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第4話
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日付を跨ぐ頃。卓上でペンを片手に微睡んでいたフェデリカは、顔面蒼白な執事によって叩き起された。
「かんさ、観察使からお手紙が……!」
観察使とは答申や裁判の下調査を行う、省とは別個に独立した機関だ。王家の影としての役割を担うとも言われている。執事が青くなるのも無理はない。手紙に目を通すと、予想通りボルギ伯爵の件だ。不正について更なる調査の必要性を見出したため、監査をしたアンヌンツィアータ三等官をお呼びする、とある。呼び出しの日付は明後日。観察使は行動が早い、と聞いていたが、余りにも早すぎはしないか。まだ書類を上奏して1日経っていないのに。
「あ、ああの、あの。あの、旦那様にご報告を……」
「手紙を認めるわ——安心なさい、私が監査した不正についてお尋ねしたいだけのようだから」
安心顔になった執事を帰して、辺境伯夫妻に手紙を認める。
少しだけ、嫌な予感はしていた。
監査の時から感じていた、影の人物。大事になるのは時期的に避けたかったので、財務省官吏としての仕事だけをしたけれど。
ー面倒事は嫌いなのだけれど。
見て見ぬふりを出来たら楽なのに。
フェデリカは溜息を飲み込んで、卓上の書類を片付けた。
「――観察使法第2条第3項に従い、アンヌンツィアータ財務三等官に対する答申を行います。アンヌンツィアータ三等官」
「はい」
フェデリカの答申を担当するのは、ロレンツィ侯爵・ジャンルーカだ。遠縁ではあるが、随分フェデリカと似ているらしく、兄妹のようだと言われたことがある。実際、フェデリカと同じ紫の瞳を持つ人物は、社交界において彼だけだ。ちなみに彼も王位継承候補者のひとりである。
「ボルギ伯爵の不正の証拠書類を拝読いたしました。書類の不備を、いくらか追及いたします」
1点目。不正は、8年前にも1件見つかっている。これの記載がないのは何故か。
「......申し訳ありません、見落としました」
3年前が最初だと思っていた。結構、とジャンルーカは頷く。
2点目。ボルギ伯爵の犯行動機についての所見。
「......ボルギ伯爵は温厚な方だとお伺いしております。わたくしには理由を推し量ることができません。ですが......ボルギ伯爵が近頃はぶりがいいという話は聞きません。横領した金の行方が気になります」
3点目。ボルギ伯爵への所見。
「わたくしは直接お話をしたことはございませんが、穏やかな方だと伺っております」
尋ねられたことに正直に答えていく。事実確認と、ただ意見を求められること。すぐに終わる、という手紙の記述通り、フェデリカの貴重な昼休みを潰す程度に収まった。
「――これにて答申を終了します。お帰りくださって結構です」
「失礼いたします」
財務省に戻る途中、観察使のひとりが書類をぶちまけるという失態に遭遇した。3枚ほどの書類がフェデリカの足元に落ちてきたので、拾い上げて手渡す。随分そそっかしい観察使だ。
財務省に戻ってすぐ、フェデリカは資料を確認した。8年前。ボルギ伯爵の書類はない。そもそもボルギ伯爵は今34歳。官吏として登用されたのは26歳の時で、それまでは胥吏——官吏の下官だったはず。8年前と言うと、新人も新人だ。フェデリカが現在そうであるように、あまり重要な書類は回ってこない。加えて、8年前は、ボルギ伯爵が爵位を継いだばかりの頃。先代ボルギ伯爵夫妻が相次いで亡くなって、横領どころの騒ぎではなかったはずだ。
——何を見落としている?
フェデリカは観察使との問答を反芻し、目を見開く。慌てて記録と記憶を辿った。
——そうか。でも、だとしたら、3年前から記録の意味は?
