スパダリ社長の狼くん

soirée

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第五章

十八話

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 焦りながらも、この状況は瞬の想定内だった。落ち着け、と自分に言い聞かせて119へ繋ぐ。
 すぐにでたコールセンターの医師に今の状況を説明する。
「なるほど。意識はないんですね? 呼吸はしていますか?」
 尋ねられ、震える指を忍の口元にかざす。微かな呼吸がわかるのは、指先が忍の血で濡れているからだ。
「はい。呼吸はあります……」
「今も吐血は続いていますか?」
「い、え……今は……何も……」
「咳などはありましたか? または腹痛などは?」
「いえ……その、忍は……」
一瞬喉に力を込めて、声を押し出す。
「……末期の肺がんなんです。ステージ4の……」
「……そういうことでしたか。では救急隊員がそちらに到着するまでに部屋の動線を確保してください。患者さんの呼吸も気をつけて見ていてあげてください。万が一止まってしまったら、すぐに心肺蘇生をお願いします。
離島では十分なケアができませんので、患者さんは鹿児島の本土の病院へ搬送します。あなたは別便ですぐに追いかけられるよう手配をしておいてくださいね」
「俺は……一緒にいけないんですか?」
「医療ヘリでの搬送になりますので、最低限の乗員でなければならないんです。それに患者さんの荷物をまとめてもらわなくてはいけませんし。いいですか、気をしっかり持ってください」
 正すような声にドキッとする。そうだ、これで今生の別れになど絶対にさせない。一緒に東京に帰らなければ……忍を待っているのは、瞬だけではないのだから。
コールを切って、忍の手を握りしめる。まだ温もりはある。浅くはあるが、呼吸もしている。祈るようにその胸郭に額をつけて、心臓の鼓動を確かめる。
「……忍。頑張れ……一緒に東京に帰ろう、な」



 サイレンとともに赤い非常灯の光がログハウスに差し込む。動線を確保した部屋の中を救急隊が慌ただしく行き交う。瞬が間に合わせで着せた部屋着の忍は、救急隊員の手によってストレッチャーへと移されて、そのまま怒涛のように運ばれて行ってしまう。
 瞬の近くに歩み寄った救急隊員が、改めて事情を聞き直す。
「末期の肺がんですか……なるほど。患者さんのご家族はいらっしゃいますか?」
 確認の声に、瞬はまっすぐ顔を上げた。どう取られようと構わなかった。はっきりと断言する。
「俺です。受け入れてくれる病院が決まったらすぐに俺に連絡をください。最短で駆けつけます」
「分かりました」


 必要事項のやり取りをして、運ばれていく忍を見送る。
 救急隊員が帰って行った後のログハウスに残っていたのは、忍の抜け殻のような服とあわてて準備をしたせいで荒れた室内だけだった。ポツンと立ち尽くして、瞬は動かない頭を無理やり切り替える。
「俺が、しっかりしなきゃ……」
 小さく呟いて、忍と自分の荷物をまとめ上げる。食器も綺麗に洗って片付け、部屋に掃除機をかけた。
 ありがとうございました、と書き置きを残し、ログハウスを出る。
 レンタカーの中で鹿児島空港への発着便を調べ、朝一番の一便で出たキャンセルを抜かりなくおさえた。皮肉にも忍の秘書としての経験がこんなところで生きている。
忍の青白い顔を思い出しては焦燥感でおかしくなりそうなのをやり過ごし、レンタカーの窓を開けて以前忍から「僕はもう吸えないから」と渡されたパーラメントに火をつけた。
 深く吸い込んで、白み始めた水平線を眺めた。



 スライドドアが勢いよく開く。
 駆けつけた瞬が今にも泣き出しそうに顔を歪めるのを、柔らかく微笑んだ忍が迎えた。
 酸素チューブやバイタル、点滴に繋がれた大仰な姿とは裏腹に、忍の表情は軽やかだ。
 腕を広げておいで、と呼んでくれる忍の枕元で瞬が膝から頽れる。縋り付くように忍のベッドに上半身を投げ出して、シーツを握りしめた。
(……生きててくれた……間に合った……っ……)
 嗚咽を堪えて震える肩を撫でて、忍が礼を言う。
「ありがとう。君のおかげだ。よく頑張ったね……全部手続きを済ませてきてこの時間に来れたの?」
 瞬が無言で頷くのを髪を撫でて褒めてやる。
「すごいじゃないか。頼もしいね。Good boy、本当によく頑張ったね」
優しく笑う忍を見上げた瞬の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまっている顔を指先で拭う。
「生きて……て……くれてっ……あ、ありが……と……っ……うぅっ……」
 なんとかそれだけ言って泣き崩れてしまう瞬を忍が抱き寄せる。
「うん、君のおかげで僕はちゃんと生きているよ。不安にさせてしまってごめんね……一緒に東京に帰ろう」
 落とされた囁きに懸命に首を縦に振る。
 酸素チューブが邪魔でキスができないと笑う忍に、瞬も思わず笑う。
 きっと忍は瞬のために懸命に抗って持ち直してくれたのだ。帰らなくては……二人の部屋に。二人で。
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