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私が乃亜に買われた日 ⑤
しおりを挟む修斗の元を去ってすぐ、私は今絶望しています。
彼が勝手に借りた50万という大金が深く深く、私の心に突き刺さる。
リボ払い。
これは、借りたお金を毎月一定額ずつ返して行く制度。
そしてこれは、優しいものでは無い。
利子が15%~18%発生するため、借りた額より多く返さねばならないと、聞いたことがある。
今まで経験したことのない私はいくら返せば良いのか分からない。
そして、貯金にまで手をつけられた私は、いつまでに返せるかも分からない。
正直に言うとお先真っ暗だ。
今月私の元には、給与と共に賞与つまりボーナスが入る。
総額で見て50万ほどのそれが入るから何とかなる見込みはある。
だが、生活はどうだ?
新たに家を借り、家具を揃え、生活していくためのお金はどうするのか。
私は哀れな女だ。
28歳にもなって、交際相手に借金を背負わされ、路頭に迷う。
どうして私ばかりが不幸にならねばいけないのか、神様がいるなら聞いてみたいものだ。
『月華さん。その………大丈夫ですか?』
もう何度目になるだろうか。乃亜は心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
『とりあえず…大丈夫よ。乃亜ちゃん。今日は本当にありがとう。それと、情けない姿を見せて申し訳ないね……』
『いえ、大丈夫です』
訪れる少しの沈黙に、肩を落とし俯く私に寄り添ってくれる彼女。
彼女が居てくれたから、私は今こうして無事にあの家を出ることが出来た。
乃亜には感謝している。
そして、それと同時に放っておいてほしい気持ちもある。
私はダメな女だ。
助けてくれた彼女に先に帰ってもらいたい。そう願っているのだから…………
『月華さん。このまま帰ると終電ラッシュで電車が混んでいると思うので、夜ご飯食べて帰りませんか?』
沈黙を破った彼女は、どうやら私を1人にしてくれるつもりはないようだ。
時刻は18時。
来る時には天高く登っていた太陽が山の端に消えていく今、まさに通期ラッシュのそれだろう。
スーツケースと大きなリュックを二つ持つ私たちが電車に乗るには時間帯が悪すぎた。
『そうね……今日のお礼に私がご馳走するわ。何か食べたいものはある?』
放っておいてくれないのであれば、お礼をすべきだ。
最低限の持ち合わせしかないが、なんとかなるだろう。
『自分の分は自分で払います。お店は……個室の居酒屋さんがあれば、そこでお願いします』
お金のことにお店のこと。その両方で彼女は私を気遣い、私のために提案してくれている。
そのことが大いに伝わってきて、目頭が熱くなるのを感じる。
『それと…銀行に寄っても良いですか?』
『ええ、大丈夫よ』
『ありがとうございます』
幸い、個室の居酒屋は行きつけがあるし、その近所に銀行もある。
私は乃亜を連れてそこへ向かうのだった――
歩くこと数分。
駅前にある、居酒屋にやってきた私たちはそれぞれ飲み物と食事を注文し、それを店員さんが慌ただしく運んできてくれた。
『お刺身すごい…月華さんの言っていた通りすごい美味しそうです』
目をキラキラさせている乃亜。
今の私にはそれが眩しくて、正直に言うと目の毒だ。
『ふふっ。それじゃ乾杯しましょうか』
『はいっ』
それぞれ生ビールの入ったジョッキを手に持ち、コツンと合わせ音を鳴らし、それを体内に流し込む。
モヤモヤしていふ私の中に入ったそれは、精神安定剤の役割を果たしてくれる。
私はどこまでも、どこまでもダメな大人だった――――
料理をつまみながら、体内にアルコールを流し込むこと30分ほど。乃亜が一度居住まいを正し、真剣な面持ちをしている。
『月華さん。お話しがあります。少しよろしいですか?』
『なーに?』
真剣な声音の彼女に対し、緩く伸びやかな私の声。
私は既に5杯目を飲み終えるが、彼女は2杯目だ。それ差が顕著に表れていた。
彼女は私の声を受け、カバンの中から封筒を………だいぶ分厚い封筒を取り出し、こちらへそれを差し出す。
