王妃が死んだ日

神喰 夜

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外伝 殺された皇子と名もなき王女

第弐拾壱話 義娘

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叛乱から二年。万事滞りなく、とは言い難いが、平穏な日々を送っていた。雪が止み、春の訪れを感じさせる季春きしゅんである。

「今日も収穫なし、か......」

鳩の足に括りつけられた報告を見て、皓月コウゲツはわしゃわしゃと頭をかいた。もとどりが崩れたが、今日は幸いこの後謁見も会議もない。

「.....どこに隠れたんだ」

皓月は兄の子を宿した――もう既に産み落としたであろうミ・アンを探していた。玉座を奪還してから程なくして西海セイカイ州州王代理を使者に立て群島に向かわせたが、ミ・アンは内地に逃亡した、と言われて帰ってきた。実際に街や邸を歩いた州王代理の言だ、皓月は群島に注意を払いながらも、全土に捜索の手を広げた。ミ一族のような褐色の肌を持つ者は多くない。すぐに見つかるかと思いきや、なかなか見つからなかった。
叛乱から実に三年の時が流れている。乳飲み子を抱えた女の足でも、移動可能範囲は広大だ。
皓月は突っ伏した。やることが多すぎて、頭が痛い。

「おとーさま」
珠喜シュキ

そこで部屋に入ってきたのは、長姉・藍紗アイシャの子で、養子として引き取った珠喜シュキだ。まだ四歳だが、何やら神妙な顔つきである。

「おはなしがあるの」
「なんだい畏まって」

促されるまま椅子に座り茶を啜るち、珠喜は言った。

「おとーさま、珠喜はけっこんします!」
「ぶほっ」

茶を噴き出した皓月は悪くないと思う。気管にお茶が入って咳き込む皓月の前で、珠喜はぺらぺらと語る。

「あのねー珠喜がけっこんしたいのは、ごえいの李究リキュウってひとでねえ――」
「ちょ、ちょっと待ちなさい我が娘」

咳から回復して、皓月は娘を膝に乗せた。

「珠喜、よく聞きなさい」
「なぁに、おとーさま」
「李究は婚約者がいる」
「こんやくしゃ?」
「結婚する予定の人がいるんだ」
「珠喜じゃなくて?」
「あぁ」

幼い娘の瞳に、見る見るうちに涙が溜まる。

「珠喜、李究のお嫁さんになれないの?」
「......あぁ」

次の瞬間、びゃーーーーっと珠喜は泣き出した。皓月は珠喜を抱いて宥める。暫く泣くと、珠喜はすっきりしたのか寝入ってしまった。

「......すまないな、李卿」
「いえ」

苦笑いするのは、珠喜の初恋の相手として選ばれた李究だ。名門李家の三男である。

「公主殿下も、側にいるために私を選んだのでしょう。気にしておりません」
「そうか」
「公主殿下の結婚も大事ですが、ご自分のことをお忘れにならないでくださいね」
「李卿、お前もか」
「ご存じでしょう、妹が陛下の婚約者候補のひとりなんですよ」
「あぁ.....」

大量に持ち込まれた釣書の中に、李家の令嬢がいた。まだ皓月が一介の皇子に過ぎなかった頃に差し出された娘――その妹だった。李究に似た、涼しげな顔立ちの美人、名を敬玉けいぎょくといったように思う。

「暫く私は婚姻する気はないんだが」
「直系皇族最後のひとりが何を仰いますやら」

はは、と李究は笑う。

「けれど、これは血統の問題には限りません。先の陛下や清彰セイショウ皇太子殿下の落胤を名乗る者はいるのですから」
「わかっている」

――皓月の、華胥國の民にはありえない容姿に反発する貴族がいることは。
何せ李究の父親も、そのひとりであるのだから。

「差し出がましいことを申しました。お許しを」
「いや、忠言に感謝する――珠喜を部屋へ」

眠る珠喜を抱き上げて部屋に戻っていく近衛を見送った皓月の頭に、閃くものがあった。

「結婚......そうか、その手があったか」

皓月は従者を呼んだ。

「西海州州王代理に手紙を。兄上の――清彰セイショウ皇太子の冥婚を執り行う」




「んだよもう。呼び出すなら穏便に呼び出しろよ」
「一か月半はかかるはずの道のりを、不眠不休で半月に縮めた男に言われたくないな」

ふらっふらで顔色も悪く、今にも崩れ落ちそうな西海州州王代理――最近は字の櫂然カイゼンと呼ぶようになった――に作戦の概要を話すと、げらげら笑い転げた。

「あっはっはっはっは、いいじゃないですか、多分それならつれます、よ......」

そのまま床に倒れるや否や眠りに落ちた。体が限界だったのだろう。無茶をする。
倒れた櫂然を客房に運ぶように指示し、皓月は書類の陰でにんまりと微笑んだ。

「ちょっとーおとーさまー!」
珠喜シュキ
「ばんさんのじかんよ! おとーさま、ちこく!」
「ごめんよ。行こうか」

珠喜の手を引き食堂に向かう道すがら、珠喜は皓月の顔を見上げてムムッと眉を顰めた。

「......おとーさま、とってもあやしいわ」
「へ?」
「にやにやしていらっしゃるもの! 何があったの!?」
「あぁ、うん。珠喜、妹か弟が出来たら嬉しいかい?」
「おとーさま、けっこんなさるの?」
「いや。そなたの母上の弟――私にとっては兄にあたる方の御子だ」
「ええと、いとこ?」
「そう。どうかな?」
「いもうとがいいわ!」
「そうか。弟でも、可愛がってくれるかい?」
「しかたないわね」

ふふ、と笑うと、珠喜は皓月の手を解いて、食堂に向かって駈けていく。

「珠喜、走るんじゃない」
「いやよ!」
「怒るよ」
「なおさらいやだわ!」
「珠ー喜ー」
「おにーさまにはわたしはいうんだから!」
「! 珠――」

制止するも遅く、角を曲がったところでおにーさま、と珠喜の弾む声がする。

「きいてきいておにーさま! わたしたち、いもうとかおとうとができるんですって!」

弾む声の後に、何かが落ちる音が聞こえた。

「――慈衍ジエン、珠喜」
「あ、おとーさま」

追いつくと、本を取り落としたらしき真っ青な顔をした義息子の慈衍に、珠喜がひっついていた。

「.......陛下」
「じえ、」
「申し訳ありませんが、体調が優れないので、今日は自室で夕餉を取らせていただきます」
「......わかった。回復したら、私の執務室においで」
「......はい」

踵を返す兄の後ろ姿を見て、珠喜が首を傾げる。

「おにーさま、どうしたのかしら」
「......いきなり弟か妹ができると聞いて驚いたのだろう。それと珠喜、これは内緒の話だから、お父様の部屋でしか言ってはいけないよ」
「そうなの? わかった!」

素直に頷く珠喜を連れ、皓月は食堂に向かった。
――慈衍。
心の中に思い浮かべるのは、義息子の慈衍だ。引き取ってから二年経った今も頑なに皓月を陛下、と呼び、訓練以外で部屋から出ることがない。皓月が何度か話そうと試みたり、実際に話したり出かけたりしているのだが、未だに心を開いてくれる様子がない。
新たな弟妹の話を聞いて塞ぎこまなければよいのだが、と皓月は眉を顰めた。

「おとーさま! おそいわ!」
「あぁ、ごめん」
「もう!」

皓月は意識を切り替え、目の前の幼い義娘の世話に集中した。




清彰皇太子の冥婚を執り行う、と公布されたのは、それから三か月後。
四周忌が終わって間もなくのことだった。
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