オリオン座の恋人

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第六章 サソリ

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朝、起き出すのはやっぱり私の方が早い。仄かに朝陽の射す中で朝食の支度をしていると、オリオンが起き出してきたり、来なかったり。そんな毎日になっていた。

「ねぇ、オリオン。今でも好きなの? アルテミスのこと」

朝っぱら開口一番に尋ねると、彼はいつものようにうんざりした顔をした。

「また、その問いか。お前はそんなことしか考えることがないのか?」

「だって、気になるんだもの」

そう。アルテミスに会って、直接話して、はっきりと分かった。彼女はまだ、オリオンのことを愛している。

だから、オリオンの気持ちが今は本当に私に向いてくれているのかどうか気になって。私はつい、毎日のように尋ねてしまうんだ。

「そんなこと、お前には関係ないだろう」

オリオンはぶっきら棒にそう言い放ち、ぷいとそっぽを向いた。

まぁ、そりゃあ、そうなんだけど。
別に、私……オリオンの恋人でも何でもないんだし、関係ないと言えば関係ない。

でも、じゃあ……今の私達の関係って、何なんだろう?
オリオンはこう見えても私のことを気に入ってくれているみたいで、側に置いて一緒に暮らしてくれている。
私はそんなオリオンが、今では好きで愛おしくて。

(え……ちょっと、待って)

私の中の考えが収束して……私の顔は途端に、カァッと熱くなっていった。

(それって……私達。正真正銘の恋人同士ってことじゃないの!)

だって、私達はお互いでお互いに惹かれていて一緒に住んでいて。元の世界では、こういうのを紛れもなく恋人って言うんだ。
そんな考えに至った途端、私は何だか恥ずかしくて堪らなくて。
思わず、「きゃあー!」って叫びそうになった。

「……何を、百面相しているんだ?」

「な……別に私、何ともないし!」

つい、ムキになって大声を出してしまって。
オリオンは不思議そうな顔をした。

「まぁ、いい。狩りに出る」

「ええ……」

いつも通りのオリオンを、私はいつも通りに送り出した。


外へ出て、木の実をもぎながら私は考える。
元の世界では、基本的にどちらかがどちらかに告白して、「付き合おう」ってことに双方が同意してから恋人同士になっていて。私もそんなものだと思っていた。
だけれども、私達の関係ってあまりにも自然で。そう……まるで家族のように一緒に暮らしていて。何だか、恋人って言葉は似つかわしくないように思えてしまうのだ。

「あーー、もう! どうして私がこんなことで悩まないといけないのよ」

私はキーッとなって、頭を抱えて叫んだ。
だって……元の世界では、クラス一、いや、学年でも一、二を争う美少女で通っていた。自分のことを好きになる男子なんていくらでもいたし、女子からも羨望の眼差しで見られていた。
それが、よりにもよってあんな変な、無精髭を生やした無愛想な男との仲で、こんなに悩まなければならないなんて。

だけど……

「私……やっぱり、好きなんだな」

そう……好みでもなんでもないはずだった。だけれども、あいつの過去を知って、アルテミスとの深い絆を感じた時、私の胸は息苦しくって堪らなくて、目からは自然に涙が溢れ出したんだ。

