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二 : 立志 - (4) 茶筅丸、托卵

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 時は少しさかのぼり、永禄十二年五月。北畠家の家臣・木造こづくり具政ともまさが滝川一益の調略に応じて織田方へ寝返った。具政は北畠家の当主・北畠具房ともふさの父・具教とものり実弟じっていで、一門衆の離反に北畠家は衝撃を受けた。
 これに怒った北畠方は裏切者を粛清しゅくせいすべく具政の本拠である木造城を包囲・攻撃したが、北伊勢の神戸・長野勢に一益の援軍が駆け付けたのもあり、八月に入っても城を落とせずにいた。
 その動きを見ていた信長は南伊勢を地盤とする北畠家を叩く絶好の機会と判断。八月二十日に総勢七万と言われる大軍勢を率いて岐阜から出陣した。その中には黒母衣衆の新左や、此度晴れて初陣を果たす伝兵衛も含まれていた。新参者の伝兵衛にまだ懐疑的な見方をする者が家中に居たので、武功を挙げて黙らせようと意気込んでいた。
 八月二十六日、堅牢で知られる阿坂城を木下“藤吉郎”秀吉が攻めた。かつて北畠満雅みつまさが室町幕府と対立し城に籠もった際に幕府勢が水の補給路を断ち北畠勢は窮地に陥ったが、白米を馬の背に流して“城内に水がまだ大量にある”と錯覚させて根負けした幕府の軍勢を追い払った。この事から別名“白米城”と呼ばれ、難攻不落の城として伊勢国内で知られていた。永禄十年には滝川一益が何度も阿坂城を攻めたが、いずれも退しりぞけられている。藤吉郎も当初こそ守将で北畠家重臣・大宮含忍斎がんにんさいに降伏を促す使者を送ったが、拒絶。開城は難しいと判断し、攻撃を決めた。 
この戦で、大将格に当たる秀吉は含忍斎の息子・大宮“大之丞おおのじょう吉行よしゆきの放った矢を左脇腹に受ける程の激戦となったが、内応で城内の切り崩しに成功した事で流れは織田方優位になった。最終的には将兵の身の安全を保障するのを条件に、降伏開城した。
堅牢な阿坂城を僅か一日で落とした信長は、他の支城を無視して進軍。八月二十八日に北畠家の本拠である大河内おかわち城を包囲した。ただ、大河内城は東に阪内川・北に矢津川・西と南は深い谷がある天然の要害で、数で圧倒する織田勢でも攻めあぐねていた。
 幾度か攻撃を仕掛けたがかんばしい成果を上げられず、損害をこれ以上増やしたくない信長は兵糧攻めに切り替えた。それでも北畠勢は一月以上も踏ん張り、最終的には織田方から和睦を持ちかけて十月三日に具教が退去する形で終結した。
 大河内城の開城の翌日。岐阜城に居た奇妙丸の元に、弟の茶筅丸が訪ねて来た。
 茶筅丸は奇妙丸の三つ下の十歳。母は吉乃で奇妙丸から見れば血の繋がった弟ではあるが、近頃は疎遠であった。生駒屋敷に居た頃は同じ屋根の下で暮らしていたのもあり顔を合わせたり一緒に遊んだりしていたが、岐阜に移ってからは滅多に会わなくなってしまった。それを奇妙丸は寂しいと感じた事は一度も無いし、学問に武芸に忙しい日々を送っていたので血を分けた弟の事を考える暇も無かった。
「兄上……」
 書見していたところ、何の前触れもなく現れた茶筅丸。兄を呼び掛けた声はか細く、心持ち表情も暗い。
「茶筅か。如何いかがした?」
 読んでいた書物を閉じた奇妙丸は、弟の方に体を向ける。しかし、茶筅丸は何も答えず廊下に立ったままモジモジとしている。明らかにおびえている態度の弟に、奇妙丸が「まぁ、中に入って座れ」と促してやると、ようやく部屋に入って腰を下ろした。
「……」
 昔から、こうだ。奇妙丸は弟に聞こえないよう小さな溜め息を漏らした。
 常日頃から自信に満ち溢れている父・信長とは対照的に、茶筅丸はいつもビクビクオドオドしている。怒られたくない、粗相をしたくない、恥を掻きたくないという気持ちが強いのだろうが、その態度が見ている人のしゃくに障るのだ。