今までこの書類を見た人は、何も気づかなかったのか。
3年前。フェデリカが官吏学科に入学した年。史上最年少の13歳、次席で入学を果たしたラヴィニアのおかげで、例年ならば注目されるであろう女学生の残り——つまりはフェデリカには、全く注目が注がれないまま始まった。しかも、ラ・ヴァッレ家当主が急逝したために総代のラ・ヴァッレが入学式を欠席して、学園側は大慌てで——
——あ、れ。
穏やかな記憶に笑みを浮かべていたフェデリカは、ふと真顔になった。点と点が浮かび上がってくるような感覚。普段ならば高揚感を覚える場面なのだけれど、逆に顔が青ざめていくのが分かった。この仮説が事実だと決めつけるのは早計だとわかっている、けれど観察使はもう、気づいているのだろうか。彼らはすべての可能性を考えてから、また王家に騒擾してから動くから、たとえフェデリカの立てた仮説に辿り着いていても、処罰に踏み切るのはまだ先のはず。懸念点は、彼らとフェデリカの間には1日分の差があること。胥吏も含めたら数人がかりで事に当たっているであろう彼らに、フェデリカひとりで立ち向かうことは困難だ。
フェデリカは唇を嚙みしめた。これはフェデリカが怠惰を好んだ故の帰結だ。
「――次官。申し訳ありませんが、一時退出の許可を頂いても?」
「構わないよ。昼餉をまだ食べていないのだろう?」
「ありがとうございます」
早足で建物を移動する。食堂を通過して、向かう先は内務省だ。目当ての人物を探していると、後ろから声をかけられた。
「アンヌンツィアータ財務三等官? なぜここに?」
「ラ・ヴァッレ内務三等官」
助かった。探す手間が省けた。
「お昼はもう食べられましたか?」
「あぁ、一時間ほど前に」
「それは残念です。可能であれば、プロヴェンツァーレ総務三等官と共に北の第五庭園で昼餉を食べたかったのですが」
「急ぎであれば、次官に許可を頂いてきますが」
「いえ、問題ありません。また明日にでもお伺いすることにいたします」
「畏まりました。では」
フェデリカは通常業務に戻り、定時で仕事を終えた。王宮を出て向かうのは、平民街の一角。店主に声をかけて、地下に下りる。薄暗い階段を抜けた先には、密談の時に頻繁に使われる酒場がある。そこには既に、ひとりの客人がいた。
「早いわね」
「北の第五庭園と言われればな——何が起きた、アンヌンツィアータ」
ラ・ヴァッレだった。
「かんさ、観察使からお手紙が……!」
観察使とは答申や裁判の下調査を行う、省とは別個に独立した機関だ。王家の影としての役割を担うとも言われている。執事が青くなるのも無理はない。手紙に目を通すと、予想通りボルギ伯爵の件だ。不正について更なる調査の必要性を見出したため、監査をしたアンヌンツィアータ三等官をお呼びする、とある。呼び出しの日付は明後日。観察使は行動が早い、と聞いていたが、余りにも早すぎはしないか。まだ書類を上奏して1日経っていないのに。
「あ、ああの、あの。あの、旦那様にご報告を……」
「手紙を認めるわ——安心なさい、私が監査した不正についてお尋ねしたいだけのようだから」
安心顔になった執事を帰して、辺境伯夫妻に手紙を認める。
少しだけ、嫌な予感はしていた。
監査の時から感じていた、影の人物。大事になるのは時期的に避けたかったので、財務省官吏としての仕事だけをしたけれど。
ー面倒事は嫌いなのだけれど。
見て見ぬふりを出来たら楽なのに。
フェデリカは溜息を飲み込んで、卓上の書類を片付けた。
「――観察使法第2条第3項に従い、アンヌンツィアータ財務三等官に対する答申を行います。アンヌンツィアータ三等官」
「はい」
フェデリカの答申を担当するのは、ロレンツィ侯爵・ジャンルーカだ。遠縁ではあるが、随分フェデリカと似ているらしく、兄妹のようだと言われたことがある。実際、フェデリカと同じ紫の瞳を持つ人物は、社交界において彼だけだ。ちなみに彼も王位継承候補者のひとりである。
「ボルギ伯爵の不正の証拠書類を拝読いたしました。書類の不備を、いくらか追及いたします」
1点目。不正は、8年前にも1件見つかっている。これの記載がないのは何故か。
「......申し訳ありません、見落としました」
