アイレシアの祝祭

神喰 夜

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第一章

第1話 望まぬ異世界

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大理石で造られた白亜の神殿。神々の像が並ぶ祈りの間は、ステンドグラスを通過した極彩色の光で溢れていた。その中央で、私はひとり膝を突き、目を瞑って胸の前で手を組んでいた。傍から見れば、信仰心の厚い聖女だが、その頭の中を占めているのはつい先日王太子から届けられた資料に基づくこの世界の地理に関しての考察である。既に大まかな仮説は構築したため、気分転換がてら、毎日強制的にやらされる祈りを済ませてしまおうと画策したのだ。
大きな砂時計3反転。定められた祈りの時間、私は熱を帯びた頭を冷やすかのようにゆっくりと思考する。

リィン・フェイリアス聖女様。お時間でございます」
「……分かったわ」

称号を呼ばれ、私はゆっくりと立ち上がった。長い真白のドレスの裾を払い、神殿の出入り口に足を向ける。多くの侍女と騎士が、音もなく私の背後に並んだ。





「随分と熱心に祈っていたようだな、聖女」

私に与えられた部屋の中央のソファには、我が物顔で書類片手に座る男がいた。
グラーシェス王国王太子、ベルトランド・イラリオ・ラザフォード——召喚時に哄笑していた赤毛の男である。

「私は信仰心厚い聖女ですので。ああそうだ、資料感謝します」
「ふん、あんなものの何がいいのか知らんがな」
「私の知的好奇心を満たしてくれるのだからいいでしょう。代わりに聖魔術式を10も覚えるのだから、取引としては十分成立してると思いますけど?」

聖魔術を覚えるにあたり、私は王太子に交渉した。幾つかの資料を融通してほしいと頼んだのだ。
各地の瘴気濃度、魔術師の出身地と魔力量の資料、聖女が召喚された時期の瘴気濃度と召喚場所。個々の聖女の魔力量と特性。魔族の特徴。
こういった資料の殆どは王族のみに閲覧を許されている。私個人の権限で閲覧したのは瘴気検知装置の仕組みについての魔術書くらいではないだろうか。
一体何をしているのかと思われるかもしれないが、答えは単純、瘴気の発生条件を調べているのだ。
可能ならば魔族に会ってみたいと思うが、これに関しては一刀両断された。交易などない、関わりもない、ただ存在のみが伝わる者。そもそも帰らずの森を通ることなどできない。海から行くのも潮流の問題で厳しい。様々な理由に一先ず諦めたが、どうしても困った時は何が何でも行かせてもらう。魔族というのだから瘴気に関連があると思うのはラノベに冒された日本人の性だろう。

「小賢しいことだ。その知恵を他に使う暇があれば、早く最上級の聖魔術を覚えることだな。上級魔術は殆ど覚えておらんだろう」
「私にある程度の自由を保障したのはそちら、とやかく口を突っ込む暇があればもっと資料を持ってきてください」

嫌味に嫌味を返せば、返ってくるのは笑い声である。長々と付き合う気もないので、書斎に足を進めた。

「というか何度も言ってますけど、もう抜け出しませんから、毎日来ないでくれません?」
「嫌だと言ったら?」
「追い返しますよ」

戯言ざれごとを、という王太子の声を聞き流し、私は書斎の扉を開けた。大きな地図と沢山の本が並ぶこの部屋は、この世界では数少ない私の憩いの場である。僅かな護衛と侍女のみを入れて扉を閉めれば、王太子の声は聞こえなくなった。
自由になった部屋で、私は日本語で神殿でまとめた考えを書き出した。私を除いた誰一人として読むことも書くこともできないこの文字は、この世界において私一人の暗号だ。