「……」
 普段から接する機会の少ない兄に対しても、茶筅丸は変わらない。座ってからも奇妙丸の顔色を窺っている。何も取って食う訳でもないのだから自然体でいればいいのに、と思わなくもないが、これは生まれついた性分なのだろう。相手を不快な思いにさせるので改めさせるべきだけど、「直せ」という程の義理は無い。
 しかし、用があって訪ねて来たのに話そうとしないのでは、いつまで経っても埒が明かない。仕方がないから、こちらから訊ねることにした。
「……して、用件は何だ? 何かあったから来たのだろう」
 奇妙丸の言葉に、体をビクッとさせた茶筅丸。ようやく観念したのか、オドオドとしながら口を開いた。
「……本日は、兄上にお別れを言いに来ました」
 お別れ? 一体どういう事だ? 唐突な話で解せないでいる奇妙丸に、茶筅丸がボソボソと説明してくれた。
 昨日、南伊勢の北畠家と和睦を結んだが、父はある条件をつけた。それは――茶筅丸を北畠家の養嗣子ようししに入れる事だ。
 北畠家は南北朝時代から続く名家めいかで、大小様々な家が入り混じる伊勢国の中では頭一つ抜き出た存在だった。数で圧倒する織田方が損害覚悟で滅ぼす事も出来たが、父は次男坊を養子に入れる事で手打ちにした……らしい。
 話を聞いた奇妙丸は「何だ、そういう事か」と拍子抜けした。奇妙丸は努めて何でもないという風に、茶筅丸に声を掛けた。
「そう暗い顔をするな。別に遠方へ行く訳でもあるまい。多少離れてはいるが、伊勢は尾張の隣国、会おうと思えばいつでも会えるではないか。……慣れぬ土地に行くから不安はあるだろうが、御主なら大丈夫だ。もし何かあったら文でも送ってくれ。必ず返してやるから、な?」
 まるで今生こんじょうの別れみたいな顔をしていたから驚いたが、よくよく聞けば他家へ養子に入るだけの話だ。苗字が変わるくらいで、自分も言ったが“会おうと思えば会える”のだ。そう悲観的に捉えなくてもいい、と奇妙丸は思った。
 兄の言葉に、茶筅丸の表情も少しだけ明るくなった。その後一言二言言葉を交わしてから、茶筅丸は去って行った。
 また一人になって書見を再開した奇妙丸だったが……時間が経つにつれて、胸の中にモヤモヤとした気持ちが湧き上がってきた。
 最初は自分がどうしてこんな気分になるか分からなかったが、これまでの経過を辿っていく内に原因を突き止める事が出来た。
(……あぁ、そうか。私は父に怒りを抱いているのだ)
 戦を早く終わらせたいが為に、我が子や兄弟親族を養子に差し出す。まるで駒のような扱いに、憤りを覚えているのだ。人は物ではない、心を持った生き物なのだ。ある日いきなり『お前は明日から他人の家の子だ』と言われれば誰だって不安になる。茶筅丸がこの世の終わりみたいな顔になるのも無理はない。そういう所の配慮が父は足りないのだ。
 ただ……この気持ちを父にぶつけたとして、自分が納得する答えが返ってくるとは思えない。どうしてそうしたのかただしても答えてくれないだろうし、非難したとしても一度決めた事をひるがえすとは考えられない。言っても父を怒らせるだけで、何一つ実りが無いのだ。
 昔、父は言った。『武家の当主たる者は私事より優先せねばならぬことがある』と。此度の一件もそうなのだろうか。
 一人で考えていても堂々巡りが続くだけだ。奇妙丸は父の代わりに答えてくれるかも知れない人物に会いに行く事にした。

 先日頂いた三日月栗に乗った奇妙丸が供を連れて向かった先は、大宝寺。突然の来訪だったが、沢彦は快く迎え入れてくれた。
 奇妙丸は北畠家との戦の講和条件で弟の茶筅丸が養子に出された事、人を駒のように扱う父に不満を抱いた事を沢彦和尚へ赤裸々に語った。沢彦は奇妙丸の話を黙って聞いていた。