3年前が最初だと思っていた。結構、とジャンルーカは頷く。
2点目。ボルギ伯爵の犯行動機についての所見。
「......ボルギ伯爵は温厚な方だとお伺いしております。わたくしには理由を推し量ることができません。ですが......ボルギ伯爵が近頃はぶりがいいという話は聞きません。横領した金の行方が気になります」
3点目。ボルギ伯爵への所見。
「わたくしは直接お話をしたことはございませんが、穏やかな方だと伺っております」
尋ねられたことに正直に答えていく。事実確認と、ただ意見を求められること。すぐに終わる、という手紙の記述通り、フェデリカの貴重な昼休みを潰す程度に収まった。
「――これにて答申を終了します。お帰りくださって結構です」
「失礼いたします」
財務省に戻る途中、観察使のひとりが書類をぶちまけるという失態に遭遇した。3枚ほどの書類がフェデリカの足元に落ちてきたので、拾い上げて手渡す。随分そそっかしい観察使だ。
財務省に戻ってすぐ、フェデリカは資料を確認した。8年前。ボルギ伯爵の書類はない。そもそもボルギ伯爵は今34歳。官吏として登用されたのは26歳の時で、それまでは胥吏——官吏の下官だったはず。8年前と言うと、新人も新人だ。フェデリカが現在そうであるように、あまり重要な書類は回ってこない。加えて、8年前は、ボルギ伯爵が爵位を継いだばかりの頃。先代ボルギ伯爵夫妻が相次いで亡くなって、横領どころの騒ぎではなかったはずだ。
——何を見落としている?
フェデリカは観察使との問答を反芻し、目を見開く。慌てて記録と記憶を辿った。
——そうか。でも、だとしたら、3年前から記録の意味は?
今までこの書類を見た人は、何も気づかなかったのか。
3年前。フェデリカが官吏学科に入学した年。史上最年少の13歳、次席で入学を果たしたラヴィニアのおかげで、例年ならば注目されるであろう女学生の残り——つまりはフェデリカには、全く注目が注がれないまま始まった。しかも、ラ・ヴァッレ家当主が急逝したために総代のラ・ヴァッレが入学式を欠席して、学園側は大慌てで——
——あ、れ。
穏やかな記憶に笑みを浮かべていたフェデリカは、ふと真顔になった。点と点が浮かび上がってくるような感覚。普段ならば高揚感を覚える場面なのだけれど、逆に顔が青ざめていくのが分かった。この仮説が事実だと決めつけるのは早計だとわかっている、けれど観察使はもう、気づいているのだろうか。彼らはすべての可能性を考えてから、また王家に騒擾してから動くから、たとえフェデリカの立てた仮説に辿り着いていても、処罰に踏み切るのはまだ先のはず。懸念点は、彼らとフェデリカの間には1日分の差があること。胥吏も含めたら数人がかりで事に当たっているであろう彼らに、フェデリカひとりで立ち向かうことは困難だ。
フェデリカは唇を嚙みしめた。これはフェデリカが怠惰を好んだ故の帰結だ。
「――次官。申し訳ありませんが、一時退出の許可を頂いても?」
「構わないよ。昼餉をまだ食べていないのだろう?」
「ありがとうございます」
早足で建物を移動する。食堂を通過して、向かう先は内務省だ。目当ての人物を探していると、後ろから声をかけられた。
「アンヌンツィアータ財務三等官? なぜここに?」
「ラ・ヴァッレ内務三等官」
助かった。探す手間が省けた。
「お昼はもう食べられましたか?」
「あぁ、一時間ほど前に」
「それは残念です。可能であれば、プロヴェンツァーレ総務三等官と共に北の第五庭園で昼餉を食べたかったのですが」
「急ぎであれば、次官に許可を頂いてきますが」
「いえ、問題ありません。また明日にでもお伺いすることにいたします」
「畏まりました。では」
フェデリカは通常業務に戻り、定時で仕事を終えた。王宮を出て向かうのは、平民街の一角。店主に声をかけて、地下に下りる。薄暗い階段を抜けた先には、密談の時に頻繁に使われる酒場がある。そこには既に、ひとりの客人がいた。
「早いわね」
「北の第五庭園と言われればな——何が起きた、アンヌンツィアータ」
ラ・ヴァッレだった。
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