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第144話

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 午前五時。
 セミが目を覚まし恋の叫び声をあげる頃、私は協会の入り口に体育座りで伏せていた。

「うおっ!? 何でそんなところに座り込んでんだよ、びっくりするじゃねえか」
「……聞きたいことがある」

 鍵を開けようと鞄を探り、座った私を目撃した彼は素っ頓狂な声を上げ、いつも通りのおどけた振る舞いで声を掛けてきた。

「ダンジョンが崩壊した先、何が起こるの?」
「なにって……そりゃモンスターが溢れ出すさ。数えきれないほどの人が犠牲になる、だから俺たちが必死こいて動き回って止めてるんだろ?」

 私の質問に彼の顔は変わらない。
 いつも通り、張り付いた笑顔。

 あれも嘘、これも嘘、どれもこれもが嘘、嘘、嘘。
 何を信じたらいいのか分からない。
 虚構の真実に塗りつぶされた現実で、私は何を支えにしていけば良いのだろう。

「違う! 誤魔化さないで! 知ってるでしょ! 崩壊して……モンスターが溢れて……その先! その先にはっ! 消えるっ! 何もかもがっ!」

 お願いだ、否定してくれ。

 心は望んでいなくとも、既に盤面へ揃ったピースが伝えてくる真実。
 怒りのままシャツを固く握りしめた私へため息を吐き、渋い顔や悩んだ素振りをするが、口を開くことはない。

 静寂が支配する一瞬に、苛立ちが増していく。

「黙ってないでなんか言ってよ! 知ってたの!?」


「ああ、知っている」


 夏の暑さに噴き出した嫌な汗が頬を伝い、コンクリートへ吸い込まれていく。

 知っていた、知りたくなかった。
 ふつふつと湧き出す怒り。
 こんなの許されるわけがない。

「そうだ。この事実を知っているのは極少数。今連絡が付く・・・・・・のは俺と、どうして知ったのかは分からないがお前、あと二人だけだ」

 一度口を開いてみればもう遅く、彼は唯淡々と私へ己が知る真実を垂れ流し続ける。

 筋肉はずっと知っていて隠していたのか?
 一般人が知ればきっと怒り狂う。当然だ、ただ避難するだけでは何の意味もない、こんな危険な存在の近くでのうのうと暮らしていたのだから。
 どうせ消えるからばれないとでも思っていたのか? 人なんてどれだけ死のうと関係ないとでも思っていたのか?

 許せない。

「分かった、もういい」

 握り締めた拳を虚空に振り下ろし、苛立たしい雑音を吐き出すその口を閉じさせる。

 もう十分だ、これ以上は聞いていられない。

 証拠はもう十分録音した、ズボンのポケットに入れたこのスマホで。
 本当は動画で撮影しておきたかったのだが、彼はテレビにも出る程有名な人物、声だって知っている人も多い。
 あとは昨日拾ったものを見せつけてしまえば、違和感を辿って私の言葉を信じる人は出てくるはず。

 一人が信じれば次は二人、二人はさらに多くの人間を扇動する力になる。
 そうすればこの事実は覆しようのない真実となって、世間に……

「そのポケットに隠した物をどうするつもりだ?」

 背中を向け立ち上がった私の肩を、大きな掌が掴んだ。

 気付かれていた……!?
 力づくで奪う気か? あっさりと吐いたのは私を殺すつもりで……!?

「――!? っ、そっちがそのつもりなら、私にだってやる覚悟はある。これをネットに上げる、拾った証拠も、全て流す」

 いいさ、そっちがその気なら。
 私にはここから、きっと彼ですら追いつけない速度で移動する手段を持っている。
 全力で逃げて……

「それで?」
「私は絶対に事実を皆に知らせる、一度で信じてくれないなら二度、三度と。ダンジョンが崩壊した時に起こる本当のことを、協会が隠しているこの大きな問題を」
「それで?」
「は?」

 それで……?
 それでって、なにが……?

「それでどうなるんだ? お前のする行為は社会へ無闇に混乱を撒くだけだろう、その先に何をするつもりだ?」
「そ、それは……」
「公開した先のことを考えているのか? 仮にお前の言葉が信じられたとしよう、その先に起こることは一切誰も得をしない社会の混乱だ。どこにもない安住の地を求め、ダンジョンが崩壊する度に人々は逃げ惑い、よりダンジョンが少ない地を奪い取ろうと血が降ることになるだろうな。ただでさえ短いこの世界の未来をわざわざ縮めるつもりか?」

 私のせいで、戦争が……?
 ち、違う、そう簡単に戦争が起こるわけない。

「いいや、絶対に起こる。歴史上で人々が戦争をした根本には、自分たちの安寧を求める性がある。食料、環境、経済、人が求める物の基部にあるのは生きる上で安心で安全かどうかだ。この世界の消滅を知った人々が争わないわけがない」
「そ、そんなの分かんないじゃん。もしかしたら皆で協力して、崩壊を食い止めるとかダンジョンをなくす方法を探すことだって……」
「世界は善意だけで動いているわけじゃない!」

 そ、それじゃあ、筋肉が言いたいのは……!

「これを世間へ公表せずに黙ってろって言うの!? 皆このままじゃいつか死ぬのに、いつ死ぬかも分からないまま、何が起こるのか、何が起こったのかも知らないで死んで行けって言うの!?」
「知らない方が幸せなんだよ、これは。世間へ大々的に公表すれば本来失われなかった命すら失われる、お前にそれを背負う覚悟はあるか? やってから『こんなことになるなんて知らなかった』なんて言ってももう遅いぞ、虚構でも砂上でも、今ここにある平和を壊す覚悟はあるのか!?」

 私にその覚悟は無かった。
 そんなところまで頭が回らなかった。

 これはきっと私を欺くための方便なんだ。
 そう思いたいのに、私には反論することが出来ない

「それ……は……」
「それだけじゃない、お前にも注目が行く」
「私……?」
「そうだ。何故他の人間は誰一人気付くことが出来なかったのに、お前だけは気付くことが出来たのか? 能力研究の対象になるかもしれないし、引き金になったお前は大衆から遺恨の対象になる。加えてお前の得意な体質にも注目が行くだろう、その年齢で何故そこまでレベルの上昇が速いのかにな。そうなれば俺にも誤魔化すことは出来ん、一人で逃げられると思うのか?」

 そんなことって、ない。
 じゃあどうすればいいんだよ、私は。

 うつむいた隙を突き、握り締めていたスマホが奪い去られた。

「あっ……かっ、返して!」
「これを消したらな……ほら」

 やっぱり目的はデータを消すことだったのか!

 殴り飛ばしてやろうと拳が震え、しかし目の前に翳された手のひらが私の動きを遮った。

「まあ落ち着け、お前は頭の中でこれと決めたら他人の言葉を聞かないタイプだからな。行動力があるのはいいことだが、もう少し周りを見ろ」

 落ち着けだと? 無理に決まっている。

 結局どこまでも手詰まりな現状と焼け付くほど焦る心、自分が何もできないという無力感がこの身を襲っては折り重なっていく。
 目の前にやらなくちゃいけないことがあるのに、私はこのまま何もできないのか。

「こうなったら仕方がない、お前が変な行動起こしても困るし全て話そう。昼頃に俺の事務室へ来い、もう一人の重要人物を連れてくる……なに、お前も知ってる奴だ」
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