「父のようはあまりに乱暴です。ただ、一方で武家に生まれた者は民達と同じ感性ではいけないとも考えています。私は、間違っているのでしょうか」
 そう奇妙丸が問うと、聞き役に徹していた沢彦がようやく口を開いた。
「“おかしい”と思われる事は、何の問題もありません。人として正常な行いです。それよりも、奇妙丸様は“おかしい”と思いながらも、他方で感情に流されることなく別の側面から物事を捉えようとされる。その御歳おとしでなかなか出来る事ではありません」
「以前、父がこう仰っていました。『武家の当主たる者は私事より優先せねばならぬことがある』と。その言葉を聞いた時の私はまだ幼かったので理解出来ずに反発しましたが、今は少しだけ分かるような気がします」
「……左様でしたか。あの吉法師様が、そのような事を」
 奇妙丸の言葉に、沢彦は感慨深い表情で目線を落とした。涙が溢れそうに見えたが、すぐに顔を上げていつもの沢彦に戻った。
「感情論を抜きにすれば、最も効率よく戦を終わらせる方法の一つですな」
 戦をすれば、人が死傷するのは勿論、戦で使う武器弾薬や将兵達をまかなう糧食の手配、褒賞や見舞金に各種支払いで多額の金が必要になるなど、武家にとって負担になるものは大きい。さらに、当事者間だけで済む例は稀有けうで、大半は民衆も巻き込まれる。田畑は踏み荒らされ、「視界がさえぎられる」「敵兵がひそんでいるかも知れない」と身勝手な理由で家々は焼かれ、気がたけった兵士の乱暴狼藉に遭う……国全体で見れば、戦で得られるものより失うものの方が多いのだ。
 そんな戦で“勝つ”とはどのような状況か。将兵全てを殲滅せんめつさせれば刃向かう者は居なくなるが、人心はすさみ経費も時間も多く費やすこととなる。最も一般的なのは城主や重臣など代表者の死を条件に終結させること。これならば“戦死した者と代表者だけの死”で済み他の将兵は不問とされるが、生存した者が恨みを抱いて先々に敵対勢力と通じて不満分子となる恐れがある。
「時に、奇妙丸様。カッコウという鳥をご存知ですか?」
「いや……」
 唐突に話を振られ、困惑しながら首を振る奇妙丸。すると、沢彦はカッコウについて説明を始めた。
「見た目は何の変哲もない鳥なのですが、他の鳥とは一線を画す“托卵たくらん”という特徴があります」
「……それは?」
 話の流れが掴めない奇妙丸が先を促す。一拍間を挟んでから、沢彦が答えた。
「自らの卵を、別の種類の鳥の巣に産み落とすのです。そして、カッコウのひなは生まれたら他の鳥の卵を巣の外へ押し出します」
「どうして、そんな非道い事をするのだ?」
「答えは単純明快――自らの成長を邪魔するものを、排除する為です」
 沢彦が淡々と答えると、奇妙丸は思わず絶句した。さらに沢彦が続ける。
「こうする事で、親鳥が運んできた餌を独り占め出来ます。親鳥は別の種類とは知らず、せっせとお腹を空かせたカッコウの雛の為に飛び回るのです。それが、自分より遥かに大きくなっても」
「……此度の、茶筅丸が北畠家へ養子に入るのも“托卵”と同じ、と?」
 奇妙丸が訊ねると、沢彦は静かに頷いた。
「要害堅固な大河内城に籠もる北畠方は八千、対する織田方は七万。数の差は歴然で、北畠方の敗北は必至。一方の織田方も勝ちは揺るぎないですが、力攻めでは損害も大きいですし兵糧攻めは時間が掛かり過ぎる。特に、吉法師様は畿内の仕置や将軍家・朝廷との折衝など、伊勢に張り付いていられない事情を抱えておられます。一刻も早く切り上げたい織田方と、家名を何とか残したい北畠方、双方の利害が一致した結果、茶筅丸君が養嗣子に入る事で折り合いをつけた次第です」
 沢彦の話を聞いてもなお、納得のいかない表情を浮かべる奇妙丸。
「……父の都合でいきなり他家へ入る茶筅丸も、跡継ぎが居るのに他家の者を押し付けられる北畠家の者も、遣る瀬無いな」
