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第297話
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駆け抜けた先に存在していた幻魔天楼は、絶景と呼ばれる風靡な海を切り抜き、そのまま塔へと変えたかのように蒼く、美しいものであった。
以前ものけの殻であった協会本部へ足を運んだ時にもちらりとは見たが、やはり何度見ても綺麗だ。
天を貫く壮大な姿、色合い、輝き。なるほど、内部こそその構造から膨大な魔力が取り巻き、ダンジョンシステムによってつくられるモンスターのレベルは飛びぬけているが、こうやって前から見る分には見惚れてしまうかもしれない。
「今から魔法陣の構築と展開を行う! 貴様は周囲を警戒しておけっ!」
蒼い塔の根元へ片手を添え、カナリアが虚空から紙束を取り出す。
聞いたことのない言語の詠唱、空を舞うように彼女の指先が何かを描き、次第に全身を取り巻く巨大な光球が生まれる。
球の周囲を駆け巡る光の文字、そして更にその外周を覆う新たな光球と文字。
三次元の利点を余すことなく使われた術式は膨大な文字を内包し、緻密で繊細な構築を可能とする。
しかし世界を繋ぎ飛び立つというのは、カナリアをもってしても相当過酷なものらしく、皺の寄った額には小さな汗が滲んでいた。
警戒、か。
ママと馬場さんがモンスター達を引き受けてからここに来るまで、モンスターとは文字通り一匹も会遇することはなかった。
本当に二人で全てを引き寄せてしまったらしい。
――だが、いつからだろう。
どこまでも響くと思っていたママの演奏が聞こえなくなったのは。
ふと疑問が浮かんだ瞬間、頬を掠めて背後へと突き刺さる、人差し指ほどの太さを持つ巨大な針。
それは吸い込まれるようにカナリアの魔法陣へ突き刺さり、ガラスが砕けるそれにも似た甲高い音を立てて崩れ去った。
「えっ……!?」
「おい! 警戒しろと言っただろうが!」
唖然とした私の背後から叱責が飛ぶ。
「だってどこから攻撃が来たのか……っ!?」
求めていた答えは地平線の遠く、崩れ去ったコンクリートの建造物たちと、へし折れた木々の隙間から覗いていた。
「ぁ、ぁあ……っ、ああああ…………っ!」
絶望に呻く喉奥。
地響き、咆哮、騒乱の夜行が迫りくる。
その先頭を駆け抜けるのは狼にも似た、わき腹に一本の刀が突き刺さり、コートの切れ端を血で張り付かせたモンスター。
全て見えてしまった。このダンジョンシステムで強化された視覚が、見たくもないものを。
人間二人ぽっち、大した腹の満たしにはならなかったということだろう。
「そう、か……そうだよ、ね……」
何一つ説明の難しい理由や、複雑に絡み合った原因があるわけでもない。
馬鹿でも分かる。私でも分かる。あの瞬間から分かっていた。
ただ、巨大な波の前には、人間なんてちっぽけなものだということだけだ。
くつくつと声帯が震える。
脳内が真っ白になった。
「ぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」
爆音。
悲鳴を上げ、吹き飛ぶ目前の地面。
怒りのままに振り下ろしたカリバーを中心として、巨大なクレーターががっぽりと抉り抜かれる。
「私を、恨んでいるか」
肩で息をする私の背後から、感情を抑え込んだ声が差し込まれた。
「憎んでいるか」
こちらの返答も聞かず、矢継ぎ早に出される質問。
「それとも怒りか? 悲しみか? だが」
「カナリア」
彼女は間違ったことを言わない。
性格の問題で私は選ばないが、少なくとも一理ある選択肢を選ぶ。それがカナリアという人間だというのは、この一か月にも満たない生活で理解した。
だがカナリアはそういった選択肢を選ぶとき、必ず何故か問いかけにも感じる言葉を吐く。
最初は私に言っているのだと思っていた。未熟で青臭い選択肢だと自分でも分かってたから、その叱責なんだって。
でも、今のは……
「その言葉は、私に向かって? それとも貴女自身に向かってのもの?」
「なに?」
振り向く必要はない、カナリアの答えを聞く必要もない。
「カナリアが時々言う『私は後悔しない』、『出来ることをする』。そのどれもが正しい物言いみたいで、でも自分に言い聞かせてるようにも感じる」
「きっ、貴様如きがなにをっ!」