だからこそ、彼を放したくなくて……私の元から離れて行って欲しくなくて。毎日のように、オリオンの気持ちを聞いてしまうんだ。

そんなことを考えて、何だか切なくなって溜息を吐いた。そんな時だった。

「伏せて!」

突然に大きな声が掛けられた。

「えっ……」

私は思わず身を低くして屈んで……すると、私の頭の上を大きな槍がかすめた。

「な……何? 何なの!?」

何事が起こったか分からなくって、私は取り乱して。声のした方……槍が飛んで来た方へ振り返った。

「あなたは……」

茶色の髪に白い肌、透き通るような黒い瞳……だがしかし、その二の腕には隆々とした筋肉が聳えていた。そう……振り向いた私の目が捉えたのは、すごい美青年だったのだ。

「僕はガイア」

「ガイア……」

一体、何者? 
それは元の世界でも滅多にお目にかかれないほどに清潔さ溢れる青年で、粗暴なオリオンとは大違い。私の胸はドキドキと高鳴り始めた。

いや、だけれども……
私はハッと我に返った。

「あなた! 一体、どういうつもり? いきなり槍なんか投げてきて……危ないじゃない」

そう……もし、この槍が私の頭を貫通していたら。考えただけで恐ろしくって、私はブルッと身震いした。

すると、ガイアは目を丸くした。

「おや、それは何と。命の恩人に向かって随分な言い様ですね」

「命の恩人? 人に槍を投げておきながら……」

「その槍が貫いているものを見て下さい」

「はぁ、貫いているもの?」

私は眉をひそめて、また槍の方を見た。
すると……

「うそっ! 何よ、これ?」

一瞬、本当に何なのか分からなかった。黒光りするその生き物は長い尾を持っていて、だがしかし、槍に貫かれてピクピクと動いていて。

「サ……サソリ!?」

あまりに大きなそれに、私は身の毛のよだつ想いがした。

「そう。僕が槍を放っていなかったら、あなたは刺されて亡くなっていましたよ」

「そんな……」

こんなものが、私を狙って?
いや、それよりも何よりも。私はサソリという言葉にひどく聞き覚えがあった。

そう……オリオンの死因の一説。
奢り高ぶったオリオンが吐いた言葉に激怒した神はサソリを放ち、彼はそれに刺されて亡くなった。
そんな説を思い出して……私は自分自身がサソリに狙われていたことよりも、恐ろしくなって。体が小刻みに、ガタガタと震え始めた。

「どうして……このサソリは、一体、誰が?」

サソリは私を狙っていたのであって、オリオンを狙ったのではない。そのことは分かっていたのだけれど……彼に少しずつ、死の影が迫ってきているような気がして。私の中ではそんな不安が渦巻いて……ひどく動転した。

「このサソリはこの辺りではよく見かけます……」

「ウソよ! 誰かが放ったんじゃないの!?」

ガイアを責めても仕方がない。それどころか、彼は私の恩人……頭では分かっていたのだけれど、私は昂ぶる感情を抑えることができなかった。
そして……ハッと、気が付いた。

「オリオンは!?」

「えっ、オリオン?」

「そうよ。私の恋人……彼も、サソリに狙われているわ!」

私は集めかけていた木の実を放り出して、駆け出した。

頭の中ではオリオンにまつわる星座伝説がぐるぐると回っていた。
オリオンは大きなサソリに刺されて殺された。そのため、彼は星座になった後もサソリを恐れて同じ空に出ることは決してない……。
幼い頃にぼんやりと聞いていたその伝説が、急遽、現実味を持って私の胸に押し寄せて。

「お願い……オリオン。無事でいて!」

彼の無事だけを祈って、私はひたすらに森の中を探し走ったのだ。


お気に入りの青いドレスには木の枝が突き刺さってボロボロになり、足も草や石で傷だらけ。だけれども、私はそんなことも顧みずに彼を探した。

「どうしたんです?」

状況を掴めていないガイアに、私は苛立つ。

「危ないのよ……オリオンが。私の愛しい彼が……」

口からは自然に、「愛しい」なんて言葉が出た。しかし、そんなことにも気付かずに、私は彼を探した。

「どこ……どこなの? オリオン……オリオン!」

どのくらい探しただろう……私は、獲物を持って歩く彼を見つけた。

「いた! 良かった……オリオン~!」

私はオリオンの元へ駆けて……思わず彼を抱き締めた。

「何だ、セナ。どうしたんだ?」

オリオンは少し赤くなり、とまどう。しかし、私は彼をさらに強く抱き締めずにはいられなかった。

「良かった、生きてて。あなたがいなくなったら、私、どうしたら……」

私の中にはあの日の記憶がフラッシュバックした。
そう……お父さんが倒れて、二度と戻って来なかったあの日。そんな記憶は私の胸を激しく締め付けて、私の瞳からは熱い涙が流れ出した。