「人の気持ちを斟酌しんしゃくしなければ、一番合理的な戦の終わらせ方ですな」
 茶筅丸が成人して正式に家督を継ぐ事になれば、北畠家の版図と家臣団は実質的に織田家のものとなる。むしろ、信長の意向次第でげ替える事も出来る。京を含めた畿内の情勢が気になり可及的速やかに戦を片付けたい信長と、多勢に無勢ながら南北朝時代からの名門である北畠家の間で、両者の思惑が合致したからこそ成立した和睦である。当事者の気持ちを除けば、最も穏当おんとうな落とし所であろう。
 昨年から、織田家が侵攻した北伊勢の有力国人の元に、今回と同じように織田家の血筋の者を養子に入れていた。いずれも伊勢ばかりに関わっていられない信長が時間短縮を狙っての差配だった。
「ただ、この手法は今回までのものと思われます」
 沢彦が私見を述べると、奇妙丸も同意を示すように首肯した。
 信長の男子は奇妙丸・茶筅丸・三七郎に昨年生まれた於次おつぐ丸、今年生まれたばかりの御坊ごぼう丸の五人。さらに信長の兄弟も多く、今後さらに男子が生まれる可能性も残されているが、何れにしても限りがある。戦でケリがつく、または降伏してくるなら、そちらを選ぶだろう。伊勢はある程度の勢力の国人が拮抗していた事情もあり、こうした懐柔策をったと推察される。
「それと、これは奇妙丸様にも関わりのある話ですが……」
 いつもはズバズバと考えを述べる沢彦には珍しく、言いにくい事なのか口籠もる。自分にも関わりがあるとは何だろうか?
「和尚、私は構いません。どうぞ仰って下さい」
「……れば」
 奇妙丸の了解を得て、沢彦は意を決して重い口を開いた。
「吉法師様が自らの御子を養子に出しているのは――嫡男である奇妙丸様の地位を安泰にする為でもあります」
「……いやいや、考え過ぎではないのですか?」
 あの沢彦和尚が口をつぐむなんてどんな理由があるのかと身構えていた奇妙丸だったが、明かされた内容に思わず拍子抜けした。
 実弟の茶筅丸は既に家中でその器量を疑問視されていたし、異母弟の三七郎は“利口である”と評されているがまだ十歳。とても自分の地位をおびやかす存在になるとは思えないが……。
 しかし、沢彦は厳しい顔で首を振った。
「家督を巡って大変なご苦労をされた吉法師様だからこそ、争いの芽は摘んでおきたい思いが強いのでしょう」
 それから、沢彦は織田弾正忠家の家督争いについて語り始めた。
 奇妙丸の祖父・織田信秀の三男に生まれた信長には、信広・信時という二人の兄が居た。ただ、信広は母が側室だった事情と、当時西三河における織田方の拠点だった安祥あんじょう城落城の際に今川方へ生け捕りにされた汚点があり、家督を継ぐに相応しくないと見切られていた。次兄の信時も幼い頃に叔父の織田信康へ養子に出されており、弾正忠家の継承権を喪失していた(信時は弘治二年六月に任されていた守山城で家臣が敵を引き入れる造反があり、追い詰められて自刃)。その後、正室である土田御前が信長を出産し、信秀はその子を嫡男に定めた。その信長は成長するにつれて常識外れな奇行が目立つようになり、周辺諸国に“尾張のうつけ”と呼ばれる程に悪名あくみょうを馳せるようになった。この超がつく問題児で“御家の行く末は大丈夫だろうか”と案じた家臣達が品行方正な四男・信行を嫡男に替えるよう進言したが、信秀は「あれで良いのだ」と笑って取り合わなかった。元は守護代の庶流だった織田弾正忠家を一代で尾張を統べるまでに勢力を拡大させ、美濃の斎藤道三や駿河の今川義元といった戦国の猛者と互角に渡り合った“尾張の虎”こと信秀は、行儀良く大人の言う事をよく聞く信行よりも常識の枠組みにとらわれない信長の方が器量でまさっていると踏んだのだろう。弱肉強食の乱世で求められる器量は常人に理解出来ない側面を持っている事が求められる、と考えていたに違いない。それくらいの信念が無ければ、度を超えて型破りな振る舞いの信長をいさめるか信行を嫡男に替えていたと思う。信長も周囲の目や家臣達(特に傅役の平手政秀)からの諫言も気にせず、自由に振る舞っていた。
