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第百六十話

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「高校生活の勉強から逃げて探索者になったのに、今更こんなあれこれ覚えないといけないなんて……」

 突然の宣言から一週間。
 大量に積み重なれた書類の半数は既にはけ、残りの大半は雑多であまり覚える必要もないものばかりとなった。

 まあぶっちゃけ一割も覚えていないけど、今のところ見た内容も常識的な事ばかりで、一言一句覚える必要があるとも思えない。

 椅子の後ろに立つのは私の身を売った園崎さん。
 彼女が握るいくつかの書類こそが真に覚える必要のあるもので、口頭でのテストが不意に飛んでくる。

 しかしここ一週間、毎日毎日座ったり歩いたりしながら文字の羅列を読んでいるので、流石に飽きてきた。
 それは私だけではないようで、園崎さんと私の間には自然と会話が生まれる。

「ねえ、自分で言うのもあれだけど、こんな子供が支部長の席なんか座っていいの? 普通こういうのって結構年齢行ってる人が付くんじゃ」
「あら? 貴女ほど若くはないけど、大概の支部長は案外若い人が選出されるのよ?」

 彼女曰く、やはり年齢を取れば探索者といえど理想的に動き回ることは難しくなるらしく、担当地区の崩壊を止めに行く支部長はある程度の若さも求められるそうだ。
 その年齢平均して三十前半、若い人だと二十程度でもスカウトされるらしい。

 果たして若くして要職に就けるというのは幸か不幸か。
 しかしどこまでレベルが上がるか分からないダンジョンの崩壊、自ら足を運ぶ必要のあり、普段の行動にも拘束が生まれる支部長の座を喜ぶ人間は、多分そう多くはないんじゃないだろうか。
 それこそ自分の命なんてどうでもいい、誰も彼も助けたいなんて生まれつきの聖人だけだ。

 私は違う。
 死ぬのが怖くて仕方ないし、いつも自分勝手なことばっかり考えてる。
 でもそんな私なのに、なぜか消滅した世界の記憶が残ってしまって、見えない未来へのどうしようもない歯がゆさが心にささくれを作っていた。

 きっと筋肉がいきなり私にこんな事を押し付けてきたのは、この問題について何か掴んだからなのだろう。

 この一週間、考える時間だけはたっぷりとある中そう悟った。

 たしか協会の上の人に話すと言っていたし、その人が何か筋肉へ有益な情報を見つけて渡したのかもしれない。
 こんな大きな組織の上にいる人たちがこぞって情報を集めているんだ、絶対に希望は見つかるはず。

 頑張らないと。
 私なら彼が留守の間に起こった出来事を、一人でもこなせると思ったから任せられたのだから。
 筋肉が手掛かりから未知の事実を手繰り寄せるまで、何も心配せずに動き回れるように。

 窓の外に見えるイチョウが一つ、また一つと黄金色の葉を落とした。

「気分転換で外にでも出ましょうか」

 つい漏れた深いため息に、園崎さんが気を利かせる。

 穏やかな秋の昼、平穏な日常。
 認識の齟齬という薄氷の上に築かれたこの世界で、私は私に出来ることをやるしかない。



「くさい……」

 裏庭に出た瞬間鼻をストレートで殴り飛ばしてくる異臭、開幕五秒で私は外に出たことを後悔した。

「ぎんなん沢山落ちてるもの。掃除しても掃除しても落ちてくるの、面倒よねぇ、でも必要なのが困りものなのよ」
「え? 必要なのこれ?」

 イチョウの見た目は綺麗で好きだが、この強烈な臭いはいただけない。
 景観のためだけに植えられていると思っていたこの邪悪な存在、しかしそれ以外にも意味があったらしい。

 彼女は靴裏でぎんなんを蹴っ飛ばし、その匂いに顔をしかめる。

「残念ながら必要なの。イチョウの葉って水分たっぷりで木の中でも燃えにくくてね、延焼を防いで避難所になった協会を守る意味があるのよ」
「はぇ……ん? 避難所?」

 あれをみろと指さされた先に立つ看板には、確かに避難所の文字と、逃げる人型のマークが描かれた看板が突き立てられていた。

 普段適当な園崎さんだが、案外こういう真面目なことをしっかり覚えていたのだと少し感心する。
 多分書いてある紙を食べただけな気もするけど、まあいいだろう。

「あら? 習わなかったの? 協会って緊急時には一次避難所にもなるのよ」
「そうなの!?」
「実は幾層かの地下室がここにもあってね、地区にもよるけど、ここなら千人分んの一週間分の水と食料、布団や簡易トイレとかも置いてあるわね。……一週間分用意したところで、崩壊して一日か二日もあればここら辺消滅しちゃうんだけど」

 死んだ目をした彼女が鼻で笑った。

 私より長い間世界の消滅を見てきた彼女にとって、もしダンジョンが崩壊した場合、ボスが倒されるまで隠れようという現在の手段は滑稽で仕方ないだろう。
 隠れていようと表に居ようと、最後は変わらないのだから。

「……あー、えーっと、ぎんなん拾いでもしてみる?」

 二人余裕が生まれるとどうにも暗い話になっていけない。

 今までこの感情を誰にも正しく理解されなかった彼女。きっと、ようやく見つかった共有者である私へ、つい話してしまうのだろう。
 漠然とした不安に駆られる私へ投げられた提案を、空気の払拭もかねて乗っかることにした。

「あ、うん。確か食べられるんだよね?」
「そうそう。とれたては鮮やかな翡翠色でね、炙ったのを塩掛けるだけでもほくほくもっちりしてて美味しいのよ。はい、ビニール袋とビニール手袋」

 確かにこの実を素手で触れたらとんでもない匂いが染み付いてしまいそうだ…… 

「匂いだけじゃないわ、素手だとかぶれるのよこれ。軽い毒ね」
「え、なにそれこわい……」

 軽い脅しに怯む。

 そんなものを食べるの? なんて思っていたが、実際はこの柔らかく匂う実の中にある硬い種……のさらに中にある柔らかい部分を食べるらしい。
 なんて面倒な食べ物なんだ。
 バナナを見習ってほしい、三秒剥いたらもう美味しいんだぞ。

 靴で踏み転がし、種を取り出し、手袋でつまんでビニールへ放り込む。
 無心の作業は胸騒ぎを隠してくれる。感情を押さえつけるために始めた行為が、いつの間にか本気の遊びとして熱中してしまった。

 袋一杯に飴色の種が集まったことに気付き顔を上げると、協会の入り口から誰かが歩いてくることに気付く。

「おや、銀杏集めかい」
「あ、古手川さん。いつものですね?」

 くいっとメガネを上げ、彼がそうだと手を振る。

 普段ポーションや装備品の調整をしている彼が、わざわざ協会に出向くのを見るのはこれで二度目。
 ほとんどここに張り付いている私でこれなのだから、実は結構珍しい姿じゃないだろうか。
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