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第301話

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「いや……皆で一緒に絶対行こ?」

 私の言葉を最後に彼女は暫し黙りこくり……ふ、と笑った。

『そうですね……確かに楽しいかもしれません』
「ね、やっぱりそう思う?」
『じゃあ絶対勝たないといけませんね!』
「うん」

 恐怖や焦りはもう無かった。

 なんだか行ける気がする。そう、全ては根拠のない万能感。
 だがそれでいい。
 これで踏み出せる、前に進める。

『あたしはこの船もあるので付いていくことはできませんが、勝って、それで、みんなで高校に行きましょう! 信じてますからね!』

 船の上にいる彼女の顔は、頭上から照らす太陽のせいで全く見えない。
 けれど自分の胸を二度叩き、人差し指を向けて笑う。

「まあ見ときなって。なんたって私は……」
『誰より最強、ですよ。分かってますよ、なんたってあたしが一番最初に貴女に助けられた人間ですもん』
「や、そこは誇らなくてもいいんじゃないかな……っ!?」

 ぞわりと首筋に走るナニカ。

 地平を蠢くモンスター達はまだ遠くにいる、空は澄んでいて影もない。
 上も横も問題が無いのなら、残されるのは……

「――下から何か来るっ!」

 叫び、無意識に地面を蹴り上げた直後、瞬く直前にまで己が立っていたその地点が弾けとんだ。

 ――やられたっ!

 地面から跳びあがり、こちらに向かって勢いよく咢を開くモンスター。
 蛇にも似たその巨体はいくつもの節に分かれており、細かなやすりのような鱗が右へ左へと激しく犇めいている。
 効率的に地面を掘り進めることに特化した肉体は、桁外れな速度で容易く地面を穿ち抜き、こちらが気付く暇もなく足元にまで到達してみせた。

 地を駆け、空を舞うモンスターにならば何度も会遇したことがある。
 だがむしろ経験があったからこそ、『地面を穿って足元から来る』可能性を無意識に排除していたのだろう。

 ダンジョンのモンスターは常識を容易く上回る、そんな事十二分に理解していたはずなのに。

 こちらを容易く丸呑みできるであろう大口。重力と慣性に塗れて空を落ちる中、己の不注意に唇を噛み締める。

 死にはしない、その恐怖はこいつからは感じない。
 だが完全に失敗だ。たった一匹がたまたま足元にやってきた、なんて考えられなかった。


『――大丈夫』


 だが、その顎がこちらへ辿り着くより速く、大地を切り裂き切き生まれた巨大な二振りの剣が、瞬く間に怪物の体を串刺しにした。

「助かった!」
『ええ! フォリアちゃんは魔法陣の方へ!』

 無線機に向いた喉がはた、と止まった。

「でも……っ」

 感じる、細かな揺れを。
 それは砲撃による盛大な一発の揺れや、遠くで叫びをあげる怪物たちの咆哮ではない。
 突き上げるような下からの振動。それも一匹や二匹なんて甘いものではない、今の怪物や、同族が掘り上げた深く長い穴を這いあがろうとする無数の行進。

 飲み込まれる、確実に。
 蠢く地平線が到達し、ここも漆黒に染まるのを予感させていた。

『やらないといけないことがあるって啖呵を切ったのは誰ですか! これしかないんだって、唯一の可能性に賭けたのは! 貴女がそこまで言い切ってやるべきことはあたしたちを守ること? 違うでしょう!』

 また・・なのか。
 また、斬り捨てないといけないの、後何人こうすればいいの。
 ママ、ママ、こんなのいやだ。誰も死なせたくない、死なせたくないから戦ってるのに。

 ママはお前の犠牲になった。
 お前が決めた道だろ。

 うるさい、分かってる。
 ……分かってるんだよ。

『行ってください』
「……気を付けて」
『ええ』

 気を付けて何になる。
 駆け出しながらもどうにか吐き出した最期の言葉は、あまりに空虚だった。




 次元の狭間は均一の空間ではない。
 大量の魔力が渦巻き、時として薄く、或いは時としてどこまでも濃い魔力が渦巻く不安定な空間へ巨大な穴を創り上げ、対岸の異世界までの道を切り開くというのは非常に困難な事だ。
 ましてや大元は魔天楼より引き上げた膨大な魔力による力業が前提の魔法陣、幾ら彼女が改修したとはいえ人一人が成し遂げられる限界を超えていた。

 それ故利用する、狭間の魔力を。
 純化されておらず記憶を内包したままの魔力、安全などとは無縁の存在。

『何故、どうして……』
「ちっ……」

 また、カナリアの意識に逆流した魔力の記憶が蘇った。

 世界の周囲に漂っているのは。当然大部分がその世界に依存した記憶。
 即ち、ダンジョンの崩壊によって崩れた世界が魔力へと還元され、狭間の魔力へと仲間入りしたそれ。
 無味な世界の風景であればいい。しかしくっきりと残るのは生物、とりわけ自我のはっきりした人間の感情……死への恐怖、生の渇望、そして死の直前に味わった苦痛だ。

 脳が沸騰し、肉が抉れ、指がへし折れ、内臓を啜られ、瞳の中の水晶体が沸騰する。
 うっすらとした死の追想が意識に雪崩れ込み、己の自我を食い潰す。
 耐えられるのは二度か三度、それ以上は自意識の保証が効かない。

「だ、ま……っていろ……貴様らの恨み、な、ぞ後で、幾らでも捻じ込んでやるさ、本人へ直接な」

 記憶の中では磨り潰されたはずの足ですくりと立ち、踏み潰されたはずの喉が詠唱を続ける。
 取り入れた記憶を焼却し精製を続ける魔力が、無数に絡み合う複雑な立体魔法陣へと染みわたり、蒼に、そして……遂に深紅の輝きを湛えた。

 つかの間の安堵。

「……っ! げぇ……っ、ふぉぇ……っ!」

 バチン、とカナリアの意識が弾けた。
 全身の指が理性を乗っ取られたかのように痙攣を始め、乖離した意識と現実を擦り合わせるが為の発狂を繰り返す。


 死が、死が、死が、死が。


 十数秒ばかり己の吐しゃ物がまき散らかされた地面へ倒れ伏し、戦うフォリアを虚ろな目つきで見るカナリア。
 魔法陣へ攻撃が行かぬよう、しかし戦いのためにスキルの使用をせず駆け回る彼女の顔は、普段と変わらぬ無表情ながらも冷たい苦悩に満ちていた。

 一つだけ。
 あまりに残酷な手段。
 だが、あまりに限られた手札の今、唯一の希望、全ての救済は――

「……少し危なかったな」

 しかし、彼女の胸元から起動した魔法陣が輝いた直後、そこには何事もなかったかのように少し痛みの残る首を揉み、ため息を吐く彼女がいた。

 
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