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本編
第一夜
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トバイアスの妻であり、クレスウェル王国王妃、ユリアーナ・ウィステリア・クレスウェルが崩御したのは、2日前の夜のことであった。唐突な死に、国王たちは後処理に追われていた。
「全く、最期まで厄介な……」
書類を片付けながら、思わず口から零れ落ちたのは、妻の死に対する率直な本音。それを聞いて、隣に座るトバイアスの長弟・ユージンが苦笑した。
「言わないでくださいよ、兄上」
「言いたくもなるだろう――国教で禁じられている自害をしたのだぞ、あの女は」
そうー王妃の死因こそ、トバイアスたちが後始末に追われている最大の要因であった。クレスウェル王国国教、ゾア教では、自害を固く禁じていた。それを、国の象徴たる王妃が破ったのである。死因の隠滅に彼らは忙殺されていた。
「ましてやこんな遺書まで残してな」
—私の死の公布は、私の死後10日経った日にすること。
つまり今日からちょうど8日後である。
「そんなことできるわけねぇだろ。腐るに決まってんじゃんか。そんなことも分かんねぇのかよ」
「どうせ何も考えなかったんだろう」
「ったく、最期まで碌なことしねぇな」
「ジェレミー、そんなことを言うものではありませんよ」
末弟・ジェレミーをユージンが宥めるのを聞きながら、トバイアスは言った。
「私の仕事はそろそろ終わるが、お前たちはどうだ」
「あと少しですよ」
「げっ、マジか!まだ半分も終わってねぇ」
「ジェレミー、あなたは口よりも手を動かしなさい」
「へーい」
執務室には再び沈黙に包まれる。トバイアスの仕事が終わりかけたところで、パタパタと忙しない足音が響いてきた。
「トバイアス、ユージン、ジェレミー!」
「メグ」
トバイアスたちの名を叫びながら執務室に入ってきたのは、トバイアスたちのはとこにあたるグリーンハルシュ侯爵家令嬢、マーガレット・ファロンだった。既に昨年男児を出産しているが、20歳の溌剌とした美貌には全く変わりがない。ジェレミーは喜色満面に立ち上がり、マーガレットの元に駆け寄る。
「メグ、どうしたの?」
「どうしたの、ってこっちの台詞よ! アナが死んだってどういうこと!」
マーガレットは激昂した様子で言った。どこから話が漏れたのか。箝口令を敷いたはずなのだが。
「言葉のままだ。ユリアーナは死んだ。突然のことだった」
「騙されないわよ。アナはつい最近まで元気だったもの。何があったの? まさか暗殺されたなんて言うんじゃないでしょうね?」
「違う」
「なら一体何だというの!」
「だから病だと」
「そんなのありえないでしょ! ほんとだって言うなら診断書見せてよ!」
「それは……」
トバイアスは口籠る。王妃の記録は王妃と許された者しか見られない。そして管理場所も王妃に委ねられている――その場所を、トバイアスたちは知らなかった。マーガレットの夫たちがバタバタとやってきた。
「メグ、早いよ」「置いていかれるかと思った」「落ち着けマーガレット」「妊娠してるのに危ないぞ」「め、めぐ……。は、はやい……」
「……まさかとは思うけど、自殺なんてことはないでしょうね?」
「自殺? ちょっと待ったメグ、妃殿下は自殺したのかい?」
マーガレットの夫であるフェリックスが食い気味に尋ねた。フェリックスはマーガレットのはとこであり、トバイアスやユリアーナとも遠縁にあたる。次期王になるであろう男だ。
「最近様子がおかしかったもの。話しかけても素っ気なくて、妊娠を伝えた時なんて顔が真っ青だったんだから! ねぇトビー、アナは自殺したの!?」
観念して、トバイアスは頷いた。
「既に確認が取れている」
「そんな……!」
「信じられないのも仕方ねぇよ。でも、ユリアーナは自殺したんだ」
ジェレミーはぶっきらぼうに言う。
「なぜ!」
「それは僕たちが知りたい。王妃としてこの国の頂点にいたというのに、何が不満だったのか、僕たちには分からない」
「馬鹿! アナに寄り添うべき夫であるあなたたちがそんなんでどうするの!」
