小人のテット

仁科佐和子

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小人のテット

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「さぁ乗って。あ、しまった。診察券を忘れたな。取ってくるよ」 
僕は車のエンジンをかけたまま、急いでリビングへとかけ戻った。 

「診察券、診察券っと」
 ダッシュボードの引き出しに手をかけたとき、僕は視界のすみに確かに動くものをとらえた。

 (虫でも入り込んだか?) 
新聞を丸めて振りかぶる。

 「えっ?」 
 僕は目を疑った。  

 それは親指ほどの小人だった。 小人はカーペットの切れ端のようなものを身に纏い、必死に顔を隠して縮こまっている。 

「見られた? 見られた? ヒトに見られたら、僕、消えちゃう……」
  それこそ消え入りそうな震える声が聞こえた。
  僕は反射的に目をそらし、小人に背を向けると大きな声で言った。 

「なぁんだ、虫がいたかと思ったが、見間違いだったか。それともネズミかな? あいつらすばしっこいからなぁ」
  しばらくしてから振り向くと、そこには何もいなかった。

  僕は診察券を取り出すと、そっと玄関に鍵をかけた。 


 病院までの道すがら、僕は今の出来事を妻のモリーに話して聞かせた。  

 モリーは小人に会ってみたいと少女のように目を輝かせたが、僕は慌ててかぶりを振った。
 「ヒトに見られると消えてしまうらしいんだ。決して目を合わせてはいけないよ」 
 モリーは真剣な表情でうなずいた。 

 定期検診の結果、今回も僕たちに子供は授かっていなかった。  
 いつもは落ち込むモリーを気遣いながら車を走らせるのだが、今日は小人の話で盛り上がった。 

「よくは見えなかったけど、カーペットみたいなゴワゴワのコートを着ていたようだったよ。」

 「まぁ、かわいそうに。動きやすい服を縫ってあげようかしら」 
 モリーは宣言通り、その週から親指サイズの服を作り始めた。 


 最近、モリーはおやつの時間にわざとらしく独り言を漏らす。
 「あらあら、またクッキーを落としてしまったわ。あとで片付けましょう」 
 そう言って彼女は落としてなどいないクッキーをきれいなペーパーナプキンに小さく割って乗せ、窓辺に置いてリビングを出ていく。 
 しばらくして戻ると、クッキーは綺麗になくなっている。  
 空になったペーパーナプキンを見て、モリーは嬉しそうに微笑んでいる。   

 僕はドールハウスを買ってきて、リビングの出窓に置いてやった。  
 モリーは喜んで、そのドールハウスに手作りの服を並べたりテーブルにパンを置いたりして小人の反応を待った。   

「ねぇ、ディビッド、見て。私の作った黄色いシャツがなくなったわ! あと、レーズンパンはあまり好きじゃないみたい」 
 モリーはドールハウスの変化に一喜一憂している。  
小人のためと言うよりも、モリーが元気になっていく事の方が、僕にとっては嬉しかった。


 そんな生活が半年ほど続いた。 

 『この家には小人がいる』と認識してから、小人の気配を感じやすくなった。
  例えば静かにしていると、トテットテッと特徴のある足音が聞こえたりする。 
 それは雨垂れの音にもよく似ていて、気にしていなければ生活音に紛れてしまうほど小さな音だった。 

「あら、今日はよく動き回っているわね」 

「ああ、ドールハウスに戻るところかな?」

 「トテットテッと可愛らしい音だこと。ねぇ、あの子のことを『テット』って呼ばない?」 

「ハハッいいね。トテットテッと歩くテットかい?」 

「そうよ! とってもかわいらしい名前でしょう?」 

「僕らのテットはあまり運動神経は良くなさそうだね」

 「良いのよ。その代わり歌が上手かもしれないし、絵の才能があるかも知れないじゃない?」
  僕たちはテットのイメージを共有し、テットの妄想を膨らませた。 
 このころモリーは寝る前に必ずドールハウスの前で絵本を一冊読み、子守唄を一曲唄っていた。


 クリスマスがやって来た。
 今年は小さなクリスマスケーキを用意した。
「どうやっても崩れてしまうわ」 とぼやきながら、モリーはケーキをカップに入れてドールハウスにそっと置いた。 

 24日の夜、モリーはサンタになった。
 この日のために編んだ黄色の帽子とマフラーをラッピングして、ドールハウスに飾ったツリーの下にそっと置いた。  
 夜明け前、モリーはソワソワと僕を揺り起こした。