「全体的な気温の低さは公転軌道に対する角度の問題よね、多分……三季ってことから考えて、うーん……」

瞬く間に羊皮紙が黒く染まる。一番近くの棚から同じような羊皮紙を引っ張り出して交互に見比べ、溜息を吐いた。

「……やっぱり寒冷化は原因じゃないな」

羊皮紙を放り出して、私は天を仰いだ。

「あー……ほんと、世知辛いわぁ」

あの日——この世界に召喚された日から、1年の月日が流れていた。



結論から言うと、ここは異世界で間違いなかった。
名もなき大陸がただひとつ存在する世界。惑星という概念がそもそもなく、世界の呼び名もない。科学が発達していない代わりに、魔術が主流の、ラノベでよくあるような世界だった。
私が呼び出された理由はたった一つ。瘴気を祓うため。瘴気とは、人や動物を狂わせるものらしい。それは普通の人の手には負えず、ゆえに聖女召喚をする必要があった。

そして私が聖女に選ばれた。

勿論、最初から彼らの言い分に従ったわけではない。私には家族がいる。生活がある。でも、帰ることができるのかという問いに対する答えは、分からない、だった。曰く、私を召喚した魔術師団長は、召喚の儀以来眠りについており、彼が目覚めないことには分からない、と。召喚の儀について記された古文書を読み解けるのは彼だけのようで、他の魔術師は言われたことをやっただけだとか。
そんなこと知らない。
私には関係ない。
帰せと訴えた。言葉が通じないことは理解していても、叫ばずにはいられなかった。
平穏な日常だった。それを突然奪われ、ここで生きていけと言われて頷けるわけがない。誰が頷くものか。
決して涙は見せなかったけれど、とにかく帰せと訴えた。召喚された場所にこっそり行こうとしたこともあったし、古文書を読み解こうとしたこともあった。
けれど、結局周りに止められた。部屋を抜け出そうとすれば護衛に捕まり、古文書を借りようとすれば侍女に止められる。貴方様はこの国で最も尊き御方とほざきながら、私のやることなすこと否定する。
やがて私は諦めた。言語も通じぬ彼らに訴えても何にもならない、せめてその魔術師団長とやらが起きてから、話をつける。そう決めた。

元の世界に、必ず戻る。

あの日の誓いは、1年経った今もなお、廃れていない。
14歳だった私は、15歳になった。時折分からないことはあるけれど、もう言葉には不自由していない。生きるために必要不可欠だったから、覚えざるを得なかった。
言葉を覚えるのと並行して、私はこの世界のことを学んだ。
大陸の中央に帰らずの森があり、以西に人間が、以東に魔族が暮らしている。瘴気は、魔族の地から流れてくるという。
ここ、グラーシェス王国は、帰らずの森と大陸の西端のちょうど中央に位置しており、人間の国の中では大きい国なのだそう。聖女を召喚できたのもその国力ゆえだと鼻高々に教師が語っていた。
けれど、私の立場は万全なものではない。私は聖女として公表されていないため、聖女未満、異世界から召喚された乙女以上、という曖昧な立場にある。
これは私ではなく、第三者に依拠する。私を召喚した魔術師団長がまだ目覚めていない、ただその一点に。
本来、術者はひと月から遅くとも半年で目覚めるというのだが、1年が経過した今もなお、魔術師団長は眠り続けている。
そこで何が問題かといえば、聖女宣誓の儀である。聖女宣誓の儀とは、要するに聖女の存在をこの世界に固定させ、公に知らしめる儀式だそうだが、それには召喚を成した者とその国の王、そして大陸正教の長たる教皇の立ち会いが必要とされる。
つまり魔術師団長が起きなければ、聖女宣誓の儀ができないのだ。
魔術師団長には早く目覚めていただきたい。私ひとりでは、元の世界に戻る方法を探るにも限りがある。

ー既に1年が経過した。時間の経過の関係が分からないけれど、同じ年が流れていると考えて1年。私のクラスメイトらは高校に入学した頃だろう。といっても私が通っていたのは中高一貫校、さしたる準備はなかったかもしれないがー

『……ほんと、勘弁だわ』

呟いた声は、誰にも聞かれず空に消えた。

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