これに関しては3人とも沈黙を貫いた。フェリックスたちが気遣わしげにトバイアスたちを見遣る。
「……もう終わったことだ。それよりマーガレット」
「終わったことですって⁉︎ ふざけないでトビー! アナが死んだ原因も分からないくせに!」
「マーガレット落ち着いて。トバイアスたちも忙しいんだよ。王妃が自殺したなんて知れたら、ゾア教から破門されてしまう」
マーガレットも事の深刻さは理解しているのだろう、唇を噛み、それでも満足できないと言わんばかりに再び口を開いた。
「でも!」
「落ち着いたら調査するんだろう、勿論?」
「当たり前だ。だがひとまずお前たちに王位を渡すまではー」
「いいえ」
マーガレットはトバイアスの言葉を遮り、言い放った。
「アナの自殺の原因を突き止めるまで、わたしは王妃にならないわ」
「マーガレット!」
全員が声を上げた。この国の王家は王の血を継ぐ姫が王妃となり、姫の夫たちが王となる事で成り立ってきたのだ。譲位も速やかに行われてきた。長くて、ユリアーナの遺言に従った2週間。これを覆さずに自殺の原因を突き止めることは、彼らには不可能に思われた。
「ダメよ。これはわたしからの条件。嫌なら他を当たってちょうだい。ほら、オリヴィア姫もいるでしょ」
オリヴィアとはユリアーナの従妹で、王位継承権第一位の姫だ。母親が出産時に亡くなったため、先代王妃が引き取り、ユリアーナの妹として養育された。
「オリヴィア姫は未成年だ。マーガレット、国のためには」
「分かってるわ、国の為には早く王と王妃が必要だって。でもね、それでも、譲れないことはあるの」
マーガレットは決定、とばかりに手を叩く。直後、顔を青くしてフラフラと扉の方へ向かった。
「マーガレット!」
「大丈夫、ちょっと眩暈がしただけ……」
「あんなに走ったりするからだよ、馬鹿」
「馬鹿とは何よ馬鹿とは」
「ほら、早く帰ろう」
「トバイアス、引き継ぎの件はまた今度」
嵐のようにやってきたマーガレットたちは、嵐のように去っていった。執務室には、重たい空気と書類の山が残された。
「はぁ……メグがあんなこと言うなんて……ま、やるしかないか」
ジェレミーが溜息混じりにいったことに、トバイアスとユージンは苦く頷いた。
「全く、最期まで厄介な……」
書類を片付けながら、思わず口から零れ落ちたのは、妻の死に対する率直な本音。それを聞いて、隣に座るトバイアスの長弟・ユージンが苦笑した。
「言わないでくださいよ、兄上」
「言いたくもなるだろう――国教で禁じられている自害をしたのだぞ、あの女は」
そうー王妃の死因こそ、トバイアスたちが後始末に追われている最大の要因であった。クレスウェル王国国教、ゾア教では、自害を固く禁じていた。それを、国の象徴たる王妃が破ったのである。死因の隠滅に彼らは忙殺されていた。
「ましてやこんな遺書まで残してな」
—私の死の公布は、私の死後10日経った日にすること。
つまり今日からちょうど8日後である。
「そんなことできるわけねぇだろ。腐るに決まってんじゃんか。そんなことも分かんねぇのかよ」
「どうせ何も考えなかったんだろう」
「ったく、最期まで碌なことしねぇな」
「ジェレミー、そんなことを言うものではありませんよ」
末弟・ジェレミーをユージンが宥めるのを聞きながら、トバイアスは言った。
「私の仕事はそろそろ終わるが、お前たちはどうだ」
「あと少しですよ」
「げっ、マジか!まだ半分も終わってねぇ」
「ジェレミー、あなたは口よりも手を動かしなさい」
「へーい」
執務室には再び沈黙に包まれる。トバイアスの仕事が終わりかけたところで、パタパタと忙しない足音が響いてきた。
「トバイアス、ユージン、ジェレミー!」
「メグ」
トバイアスたちの名を叫びながら執務室に入ってきたのは、トバイアスたちのはとこにあたるグリーンハルシュ侯爵家令嬢、マーガレット・ファロンだった。既に昨年男児を出産しているが、20歳の溌剌とした美貌には全く変わりがない。ジェレミーは喜色満面に立ち上がり、マーガレットの元に駆け寄る。
「メグ、どうしたの?」
「どうしたの、ってこっちの台詞よ! アナが死んだってどういうこと!」