『月華さん。ここに60万用意しています。私にこれで月華さんの時間を買わせていただけないでしょうか………』
『はい?何言ってるの?』
意味がわからない。いや、言っていることの意味はわかる。
先程銀行に寄った時に下ろしたであろうそれで、私の時間を買う。
意味は分かるが動機が全くわからない。
『月華さんは恐らく、彼が作った借金を返せませんよね?そこに漬け込むのはいけない事だと分かっていますが、どうか受け取って欲しいです』
真剣な面持ちの彼女は、言葉とは裏腹に自らの欲望に忠実な――――そんな顔をしていた。
『もちろん理由があるのよね?』
『はい…』
私が問いかけると、彼女は一度俯き覚悟を決めて再度私へと目を向ける。
『私はまだ、月華さんのことを全然知りません。それでも、私は、私の知る中で月華さんの人柄に惹かれました。その人が困っているなら私は助けになりたいです………』
一度言葉を区切り、優しく微笑む。
『私が、私の意志で貴方と一緒に居たい。だからどうか受け取ってください。月華さんの一日を一万で私に買わせてください。そして2ヶ月間私の側に居てください』
しっかりと言い切った彼女の目に迷いはない。
自らの意志で私の時間を買いたい。そう私に訴えかけてきている。
今の私からしたら願ってもない、喉から手が出るほどに欲している、そんな提案だった。
それに対して私はしっかり自分の気持ちを伝えることにする。
『気持ちは嬉しいわ、ありがとう。でもごめんなさい。その提案は飲めません』
住む家と借金返済が同時に叶う。
今の私にとって、これ以上ない提案だろうが、私は絶対に首を縦に振らなかった。
対価を払えないから。私が彼女と過ごす時間に一日一万円もの価値が見出せないから。
私の返事を受けた彼女は、何も言わずに俯いている。
今、何を考え、何を思っているのだろうか。
『私の事を想って言ってくれたのよね?ありがとう乃亜ちゃん』
『私はずるいですよね。私自身の気持ちを隠して、善意しかないですって振る舞って……』
俯きながら、ポツポツと言葉を発していた彼女が、こちらへ視線を向けた。
その目は覚悟を宿した、先程よりも強い覚悟を宿した瞳をしていた。
『私は、私達は弱いです。出会ったばかりの相手に温もりを求めてしまう程に、人と寄り添うことでしか歩き出せない。それほどに私達は弱いんです』
乃亜の覚悟の宿った目から涙が溢れる。
乃亜は泣いていた。自らのことを話し泣く彼女の涙の意味を私は分からない。
『だからっ、支えてください。そばにいてください。お願いします……』
『貴方の気持ちはよく分かりました。ありがとう』
まだ、話しを続けようとする彼女の言葉を強引に遮る。
乃亜の涙の意味を私は知らない。
それでも、目の前で泣いてる彼女を放っておけるわけがない。
私は乃亜へ微笑みかけた。
『貴方が私と過ごす時間に価値を見出してくれたのは理解できた。でも、私にその対価は金額が釣り合ってないように思うの―――貴方の本当の要求を教えて?』
『でもそれはっ――――』
彼女は躊躇っている。それもそうだろう、彼女が望んでいるのは昨日私に拒絶されたことなのだから。
『良いから。貴方の望む事を教えてちょうだい?』
優しく伝えると彼女は少し考えた後、自らの要求を口にした。
『私からの要求は主に3つあります。1つは、2ヶ月間私の家で暮らしてもらうこと。2つ目は、毎日同じベットで寝ること。そして3つ目は――――』
一度言葉が止まり、私の目をしっかりと見る彼女。
乃亜の目にはもう涙はない。あるのは決意だけだった。
『3つ目は、月華さんに無理がない範囲で私に体を許してもらうことです』
真剣な面持ちの彼女の提案に驚きはない。
あるのは得体のしれない妙な安心感だけだった――――
___________________________________________
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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