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第三章
22話
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一日中無視を決め込む伊南へ届かない指示を出し続け、疲労困憊の顔をしながら瞬が玄関で座り込む。
靴を脱ぐというだけのことでへたり込んでしまう己が情けない。
隣で脱いだ靴を揃えながら忍がその髪を撫でてやる。
「なぁ、部下を育てるのってこんなに難しいのか……? 伊南が特殊なだけか……?」
ネクタイを解きながらとぼとぼとリビングへ足を向け、うなじを手のひらで何度も鳴らす。
「まぁ、中堅は一番難しい時期だね。部下と上司の板挟みになるから」
にゃーん、とふわふわの毛並みが瞬の足元に絡みつく。飼い主がどうであれ、腹が減ったと訴える猫を放置はできない。
今すぐソファに沈みたい体に鞭を打ち、手作りフードを用意する。こんな時は缶詰で育てていればよかったという気にもなるのだから案外人間は勝手なものだ。
早速食べ始める猫の頭を撫でてやり、ぐったりとソファへ寝転がる。
コの字型のソファの一面全てを占めてしまう高身長な瞬だが、その目は先ほどから忍の一挙一動をぼんやりと眺めていて離れない。とうに視線に気づいていた忍は、ネクタイを解いて第一ボタンとカフスボタンを外しながら瞬の頭側のソファへ腰を下ろした。髪を指先でくるくると弄んでやりながら小さく微笑んで見せる。
「……ん? 何か言いたいことがあるのかな」
瞬が僅かに忍側に這いずって移動し、その膝に頭を乗せて目を閉じる。時折感触を確かめるようにもぞもぞと動くその体をぽんぽんと指先であやしてやりながら、忍は素早くスマホで適当な料理をデリバリーで頼み、そっとその喉をくすぐってやった。
「甘えたい? 随分頑張ったからね。そろそろたっぷり甘やかしてあげなくちゃいけないかな?」
「待って。エロいことはしたくない……」
疲れたようにそう呟いた瞬の肩から二の腕にかけて安心させるようにさすってやる。
「よっぽど疲れているね、それは。いいよ。君の気が済むまで甘やかしてあげる」
瞬が上半身を捻り、忍の腰にしがみつく。サモエドのようだなとくすっと笑いながら忍が何度も髪を撫でながら疲れ切った恋人を労う。
「よく頑張っているよ。初めての部下がこんな曲者じゃ疲れてしまうのも仕方ない。僕たちが最初に見抜くべきだったのに本当にごめんね。君に皺寄せが行ってしまって」
「……けど、俺……なんか伊南のこと憎みきれねぇ。あいつがああなった原因って絶対に何かあるんだろうって……ただDomってだけじゃない気がするんだ」
瞬の言葉に忍は彼がDomであることを告げなかった理由を話すか悩む。
瞬にとってこれが伊南を受け入れられる唯一の理由のように感じられるのだ。Domという性質がただの玩弄のためにSubをとことん追い詰めるものだと知っても、伊南と同じ職場で耐えられるだろうか。
ただでさえ秋平と2人きりにしないでくれと駄々を捏ねたのも記憶に新しく、どうにも真実を告げるのが気が進まない。
「でも」
瞬のはにかむような、どこか誇らしそうな声に我に帰る。
「忍が助けてくれなきゃ危なかったのは確かだけど、俺はっきり言えたんだ。初めてあいつにまともに対等な口が聞けた。コマンドさえ落とされなきゃもっと穏便に終わったのに」
ふっと忍が頬を緩めた。額から髪をかきあげるように前髪を撫であげて、少し上を向かせる。そのままちゅっとリップ音を立てて瞼にキスを落とす。
「偉いね。よく頑張った。コマンドだって、あんなに抗えたのはすごいよ。前の君ならすぐに跪いていただろうに、本当に強くなったね」
