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番外編
医師は誓いを捧げた
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王妃の死を悼む会での計画成功の報を受けて、カイルは思わずへなへなとその場に座り込んだ。弟子を笑う師匠も、深々と椅子に腰かけている。
「......終わったか」
「いいえ、わが師。これは、始まりです」
そうだな、と師匠は呟く。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。師の涙を見なかったことにして、カイルは幼子のように自分の膝を抱える。堪えきれなかった涙が、頬を滑り落ちた。
カイルは王都の貧民街に捨てられた子供だ。孤児院は収容人数いっぱいで、残飯をすすりながら生きてきた。満足な食べ物は得られない。働こうにも、貧民街の出身というだけで門前払いされることも多かった。傭兵団という手もあったが、背丈の低いカイルは、雑用しか認められなかった。いつもお腹を空かせて、盗みを働いていた。もはや慣れたもので、同い年のアベルと一緒に、カイルは町一番の盗人として名を馳せていた。時たま見つかって半殺しにされようとも、カイルもアベルも、他の生き方を知らなかった。そうして11年の時が経った。
その日もいつものように道を歩いていた身なりのいい少年にわざとぶつかって財布をくすねた。気づいたそぶりもなく歩いていく少年をあざ笑いながら貧民街に戻ると、入り口に先程の少年が立っていた。
「やあ」
まるでカイルが古くからの知り合いであるかのように笑みを浮かべながら、少年は手を上げた。カイルは途端に踵を返そうとしたが、気づくと騎士に取り囲まれていた。
「話をしようじゃないか、少年」
「......何が望みだ」
「何、難しいことじゃないさ。私は、君たちに尋ねたいことがあるだけでね」
私はユーリ・レオ―ノヴァ、と少年は名乗る。カイルは名乗らなかったが、ユーリが気にするそぶりはない。
「それで騎士まで動員するのか」
「おや、君は私が素直に来て、と頼んだら来てくれるような心根の持ち主だったのかい。貧民街の赤狼」
「......」
ふ、とユーリは笑む。
「さて、赤狼。君に今からふたつの選択肢を提示する。この場で選べ」
「は?」
「ひとつめ」
どういうことかと問う間もなく、ユーリは条件を述べ始める。
「このまま盗人として生きていく。二つ目。勉学に従事し、職を得る。さあ、どちらがいい」
「おまえ、何言ってんだ? 勉強なんて、できるわけねえだろ。俺は貧民だぞ」
「私が環境を整えよう。もし君が望むなら、の話だが。私に金があることは、この状況から推して計れるだろう?」
それはそうだ。一人称は私、街で騎士を動員できる人間など、限られている。
「......なぜ俺に声をかけた」
「君には一度助けられたから」
「は?」
覚えがない。眉根を寄せるカイルに、ユーリは答えを与えない。
「四半刻待とう。青狼と相談してきてもいいぞ」
「っ!」
包囲網が緩んだ。逃げようとして、呼び止められた。
「これをやる」
「.....?」
投げられたそれは、美しい彫りの硝子細工だった。
「兄上がくれた一点ものだ。どちらを選ぶにしても、必ず返しに来い。来なければ、騎士を100人でも千人でも動員して、お前を地の果てまで追いかける」
カイルは今度こそ振り返らずに駆けた。
「アベル!」
「カイル。どうした」
珍しく息を荒げるカイルに、アベルは駆け寄る。
「なあ。もし、もしも、勉強できるとしたら、お前、やりたいか」
「は? 何言ってんだよお前」
「勉強できる環境を、くれるって」
「お前、何吹き込まれたんだ。だれが俺たちみたいな人間に勉強なんて教えてくれんだよ」
「俺も、そう思うよ。ただ......」
うまく言葉にできず、カイルは言い淀む。そんな相方を見遣り、深々とアベルは溜息を吐いた。
「ほら」
手を差し出され、カイルはきょとんと眼を瞬く。
「行きたいんだろ......お前の勘はよく当たるしな」
カイルは瞳を輝かせた。
