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第百八十一話

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「な、に……っ!?」

 終ぞ前腕は復元されることなく、ぴったりと肘の断面へ張り付いた皮。
 探索者として長い剛力ですら、かつて一度たりとて経験したことのない出来事に激しく精神を揺さぶられるが、今のままでは攻撃もまともに出来ないだろうと無事な左手で体験を掴み上げると、力強い跳躍でコンテナの上へと非難を試みる。

 ダンジョン内へ足を踏み入れステータスを獲得していない一般人であったなら、確かにポーションの効果は発揮しない。
 しかし確かにポーションは効果を発揮していた。盛り上がる肉や伸びていく骨、そしてすでに塞がれてしまった腕の断面からしても、それは間違いのないことだと確信できた。

 当然だと思っていたことが覆される。
 ありがちではあるがしかし想定外でもあった、相手が理外の存在であることを考慮すべきであった。

 相手は世界にダンジョンが現れてから数十年跋扈していた怪物。
 着々と力を蓄え一切の外敵を許してこなかったからこそ、今、剛力の目の前に立ち塞がっており、その一挙一動を決して侮ってはいけない相手であった。
 この腕を失った事はその代償ということにしておこう。

 剛力は一人天を仰ぐダカールを見下ろし、想像以上に己が相手を知らないことへため息を吐いた。

「やあ、怖い目で睨まないでくれ。君はいつも・・・そうだな。追い詰めても常に冷静、死地の中でも必ず活を見つけ出し我々を出し抜く。だから三度も・・・やり直す羽目になった」

 状況に似つかわしくない満面の笑み、演技がかった素振りで硬く拳を握りしめ、剛力の知らぬその苦節を朗々と語り出すダカール。

 出し抜く? やり直す?
 ダカールの語る出来事は悉くが、少なくとも剛力の覚えている範囲には存在しないもの。
 空想か、それともどこか狂っているのか、しかし一切を切り捨てるにはあまりに彼の発言、行動に狂気的なまでの執着を感じ、そこから生じた妙な説得力が次の行動を躊躇わせた。

 次第に海風が強く吹き荒れ、波が激しく唸り出す。

 剛力は相手がどんな手段を持っているのか分からず、ダカールは剛力の実力を恐れ自ずから近づこうとはしない。
 互いに互いの次を探り、言葉で相手を煽りたて、生まれる隙から食い破ろうと目をぎらつかせていた。

「何であんな所にいたんだい? ああ、言わなくても当てて見せよう、クイズは得意でね。どこから知ったのかは分からないが私を疑って周囲を探っていた、そんなところだろう?」
「アンタが間抜けすぎただけでな、俺一人でも全部分かっちまったよ。次からはもう少し慎重に動くんだな」
「いいや、次はないさ剛力君。右腕を失って体のバランスが崩れている、今の君はまともに動くのも難しいだろう? 三度失敗した、千載一遇のこのチャンスを逃すわけにはいかないんだよ」

 ――また、か。

 三度、三度と随分と三にご執心のダカール。
 しかし剛力がダカールの調査を始めたのは一か月前であり、当然その間は常に身を隠し、彼と交戦や、そもそも敵対的な行動を仕掛けたことはない。
 先ほどの少年との一件がなければそもそも今ダカールと交戦することすら存在しえず、本来であれば今頃情報を持ち帰り剣崎とコーヒーの一杯でも飲み交わしていただろう。

 しかし相手は常に受け身、仕掛けるならこちらからか。

「『断絶……剣』ッ!」
「その技は既に見た・・・・

 大ぶりの一撃。
 飛翔する斬撃は確かに軌道などを読みやすいものではあるが、剛力の繰り出すそれはあまりの速度から、発動を見てからの回避自体まともに出来るものではない。

 しかしダカールは易々と避けてみせた。

「それも、何度も見た・・・・・!」

 フェイントを入れるタイミング、足技、剣を地面に突き刺しての接近格闘術。
 モンスターに使うことは滅多になく、剛力自身遥か昔に習得したのを思い出しながらの戦術にも拘らず、その悉くが余裕をもって躱される。

 不慣れとはいえ音速で飛ぶ巨石を叩き落とし、軽い投石でモンスターを叩き落とすような怪物的身体能力を誇る男の繰り出す技、実際の所知覚すら厳しいはずなのだ。
 しかしまるで慣れたゲーマーが、キャラやモンスターの一挙一動から技の予知を行い、事前に無意識で避けてしまうように、ダカールは剛力の繰り出す攻撃を全て避けてしまった。