「あなたの恋人は、あなたのことが心配で堪まらなかったようですよ。オリオン……」

ガイアが言った途端に、オリオンは射抜くような眼光を向けた。

「お前……何者だ? どうして、俺の名を?」

その瞳はあまりに恐ろしく、私はゾクッと身震いをした。だが、ガイアは不敵な笑みを浮かべた。

「それは、あなたの恋人が必死であなたの名前を叫んでいたからです。それほどまでに想われて、あなたは幸せですね」

ガイアはそう言うけれど、オリオンは警戒するようなその眼光を消さない。

「そ……そうよ。ガイアは私をサソリから守ってくれたの。命の恩人なのよ!」

私もガイアのことを庇ったけれど、オリオンは荘厳なその表情を崩さなかった。

「俺は……何者も信用しない。俺や、俺に近い者に寄ってくる者は特に。お前……今、すぐに立ち去れ」

「ちょ……ちょっと、オリオン。そんな言い方……」

すると、そんな私達を見て……ガイアは目を閉じて溜息をついた。

「分かりました。あなたは……セナさん以外は何者も相容れないのですね。僕は立ち去ります」

そして、目を開けて……その黒く、吸い込むような瞳をオリオンに向けた。

「しかし、僕はそう遠くない未来、きっとまたあなた達に会うことになる。その時はオリオン。あなたは私の力を頼らざるを得なくなるでしょう」

その言葉だけ残して、彼はまるで森の中に消えるように立ち去った。


「ちょっと、オリオン。あの人、私の命の恩人なのよ? どうして追い払ったりしたの!」

洞窟への道すがら、私はイライラと喧嘩腰にオリオンに尋ねた。

「たわけ! 自分に近づく者に容易く気を許すでないわ!」

オリオンも、目に見えて苛立っていて。私はふぅ……と溜息を吐いた。

「あ~あ、折角、アルテミス以外にマトモっぽい人と知り合えたと思ったのに……」

そこまで言って。私はハッと気付いた。

「あ! オリオン。もしかして、ガイアが美青年だから妬いてた?」

「何を言っているんだ、お前は。俺は今日はまだ、何も焼いてなんかいないぞ?」

オリオンは眉をひそめた。

「いや、その焼く、じゃなくて、嫉妬よ。嫉妬してたんでしょ?」

「なっ……どうして俺がそんなこと、しなくちゃいけない? お前のことなんざ、何とも思ってないわ!」

「あ、何か、ムキになってる。やっぱり、そうだったんだ」

ニーっと目を細める私に、オリオンはあからさまに不機嫌になった。

「このたわけ! もう、付き合ってられん。放って帰るぞ!」

「あ、オリオン。ちょっと、待ってよ……」

さっさと帰ろうとするオリオンを必死で追いかける。
彼は相変わらず無愛想で粗暴だけれど、何処か愛しくて可愛い。
そんな彼と一緒に暮らすことに私はこの上ない幸せを感じていて……だからこそ、私達に迫ってくる黒い影に、漠然とした不安を感じていた。





「いい? オリオン。あなたはサソリに刺されて、星座になってしまう。そんな悲しい運命にあるの」

「何を馬鹿なことを言っているのだ、お前は?」

「だから!」

何回話しても理解してもらえない。そんなもどかしさに私は苛立ちを感じ、溜息を吐いた。

こっちはこんなに心配しているのに、全然、信じてもらえない。
そりゃあまぁ、信じろ……という方が無理な話かも知れないけど。でもこっちがこんなに真剣に話しているんだし、少しくらい耳を傾けてくれてもいいじゃない。