恥ずかしそうに、しかしとても嬉しそうな顔で瞬は破顔する。
「透が言ってた。本当に信頼できるDomと契約を結んでるSubは他のDomからの命令をある程度拒絶できるんだってさ。俺があそこであいつの言うこと聞いたらお前に申し訳が立たねえよ」
くすっと笑った忍が瞬の鼻先をつつく。
「やっと君らしい顔と言葉になってきたね」
「え?」
きょとんとする青年にさもおかしそうな瞳で本人は全く気づいていなかった振る舞いを教えてやる。
「僕のことが怖いって同僚に泣きついたり、先輩の前で甘え切ってみたり。言葉遣いまで子供に戻ったみたいになっていて少し心配していたんだよ。今思えば赤ちゃん返りだったのかな?」
揶揄うように瞳を覗き込まれて、かあっと顔に血が昇る。
そう言われてみれば、あまりにも子供っぽい言動をしていた気がする。いくら忍の元で甘やかされてきた期間が長いとはいえ、本来の己を見失っていたのだとやっと気づく。
居た堪れない思いでふいっと顔を背けると、慰めるように忍の手のひらが髪を緩く撫で付けてくれる。
「仕方ない。僕が最初に不安にさせてしまったからね」
「……なぁ」
顔を背けたまま瞬がぼそりと尋ねてくる。
「あいつら、本当にお前のただのビジネスだって信じていいんだな? ……お前の恋人は俺だけだって」
尋ねたものの、もう分かっていた。忍はいつだって瞬にまっすぐ向き合って、たとえ幼稚な振る舞いで困らせようと見守ってくれる度量を持っている。そんな忍が選んでくれたSubは……確かな目を持つ主人に選ばれた、出来損ないなどではないSubは……。
「……俺だろ?」
忍が上半身を屈めて膝の上に寝そべっている恋人の耳元に唇を寄せる。
「……もちろんだよ」
囁く声の甘さが心地よい。そっと振り返り、唇を重ねた。
靴を脱ぐというだけのことでへたり込んでしまう己が情けない。
隣で脱いだ靴を揃えながら忍がその髪を撫でてやる。
「なぁ、部下を育てるのってこんなに難しいのか……? 伊南が特殊なだけか……?」
ネクタイを解きながらとぼとぼとリビングへ足を向け、うなじを手のひらで何度も鳴らす。
「まぁ、中堅は一番難しい時期だね。部下と上司の板挟みになるから」
にゃーん、とふわふわの毛並みが瞬の足元に絡みつく。飼い主がどうであれ、腹が減ったと訴える猫を放置はできない。
今すぐソファに沈みたい体に鞭を打ち、手作りフードを用意する。こんな時は缶詰で育てていればよかったという気にもなるのだから案外人間は勝手なものだ。
早速食べ始める猫の頭を撫でてやり、ぐったりとソファへ寝転がる。
コの字型のソファの一面全てを占めてしまう高身長な瞬だが、その目は先ほどから忍の一挙一動をぼんやりと眺めていて離れない。とうに視線に気づいていた忍は、ネクタイを解いて第一ボタンとカフスボタンを外しながら瞬の頭側のソファへ腰を下ろした。髪を指先でくるくると弄んでやりながら小さく微笑んで見せる。
「……ん? 何か言いたいことがあるのかな」
瞬が僅かに忍側に這いずって移動し、その膝に頭を乗せて目を閉じる。時折感触を確かめるようにもぞもぞと動くその体をぽんぽんと指先であやしてやりながら、忍は素早くスマホで適当な料理をデリバリーで頼み、そっとその喉をくすぐってやった。
「甘えたい? 随分頑張ったからね。そろそろたっぷり甘やかしてあげなくちゃいけないかな?」
「待って。エロいことはしたくない……」
疲れたようにそう呟いた瞬の肩から二の腕にかけて安心させるようにさすってやる。
「よっぽど疲れているね、それは。いいよ。君の気が済むまで甘やかしてあげる」
