王妃が死んだ日

神喰 夜

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本編

第三夜(Ⅱ)

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「次代の王妃についてだが——継承順位第1位、オリヴィア・リリー・クレスウェル姫は14歳。結婚まで1年の月日を要する。同第二位のスペンサー公爵令嬢、アビゲイル・ラトクリフは12歳。こちらもまだ、成人に3年の月日を要するそこで我々国王は、グリーンハルシュ侯爵令嬢・マーガレット・ファロン嬢を推す」

そこで一旦、トバイアスは言葉を区切った。

「グリーンハルシュ侯爵令嬢の功績は皆が認めるところだろう。王妃としてこれ以上相応しい人物はいないことと思うが、皆はどうか」

これには反論意見は出なかったのだが、思わぬところから手が上がった。

「—グリーンハルシュ小侯爵、発言を許そう」
「有難く」

フェリックス・エヴァンズ=ファロン。王妃候補であるマーガレット・ファロンの第一夫。昨日、執務室にやってきたフェリックスと同一人物である。

「万一王妃として推された場合に、とマーガレットより言伝を預かって参りました。この場で述べても構わないでしょうか?」
「……許そう」

嫌な予感がしたが、断る理由も思いつかなかった。フェリックスは有難く、と言って懐から紙を取り出す。

「—私が王妃に即位するのであれば、オリヴィア姫様が成人した暁にはその座を受け渡すことを強く希望する。その間、私に娘が生まれていたとしても、その子に位を継がせることは考えていない。この要望を承諾いただけないのであれば、王妃の地位に就くことはできない」

他の貴族たちが呆気に取られているのを他所に、フェリックスはにこりと微笑んだ。

「—とのことです」
「ま、待て! 1年後には退位するだと!?」
「はい。自身に王家の血が流れているとはいえ、それは3代前の王妃殿下の妹という遠縁に過ぎない。紫眼を受け継いだわけでもなく、到底王妃たるに相応しいとは思われない。ゆえ、オリヴィア姫様が成人なさるまでの中継ぎとして立つ、と」
「中継ぎだと……?」

血統の完全変更を予想していたトバイアスたちは大いに戸惑った。
マーガレットが女にしては珍しいほどに権力に固執していないことは知っていたが、まさかオリヴィア姫が立つまでの中継ぎという名目で位を継ぐと言い出すとは思っていなかったのだ。

「……血を繋ぐ気はないと」
「はい。王妃にとなるならばグリーンハルシュ侯爵家の後継という立場を返上するだろうが、退位した折にはグリーンハルシュ侯爵夫人となりたいと申しておりました」

トバイアスは正直、拒否したかった。中継ぎの王妃など例がないし、何よりマーガレットは誰よりもーそれこそユリアーナよりも王妃に相応しいと思っているから。
だが、それがマーガレットの望みだというのならば拒むことはできなかった。この国において女性の願いは命令と同義。トバイアス自身、自分の願いを絶たれて悲しむマーガレットを見たくはなかった。

「……グリーンハルシュ嬢の意見はよく分かった。では、グリーンハルシュ嬢を中継ぎの王妃とし、オリヴィア姫様が成人なさった暁には、オリヴィア姫様がその位を継ぐ——グリーンハルシュ嬢の処遇に関しては、その時にまた意見を聞きたいと思うが、グリーンハルシュ小侯爵、良いだろうか」
「はい。我が妻マーガレットも、快諾してくれることでしょう」

フェリクスは恭しく頭を下げた。

「皆も、良いか」

反対の意見が出るかと思ったが、意外にもそれはなかった。やはり皆、女性のーとりわけマーガレットの願いを叶えようとする。

「——では、そのように。王妃の死は、決して口外せぬよう。これにて御前会議を終わる」
「「「「は」」」」

皆が一斉に頭を下げる。トバイアスたちは連れ立って席を立った。
廊下を歩きながら、ジェレミーはやれやれ、と首を振った。

「——まさか、メグがあんなこと言うなんてな」
「ああ。だが、マーガレットの望みならば致し方あるまい」
「はは……グリーンハルシュ嬢も、本当に欲がありませんよね」
「全くその通りだ」