 転機が訪れたのは、天文二十一年(一五五一年)三月。信長の庇護者であり最大の理解者だった信秀が末森城で死去したのだ。享年四十二。平均寿命が現代と比べて短い戦国の世ではあるが、それでも早い死だった。
 菩提寺である萬松寺ばんしょうじで信秀の葬儀が執り行われたが、この葬儀は信行を担ぐ一派と信長をうとみ信行を溺愛する土田御前の意向が強く反映されていた。自分抜きで父の葬儀が行われる事を知った信長は、直ちに萬松寺へ急行。湯帷子ゆかたびら半袴はんばかま、茶筅まげの出で立ちで現れた信長は参列者から白い目線を浴びる中、抹香まっこう鷲掴わしづかみするなり位牌に向かって思い切り投げつけ、そのまま立ち去って行った。信長の非常識な行動に皆が眉をひそめたが、筑紫ちくしから招かれた客僧だけは「あの御方こそ国持ち大名になる御人よ」と漏らしたという。
 信秀という大黒柱を失った織田弾正忠家の跡を継いだ信長だが、“うつけ”と蔑まれた若造の器量に疑問を抱く家臣に離反の動きが出たり、信秀の圧倒的な武力の前に鳴りを潜めていた尾張国内の国人勢力も動きを活発化させるなど、信長にとって前途多難な船出となった。さらに、駿河の今川義元が代替わりで権力地盤がまだ固まってないのを好機と捉え、尾張へ侵食せんとしていた。
 それでも、信長は逆境の中でも精力的に動いた。天文二十一年八月、清州城を本拠とする織田守護代家の実力者で“小守護代”と呼ばれていた坂井大膳が攻撃を仕掛けてくると、信長も応戦。叔父の織田信光の手勢や信行の傅役・柴田勝家の手勢を助力に加え、萱津[かやつ]の原で両軍が激突した。この戦で敵の主将格・坂井甚助を始めとした主立った者達五十名を討ち取る大勝を収めた。天文二十三年(一五五四年)一月、知多半島の織田方の国人・水野信元が今川方に攻められると、大荒れの海を渡り敵方の付城である村木砦を急襲。見事に一日で陥落させ、信元を窮地から救った。こうして信長は徐々に権力地盤を固め、尾張国内で着々と版図を広げていった。ただ、信長の器量を買っていた濃姫の父・斎藤道三も、弘治二年四月に息子の義龍との戦で討死。信長に好意的で信秀亡きあとの後ろ盾だった道三を失った事で、信長は美濃方面にも兵を割かねばならなくなり、動員可能な兵もその分だけ減ってしまった。
 さらに、道三の影響もあり大人しく従っていた弾正忠家の家中にも波風が立ち始めた。前々から信長の器量を疑っていた一派が信行を担ぎ出そうとしたのである。信長の家老である林秀貞・通具みちとも兄弟が信行方へ寝返り、信行方の謀略で信長のものだった守山城を奪い、さらには信長が名乗っていた“弾正忠”を無断で呼称したり直轄領を横領したりと、日に日に対決姿勢を強めていった。
 弘治二年八月、信行方が遂に信長打倒の兵を挙げる。柴田勝家・林秀貞・林通具を主将とする手勢千七百が信長方の佐久間大学が籠もる名塚砦に押し寄せたのだ。この報せを受けた信長は七百足らずの兵を率いて救援に向かい、両軍は稲生いのうの地でぶつかった。二倍以上の相手に劣勢を強いられ信長が居る本陣まで迫られたが、大将の信長が「俺に刃を向けるか!!」と敵勢に一喝したのを機に潮目が変わった。まず柴田勢が兵を引くと、形勢がこちらに傾いたと判断した信長は自ら槍を握って奮戦。通具を信長が討ち取るなど、最終的には四百五十人余りを倒して信長方が勝利した。この敗戦で信行の責任が追及されそうになったが、土田御前の必死に取り成した事もあり、助命された。今回の戦で主導的役割を果たした有力家臣の林秀貞・柴田勝家・津々木つづき蔵人くらんどの三名も造反の罪を不問とした。
