その恋は実らず

神喰 夜

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春 月が綺麗ですね

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全4話、完結まで執筆済み。




ーーーーーーーーーーー


最近、図書館の主たちは恋をしているらしい。
ストレートヘアの主はスマホを見て微笑んでいるし、天然パーマの主はほう、と溜息を吐いている。内容については黙秘されているし、聞き出すつもりもないけれど、6年間主としてこの椅子に座り続けた彼女たちの春だと思うと胸が温かくなる。
――卒業かぁ。
司書としてこの学校に赴任したのは6年前。主たちと同じ年にやってきて、入学から6年間見守った学年が卒業するのは、これが初めてだ。訪れる門出が嬉しいと同時に、どこか寂しくもある。例年のごとく新たな主たちもやってきているが、彼女たちには遠く及ばない。
微笑ましくふたりを眺めていると、次の世代の主がやってきた。

「先輩方、勉強はいいんですか」
「いまやりまぁす」

生返事をしてストレートヘアの主がスマホを仕舞う。あーー、と深々と溜息を吐きながら取り出したのは、彼女の志望校の過去問だ。

「だるい。ガチだるい。もー受験嫌い」
「受験好きなんて言う人いないでしょ」
「まぁねぇ」

天然パーマの主は帰り支度を始める。その傍らでぶつくさ言いながら、ストレートヘアの主がシャーペンを走らせた。そんなふたりを苦笑いしながら、次の世代の主が見つめている。
「閉館よー!」「やだー!」と騒ぎ立てる2時間後の未来にはまだ遠い、温かな風景だ。




悠陽はるひが司書として働き始めたのは、大学卒業後すぐだ。初めは地域の図書館に二年勤めて、それからこの学校に移った。進学校と名高い学校、生徒たちはどんな感じかと身構えたが、まず出会ったのが前の世代の主たちだ。当たり前のように図書館カウンターで勉強していく彼らは、前任の司書の方を惜しみつつ、暖かく悠陽を迎えてくれた。貸出、返却手続きを済ませ、配架を手伝ってくれる彼らは、慣れない悠陽を大いに助けてくれた。
なんていい子たち、と感動しつつ迎えた次の主は、入学したての中学一年生だ。ストレートヘアと天然パーマ、背が高いと小さい、運動ができると音楽が出来る。
色んな面で真逆な彼女たちは、図書館カウンターでこっそりお菓子を食べ、貸出手続きを勝手に済ませては姿を晦まし、延滞者を見つけては笑顔でにこにこ毒を吐いていた。主な犯人はストレートヘアの主で、天然パーマの主は止めきれていない、という感じだったが。
学年が上がるにつれカウンターで勉強することが増えて、閉館間際の攻防は、もはや日常茶飯事と化した。当直の先生はなかなか図書館までやってこないのである。

「こぉら!   時間だぞ宇津木うつぎ
「げー、暑苦しい先生来たー」
「ひと言余計だお前」
「さーせん(´>∀<`)ゝ」
「思ってねぇだろ!!……悪いな駒込こまごめ、こいつが毎日のごとく」
「大丈夫、慣れたから……」
「宇津木ぃいいい」
「なはは」

数少ない例外であり、ストレートヘアの主の担任でもある滝正孝たきまさちかが拳を頭に落とすと、漸くストレートヘアの主は片付けを始める。

「せんせーい、頑張った私にご褒美のお菓子とかくれてもいいんですよ」
「ねーわんなもん。だいたいお前な、図書館業務を手伝うならまだしも……」
「先生今からお説教となると更に下校時刻が遅くなりますよ」
「誰のせいだ誰の」
「そんなに怖い顔してるとモテないですよ」
「じゃかましい」

もう一度拳を落として、滝はふかーく溜息をつく。

「いやでも、結婚はしてぇ」
「生徒の前でしみじみしないの」
「だって俺らもう三十路だぜ。ちったぁ焦るよ」

滝と悠陽は、同じ大学の同級生だ。司書と教師と、道はわかれたけれど、十年来の付き合いで、それなりに仲良くしている。

「まぁねぇ」
「恋バナですか付き合いますよ」
「おめーは囀るだけだろうが。とっとと帰りやがれ」
「ぶーぶーけちー」

主が帰ると、直ぐに電気を消して悠陽も靴を履いた。

「悠陽」
「駒込先生、ね」
「今日、呑んでかねぇか」

きゃらきゃらと、上の階から子供たちの笑い声がする。

「いいよ」

自分がどんな顔をしているのか、悠陽にはよく分からなかった。




悠陽と滝の最寄り駅は同じ路線の隣だ。必然的に、中間地点で飲むことが多かった。

「ハイボールとレモンサワーひとつずつ」
「おつまみはきゅうりの酢の物と唐揚げで」

流れるように互いのものも含めて注文する。何度もサシ飲みすれば覚えようというものだ。
話題は図書館の主のことから始まり、とりとめもなくあちらこちらへと移った。酔いが回ってきたところでお開き、これがいつもの流れ。

「悠陽」
「んー?」
「考えとけよ」
「んー」

生返事をして店を出る。初夏とは名ばかりの、まだ冷えた風が頬を撫でた。
ー結婚、子供、仕事、老後。
敷かれたレールを歩めばいいと思っていた子供の頃。一度レールを外れたら、どう戻ればいいのか分からなくなってしまった大人の今。
ー尊。
心の中で呟くのは、八年前に死んだ悠陽の婚約者だ。悠陽と滝、たけるを加えた三人が、大学で同じ文学サークルに所属していた。物静かで控えめだけれど、人の為になら声をあげられる人だった。彼の穏やかな笑い方が、悠陽は好きだった。「月が綺麗ですね」なんていう真っ赤な顔での告白も、愛しくて仕方なかった。
大学を卒業したら、籍を入れよう。
そんな約束をしたのに、卒業式の前々日に尊は事故で死んだ。遺体を見ても葬式に出ても実感が湧かなくて、ただぼんやりと日々を過ごしていた。せっかく決まった図書館の就職も、春先は全然足が向かなかった。半ば滝に引き摺り出されるように家を出て、初めて季節が移り変わろうとしていることを知った。
なぜかその時、尊が死んで初めて泣いた。
喪ったのだと、その時理解したのかもしれなかった。
それから悠陽は仕事に打ち込んだ。友達が結婚して子供の話をする中でも、そんな気は起きなかった。恋の仕方を忘れてしまったかのようだった。滝は良い奴だと思うけれど、それだけ。甘酸っぱい、胸踊るような気持ちは、きっと尊と共に死んでしまったのだ。いつか思い出せるのかもしれないけれど、思い出さなくてもいいような気がしていた。
たける、と胸の中で三つの音をなぞる。深酒したせいかやや覚束ない足取りで歩いていると、踊りたくなってきた。根っからの文化部だった悠陽は、踊りなんて習ったことがないから、傍目から見ればただの千鳥足だろうが。街灯の少ない道を、悠陽は踊るように歩いた。

好きを捨てたわけでは、たぶんない。けれど、尊を想い続けているのか、楔としているのか、と問われると、そういうわけでもないような気がする。

では何故恋人をつくらないのか、と言われると、返答に窮するけれど、人の感情がひと言で説明できないように、これも難解な答えがあるのだろう。

かつ、と靴音が静かな住宅街に響いた。見上げると、綺麗な月が出ていた。いつかの告白の時の月によく似ていた。
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