11という年齢は、自分が人への希望を捨てないでいられるぎりぎりの時だったと、カイルは後に語る。
「――おー、来た来た」
ユーリは瓦礫に腰かけて足をぶらぶらさせていた。硝子細工を渡すと、満足げに頷いた。
「さあ、答えを聞かせてもらおうか」
「......お前を信じる。だが、もし約束を破ったときには、二狼が牙をむくぞ」
騎士を選任でも動員させられるというユーリにとって脅しでもなんでもなかっただろうが、おお怖い、と大げさに身震いして、ユーリは笑った。
「では、ついてきてくれ」
連れていかれたのは教会だ。知った顔の司祭が顔を出す。
「ミック司祭、手筈通りに」
「承知いたしました」
ユーリは勝手知ったる様子で中に入る。
「さて。これが君たちの教本だ。私のお古で申し訳ないんだが。文字、算術、宗教、歴史、地理については、司祭が教えてくれる。それ以上の高等学問が学びたければ言ってくれ。それぞれ教師を手配する」
これは第二王朝の歴史本、と手際よく広げられていく本を、ふたりは呆然と見つめた。本は、貧民は一生お目にかかれないものだ。高価というほどではないが、生活必需品ではないので、触ったことさえなかった。
震える手で教本に手を伸ばす。書いてあることなんて全く分からないけれど、それでも、本当に学習できるということが、触れた感触で分かった。
「......いい、のか」
「?」
「生きて、いいのか」
絞り出すようなアベルの声に、ユーリは言葉ではなく行動で返事をした。
「いったあ!」
頭突きである。
「誰もが生きる資格を持っている。課された責任は立場によってそれぞれ異なるけれど、それでも意欲がある者の前途を妨げていい理由にはならないと、私は思う」
まじめにやるか、という問いに、アベルもカイルも一も二もなく頷いた。
その日から、小さな勉強会が始まった。
寂れた教会での勉強会は次第に人数を増した。当然のことだろう。課題をこなせばご飯が食べられる。ご飯を目的に集った貧民たちは、次第に自ら学ぶようになった。
読み書きができるようになった青年が王都で定職についたのを皮切りに、貧民たちは王都の内外で働き始めた。自ら商店を開く者もいて、貧民街には次第に活気が満ちてきた。貧民の変わりように驚いた平民がその原因である寂れた教会を訪れ、高度な教育内容に顎を落として子供を通わせ始め、次第に寂れた教会は学舎として定着するようになった。時々、見なりのいい男が見に来ることさえあった。
中でも成績トップを争っていたのが、カイルとアベルである。二人は街で仕事を得ていたが、仕事帰りに必ず寄って、遅くまで勉強してから帰っていった。分野を法律と医学に絞り、勉強内容が分かれた後も、二人は切磋琢磨しながら学んだ。
実に、ユーリと出会って3年が経っていた。
そんなある日のことである。カイルとアベルが黙々と勉強していると、背後からお疲れ様、と声がした。振り向くと、ユーリが立っていた。
「「ユーリ」」
「邪魔してごめんね。今、少し時間ある?」
「いいぞ」「構わない」
ユーリは居住まいを正して座った。
「二人とも、今の夢は何?」
「医者」
カイルがすぐに答えたのに対し、アベルは答えなかった。カイルに促され、不貞腐れた様子で答える。
「……官吏」
「アベル」
「わあってるよ、無理だって。でも、ユーリが作ったみたいな学校をいろんな場所に作れたら、俺たちみたいなやつはいなくなるんじゃないかって思ったんだ」
「……俺も似たこと考えてるよ。偉い医者になって、医療機関を作れたらって。まあ無理だから、資格なしの町医者やるけど」
「だと思った」
ユーリは笑った。
「あのね、二人とも。いいお知らせがあるの。来年、平民にも官吏・医師登用試験に門戸が開かれることになりました」
「「……は?」」
「ただし、色々と条件があってね。貴族の後ろ盾があること。合格者がひとりもでなければ再来年以降は貴族のみに戻すこと」
それでもよければ受けてみない?とユーリは笑った。
「「受ける!」」
意気込んで答えてから、二人して肩を落とした。
「って……貴族の後ろ盾なんてねぇよ」
「安心して。既に20人ほど後ろ盾となる貴族を確保してる。まぁ、いざとなったら私でもいいけど……私だと微妙だから」