 「ねぇ、ディビッド、もうテットはプレゼントに気づいたかしら?」
 まだ眠たかった僕は適当に答える。 

「どうかな?まだ早いんじゃないか?」 

「あら、クリスマスは子どもの方が早起きなのよ」
  モリーは待ちきれないといった様子でガウンを羽織ると、リビングを覗きに行った。 

  僕はまだ半分夢の中で、彼女がベットを出ていくのを止めもしなかった。 
 この事を数分後、僕は激しく後悔することになる。 


 取り乱したモリーが寝室に駆け込んできて、僕の頭は完全に覚醒した。

 「ど、どうしたんだい、モリー! 何があったんだ!」

 「ディビッド!!」 
モリーは泣き叫び手がつけられない。

 僕はモリーを何とかベットのへりに座らせて、背中をさすってやるのが精一杯だった。 

「どうしましょう、私……」
 ようやく言葉が出てくると、今度は堰を切ったようにモリーは喋り続けた。

 「どうしましょう!! あの子が消えてしまったの! 私のせいで!!」 

「落ち着いて。モリー、ゆっくり話してごらん?」 
 モリーは僕の手を強く強く握ると、声を絞り出した。

 「私、テットがプレゼントをもらって喜ぶ姿が見たかったのよ。まだ暗かったけど、私は電気をつけずにそっとリビングに入っていったわ。テットに気づかれないように……そう、テットは私に気づいてなかった!」 
そこでモリーは耐えきれずに叫んだ。

 「テットはプレゼントの包みを開けていたわ! 喜んで跳び跳ねてた! それを私は……見てしまった!!」

  僕の声もかすかに震えていた。
 「テットに……気づかれたのかい?」  

 モリーは電池が切れたようにパタリと両手から力を抜き、かすれた声で答えた。
 「目が……合ったのよ……クリスタルブルーの瞳だった。ちょうど朝日が差し込んで……はっきり見えたわ。赤毛の癖っ毛でね。そばかすがとってもチャーミングだった……私を見て、目を丸くして、嬉しそうに微笑んで……そして……消えたのよ」 
モリーはそこまで話すと泣き崩れた。

  僕は茫然とモリーの肩を抱きかかえて、身じろぎひとつ出来ずにいた。  


 その日僕たちは極力音をたてずに過ごした。

 「もしかしたら、消えたように見えただけなんじゃないか? だってあの子は隠れるのが本当に上手だから」
 僕はそんな期待を口にしてモリーを励まし続けた。  

 しかしドールハウスに置いたクッキーはいつまで待ってもなくなることはなかった。 
 一日過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎて行った。  
どれだけ耳をすましていてもトテットテッという可愛らしい足音は聞こえなかった。   

 モリーは痩せ細り、憔悴しきっていった。 
 次第に食事も喉を通らなくなり、無理に食べると吐き気をもよおした。
倦怠感に起き上がることもできなくなっていた。 

「このままじゃ、モリーが倒れてしまう」
 僕は半ば無理やりモリーを車に乗せ、病院へと向かった。  
 心療内科の医師は丁寧にモリーの話を聞き、簡単な検査をして、僕たちに衝撃的な診断を下した。 

「ご懐妊ですね。おめでとうございます」
 僕たちは耳を疑った。 

「マタニティブルーということもありますがまぁ、まずは産婦人科を受診してください」  
半信半疑で不妊治療に通っていたクリニックへその足で向かうと、確かにモリーが妊娠していると告げられた。 

「これまでは奥さんの体が受精卵を異物として排出してしまっていたんですが、今回は奇跡的に、無事子宮へと着床したようですね」
  医師の説明を聞きながら、僕たちはこの奇跡が起きた本当の理由に気づいていた。 

「ああ、テット。こんなところにいたのね……あなたは隠れるのが本当に上手なんだから……」 
モリーは自分のお腹に手をあててポロポロと涙をこぼした。   


 病室には白い光が差し込んでいる。
 モリーはベッドに腰かけて、産着にくるまれた我が子をしっかりと抱いていた。

 「本当に奥さんの予言通り『赤い癖っ毛でそばかすのある青い目の男の子』でしたね。いやぁ参った。最新のエコーでもそこまでは分かりませんよ」
 出産に立ち会った医師はそう言って驚いていたが、僕たちにとっては分かりきったことだった。 

 モリーはにっこりと笑って赤ん坊を覗き込むと、 「やっと会えたわね」 と声をかけた。 
 テットはうっすらと目を開ける。 そのクリスタルブルーの瞳に僕らが写っている。

 「もう穴が開くほど見つめても大丈夫だよな、テット」  僕の声に反応するように、テットは小さな手で僕の人差し指をギュッと握った。

 「お帰り、テット」 僕たちはこの愛しい我が子のほほにキスをした。
   
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