 しかし、二年後の永禄元年三月に信行は自らの領内に龍泉寺りゅうせんじ城を築き始め、それと並行して信長と敵対する織田伊勢守家の織田信安と秘かに手を結ぶなど、謀叛のくわだてを進めた。この動きを掴んだ信行の傅役である柴田勝家が信長へ密告、信長も見過ごせないと信行を討つ事を決めた。それから信長は病に臥せて“余命幾許いくばくもない”と喧伝けんでんし、十一月三日に見舞いへ訪れた信行を始末した。信行の子・坊丸は生かされたが、信行の死でようやく身内の間で繰り広げられた争いに終止符を打つ事が出来た。七年に及ぶ戦で織田弾正忠家の未来を担う優秀な家臣を多くうしなう結果になり、歳月以上に大きな痛手となった。
 こうした出来事を経験してきた信長は、本来なら味方である筈の一族を心の底から信用出来ず、それどころか将来の禍根かこんとなる可能性が高いと考えるようになった――と沢彦は語った。
「織田家に継承権のある子が複数居れば、奇妙丸様が嫡男として定められたとしても他の御子を嫡男に据えようとよからぬ事を考える者が出ないとも限りません。その子が優秀かどうかなんて関係ありません。寧ろ、赤子の方がよろしい。神輿みこしは軽い方がぎょしやすいですから」
「……だから、父は茶筅や三七を養子に出した、と?」
 奇妙丸の問いに、沢彦は無言で力強く頷いた。
 他家に入れば、織田家の継承権は形式上消滅する。もし万が一奇妙丸が亡くなったり跡をぐのが難しくなったりした場合、その時は織田家へ戻れば済む。安芸の毛利家は嫡男に据えていた隆元が不慮の死で亡くなった時には、当主元就の孫・幸鶴丸こうつるまるが家督を嗣いだし、甲斐の武田家では嫡男の義信が父で当主の信玄による同盟相手の今川家を攻めた事に反発し謀叛を企てたが故に廃嫡され、四男の勝頼が後継者の座についている。戦で討たれる例もあり、嫡男だからと言って必ず家督を嗣ぐ訳ではないのだ。
「家督を巡って内部で争うのは、非常に愚かな事と言わざるを得ません。戦となれば自らの領地の中になりますし、将が討たれれば御家の戦力を削るようなもの。仮に勝ったとしても領内は荒れ、家中にヒビが入り、国力は大いにげんじます。敵国からすれば、弱った獲物のように映ることでしょう」
 沢彦は言う。兵は幾らでも代わりは居るが、兵を統率する将は替えがかない、と。大部分の兵は戦の訓練を受けておらず、複雑な命令は理解出来ない上に状況次第で感情的に動いてしまう。総大将の采配通りに兵を動かし、形勢不利になっても持ち堪えるようにするのが将の仕事だ。この将の能力次第で部隊の戦力を半減させる事も倍増させる事も出来る。有能な将は大変貴重で、資質だけでなく育成にも時間を要する。家督争いは、そうした将を無駄に減らしてしまう恐れがあるのだ。
「和尚。兄弟や一門衆の間で家督を巡って争いを起こさせない為には、どうすればよろしいのでしょうか?」
 身内の家督争いに何の益も無いのは分かった。問題は、どうして起きるかだ。
「まず前提として、当主若しくは嫡男が家臣達から見て『仕えるに値する』『この御方なら御家の未来を託せる』と思われなければなりません。上に立つ者の器量に疑問を抱くようならば、もっと良い人に替えようと考えるからです」
 大名家とは家臣である国人達の集合体であり、当主はその集合体のまとめ役に過ぎない。なので、無条件に忠誠を誓うものではなく、主君として仕えるに相応しくないと家臣が判断すれば離反もするし交代させようとする。江戸時代だと家臣は主君に無条件で従う考えが定着するが、戦国乱世の時代だと“主君と合わない”“自分が仕えるに値しない”と判断すれば家臣の方から暇乞いとまごいを願い出て他の家に仕官する例も決して珍しくなかった。
 例えるなら、武家は一隻の船。当主は船頭、家臣は乗組員だ。船が上手く進むかどうかは船頭の力量次第、浮くも沈むも一蓮托生だ。家臣達も郎党や家族を抱え、その者達の命運もかっている。だからこそ、船頭が愚物ならば「一緒に沈むのは嫌だ!!」と乗組員が逃げ出したり船頭を替えようとしたりするのは自然のことだ。奇抜な恰好で常識から外れた振る舞いばかり目立つ信長を不安視した家臣達が、品行方正な信行を当主に担ぎ上げようと思うのは、その代表例と言ってもいい。