「にじゅうにん?」
「ユージン・ラトクリフ、コンラッド・ラトクリフ、ダグラス・オーウェン、アルバート・ファレル、ユースティス・マクルーア、それから……」
「ユーリ、今有名貴族の名前が聞こえた気がするけど気のせい?」
「気のせいじゃないよ。スペンサー公爵、フィーラン公爵、ハーディ辺境伯、バルテレミー侯爵。まだまだ序の口だけど」
「はぁ!?」
「たまに来てたおじさんたちよ」
「マジかよ!」
「つーかお前、何者……?」
内緒、とユーリは口に手を当てて密やかに笑った。
――翌年。
晴れて登用試験に合格したふたりは、その他の平民合格者と共に王宮の門をくぐった。後ろ盾が大物なので、いちゃもんをつけてくる貴族もあまりいない。胸の内で快哉を叫びながら、それぞれの仕事場へ向かう。
カイルは見習い医師として、王妃の主治医であるフィッシャーズ医師の弟子となり、アベルは内務大臣のスペンサー公爵の元で働くことになった。予想以上の好待遇に何の裏があるのだと身構えていたふたりの疑問は、数日後に氷解する。
「妃殿下、弟子のカイルと申します。以後妃殿下のおそばに仕えることとなりました」
「カイルと申します。平民なので、家名はございません」
「カイルね。顔をお上げなさい」
首を傾ぐ仕草に、既視感を覚えた時だ。王妃の唇が音を立てぬままに動いた。
まっ、て、た、よ。
なぜだろう。その瞳を見たことはなかったのに、髪色も違ったのに、直感した。
ユーリだと。
思わずその名を呼びかけると、ユーリはいつかのように口元に手を当てた。
「よろしく頼みます、新たな私の医師よ」
「......はっ!」
家の玄関で鉢合わせたアベルと無言の答え合わせをしていると、手紙が届いた。差出人不明の手紙には、見慣れた筆跡で、ただひとこと記されていた。
「どっきり成功?」
大成功だよ、とは、どちらが呟いたのか分からぬ一言だった。
あれから、1年半。王宮での狙撃事件後、急速に練られた王位転覆計画は、とうとう実りを得た。彼女が蒔いた種は、これから大きく花を咲かせるだろう。
――ユーリ。
もはや呼ぶことも許されなくなった名を、心の中で呼ぶ。
――ありがとう。
返しても返しきれない恩の積み重ねを、来年には去る君にどうしていけばいいだろう。
カイルは顔を膝に埋めた。安心と喜びと悲しみが綯交ぜになって、息が苦しかった。
「......終わったか」
「いいえ、わが師。これは、始まりです」
そうだな、と師匠は呟く。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。師の涙を見なかったことにして、カイルは幼子のように自分の膝を抱える。堪えきれなかった涙が、頬を滑り落ちた。
カイルは王都の貧民街に捨てられた子供だ。孤児院は収容人数いっぱいで、残飯をすすりながら生きてきた。満足な食べ物は得られない。働こうにも、貧民街の出身というだけで門前払いされることも多かった。傭兵団という手もあったが、背丈の低いカイルは、雑用しか認められなかった。いつもお腹を空かせて、盗みを働いていた。もはや慣れたもので、同い年のアベルと一緒に、カイルは町一番の盗人として名を馳せていた。時たま見つかって半殺しにされようとも、カイルもアベルも、他の生き方を知らなかった。そうして11年の時が経った。
その日もいつものように道を歩いていた身なりのいい少年にわざとぶつかって財布をくすねた。気づいたそぶりもなく歩いていく少年をあざ笑いながら貧民街に戻ると、入り口に先程の少年が立っていた。
「やあ」
まるでカイルが古くからの知り合いであるかのように笑みを浮かべながら、少年は手を上げた。カイルは途端に踵を返そうとしたが、気づくと騎士に取り囲まれていた。
「話をしようじゃないか、少年」
「......何が望みだ」
「何、難しいことじゃないさ。私は、君たちに尋ねたいことがあるだけでね」
私はユーリ・レオ―ノヴァ、と少年は名乗る。カイルは名乗らなかったが、ユーリが気にするそぶりはない。
「それで騎士まで動員するのか」
「おや、君は私が素直に来て、と頼んだら来てくれるような心根の持ち主だったのかい。貧民街の赤狼」
