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第335話

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「……へ? ナナン?」

『助けて』?
 それに今私の名前を呼んで……?

「待て! 君は共通語を話すことが出来るのか!? ならば何故今の今まで反応しなかった!それにナナンの名を何故……」

 前回クラリスは普通に私の前に現れた。
 すごく落ち着いて……いや、落ち着いてたかな……あんまり落ち着きはなかったけどまあそれは性格上の問題で、リラックス状態にはあった。
 こんな鬼気迫った声で誰かに助けを求めるような状態の人間が、長く見積もって数日でけろっとして外へ、ましてや私のように警戒されてる存在の元へ訪れるだろうか。

 何かが違う。
 何かが、決定的に何かが前回と変わってしまっている。
 時が戻ってまだほんのちょっとしか経っていないのに、蝶の羽ばたきなんて小さなものではなく、もっと大きく前回と異なる動きをした存在がいる。

 そんなことをできる人間は一体誰だ?
 そんなの……

「ジンさん」
「私の名前まで…君は本当に、一体?」

 あの緋と翡翠、左右が異なる異様な瞳と、それが湛える冷たい光が脳裏を過ぎる。
 国や民の為だとうそぶくのに、全く感情が感じられない爬虫類じみて鋭いあの瞳が私の思考をねめつける。

 全てはタイミングが悪いんじゃない、合わせてきたんだ。

「ナナンが危ないかも、この通信の先で何が起こってるか知らないけど……私の事情は後で幾らでも説明する。今すぐにこの通信機の発信元まで行ける?」

 その時、微動だにせず手綱を握っていた彼の頭が、初めて少しだけこちら側へと捻られた。

「君が何を考えているかは分からない、だが私はつい先ほどまで君を攻撃していた立場だ。恨みを買っているのは十二分に理解している、そんな相手を連れて行けるわけがない」
「私が本気なら貴方はもう死んでる」
「私以外をも害する魂胆かもしれん」

 なるほど、最もだ。
 散々追い回されたのだ。ヤバい奴ならこの人達だけでなく、この人達の国だとか指示してる人まで攻撃する可能性はある。
 いや私はしないけど。

 だけど全てにおいて正論が最適解なわけじゃない。

 固い人だ、本当に。
 明らかに何か異常が起こっていて、ナナンへ危機が迫っているかもしれない。
 やるべきことは全て分かりやすく目の前に置かれているにもかかわらず、そこへただ手を伸ばすだけなのが
こんなにも遠い。

 このまま意味のない押し問答を繰り返すのか?

「根拠を、君が示しうる、信じるに値する根拠を出してくれ」
「……!」

 彼の燃える様に紅い瞳が私をじっと見つめた。

 根拠? 証明? ジンさんを納得させられるようなもの?

「――そんなものはない、私を信じて」

 戸籍は無い、世界ごと消えた。
 友達は死んだ、私を先に送る為に。
 知り合いもほとんど死んだ。戦おうと戦えなかろうと、等しく次元の狭間に飲み込まれた。
 生まれた場所も、大切な場所も、守りたかったものは全部消えた。

 でも私はここにいる。
 ここで、今も生きている。

「私は結城フォリア、やるべきことをするためにここにいる」

 私の存在が証明だ、強いて言うならだけど。

 数分か、もしかしたらたった一、二秒だったのかもしれない。
 男の瞳は瞬き一つすらなく、ただ真っ直ぐにこちらを刺し貫くと……静かに竜から降り、武器を構えていた他の団員へ右手を上げ武器を降ろさせた。