マーガレットは激昂した様子で言った。どこから話が漏れたのか。箝口令を敷いたはずなのだが。
「言葉のままだ。ユリアーナは死んだ。突然のことだった」
「騙されないわよ。アナはつい最近まで元気だったもの。何があったの? まさか暗殺されたなんて言うんじゃないでしょうね?」
「違う」
「なら一体何だというの!」
「だから病だと」
「そんなのありえないでしょ! ほんとだって言うなら診断書見せてよ!」
「それは……」
トバイアスは口籠る。王妃の記録は王妃と許された者しか見られない。そして管理場所も王妃に委ねられている――その場所を、トバイアスたちは知らなかった。マーガレットの夫たちがバタバタとやってきた。
「メグ、早いよ」「置いていかれるかと思った」「落ち着けマーガレット」「妊娠してるのに危ないぞ」「め、めぐ……。は、はやい……」
「……まさかとは思うけど、自殺なんてことはないでしょうね?」
「自殺? ちょっと待ったメグ、妃殿下は自殺したのかい?」
マーガレットの夫であるフェリックスが食い気味に尋ねた。フェリックスはマーガレットのはとこであり、トバイアスやユリアーナとも遠縁にあたる。次期王になるであろう男だ。
「最近様子がおかしかったもの。話しかけても素っ気なくて、妊娠を伝えた時なんて顔が真っ青だったんだから! ねぇトビー、アナは自殺したの!?」
観念して、トバイアスは頷いた。
「既に確認が取れている」
「そんな……!」
「信じられないのも仕方ねぇよ。でも、ユリアーナは自殺したんだ」
ジェレミーはぶっきらぼうに言う。
「なぜ!」
「それは僕たちが知りたい。王妃としてこの国の頂点にいたというのに、何が不満だったのか、僕たちには分からない」
「馬鹿! アナに寄り添うべき夫であるあなたたちがそんなんでどうするの!」
これに関しては3人とも沈黙を貫いた。フェリックスたちが気遣わしげにトバイアスたちを見遣る。
「……もう終わったことだ。それよりマーガレット」
「終わったことですって⁉︎ ふざけないでトビー! アナが死んだ原因も分からないくせに!」
「マーガレット落ち着いて。トバイアスたちも忙しいんだよ。王妃が自殺したなんて知れたら、ゾア教から破門されてしまう」
マーガレットも事の深刻さは理解しているのだろう、唇を噛み、それでも満足できないと言わんばかりに再び口を開いた。
「でも!」
「落ち着いたら調査するんだろう、勿論?」
「当たり前だ。だがひとまずお前たちに王位を渡すまではー」
「いいえ」
マーガレットはトバイアスの言葉を遮り、言い放った。
「アナの自殺の原因を突き止めるまで、わたしは王妃にならないわ」
「マーガレット!」
全員が声を上げた。この国の王家は王の血を継ぐ姫が王妃となり、姫の夫たちが王となる事で成り立ってきたのだ。譲位も速やかに行われてきた。長くて、ユリアーナの遺言に従った2週間。これを覆さずに自殺の原因を突き止めることは、彼らには不可能に思われた。
「ダメよ。これはわたしからの条件。嫌なら他を当たってちょうだい。ほら、オリヴィア姫もいるでしょ」
オリヴィアとはユリアーナの従妹で、王位継承権第一位の姫だ。母親が出産時に亡くなったため、先代王妃が引き取り、ユリアーナの妹として養育された。
「オリヴィア姫は未成年だ。マーガレット、国のためには」
「分かってるわ、国の為には早く王と王妃が必要だって。でもね、それでも、譲れないことはあるの」
マーガレットは決定、とばかりに手を叩く。直後、顔を青くしてフラフラと扉の方へ向かった。
「マーガレット!」
「大丈夫、ちょっと眩暈がしただけ……」
「あんなに走ったりするからだよ、馬鹿」
「馬鹿とは何よ馬鹿とは」
「ほら、早く帰ろう」
「トバイアス、引き継ぎの件はまた今度」
嵐のようにやってきたマーガレットたちは、嵐のように去っていった。執務室には、重たい空気と書類の山が残された。
「はぁ……メグがあんなこと言うなんて……ま、やるしかないか」
ジェレミーが溜息混じりにいったことに、トバイアスとユージンは苦く頷いた。
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