「......」
ふ、とユーリは笑む。
「さて、赤狼。君に今からふたつの選択肢を提示する。この場で選べ」
「は?」
「ひとつめ」
どういうことかと問う間もなく、ユーリは条件を述べ始める。
「このまま盗人として生きていく。二つ目。勉学に従事し、職を得る。さあ、どちらがいい」
「おまえ、何言ってんだ? 勉強なんて、できるわけねえだろ。俺は貧民だぞ」
「私が環境を整えよう。もし君が望むなら、の話だが。私に金があることは、この状況から推して計れるだろう?」
それはそうだ。一人称は私、街で騎士を動員できる人間など、限られている。
「......なぜ俺に声をかけた」
「君には一度助けられたから」
「は?」
覚えがない。眉根を寄せるカイルに、ユーリは答えを与えない。
「四半刻待とう。青狼と相談してきてもいいぞ」
「っ!」
包囲網が緩んだ。逃げようとして、呼び止められた。
「これをやる」
「.....?」
投げられたそれは、美しい彫りの硝子細工だった。
「兄上がくれた一点ものだ。どちらを選ぶにしても、必ず返しに来い。来なければ、騎士を100人でも千人でも動員して、お前を地の果てまで追いかける」
カイルは今度こそ振り返らずに駆けた。
「アベル!」
「カイル。どうした」
珍しく息を荒げるカイルに、アベルは駆け寄る。
「なあ。もし、もしも、勉強できるとしたら、お前、やりたいか」
「は? 何言ってんだよお前」
「勉強できる環境を、くれるって」
「お前、何吹き込まれたんだ。だれが俺たちみたいな人間に勉強なんて教えてくれんだよ」
「俺も、そう思うよ。ただ......」
うまく言葉にできず、カイルは言い淀む。そんな相方を見遣り、深々とアベルは溜息を吐いた。
「ほら」
手を差し出され、カイルはきょとんと眼を瞬く。
「行きたいんだろ......お前の勘はよく当たるしな」
カイルは瞳を輝かせた。
11という年齢は、自分が人への希望を捨てないでいられるぎりぎりの時だったと、カイルは後に語る。
「――おー、来た来た」
ユーリは瓦礫に腰かけて足をぶらぶらさせていた。硝子細工を渡すと、満足げに頷いた。
「さあ、答えを聞かせてもらおうか」
「......お前を信じる。だが、もし約束を破ったときには、二狼が牙をむくぞ」
騎士を選任でも動員させられるというユーリにとって脅しでもなんでもなかっただろうが、おお怖い、と大げさに身震いして、ユーリは笑った。
「では、ついてきてくれ」
連れていかれたのは教会だ。知った顔の司祭が顔を出す。
「ミック司祭、手筈通りに」
「承知いたしました」
ユーリは勝手知ったる様子で中に入る。
「さて。これが君たちの教本だ。私のお古で申し訳ないんだが。文字、算術、宗教、歴史、地理については、司祭が教えてくれる。それ以上の高等学問が学びたければ言ってくれ。それぞれ教師を手配する」
これは第二王朝の歴史本、と手際よく広げられていく本を、ふたりは呆然と見つめた。本は、貧民は一生お目にかかれないものだ。高価というほどではないが、生活必需品ではないので、触ったことさえなかった。
震える手で教本に手を伸ばす。書いてあることなんて全く分からないけれど、それでも、本当に学習できるということが、触れた感触で分かった。
「......いい、のか」
「?」
「生きて、いいのか」
絞り出すようなアベルの声に、ユーリは言葉ではなく行動で返事をした。
「いったあ!」
頭突きである。
「誰もが生きる資格を持っている。課された責任は立場によってそれぞれ異なるけれど、それでも意欲がある者の前途を妨げていい理由にはならないと、私は思う」
まじめにやるか、という問いに、アベルもカイルも一も二もなく頷いた。
その日から、小さな勉強会が始まった。
寂れた教会での勉強会は次第に人数を増した。当然のことだろう。課題をこなせばご飯が食べられる。ご飯を目的に集った貧民たちは、次第に自ら学ぶようになった。
