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第302話

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 それからはあっという間だった。

 背後へと対比しカナリアを背に構えた直後、前方一帯の地面が隆起し無数の影が飛び上がる。
 この世界に存在する鳥や爬虫類と相似した存在から、触手などを纏い珍妙不可思議とも取れる不気味な容貌など、数多のモンスター達が続々と溢れ出す。
 そしてそれらが集うのは空へ浮かぶ巨大な鋼の方舟。

 ミツバチの生態、その一つに熱殺蜂球ねっさつほうきゅうというものがある。
 外敵に対して無数のミツバチが集い集団で球を作り出し、内部にいる外敵を蒸し殺す防衛手段の一つだ。
 ともすればイージス艦を取り囲むモンスター達の姿は、巨大なそれ・・にも似ていたが……彼らが繰り出すものは熱だなんて、そんな生易しいものではない。

「……っ!」

 ふと目に付いた光景に、悲鳴が喉からせり上がる。

 無数に集うモンスターの内、一匹がぶくり、と膨らみ弾け、二度瞬く合間に周囲を飲み込み『消えた』。

 音は無く、風すらも起こらない。
 だが、消える。
 存在ごと消え去り、広範囲を巻き込んでの消滅を起こす。

 空白は、ない。
 こそぐかのようにごっそりとモンスター達が消えたにもかかわらず、本来生まれるはずの空間はやはりモンスターで埋まっていた。

 だが異様に滑らかな断面を見せ地へと転がる、消滅に巻き込まれたモンスターの四肢が、かつてそこには確かに何かが存在していたのだとこちらへ知らせた。
 けれども唯一残されたその痕跡すら、死すれば光の粒となって魔力へと還元されるモンスター故に儚きモノ。

 そして何も変わらなかった・・・・・・・・・

「――! っ、――!」

 トランシーバーは返事を流さない。
 あちらには絶対に聞こえているはずなのに、何も言ってくれない。

 ただひたすらに激しくなる攻防。
 どんな攻撃にも耐えられる鋼鉄とスキルの船も、世界の無慈悲な消滅に抉れ、見るも無残な姿へと変わっていく。
 そんな姿になってなおイージス艦と、その脇にて振るわれる巨大な剣はモンスター達を穿ち抜き、切り裂くことをやめなかった。

 じりじりとした焦燥感の中、私は魔法陣を守り続ける。

 無茶は何度もしてきた。
 出来るか分からないことばっかりだったけど、とりあえず飛び込んでから考えることは多かった。
 けど、そんな私でも、あそこに飛び込むのは無謀なんて甘い言葉で済まされるものではないのだと、蟻一匹が車へ挑むのと変わらないのだと理解できたから、何も出来なかった。


 そして自分の思考が動いているのか、それとも停止しているのか分からなくなるほどの短く長い時が経ち――赫光が弾けた。


「完成だ」

 一つの小さな鍵を摘み上げたカナリアが顎をしゃくる。

 先程まであっという間に広がっていった魔法陣から一転して、それは小さな扉だった。
 いや、扉と言って良いのかすら分からない。透明のようだが、目を凝らしても通り抜けた背景が見えるわけではない。
 かといって濁った色があるわけではなく、白を基調として虹色に移り変わる不思議なナニカ。
 だがまあ、そう、私が知っている存在の中で最も近いものと言えば、扉と言わざるを得ない。そんなものがカナリアの正面に生まれていた。

「そもそも安定性が高いものではない、さっさと行くぞ」
「うん」

 戦闘に巻き上げられた砂がバチバチとお面に弾かれ、それでも上を見上げる。

「……行ってきます」

 数秒だけ待った。

 ざり、と小さな、返信用のボタンを押したときに生まれるノイズが聞こえたような気がして、心臓が痛いほど高鳴り……けれどやはり、何も声は帰って来なかった。

「――行くぞ」

 冬の低温に晒された身体ですら、ぞっとするほどの冷気へと飛び込み――





「フォリっち行ったよ」
「……はい」

 何故か・・・船体の横に空いていた穴から外を覗きこみ、芽衣が通路で膝を抱えていた琉希へと告げた。

「すみません……どうにか空中には保ってはいるんですけど、やっぱりこの船の重さもあって脱出も厳しいです。もう限界で……」
「まあ最初っから言ってたしね、わーってるって。こんだけやれただけぐっじょぶ! おつかれ!」

 バシバシと肩を叩きサムズアップをする芽衣だが、しかし琉希の顔は晴れない。

 元々特攻に近い戦いであり、琉希は人員を乗せるつもりはなかった。
 きっかけになった芽衣も海自の人たちへと任せるつもりで、それ故彼女が喚いて船へと張り付いたことも、そして本来の船員たちがこうも戦闘へ従事することも、何もかもが想定外。