瞬が上半身を捻り、忍の腰にしがみつく。サモエドのようだなとくすっと笑いながら忍が何度も髪を撫でながら疲れ切った恋人を労う。
「よく頑張っているよ。初めての部下がこんな曲者じゃ疲れてしまうのも仕方ない。僕たちが最初に見抜くべきだったのに本当にごめんね。君に皺寄せが行ってしまって」
「……けど、俺……なんか伊南のこと憎みきれねぇ。あいつがああなった原因って絶対に何かあるんだろうって……ただDomってだけじゃない気がするんだ」
瞬の言葉に忍は彼がDomであることを告げなかった理由を話すか悩む。
瞬にとってこれが伊南を受け入れられる唯一の理由のように感じられるのだ。Domという性質がただの玩弄のためにSubをとことん追い詰めるものだと知っても、伊南と同じ職場で耐えられるだろうか。
ただでさえ秋平と2人きりにしないでくれと駄々を捏ねたのも記憶に新しく、どうにも真実を告げるのが気が進まない。
「でも」
瞬のはにかむような、どこか誇らしそうな声に我に帰る。
「忍が助けてくれなきゃ危なかったのは確かだけど、俺はっきり言えたんだ。初めてあいつにまともに対等な口が聞けた。コマンドさえ落とされなきゃもっと穏便に終わったのに」
ふっと忍が頬を緩めた。額から髪をかきあげるように前髪を撫であげて、少し上を向かせる。そのままちゅっとリップ音を立てて瞼にキスを落とす。
「偉いね。よく頑張った。コマンドだって、あんなに抗えたのはすごいよ。前の君ならすぐに跪いていただろうに、本当に強くなったね」
恥ずかしそうに、しかしとても嬉しそうな顔で瞬は破顔する。
「透が言ってた。本当に信頼できるDomと契約を結んでるSubは他のDomからの命令をある程度拒絶できるんだってさ。俺があそこであいつの言うこと聞いたらお前に申し訳が立たねえよ」
くすっと笑った忍が瞬の鼻先をつつく。
「やっと君らしい顔と言葉になってきたね」
「え?」
きょとんとする青年にさもおかしそうな瞳で本人は全く気づいていなかった振る舞いを教えてやる。
「僕のことが怖いって同僚に泣きついたり、先輩の前で甘え切ってみたり。言葉遣いまで子供に戻ったみたいになっていて少し心配していたんだよ。今思えば赤ちゃん返りだったのかな?」
揶揄うように瞳を覗き込まれて、かあっと顔に血が昇る。
そう言われてみれば、あまりにも子供っぽい言動をしていた気がする。いくら忍の元で甘やかされてきた期間が長いとはいえ、本来の己を見失っていたのだとやっと気づく。
居た堪れない思いでふいっと顔を背けると、慰めるように忍の手のひらが髪を緩く撫で付けてくれる。
「仕方ない。僕が最初に不安にさせてしまったからね」
「……なぁ」
顔を背けたまま瞬がぼそりと尋ねてくる。
「あいつら、本当にお前のただのビジネスだって信じていいんだな? ……お前の恋人は俺だけだって」
尋ねたものの、もう分かっていた。忍はいつだって瞬にまっすぐ向き合って、たとえ幼稚な振る舞いで困らせようと見守ってくれる度量を持っている。そんな忍が選んでくれたSubは……確かな目を持つ主人に選ばれた、出来損ないなどではないSubは……。
「……俺だろ?」
忍が上半身を屈めて膝の上に寝そべっている恋人の耳元に唇を寄せる。
「……もちろんだよ」
囁く声の甘さが心地よい。そっと振り返り、唇を重ねた。
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仕事行く通勤時にいつも読ませていただいて仕事の気力にしています!
これからも応援しています!
楽しみにしていただいてありがとうございます!
最後までしっかりと書いていきますね!