やっぱり彼女は反応が分かりやすい。
「嫌われ役は楽だよ。嫌っていればいい、何をされようと私は正しいんだって一匹狼気取って、飄々と振舞えるから。でもそんな後ろ向きじゃなくて、いい加減真正面から受け止めて背負わないと」
第一、彼女の見せる唯我独尊を地で行く性格ならば、他人の事をどうでもいいと本気で思っているのなら、ダンジョンシステムなんて構築する必要はない。
わざわざこちらの世界に来て、対抗組織を創って、魔天楼を止めようとなんてしなくていい。
狭間から世界を超えられるのならあちらの世界に戻って、それこそ人との関わりを絶ってひっそりと暮らせばいいのだ。
こちらの世界の被害さえ目を瞑れば……いや瞑っては駄目だが……無限に湧き出す魔力、苦しみも悲しみも基本的にない素晴らしい生活が保障されるだろう。
「それに強がるなら、もっと前向きに強がった方が何倍も良い」
気を抜けば歯軋りをしてしまいそうになる口角を無理やり引き上げ、振り向き、カナリアの顔を見る。
「……なんだそれは」
「私はずっといろんなものを耐えてきた、これはもはや強がりのプロと言っても過言ではない。プロ的に言わせてもらえばそうやって後ろ向きに耐えてると押しつぶされちゃうから、もっと前向きに強がった方が耐えられる」
くつくつと乾いた笑いがカナリアの口元から零れる。
「そういう話をしているのではない。結局自分を誤魔化しているではないか」
「当然でしょ。こんなの耐えられるわけない、何も感じないわけない」
吐きそうだった。
頭がくらくらして、鼻の奥がツンと痛くなって、頭の後ろが燃えているように熱い。
顔から垂れた涙が貰ったばかりのマフラーに染み込み、濡れそぼった気持ちの悪い感覚を絶え間なく首元へ送り続ける。
「皆死んだ。皆、皆、私に優しくしてくれた人たちが、大切な人達が死んだ」
私は皆を死なせたくなかった、だから戦うって決めたのに。
なのに皆先に死んでいく。笑顔で、私のために。
何故だ。
何故か? もうわかってる。
私が皆を大切に思っている以上に、皆が私を大切に思ってくれていたから。
そうだと、うぬぼれじゃないと信じたい。
大切に思っているのに、大切に思っているからこそ、どうしようもなくすれ違ってしまっていた。
言語で表すことのできない鬱屈とした激情に蓋をする。
それでも私は……
以前ものけの殻であった協会本部へ足を運んだ時にもちらりとは見たが、やはり何度見ても綺麗だ。
天を貫く壮大な姿、色合い、輝き。なるほど、内部こそその構造から膨大な魔力が取り巻き、ダンジョンシステムによってつくられるモンスターのレベルは飛びぬけているが、こうやって前から見る分には見惚れてしまうかもしれない。
「今から魔法陣の構築と展開を行う! 貴様は周囲を警戒しておけっ!」
蒼い塔の根元へ片手を添え、カナリアが虚空から紙束を取り出す。
聞いたことのない言語の詠唱、空を舞うように彼女の指先が何かを描き、次第に全身を取り巻く巨大な光球が生まれる。
球の周囲を駆け巡る光の文字、そして更にその外周を覆う新たな光球と文字。
三次元の利点を余すことなく使われた術式は膨大な文字を内包し、緻密で繊細な構築を可能とする。
しかし世界を繋ぎ飛び立つというのは、カナリアをもってしても相当過酷なものらしく、皺の寄った額には小さな汗が滲んでいた。
警戒、か。
ママと馬場さんがモンスター達を引き受けてからここに来るまで、モンスターとは文字通り一匹も会遇することはなかった。
本当に二人で全てを引き寄せてしまったらしい。
――だが、いつからだろう。
どこまでも響くと思っていたママの演奏が聞こえなくなったのは。
ふと疑問が浮かんだ瞬間、頬を掠めて背後へと突き刺さる、人差し指ほどの太さを持つ巨大な針。
それは吸い込まれるようにカナリアの魔法陣へ突き刺さり、ガラスが砕けるそれにも似た甲高い音を立てて崩れ去った。
「えっ……!?」
「おい! 警戒しろと言っただろうが!」
唖然とした私の背後から叱責が飛ぶ。
「だってどこから攻撃が来たのか……っ!?」
求めていた答えは地平線の遠く、崩れ去ったコンクリートの建造物たちと、へし折れた木々の隙間から覗いていた。
「ぁ、ぁあ……っ、ああああ…………っ!」
絶望に呻く喉奥。
地響き、咆哮、騒乱の夜行が迫りくる。
その先頭を駆け抜けるのは狼にも似た、わき腹に一本の刀が突き刺さり、コートの切れ端を血で張り付かせたモンスター。