 一度出てしまえば戻ることは出来ない。

 何度か断ったものの彼らの強い押し、そして当然人員は多い方が良いという打算。
 半ば強引な形ながらも彼らと共にここまでやって来た琉希ではあったが、やはり消しきれぬ罪悪感が、最期の最期というこの今になって一層押し寄せてきていた。

「やっぱりあたし一人で来てたら……っ」
「そりゃ違うな」
「お、兄貴!」

 通路奥から静かに歩いてきた呉島は、妹である芽衣の頭を軽く撫でそっと琉希の横へと座り込んだ。

「大概の人ってのはさ、基本的に困ってる誰か……あー、そう、特に子供なんてものは助けたいんだよ」

 少し気恥ずかしげに語った彼であったが、少し遠い目と共に深々とため息を吐く。

「でもな、大人になるとしがらみだとか世間体だとか、保身でそう簡単に動くことなんて出来なくなる。善意が必ず善意を返してくれる訳ではないと知るからだ」

 誰しもが必死に生きる世の中だからこそ、躊躇われてしまう感情もある。
 それどころか綺麗事だと、幼稚だと嘲笑われてしまい堂々と公言出来ない事も多い。
 誰が悪いわけでもない、仕方のないことだ。

「それでも友達を助けたい、現状をどうにかしたいなんて言って、とんでもない力を若人に見せつけられたらさ、ちょっとばかし長く生きてる先輩として何かしてやりたくなるのが当然な訳よ。幸か不幸かしがらみも全部なくなったしな」

 呉島の言葉に芽衣がけらけらと笑う。
 普段の芝居がかった口調が随分と薄れており、兄が彼なりに真面目な気持ちを伝えていることだ、どうにも壺に入ってしまったらしい。

 呉島自身も分かっていたようで、照れ隠しに妹の頭をぐちゃぐちゃと撫でまわす。

「んなあっ」
「だから……こんな贅沢滅多に出来ねえ、むしろ感謝したいね。つか最近の女子高生は恐ろしいな、誰も彼もふざけた力もちすぎだろ」

 一つ言い切ったところで、彼は廊下へと視線を向けた。

「それで俺達の仕事は終わった、そうっすね艦長?」
「若造が知った口を……」

 気付かれていたこと、そしてその得意げな顔と口調に口角を引くつかせ、薄い毛布を一枚抱えた壮齢の男性が、かつかつと三人の元へと歩み寄った。

「まあ、確かに合っているがね。特に自衛隊員なんて相当の物好き達だ、利他主義な精神という点でそう簡単に負けるはずもない」

 艦長と呼ばれた彼がおもむろに額へと手を伸ばす。
 その手に握っていたのは他の乗務員と比べ些か派手な刺繍の付いた帽子。
 そして白髪の混じり始めた頭を深々と下げた。

「――ありがとう。国も守る者も失ったと思っていた私達へ、一つ希望を与えてくれたこのことに感謝を。これは私を含めた乗組員全員の言葉だと思ってくれて構わない」

 穏やかに微笑んだ彼はそっと小脇に抱えていた毛布を広げ、琉希と芽衣を包み込むように優しく掛けた。

「だから……もう戦わなくていい。こんなものしかないが、君たちは休みなさい。夜の間歩きっぱなし、ここまで一睡もしていないのだろう?」
「でも」
「休みなさい。目を閉じていた方が……辛いものを見なくて済むからね」
「……はい」

 琉希と芽衣が身を寄せ合い、壁に寄り掛かって目を閉じる。
 同時に周囲を駆け巡っていた剣がゆっくりと勢いを落とし、船は徐々に高度を下ろす。
 どれだけ数を減らそうと溢れる怪物たちが隙を逃すわけもなく、瞬く間に周囲へと取り付いて隙間から内部への侵入を始めた。

「最期くらい煙草吸っても良いかね?」
「俺の妹煙草の臭い大っ嫌いなんでダメっす」
「そうか……こんな時まで世知辛いな……よっこいしょ」

 当然、目の前にがっぽりと大穴の開いている通路も、格好の侵入経路であることに変わりはない。

 目を閉じている少女二人の肩がびくりと震え、男たちは二人を背中で守る様に立ち上がる。
 意味はなくとも、本来ならば後ろの一人の方が強くとも、こればかりはしなくてはならないと視線で会話を交わしながら。

 二人は迫りくるそれの恐怖から逃げるため、身を寄せより一層布団を強く握りしめた。

「おっさんくさいっすよ。コーラシガレットならあるんスけどね」
「ならそれで構わん、口が寂しい」

 遂に開口部へと細長く不気味な指がかかり、ボコボコと内側から沸き立つかの如く膨らんで――
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