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第328話

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「ふぃ、大丈夫か……行こ」

 やはり、クレストの追手ではないなこれは。

 今ので確信した。
 私に攻撃が通るのはあの奇妙なナイフだけだ、クレストが振るっていたあれだけだ。
 彼の心配して足を止めたあの瞬間、もしあのナイフが飛んできたり、或いは握った人が襲い掛かって来たらもしかしたら切られていたかもしれない。

 だがやはり飛んできたのは槍だ。
 つまり彼らにとっての攻撃手段であり、ついでに必殺でもあるのはこの爆発する槍だけ。
 クレストが指示しているのならこんなのは絶対にありえない。

 つまり私はクレストには追われていない、もしくはまだどこにいるかは分かっていない。
 これは喜ばしいことだ。

「はぁ」

 けれど同時に浮かんできた問題にため息を吐き、丁度あった、蔦に覆われさらに苔むした平たい感じの岩・・・・・・・へと背を預ける。

 つまり、だ。彼らは別の枠組み、クレストじゃない第三者とでもいうべき何かが私を追ってきている。
 どちらにせよ気持ちのいいものではない。
 しかも目的も分からなければ会話で通じることすらできない、つまり逃げるしかないってわけだ。

 まだ悪いことをしたつもりはないってのに、どれだけ追われ続けるのかという気苦労で肩が凝ってくるような気すらする。
 ちょっとは寝たいのに寝れてないし。

「ん……ふぅ、ん?」

 少し倦怠感を感じていた体を、ぐい、と伸ばしたその時、肩に何かが触れた。
 背にした岩が出っ張っていたのか。だが岩ってのは大概割れたりして形が出来る訳で、こんな唐突に出っ張りがあるってのは中々珍しい。

 何故だか妙に気になり、その苔を軽く千切ってその下へと手を伸ばすと……それは確かにひんやりとして冷たく、しかしそこいらの岩では決してあり得ない滑らかな表面をもっていた。
 例えるならて……そう、金属だ。

「まさか、ね……」

 見てみればこの岩、実に平たい。
 いや、平たいだけじゃない、なんだか左右の形も随分と均等じゃあないか。

 ぶつり、ぶつりと蔦を引き千切る。

「ありえないでしょ……」

 だってこっちは異世界だぞ。
 そんな、あるわけがない。

 焦げ付く脳内をそのままに苔を払いのける。

 ここまで植物がへばりついているんだ、一ヵ月や二か月って時間じゃないだろう。
 一年、二年? いや、もっと長い期間だ、十年は必要かもしれない。
 ずっと、ここにあった。

「ありえないよ……それはちょっとあり得ない」

 だがそれだけの植物に囲まれて長時間が経過してなお、苔の下から現れたそれは実に綺麗な金属光沢を私へと見せつけた。
 一体何がおかしい、己は最初からこうだったとでもいうように。

「……っ!」

 喉の痙攣が一層増す。

 そう、それは扉だった。
 一枚の、一見すればどこにも繋がっていない、金属で出来た巨大な扉だった。

 だが……なによりもこの一年で最も目にした存在だった。

『――ォ!!』

 竜の嘶き、そして人々の叫ぶ声が鼓膜を打つ。
 まだ遠い。だがきっと今までの様に一直線でここに向かってきている、私を殺すために。
 幾ら攻撃されようと死にはしないかもしれない。だが疲れ果てた先で何をされてしまうのか、それは私にもわからない。
 もしかしたら今は持ち歩いていないだけで、クレストの様に私へ傷を与える方法を何か持っているかもしれない。

「もう来たのか……」

 どうする?

 可能性は二つあった。
 まず一つ。これはただの扉だ、森の中で古代文明かそれとも誰かが不当放棄した錆びない金属の扉だ。
 なんたってここは異世界だ。私の知らない技術や文明が数多存在していて、一部には森の中に金属の扉を捨てる文化があるのかもしれない。

 だがもう一つの場合だったら?
 行き先が何もない様に見えるこの扉を開けば、こことはまたちょっとばかり異なる空間が存在していたとしたら。
 
 扉は黙りこくった私の背後に佇み、静寂を纏わせたままその存在を主張した。

 どうせなにもないさ。
 ただ、この扉の取っ手に手を引っかけて、ほんのちょっとばかり押し込み開けてみればいい。
 ほら見ろ。やっぱりなんかの下らないいたずらか、捨てられただけの扉じゃないか。

 そうだって、誰かに言ってほしいのに。
 いやに引き攣る自分の頬が、酷く震えた。

「」

 しかし扉を押し開けた私の喉から零れたのは、低く、冷たい落胆。 

「だよ、ね……」

 燻ぶった期待は踏み潰された。
 小さく生まれた隙間のその先には、蝶や花、ましてやこの森のような木々ではなく、周囲の環境とは全く異なるこんこんと降りしきった雪の姿だったから。

 この先に広がる景色が一体何なのか、全て知っている。
 この世界でまさか出会うとは思っていなかった。だがその存在の根源は次元の狭間にあり、ひび割れた世界へと効果を及ぼす巨大な魔法だとしたら……決してあり得ないわけじゃない。

 ……こちらの世界の人はこの存在を知っているのだろうか。
 この――ダンジョンという存在を。
 存在してしまった・・・・・・・・その意味を。

「なん……で……ッ!」

 ただ憎めるならこんな苦しいことは無かった。
 ただのうのうと私達から奪ったもので生きてるだけなら、なにも感じず、考える必要だってなかったのに。

「くそっ」

 背後へ投げた小石が襲い掛かって来た槍と共に盛大に爆散した。

 ここは悩むにはあまりに騒がしすぎる。
 幸いこの扉は打ち開きだ。中で適当な木でもへし折って扉に押し当てておけば、多分外から中に入ることは出来まい。

「最悪だ」

 怒りと想定外の焦りに支配されたまま、私はその扉を潜り抜けた。
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