読み書きができるようになった青年が王都で定職についたのを皮切りに、貧民たちは王都の内外で働き始めた。自ら商店を開く者もいて、貧民街には次第に活気が満ちてきた。貧民の変わりように驚いた平民がその原因である寂れた教会を訪れ、高度な教育内容に顎を落として子供を通わせ始め、次第に寂れた教会は学舎として定着するようになった。時々、見なりのいい男が見に来ることさえあった。
中でも成績トップを争っていたのが、カイルとアベルである。二人は街で仕事を得ていたが、仕事帰りに必ず寄って、遅くまで勉強してから帰っていった。分野を法律と医学に絞り、勉強内容が分かれた後も、二人は切磋琢磨しながら学んだ。
実に、ユーリと出会って3年が経っていた。
そんなある日のことである。カイルとアベルが黙々と勉強していると、背後からお疲れ様、と声がした。振り向くと、ユーリが立っていた。
「「ユーリ」」
「邪魔してごめんね。今、少し時間ある?」
「いいぞ」「構わない」
ユーリは居住まいを正して座った。
「二人とも、今の夢は何?」
「医者」
カイルがすぐに答えたのに対し、アベルは答えなかった。カイルに促され、不貞腐れた様子で答える。
「……官吏」
「アベル」
「わあってるよ、無理だって。でも、ユーリが作ったみたいな学校をいろんな場所に作れたら、俺たちみたいなやつはいなくなるんじゃないかって思ったんだ」
「……俺も似たこと考えてるよ。偉い医者になって、医療機関を作れたらって。まあ無理だから、資格なしの町医者やるけど」
「だと思った」
ユーリは笑った。
「あのね、二人とも。いいお知らせがあるの。来年、平民にも官吏・医師登用試験に門戸が開かれることになりました」
「「……は?」」
「ただし、色々と条件があってね。貴族の後ろ盾があること。合格者がひとりもでなければ再来年以降は貴族のみに戻すこと」
それでもよければ受けてみない?とユーリは笑った。
「「受ける!」」
意気込んで答えてから、二人して肩を落とした。
「って……貴族の後ろ盾なんてねぇよ」
「安心して。既に20人ほど後ろ盾となる貴族を確保してる。まぁ、いざとなったら私でもいいけど……私だと微妙だから」
「にじゅうにん?」
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「気のせいじゃないよ。スペンサー公爵、フィーラン公爵、ハーディ辺境伯、バルテレミー侯爵。まだまだ序の口だけど」
「はぁ!?」
「たまに来てたおじさんたちよ」
「マジかよ!」
「つーかお前、何者……?」
内緒、とユーリは口に手を当てて密やかに笑った。
――翌年。
晴れて登用試験に合格したふたりは、その他の平民合格者と共に王宮の門をくぐった。後ろ盾が大物なので、いちゃもんをつけてくる貴族もあまりいない。胸の内で快哉を叫びながら、それぞれの仕事場へ向かう。
カイルは見習い医師として、王妃の主治医であるフィッシャーズ医師の弟子となり、アベルは内務大臣のスペンサー公爵の元で働くことになった。予想以上の好待遇に何の裏があるのだと身構えていたふたりの疑問は、数日後に氷解する。
「妃殿下、弟子のカイルと申します。以後妃殿下のおそばに仕えることとなりました」
「カイルと申します。平民なので、家名はございません」
「カイルね。顔をお上げなさい」
首を傾ぐ仕草に、既視感を覚えた時だ。王妃の唇が音を立てぬままに動いた。
まっ、て、た、よ。
なぜだろう。その瞳を見たことはなかったのに、髪色も違ったのに、直感した。
ユーリだと。
思わずその名を呼びかけると、ユーリはいつかのように口元に手を当てた。
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「どっきり成功?」
大成功だよ、とは、どちらが呟いたのか分からぬ一言だった。
あれから、1年半。王宮での狙撃事件後、急速に練られた王位転覆計画は、とうとう実りを得た。彼女が蒔いた種は、これから大きく花を咲かせるだろう。
――ユーリ。
もはや呼ぶことも許されなくなった名を、心の中で呼ぶ。
――ありがとう。
返しても返しきれない恩の積み重ねを、来年には去る君にどうしていけばいいだろう。
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