全て見えてしまった。このダンジョンシステムで強化された視覚が、見たくもないものを。
人間二人ぽっち、大した腹の満たしにはならなかったということだろう。
「そう、か……そうだよ、ね……」
何一つ説明の難しい理由や、複雑に絡み合った原因があるわけでもない。
馬鹿でも分かる。私でも分かる。あの瞬間から分かっていた。
ただ、巨大な波の前には、人間なんてちっぽけなものだということだけだ。
くつくつと声帯が震える。
脳内が真っ白になった。
「ぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」
爆音。
悲鳴を上げ、吹き飛ぶ目前の地面。
怒りのままに振り下ろしたカリバーを中心として、巨大なクレーターががっぽりと抉り抜かれる。
「私を、恨んでいるか」
肩で息をする私の背後から、感情を抑え込んだ声が差し込まれた。
「憎んでいるか」
こちらの返答も聞かず、矢継ぎ早に出される質問。
「それとも怒りか? 悲しみか? だが」
「カナリア」
彼女は間違ったことを言わない。
性格の問題で私は選ばないが、少なくとも一理ある選択肢を選ぶ。それがカナリアという人間だというのは、この一か月にも満たない生活で理解した。
だがカナリアはそういった選択肢を選ぶとき、必ず何故か問いかけにも感じる言葉を吐く。
最初は私に言っているのだと思っていた。未熟で青臭い選択肢だと自分でも分かってたから、その叱責なんだって。
でも、今のは……
「その言葉は、私に向かって? それとも貴女自身に向かってのもの?」
「なに?」
振り向く必要はない、カナリアの答えを聞く必要もない。
「カナリアが時々言う『私は後悔しない』、『出来ることをする』。そのどれもが正しい物言いみたいで、でも自分に言い聞かせてるようにも感じる」
「きっ、貴様如きがなにをっ!」
やっぱり彼女は反応が分かりやすい。
「嫌われ役は楽だよ。嫌っていればいい、何をされようと私は正しいんだって一匹狼気取って、飄々と振舞えるから。でもそんな後ろ向きじゃなくて、いい加減真正面から受け止めて背負わないと」
第一、彼女の見せる唯我独尊を地で行く性格ならば、他人の事をどうでもいいと本気で思っているのなら、ダンジョンシステムなんて構築する必要はない。
わざわざこちらの世界に来て、対抗組織を創って、魔天楼を止めようとなんてしなくていい。
狭間から世界を超えられるのならあちらの世界に戻って、それこそ人との関わりを絶ってひっそりと暮らせばいいのだ。
こちらの世界の被害さえ目を瞑れば……いや瞑っては駄目だが……無限に湧き出す魔力、苦しみも悲しみも基本的にない素晴らしい生活が保障されるだろう。
「それに強がるなら、もっと前向きに強がった方が何倍も良い」
気を抜けば歯軋りをしてしまいそうになる口角を無理やり引き上げ、振り向き、カナリアの顔を見る。
「……なんだそれは」
「私はずっといろんなものを耐えてきた、これはもはや強がりのプロと言っても過言ではない。プロ的に言わせてもらえばそうやって後ろ向きに耐えてると押しつぶされちゃうから、もっと前向きに強がった方が耐えられる」
くつくつと乾いた笑いがカナリアの口元から零れる。
「そういう話をしているのではない。結局自分を誤魔化しているではないか」
「当然でしょ。こんなの耐えられるわけない、何も感じないわけない」
吐きそうだった。
頭がくらくらして、鼻の奥がツンと痛くなって、頭の後ろが燃えているように熱い。
顔から垂れた涙が貰ったばかりのマフラーに染み込み、濡れそぼった気持ちの悪い感覚を絶え間なく首元へ送り続ける。
「皆死んだ。皆、皆、私に優しくしてくれた人たちが、大切な人達が死んだ」
私は皆を死なせたくなかった、だから戦うって決めたのに。
なのに皆先に死んでいく。笑顔で、私のために。
何故だ。
何故か? もうわかってる。
私が皆を大切に思っている以上に、皆が私を大切に思ってくれていたから。
そうだと、うぬぼれじゃないと信じたい。
大切に思っているのに、大切に思っているからこそ、どうしようもなくすれ違ってしまっていた。
言語で表すことのできない鬱屈とした激情に蓋をする。
それでも私は……
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