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第5話
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8年前の不正、あれは現・ボルギ伯爵のものではない。先代ボルギ伯のものだ。先代ボルギ伯は、現ボルギ伯の姉婿。そして8年前、先代ボルギ伯爵夫人は難病に罹っていた。治療費は高額で、法衣貴族であるボルギ伯爵家では賄えない額。当時総務省官吏だった先代ボルギ伯は、恐らくは妻の為に横領を決行した。結局先代ボルギ伯爵夫人は亡くなり、後を追うようにして先代ボルギ伯も亡くなった。
その不正は長らく発見されなかったが、3年前、ついにある財務省官吏が知るところとなる。そして彼は、圧倒的な権力を背景に、ボルギ伯を脅した。家名を落としたくなければ、不正をして利益をよこせと。
「その財務省官吏が私の兄——つまりはラ・ヴァッレ公だと言いたいのだな」
「飽くまで仮説、他の可能性を考慮していないただの妄想よ」
「いや」
カルミネは両手を祈るように組み合わせ、額を押し付けた。口から洩れるのは、深々とした溜息だ。
「あの兄ならやりかねない」
「......」
「アンヌンツィアータもそう思ったから、この話をしたのだろう?」
「......ええ」
ラ・ヴァッレ公——カルミネの兄は、傲岸不遜でギャンブル狂なことで知られている。一時はカルミネに爵位を譲るのでは、と囁かれたこともあったくらいだ。
「もちろん、我が家の財政は健全だ。恐らく兄は、横領した金をすべてギャンブルにつぎ込んでいる......」
深々と、カルミネは再び溜息を吐く。
「......ギャンブル、ね」
「まだ何かあるのか」
「観察使の査問室から帰るときに、観察使が書類をぶちまけたの。そこに、賭博場に不審な人物の出入りがあると記されていて」
カルミネは無表情になった。
「――不審な人物」
「それしか見ていないからわからないのだけれど......最近賭博関係で金銭が怪しい動きをしているから、財務省も監査を始めるところなの。私の担当ではないから、詳しくはわからないのだけれど」
「なるほど、理解した」
カルミネは笑っていた。
「アンヌンツィアータ。お前に借りひとつだ」
「いいわ。何をすればいい?」
カルミネは厳かに告げた。
「兄の後を尾行する」
「ちょっとお待ちなさい」
何がどうしてそうなった。
「ーどうしてこうなったのかしら」
「なんだ。何か不安でも?」
不安しかないわよボンボンが。
そう言いたいのを堪えて、フェデリカは仮面を手の中で回す。不自然ではない程度に詰め物をしたお腹は膨らみ、代わりに胸が縛られているので若干息苦しい。
現在フェデリカとカルミネは、ラ・ヴァッレ公爵が頻繁に出入りしているという賭博場に向かっていた。
勿論フェデリカは反対した。身元を隠して行くにしろ、危険が伴う。わざわざ公爵家の子息が行く場所ではないから、専門家に任せろと言ったのだ。しかしカルミネは頑なだった。
—私は兄の罪を、罪でなくとも行動をこの目で知りたいのだ。
結局フェデリカが折れた。必ずフェデリカから離れないことを条件として。フェデリカは男装を、カルミネは女装をしていた。ともに中性的な顔立ちで、フェデリカが女性にしては背が高く、カルミネが男性にしては背が低いために可能だった。女装しろ、と言った時も悲壮な顔ひとつせず、必要ならば、と受け入れたカルミネは、馬鹿な男だと思う。愚直で、まじめで、人を見捨てられない。
捨ててしまえばいいのに、と思うこともあるけれど、それも含めて「カルミネ・ヴェナンツィオ・ディ・ラ・ヴァッレ」という人間で、それに付き合っているのだから、結局のところフェデリカも莫迦の誹りを免れない。
「――行くぞ」
「ええ」
フェデリカが声を落として言うと、カルミネは女にしては若干低いものの、許容範囲である声の高さで答えた。
賭博場は地下にあるにも関わらず、煌々としていた。シャンデリアのような装飾に、高級な芸術作品の贋作。人々の悲鳴と歓声。
賭博場が初めてだというカルミネは、足を踏み入れた途端に気圧されていた。フェデリカが衣服の陰で脇腹をつつくと、漸く動き出す。
「――まるで低俗な舞踏会だな」
「そう思っていなさい。いいこと、私はアルザス地方から出てきた、成り上がりの商人。妾を侍らせて王都の賭博に来た」
「あぁ」
「ほら、来るわよ」
ディーラーがにこやかな笑みを浮かべて近寄ってきた。
「ごきげんよう、ジェントル&レディ」
「マスター。盛況ですな」
「えぇ。お二人もゲームに参加を?」
「あぁ。私たちはラヴィトラーレ王都の賭博場に来るのは初めてでね。この女はあまり賭博を嗜まないのだが、バカラとポーカーとならどちらが空いているかね?」
「今でしたらちょうどポーカーに空きがございますよ。ご案内いたしましょうか?」
「ではお願いしようか」
ポーカーは賭博場の奥の方にあった。羽根のついた豪勢な仮面をつけている人物に、見覚えがある。
「――お邪魔しますよ」
「なんだおっさん。昼間っから女連れか?」
「現地妻というやつだ。美しいものは愛でて捨てるに限るだろう?」
「ははっ、違いねぇな!」
カルミネは表情を動かさない。くれぐれも反応するなと言い含めていたが、普段なら思い切り顔を顰めるか抗議しているところだ。
