表情で近付いてくるのを見た信忠は、嫌な予感がした。
「申し上げます!! 一揆勢が後方から奇襲!!」
 その報告を受けた信忠や付き従っている家臣達の表情が険しくなる。二年前の長島出兵の際も撤退途中に待ち伏せされて多数の死傷者を出した苦い記憶がよみがえる。おまけに、先程から降り始めた雨も雨脚が強くなってきた。織田家の主力である鉄砲が役に立たなくなるのはかなり痛い。
「我等も急ごう。兵達には負担を掛けるが、行軍速度を上げるぞ」
「承知致しました!」
 信忠が命じると、家臣達は一斉に頭を下げた。将は馬に乗っているが、末端の兵は徒歩で一部は荷車を押したり牛をく者も居る。後方から敵が迫っている状況で理性を保ちながらも行軍速度を上げるのは大変な事だが、やらなければならない。
 慌ただしく動き回る将兵の姿を見ながら、信忠は強い緊張で身が引き締まる思いだった。
 一揆勢は船で伊勢湾から川をさかのぼって美濃の多芸山たぎやま(現在の養老山)で待ち伏せし、織田勢が通過するのを見計らい襲撃した。総大将の信長は家臣達の奮闘もあり二十六日に大垣城へ無事に到着したが、殿しんがりを務めた林通政みちまさ(林秀貞の子)が討死するなど少なくない死傷者を出した。前回に続いてまたしても家臣が討たれ、長島の一揆勢を相手に二度も遊撃戦で苦い思いをする結果となった。
 また、織田家の要請に非協力的だった大湊の会合衆が、一揆勢に加わっている旧斎藤家家臣・日根野ひねの弘就ひろなりの求めに応じて、長島に居る女子どもや足腰の弱い老人などの非戦闘員を非難させる為に船を出していた事が後日発覚。この事実を知った信長は激怒し、弘就と通じていた自治組織・山田三方やまださんぽうの福島親子を処刑した。これは『一揆勢に加担した者はこうなるぞ』と見せしめの意味合いが強く、大湊の会合衆に支援しないよう圧力を掛けるものだった。

 京から追われた足利義昭だったが、現在も将軍職にありその影響力は一定程度堅持していた。寄寓きぐうする河内若江城から各地の大名や勢力に発信を続け、再び全国の武家を統べる存在に返り咲こうと躍起になっていた。その義昭を受け入れた三好義継だったが、未だに信長に対抗する執念を燃やす義昭に感化されて徐々に反織田の姿勢に傾きつつあった。こうした義昭の反織田の動きを放置しておけないと判断した信長は、軍勢を率いて十一月四日に上洛。これに対し、自らの身に危険が及ぶのを恐れた義昭は十一月五日に若江城を出て堺に入った。
 復権を狙っている義昭は中国の雄・毛利家を頼ろうとしたが、毛利家の当主・毛利輝元は義昭を受け入れる事で織田家と全面対決になるのは避けたい思惑を抱いていた。そこで毛利家は外交僧の安国寺あんこくじ恵瓊えけいを信長の元に派遣し、義昭の身柄について協議する旨を申し入れた。織田家からは羽柴秀吉が交渉役となり、恵瓊との間で調整が進められた。当初は義昭が京へ戻れるよう話が進んでいたが、当の本人である義昭が信長へ身の安全を保障する為に人質を差し出すよう要求した事で、交渉は頓挫。その後、義昭は十一月九日に堺を出て海路で紀伊に向かっている。
 義昭の対抗姿勢に影響された三好義継は当の本人が去った後も熱が冷めなかったが、有力家臣の若江三人衆は考えが違っていた。圧倒的勢力となった織田家と敵対しても勝ち目が無いと秘かによしみを通じており、三好家中は対決派と恭順きょうじゅん派で二分されていた。一致結束した対応が取れない中、佐久間信盛を大将とする織田勢が遂に若江城を囲んだのだ。
 大軍に囲まれた状況で、若江三人衆は義継の寵臣ちょうしん金山かなやま武春たけはるを殺害、さらに門を開いて織田勢を城内に引き入れてしまった。畿内一円で味方としているのは大和国の松永久秀だけ、その久秀も筒井順慶や織田勢との戦いに追われて救援は望めない。落城は必至の状況ながらも義継は十日以上も粘り続け、十一月十六日に自害した。義継が亡くなった事で一時は畿内を席巻するなど権勢を誇った三好本家は滅亡した。
 河内の三好義継を倒した佐久間信盛は余勢を駆って十一月二十九日に松永久秀の籠もる多聞山城を包囲。畿内で反織田勢力は一掃され、松永勢は敵中で孤立する状況だった。多勢に無勢、圧倒的劣勢を覆し難い久秀は十二月に降伏した。信長は多聞山城を攻めるに当たり、信盛へ予め『多聞山城を差し出すならゆるすように』と指示を出しており、攻めるより対話で降伏を促したい意向が強かった。十二月二十六日に多聞山城は開城し、佐久間信盛と信長の馬廻である福富ふくずみ秀勝・毛利秀勝の三名が奉行となり接収した。
 十一月からの二月で河内の三好義継を滅ぼし、大和の松永久秀を降伏させるなど、一定の成果を挙げた信盛。八月十三日に諫言した一件はとりあえず不問とされた。
 こうして、苦境の真っ只中から始まった元亀四年は、元号が変わったのを転機に対抗勢力を次々と滅ぼして天正元年は終わりを迎えた。織田家の版図は一気に拡がり、天下布武の実現に向けて大きく前進した一年となった。
 信忠もまた元服を済ませて大人入りを果たすなど、記憶に残る年になったのは間違いない。これからは織田家を支える臣の一人として、恥ずかしくない振る舞いをしなければならないと決意を新たにしていた。
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