「それに、もしお前の言う通り大きなサソリが狙っているのだとしたら、ガイアという者がいよいよ怪しいぞ」

「何よ、それ。どういう意味?」

「それほどに大きなサソリは、サソリ使いの言うことしか聞かぬ。だから、お前が狙われた時、一番近くにいた奴が一番、怪しいのだ」

「あぁもう。嫉妬はいいから、オリオン。あなたはあなたの身の安全を考えてよ」

私の目には思わず涙が浮かぶ。

「今日から私……やっぱり、あなたの狩りに付いて行くわ」

「何?」

「だって……心配なんだもの」

オリオンにとっては、私なんかが付いて行ってもやっぱり足手まといなだけだろう。
でも……どうしても私には、彼を一人で行かせることなんてできなかった。


「ふん……勝手にしろ。ただし、決して前みたいに邪魔立てするでないぞ」

「ええ、もちろんよ」

彼を一人で行かせずに済む……そのことに、私は取り敢えずの安堵を覚えた。

「早く行くぞ」

「ええ!」

鹿の毛皮を纏った動きやすい格好で、私はオリオンの後に続いた。



動物を狩るということに、私は未だに慣れることができない。
そりゃあ、毎日のように口にしているのは動物の肉で、その肉は狩らないと手に入らないのだけれど、それを直視することは私にはできない。だけれども……オリオンをあの残酷な運命から守るためには、彼に付いて私が守るしかないんだ。

オリオンが鹿に狙いを定めて……矢を放った瞬間に、私はぎゅっと目を瞑った。
彼は狩りの名手なだけあって、その矢は鹿の心臓を見事に射抜いたようで。鹿は全く苦しまずに息絶えた。

オリオンはその鹿の元へ歩み寄る。
私は鹿の亡骸を見ることが出来ず……ただ、茫然と彼を見ていた。

こんな場面を見るにつけて私は実感する。元の世界と、今、自分のいる世界の乖離……そして、私はまた、どうしようもなく不安になる。私なんかが、本当に……彼を運命から救うことができるのだろうか。

「オリオン……早く、戻ろう」

私は鹿を背負う彼にそっと呟いた。

「何だ、そんなに急ぐことがあるのか?」

「そんなことないけど……ほら、日ももう暮れかけてるし、危ないし……」

私は兎に角、不安だった。
前日に私を襲おうとした、あのサソリ……黒光りする体に長い尾、大きな針を思い出すだけで全身に鳥肌が立った。

「分かった。さっさと戻るぞ」

そんな私を宥めるかのように、オリオンは元来た道を引き返した。



私はオリオンの後ろを歩く。いつもそう……彼の大きな背中を見つめながら。
その背中を見ると遥か昔、幼い頃に見つめていたものを思い出して、懐かしくて、切なくなる。

幼い頃にはその背中が私の元から永久に去ってゆくのをただ見ることしかできなかったけれど……彼は今、私の手の届くところにいる。だから、私が守らなければいけないんだ。

森の中の獣道をひたすらに歩いていた時だった。隣の茂みがガサゴソと動く音が聞こえた。

「オ……オリオン!」

その時……その茂みから、黒く大きな尾が飛び出して。その先の針は、真っ直ぐにオリオンへ向かったのだ。


その瞬間……私の体は反射的に飛び出した。

「セナ!」

オリオンの叫び声が聞こえた。
しかし……私の背中には鋭利な痛みが走った。その痛みはジーンと体中に広がり、みるみるうちに私の体は痺れて、感覚がなくなっていった。

「セナ! セナ!!」

オリオンの声が聞こえる……しかし、私の耳に入るそれはどんどんと薄く、小さくなってゆく。
目が霞み、痛みは薄れて。感覚をみるみる失い……私の体が私のものではなくなってゆく。

だけれども、そんな私の体をしっかりと抱きしめる……温かい。すごく温かい体温が必死で私を連れ戻そうとする……。
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