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第341話

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『オオオオオオオオオオオッ!』

 傷だらけの翼をしかし気高く揚々と広げ、竜が天を突くほどの咆哮を上げた。

「竜……『一槍』の竜か……!」

 押しつぶされんと抵抗を続けるクレスト。
 しかし彼が両手で押さえつける刃は、じわり、じわりと己の身体へ近づいていく。

「竜ってすごいよね」
 
 クレストと私が戦闘を始めたら、ジンさんを連れて離れていてと前もって言っておいた。
 この言葉を完璧に理解していたのだろう。 ちらりと横を見て竜が羽ばたき姿を隠すのを確認し、一層小さな感動をする。

 やはり賢い。

 それに私とジンさんはつい先ほどまで戦っていた。
 普通ならそんな相手と協力だなんて、人間ですら感情から拒絶する場合があるだろう。
 しかしこの子は違う。事態が変わったのだと、私は今は協力者であるとしっかり理解し、私の元まで――多分匂いを追って――主人の元まで連れてきたのだ。

 もしかしたら私なんかよりも頭が良いのかもしれない。

「しょうが、ないね……! 今はまだ使いたくなかったんだが!」
「っ、させない!」

 一体何を企んでいるつもりなのか。
 男の常に貼り付けている不敵な笑みが、不気味にも一層深くなる。

 両腕へ込める力が一層増す。
 何かをされる前にこいつを無力化しないと、ヤバイ。
 本能的なナニカが叫んでいた。

 くそっなんで……!
 両手で押しているのに何故耐えきれる……!?


「かッ……」


 脳天を、衝撃が突き抜けた。
 腹に抉り込む黒々とした巨大な翼、しかしそれが一体何処から来たのか目にすら付かなかった。

 一体、どこから……!?

 思考が身体へ伝播するより速く、その翼は想像だに出来ぬ膂力をもって私の身体を薙ぎ払う。

「ふぅ……まだ使うつもりは無かったんだ、まだ魔力が安定していなくてね」

 その翼は男の背から生えていた。 
 

「クレスト……貴方人間じゃなかったんだね」
「いいや、私は生まれてこの方人間をやってきたよ。だが後々の予定を少しばかり前倒しにしただけさ、今のままでは君に殺されてしまうからねぇ」

「だが今度は私が攻める番のようだ」
「っ!」

 速いっ!?

 今までクレストは何処まで行っても私には追い付けない速度だった。
 その代わりに死角を突いたり、その話術での撹乱をメインとした戦闘を取っていた。

 だが翼を出した彼は今、以前とは比べ物にならないほど驚異的な膂力、速度を手に入れている。
 いや、先ほどから兆候はあった。
 多少減速したとはいえ全力の蹴りや、圧し潰すための打撃を打ち込んでいるのに、彼はそれを見切り受け止めたり、あるいは攻撃を受けながらも五体満足で動き回っていたのだ。

「これを受けるか、困ったな」
「貴方、こんな力一体っ何処で……まさかっ、ダンジョンで!?」

 目前に迫るクレストの刃を受け払う。

 力は以前と比べ物にならないが……しかし己の力に技術が追い付いていない。
 恐らく彼自身速すぎて今までのように複雑怪奇、犇めく蛇のような多方面からの攻撃を出来ないのだろう。

「ハハハハハハハッ! おいおいおいおい! あんな不安定で欠陥に塗れたところへわざわざ飛び込むわけないだろう!」

 実に愉快気な大笑いが響いた。

「純化魔力を直接体内に投与したのさ。多少の不純物によって魔蝕症の初期症状が出ているがね、この程度なら直に同化も終わる!」


 純化、つまり魔力の中の記憶を取り除く工程だったはず。
 私の魔蝕症は魔力を大量に取り入れたことで魔力内の記憶が増え、身体が大きく変質してしまう病気だ。
 しかし純化の工程を挟めばそこに残るのは記憶に汚染されていない魔力、取り入れようと全く問題はない。
 つまり身体が変質する恐れもなく大量に魔力を取り入れられる、世界一安全なレベルアップって訳だ。