「一体どうなってやがる……!?」
「無駄! 無意味! 無価値ッ! 君の動き、癖、技は何度も、何度も、何度も何度もこの身に受けてきたんだよッ! 全て知っているッ! 私は君を殺すためだけに対抗法を練り続けてきたのだよ、右腕を失った君に敗北を喫する道理はないッ!」

 一振り、二振り。

 振るう速度、刃の切れ味、技術、そのどれをとっても、その短剣が剛力を傷つける程の物とは思えないにも関わらず、ダカールが刃を振り回す度全身へ紅い刻印が増えていく。

 久しく感じていなかった神経の刺激、命へ迫る脅威から生み出された精神の高ぶり。
 思考が赤黒く狭まっていく感覚に危機感を感じた。

「クソ……それも概念戎具がいねんじゅうぐって奴か……っ!?」
「ご想像にっ、お任せしよう! 真偽の認識に君の未来は左右されないからね!」
「そうかい! そりゃ丁寧にどうも!」

 防戦一方に見せかけた・・・・・戦い、興奮によって突き動かされたダカールの刃は勢いを増していく。

 沈黙と称するにはあまりに姦しい同意ではあるが、どうやらかの刃も概念戎具なる武器のようだ。

 概ね分かってきた。
 先ほどの理不尽な消滅と再生の阻害、明らかに通用しないはずの刃が肉へ食い込む不可解、共通するのは既知を覆す性能。
 ダンジョンの崩壊による世界の消滅にも似たそれは、なるほど、『概念』を破壊する『戎具兵器』と冠されるのに相応しい力を持っているのだろう。

 何故か彼は剛力へ異常なまでの殺意と執着心を持っている。
 その上、手の内の凡そを知り、全て防いでしまうのだから手が追えない。
 一体いつ己がダカールを怒らせたのか皆目見当がつかない、つい最近まで随分と良好な関係を築いていたつもりであったのだが、何が彼をそこまで駆り立てるのか?

「ほら、ほらほらっ! どうした! どんどん後ずさっているじゃあないか! 海にでも逃げるつもりかい!?」

 だが、ダカールの短剣術には練度がない。
 異常なまでに技を避けるの技術水準との乖離は、恐らく彼が剛力の技を避けることばかりに重きを置き、短剣術を鍛え切ることが出来なかった証左かもしれない。

 序盤にいくつか食らってしまった傷こそあるものの、彼の興奮も合わさった未熟な技術は全て単調な機動を描き始めている。
 その上この短剣、己の肉体を切ることは出来ようと金属の寸断は出来ないらしく、その実、最初の物を除けば剛力の身へ届いたものは零に近かった。


「ハァッ!」


 耳をもつんざき、遠くの街に眠る人々が飛び起きるほどの轟音が響いた。


 対人戦で扱うには派手過ぎる踏み付け。
 半径十数メートルに渡って巨大なクレーターが生み出され、コンテナは衝撃波を受け金属質の悲鳴を掻き鳴らし、土、コンクリートの破片が盛大に飛び散る。

「何度言ったら分かるんだい! 無駄なんだよ! 右だッ!」

 しかしこれすらも跳躍し、易々と避けるダカール。
 衝撃波を受け流し平然と着地した彼は、嬉々とした笑顔を浮かべ横へ短剣を振り回した。

 狙いは丁度剛力の首が来る位置。
 遂に訪れた確殺の機会。渾身の一撃は必ず隙を生み出し、そこには弱点が曝け出されることとなる。

 勝ちを確信したダカールは目を細め、恍惚の感情に表情金を吊り上げた。

 が、しかし――

「な……っ!?」

 そこに、想定していた巨体は存在せず、衝撃によって地面から外れたであろう街灯が回転し、恐ろしい勢いで突っ込んでくる姿であった。

 想定外の物に腰を抜かし、慌てて地べたへ這いつくばるダカール。
 凄まじい暴風が彼の頭上を撫でた直後、巨影が全身を覆った。

 満月の下、ニ足がバランスを取りにくく動きにくいのなら三肢で、と獣の如く地を這い駆け抜けた剛力。
 ダカールの背後へ跳びあがった彼は、口にくわえた大剣を左手で握り直し――

「後ろだよ。これは知らねえだろ? 今考えたからよーく見とけ、ボケが」
「な、あぁ!?」

 己の名を絶叫する彼の右肩からコンクリートの上まで、一息に叩き斬り捨てた。
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