実の兄の礼儀のなさを。
「私はアルザスから来た。Mr.Fとでも呼んでくれ」
「は、成り上がりの商人ごときが。まあいいだろう、Mr.F。俺のことは黄金のジェントルとでも呼べ」
「相分かった」
フェデリカは仮面の奥でにっこり笑った。
その不正は長らく発見されなかったが、3年前、ついにある財務省官吏が知るところとなる。そして彼は、圧倒的な権力を背景に、ボルギ伯を脅した。家名を落としたくなければ、不正をして利益をよこせと。
「その財務省官吏が私の兄——つまりはラ・ヴァッレ公だと言いたいのだな」
「飽くまで仮説、他の可能性を考慮していないただの妄想よ」
「いや」
カルミネは両手を祈るように組み合わせ、額を押し付けた。口から洩れるのは、深々とした溜息だ。
「あの兄ならやりかねない」
「......」
「アンヌンツィアータもそう思ったから、この話をしたのだろう?」
「......ええ」
ラ・ヴァッレ公——カルミネの兄は、傲岸不遜でギャンブル狂なことで知られている。一時はカルミネに爵位を譲るのでは、と囁かれたこともあったくらいだ。
「もちろん、我が家の財政は健全だ。恐らく兄は、横領した金をすべてギャンブルにつぎ込んでいる......」
深々と、カルミネは再び溜息を吐く。
「......ギャンブル、ね」
「まだ何かあるのか」
「観察使の査問室から帰るときに、観察使が書類をぶちまけたの。そこに、賭博場に不審な人物の出入りがあると記されていて」
カルミネは無表情になった。
「――不審な人物」
「それしか見ていないからわからないのだけれど......最近賭博関係で金銭が怪しい動きをしているから、財務省も監査を始めるところなの。私の担当ではないから、詳しくはわからないのだけれど」
「なるほど、理解した」
カルミネは笑っていた。
「アンヌンツィアータ。お前に借りひとつだ」
「いいわ。何をすればいい?」
カルミネは厳かに告げた。
「兄の後を尾行する」
「ちょっとお待ちなさい」
何がどうしてそうなった。
「ーどうしてこうなったのかしら」
「なんだ。何か不安でも?」
不安しかないわよボンボンが。
そう言いたいのを堪えて、フェデリカは仮面を手の中で回す。不自然ではない程度に詰め物をしたお腹は膨らみ、代わりに胸が縛られているので若干息苦しい。
現在フェデリカとカルミネは、ラ・ヴァッレ公爵が頻繁に出入りしているという賭博場に向かっていた。
勿論フェデリカは反対した。身元を隠して行くにしろ、危険が伴う。わざわざ公爵家の子息が行く場所ではないから、専門家に任せろと言ったのだ。しかしカルミネは頑なだった。
—私は兄の罪を、罪でなくとも行動をこの目で知りたいのだ。
結局フェデリカが折れた。必ずフェデリカから離れないことを条件として。フェデリカは男装を、カルミネは女装をしていた。ともに中性的な顔立ちで、フェデリカが女性にしては背が高く、カルミネが男性にしては背が低いために可能だった。女装しろ、と言った時も悲壮な顔ひとつせず、必要ならば、と受け入れたカルミネは、馬鹿な男だと思う。愚直で、まじめで、人を見捨てられない。
捨ててしまえばいいのに、と思うこともあるけれど、それも含めて「カルミネ・ヴェナンツィオ・ディ・ラ・ヴァッレ」という人間で、それに付き合っているのだから、結局のところフェデリカも莫迦の誹りを免れない。
「――行くぞ」
「ええ」
フェデリカが声を落として言うと、カルミネは女にしては若干低いものの、許容範囲である声の高さで答えた。
賭博場は地下にあるにも関わらず、煌々としていた。シャンデリアのような装飾に、高級な芸術作品の贋作。人々の悲鳴と歓声。
賭博場が初めてだというカルミネは、足を踏み入れた途端に気圧されていた。フェデリカが衣服の陰で脇腹をつつくと、漸く動き出す。
「――まるで低俗な舞踏会だな」
「そう思っていなさい。いいこと、私はアルザス地方から出てきた、成り上がりの商人。妾を侍らせて王都の賭博に来た」
「あぁ」
「ほら、来るわよ」
ディーラーがにこやかな笑みを浮かべて近寄ってきた。
「ごきげんよう、ジェントル&レディ」
「マスター。盛況ですな」
「えぇ。お二人もゲームに参加を?」
「あぁ。私たちはラヴィトラーレ王都の賭博場に来るのは初めてでね。この女はあまり賭博を嗜まないのだが、バカラとポーカーとならどちらが空いているかね?」
「今でしたらちょうどポーカーに空きがございますよ。ご案内いたしましょうか?」
「ではお願いしようか」
ポーカーは賭博場の奥の方にあった。羽根のついた豪勢な仮面をつけている人物に、見覚えがある。
「――お邪魔しますよ」
「なんだおっさん。昼間っから女連れか?」
「現地妻というやつだ。美しいものは愛でて捨てるに限るだろう?」
「ははっ、違いねぇな!」
カルミネは表情を動かさない。くれぐれも反応するなと言い含めていたが、普段なら思い切り顔を顰めるか抗議しているところだ。
実の兄の礼儀のなさを。
「私はアルザスから来た。Mr.Fとでも呼んでくれ」
「は、成り上がりの商人ごときが。まあいいだろう、Mr.F。俺のことは黄金のジェントルとでも呼べ」
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