「ずっる……!」
「人はある手札で生きていかなくてはいけないんだ、使えるものを最大限使うのは当然だろう?」

 二本のナイフが左右から迫りくる。
 一本はカリバーで弾き飛ばし、もう一方は勢いのまま回転蹴りで腕ごと吹き飛ばした。

 今はまだ競り勝てている。
 膂力も私の方がまだ上だ。だがこれ以上彼を放置したら?

 抜かれるのは直ぐだ。
 そうなってしまえば私に勝てる見込みは一切なくなる、一方的に殺される。
 今彼を仕留めなければ終わりだ。

「ここで終わらせる」
「いいや、私は遠慮しておこう。君が先に行ってくれたまえ」

 クレストが空へと羽ばたき、何か小さなものを大量にばら撒いた。

「空逃げるのズル……! こんなもの!」

 目くらましか?
 にしては大きい、親指の爪ほどはある黒い石・・・だ。

 けどこんな石ころいくら投げたところで、今の私には何のダメージもありは――

『いし……くろいいし……っ! みんな……みんなっ』

 ――黒い、石?

 その時脳裏を過ぎったのは、ナナンが気絶する直前に小さく叫んでいた内容だった。

 黒い石?
 まて、ただの黒い石を、この男が投げるなんてありえるのか?

 まさか、私は何か勘違いをしていたのか。
 体の部位がまるで元から無かったかのように消滅しているのは、つまりモンスターに襲われ消滅現象が起こったのだとばかり思っていた。
 あの歪に歪んだ中枢の教会も、モンスターが消滅し断面図がくっついたのだと考えれば、今まで私が私の世界で見てきた物そっくりだったからだ。

 だがここに来るとき竜の背で見た風景はどうだった?
 教会がモンスターに襲われていたのならもっと混乱があってしかるべきじゃないか?
 溢れ出したモンスター達が街にまで行って、もっと人々は家の外で逃げ惑い、叫び、惨劇が広がっていたはずじゃないか。

 それに私は今までどんな黒い石を見てきた?
 一番身近だったのは――――『魔石』じゃないのか?

「――『アクセラレーション』……!」

 鋭く刺すような、暗い勘だった。
 命を狩り取るような、赤黒い危機感が恐ろしいほどの警戒音を掻き鳴らした。

 逃げろ。
 逃げろ逃げろ逃げろ!

 これだけは触れてはいけない! これだけは避けなくてはいけないッ!

「『ステップ』っ! 『ストライク』『ステップ』ッ!」


 これだけの回避をしたのはいつぶりだろうか。
 加速した空間でさらに加速する体が、まるで何かに操られてるかのように奇妙な動きを繰り返し、石ころ共の一つが地面につくより速く百メートル近くの距離を取る。


「鋭いね、化物というのは野性的本能でも発達するのかな?」


 結果から言おう、私の本能は最悪な方向に関して今日も最高潮だった。

 振り返った瞬間、いくつもの巨大な穴が地面へと一瞬で開き、そして閉じた。
 逃げたにもかかわらず恐ろしいほど近付いた・・・・・・・・・・クレストが苦々しい顔を浮かべ、大きく羽ばたき背後へと逃げる。

「クレスト様!」
「準備は出来たかいクラリス君?」
「はい! 今すぐ撤退をッ!」

 隙を伺っていたのだろう。
 突如として現れたクラリスが巨大な魔法陣を即座に展開し、彼らがその奥へと沈んでいった。

「待てッ!」

 まずいっ!
 ここで逃がしたら次は絶対に……!

 跳躍し、伸ばした手は空を切る。

 彼らがいた地点へと届いたその時、既に影すらも夜の闇に溶けていた。
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