マーガレットのことについて話に花を咲かせていると、後ろから声をかけられた。

「国王陛下」
「――ウォルポール侯」

フェリックスの父親だった。

「少々お話よろしいでしょうか」
「あぁ。場所を移そうか」

執務室まで行き、トバイアスらはソファに腰かける。

「何の用だ、ウォルポール侯」
「お聞きしたいのです。陛下は本当に、マーガレットを1年後に退位させてくださるのか」

ウォルポール侯は自分が娘に恵まれなかったこともあってか、マーガレットを猫かわいがりしている。

「......本音を言えばそうしたくはない。オリヴィア姫よりもアビゲイル姉上よりも、マーガレットの方が王妃に相応しいと思う」
「儂もなのです。一度王妃として即位してしまえば、退位を引き留める声が大きくなるのではないかと......」
「否定できんな。マーガレットも、乞われたら王妃継続を引き受けてしまうかもしれない」
「そうなのです、それが心配で」
「その事態になることを避けるなら、誓約書が必要だな。今度マーガレットに聞いておこう」
「ありがとうございます、陛下」
「変わらず過保護だな、侯は」

ウォルポール侯は苦笑する。

「昔からなのですが、一年前の事件以来、どうにもその傾向が強くなってしまったようで」
「あぁ......無理もない」

1年前、亡き王妃とマーガレットが王宮内で襲われるという事件があった。マーガレットは当時懐妊中で、王宮の宮医を総動員して母子ともども命をつないだ。

「侯も早く孫の顔を見られて幸いだったな」
「そうですな。まだまだ孫が欲しいところですが。女孫だったらなおよい」

贅沢だな、と笑い、トバイアスはウォルポール侯を見送った。

「全くうらやましいな、メグを娘に持つとは」

トバイアスは脳裏に父親の姿を思い描く。ラトクリフ公爵である父親は、トバイアスの結婚が決まったときも、マーガレットの結婚が決まったときも、平静を保っていた。唯一取り乱したのは、1年前の事件の時だ。先程の会議にもいたが、顔色ひとつ変えぬまま、すぐに退出していた。

「ところで兄上、上王陛下たちや王太后殿下から何か連絡はございましたか?」
「……ああ」

トバイアスは眉根を寄せた。それもまた、気に掛かっていることのひとつであった。

「その様子を見るに、どうやら色良い返事は貰えなかったのですね?」
「いや……そういうわけでは、ない」

ユリアーナの遺体が見つかってすぐ、トバイアスは伝書鳩を放った。先の国王夫妻である上王・王太后は王国の南方・サザランドにある南の離宮で暮らしているが、3日もあれば伝書鳩が往復するには十分な時間である。

「ではなんと?」
「———好きにせよ、と」
「え、嘘だろ⁉︎」

ジェレミーは素っ頓狂な声を上げた。
無理もない。二人の上王は、成さぬ娘であるユリアーナと、血のつながらない姪であるオリヴィアを、目に入れても痛くないほどに可愛がっていたから。
ユリアーナが自死したこと、オリヴィアではなく、マーガレットを次の王妃に据えたいことを書いたのだから、猛反発は覚悟していた。だからこそ、ただひと言ー好きにせよ、とだけの返答に拍子抜けしたし、暗号でも書いてあるのではないかと手紙をひっくり返したり炙ったりもしたのだ。

だが、何もなかった。

それが、トバイアスには薄気味悪く思えた。

「好きにせよ、ですか……これはまた……」

ユージンは口元を手で覆った。
トバイアスも同じ気持ちであった。

「折を見てこちらに来る、とのことだったが、正確な期日は教えていただけなかった」
「左様でしたか……」

執務室に入り、二言三言言葉を交わしていると、勢いよく扉が開いた。思わぬ暴挙に驚いてそちらを見れば、栗色の髪に、赤みがかった紫の瞳を持つ少女が仁王立ちしていた。

「オリヴィア姫」

オリヴィア・リリー・クレスウェル。ユリアーナの従妹、【正統の姫】と呼ばれる姫だ。

「お邪魔しますわ、陛下」

にっこりと笑ったオリヴィアは、国王であるトバイアスたちに対して礼をするでもなく、つかつかと部屋に入ってきた。

「……オリヴィア姫。事前に訪問を聞いていたら、部屋を用意したのだが」
「勝手に押し掛けたのはこちら、お気になさらず。それよりも、あたくし、聞きたいことがございますの」