「ベリ」
「ういっす」
「副団長の君に第一の総指揮を任せたい。もし何かが起こった場合……エイル様には私は国を裏切り離反したとでも言っておいてくれ」

 額に皺をよせ、ベリと呼ばれた茶髪の男へ指示を飛ばすと彼はどうにも軽い笑みを浮かべ、小さく肩を竦めた。

「指揮は請け負いますが、ナナンちゃんが悲しむんでさっさと帰ってきてください」
「……何故ナナン? まあいい、任せたぞ」

 鍵などをベリに手渡したジンは、後は任せたといわんばかりにベリの肩を二度叩くと、手慣れた様子でひらりと再び竜に乗り正面を向いたまま声を零した。

「君はいつもそうなのか」
「何が?」

 上手く翻訳が出来ていないのだろうか、イマイチ彼の言っている意味が分からない。

「……君の周りにいる人は心臓病を知らなそうだ、仲がいいほどに生きた気がしないだろうな」

 何故かジンさんは呆れたかのような表情を浮かべると、腰に下げた袋から何か握り込める程度のものを取り出し、中空へと高く放り投げた。
 並みの木を超えるほどの高度でそれは光り輝き、何やら巨大な魔法陣が展開される。

 中心から覗く景色はこの広々とした草原ではなく、どこか人工的な真っ白い建築物が並ぶ街並み。

「君、いや、フォリア君。俺の背にしっかり捕まってくれ、緊急用の直接転移魔法陣で跳ぶ」

.
.
.

 竜の背から世界を見下ろす。
 木はミニチュアのように小さく、家々が灯す明かりが消えぬ花火のようにまばらに広がっていた。

「ここが教国……」
「中枢の頭上まで跳べたら良かったんだがな、警備の問題で出来ないようになっている。暫く空を飛ぶことになる」

 白い国だった。
 月光が深々と降り注ぐ家々は滑らかな白い石で築き上げられていて、名前のせいもあってなのだろうか、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。

「物語に出てきそう、神様の住処とか」
「我が国に神は居ない」
「そうなの?」

 教国。
 名からして宗教を中心とした国家だとばかり思っていたので、彼の言葉に見開く

「宗教の多くは教養のない民への教えが元になっている、細かな点を理解しきれぬ者のために分かりやすく『神の教え』だと伝えているに過ぎない。教国も元は神がいたが……教育が以前より行き届いた今国をもって神を祀り上げる意味は少ない」
「そっか……私の所には神様いっぱいいたよ。見えも聞きもしないけど信じてる人は結構いたと思う」

 神社だの、まあちょっと違うんだろうけどお寺だの。
 心の底からいる! 存在するんだ! と言い張る人はまあいないだろうけど、そう言った場所に出向いたら何となく汚したりだのは気が引けるあたり、大体の人はほんのちょっとばかし信じているのだろう。

「個人が信じることは自由だ。時に道を見失った時、神は良心の指針になりうる。民間の信仰は耐えていないさ、俺も軍神モロモアスを信じている」
「ああ、そういう感じなんだ。私の国とあんまり変わらないね」
「そうか、君にも国があるのか」

 すぅ、と勝手に喉が息を吸った。
 叫んでしまいそうなほどの感覚を押さえつけて、ただ思っただけの事を吐き出す。

「……多分問題はいっぱいあったと思うけど、少なくとも私の周りの人たちは良い人達ばっかりだったよ。皆優しかった」
「どの国も、どの人間もそうだ。大事なものは大事にする」
「うん」

 冷たい夜風を切り裂き竜は飛ぶ。
 喧騒すらもが溶けてしまった夜の静寂を、ひたすらに疾く、疾く。

「見えるか、あの建造物だ」
「うん」

 ぼんやりとばかり見えていたその建築物は、周囲から一段と高い場所に築き上げられていた。
 街並みと同様に白く美しく、されど凡百の家とは一線を画すほど細かく優雅な装飾が近づけば近づくほど露わになる。

 『中枢』、とはまさに政治などの中枢拠点でもあるのだろう。
 荘厳なその姿には知識の無いものでも感動で打ち震え、この世界の建築に詳しい人間であれば語り出し日が昇り、そして沈もうと時間が足りないほどに違いない。
 正しく国の象徴、誇りだ。

「くそっ、一体何があったんだ……!」

 もしこれほどまでにあちこちが砕け、捻じ曲がり、歪み切っていなければ……の話だが。
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