「では、家臣達が仕えるに足る主君とは、どのような者でしょうか?」
 奇妙丸が訊ねると、いつもならすぐに答えを返してくれる沢彦には珍しく、難しい顔をして言葉を選ぶように話し出した。
「……依怙贔屓えこひいきをしない、信賞必罰しんしょうひつばつをしっかり行う。これは共通しているのですが……戦に強いというのも大切ですが、武に傾き過ぎるとまつりごとおろそかになり、領民や家臣達の不平不満の元になりかねません。情が深い方が領民や家臣からしたわれますが、一方で情に流されて対局を見誤る恐れもあります。家臣の意見をよく聞き入れる方が良い時もあれば、主君の独断で推し進める方が良い時もありますし」
「つまり……家臣を平等に扱う事と功罪を公平に行う事の他は、一長一短がある。そういう事ですよね?」
 そう奇妙丸が訊ねると、沢彦は首を縦に振った。
「武家の当主は御家の存続・繁栄のみならず、家臣や領民の生活もゆだねられております。周りに相談は出来ても決断するのは当主ただ一人。その重責はとても計り知れません」
「……当主とは、孤独なものだな」
 ポツリと奇妙丸が漏らすと、沢彦も静かに頷いた。
 当初こそ父の冷血なやり方に憤りを覚えたが、沢彦の話を聞いていく内に奇妙丸の中で考えが変わってきた。譲歩するように見せながら時間を短縮し、さらに嫡男以外の男子を養子に出す事で後継争いの芽も摘む。一挙両得である。特に、時間は金や物と違い失えば取り返す事は出来ない。京畿けいきの情勢次第ですぐにでも戻らなければならない状況で伊勢攻めを短期間で切り上げられたのは大きな収穫だった。一連の経緯から、父は合理的な思考で行動する人だと奇妙丸は思い直した。
 ただ、一方で合理的な行動をする父を理解してくれる人が、どれだけ居るだろうか。人は心を持つ生き物で、感情が決断に影響する事も少なくない。例えば、実の子を他家へ出すのも普通なら躊躇われるが、父はそれが自分に得だと判断すれば迷いなく実行する。それを他人は“血も涙もない”“親の情は無いのか”と非難する。また、父は幼い頃より古来から受け継がれる慣例や常識にとらわれない行動・服装をしていたが故に“うつけ”と呼ばれ異端児のように見られていたが、それも従来の考え方に縛られず効率や機能性を追求したからであった。そういう訳なので、結果を出したとしても周囲から認められる事は滅多に無く、極めて辛く険しい道を一人で歩んでいる状況だ。もし私が父の立場にあったら、あそこまで自分を貫き通せるか。……恐らく、妥協点を見出そうとするか、周囲の反発に押し切られて折れるか、どちらかだろう。私には、到底出来ない。
 ここに来た時は父へ怒りを覚えていた奇妙丸だが、今は誰も踏み入れない道を歩む父は凄いのではないか、と思い始めていた。
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第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

ずっと女の子になりたかった 男の娘の私

ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。 ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。 そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。

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