取り敢えず座らせていただきますわ、と言い放ち、客人はソファに腰掛けた。

「聞きたいこととは何だろうか」

ユリアーナとは色彩の異なる紫色の瞳を細めて、オリヴィアは問うた。

「お姉様が死んだとは、何の冗談かしら」
「冗談なんかじゃない。ユリアーナは死んだ」

ジェレミーがムッとしながら言うと、オリヴィアは手に持っていた扇で口元を隠した。

「へぇ? あたくしが聞いたところによると、風邪を拗らせて、更に流産して、死亡……となっているけれど、これは嘘よね? だってお姉様は妊娠なんてしていなかったもの」
「姫は知らなかっただろうが、ユリアーナは確かに妊娠していてー」
「お姉様があたくしに大事なことを教えてくださらないなんてことはあり得ないわ。だから尋ねているの。一体何の冗談なのかしら?」
「冗談ではない。明後日には国葬が行われる。上皇陛下たちもご存知のことだ」
「公布を明日行うとは聞いていなくてよ? それこそ正にお姉様が死んでいない証拠でしょう」

自信満々にオリヴィアは言い放った。トバイアスたちはオリヴィアに冷めた視線を送る。

「ーユリアーナが望んだことだ。公布は十日後にせよ、と」
「……へ」
「あとで正式に話を通そうと思っていたが、今この場で言ってしまおう。次の王妃はマーガレット・ファロンだ」
「何ですって!? あたくしとアビーを飛ばすというの!?」
「話は最後まで聞いてほしい。そなたが成人したら、マーガレットは位を譲るとのことだ」

オリヴィアは眉間に皺を寄せた。

「随分とまぁ雑な仕事ね。どうせ在位中に娘が生まれたら、そちらに血統を移すつもりでしょう? あぁ、位を譲るというのはグリーンハルシュ嬢の発案ね? 益々信じられなくてよ」
「オリヴィア、いくらそなたでも許容できる発言と出来ない発言がある」
「これは失礼。陛下らの決定を疑うつもりはないわ。けれどそういった可能性を含めて、上王陛下や王太后殿下は王位継承を承諾なさっているのかしら?」
「上王ご夫妻も承諾なさっている」
「あら」

オリヴィアは軽く目を見開いた。

「そういうわけだから、王位継承については心配いらない」
「理解したわ。ところで、お姉様の遺体はどこにあるのかしら?」
「西宮の側の廃使用人塔だ」
「そう。では入らせてもらうわ」
「オリヴィア姫」
「すぐに出るから心配なさらないで結構よ」

淡々と言い、オリヴィアは立ち上がった。

「執務の邪魔をしたことをお詫びするわ。ご機嫌よう」

トバイアスたちは全くご機嫌ではなかったが、気を付けて、と返して席についた。

「……オリヴィア姫の婚約者は決まっておりましたっけ」
「ユリアーナがいたから他国の降嫁先を探していたが……こうなっては国内から婿を取る他あるまい。調べを頼めるか、ユージン」
「分かりました」
「しっかしあれだな、怒ったかと思えば唐突に冷静になる。正しく気まぐれ姫だ」
「ジェレミー」

ユージンが低くジェレミーの名前を呼ぶと、ジェレミーはビクッと肩を震わせた。

「す、すまない、兄さん」
「最近失言が多い。気をつけるように」
「はい」

ユージンはそう言うと、早速調べてきます、と言って執務室を出て行った。残された2人は、一先ず書類を片付けるべく、ペンを取るのだった。




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