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第九十三話

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「これうちの特製シチューね」
「うん、頂きます」

 このペットショップ、動物は置いていないが軽い食事が出来るらしく、琉希の

『ここのシチューはすっごくおいしいからすっごくおいしいんです!』

 と言語の崩壊した後押しもあり、時間もそろそろ昼だし食事を注文することとなった。

 食事を出しているのは店の奥、小ぢんまりとしたカウンター。
 ここに来る客の多くはペットと共にここで食事をとることが目的ですらあるらしい、そもそも客が少ないけどねと犬飼さん……この店のオーナーである彼女の名前らしい……は苦笑しつつの談。

 ううん、夏も始まろうというこの時期にシチューとはちょっとばかしズレている気がするが味はいい、冷房も動き始めて冷える体にはちょうどいいのかもしれない。

「ひゃー! からーい! お水くださーい!」
「え……なにしてんの……?」

 純白であったシチューはどこへやら、深紅に染まったそれをがっつき辛いと唸りながら水を求める彼女。

「え、一味入れないんですか?」

 一味……一味!?

 机の上にそんなものはなかったはずなのだが、彼女の傍らにはいつの間に用意されていたのか真っ赤な小瓶。
 どうやら頼めば出してくれるらしいが……

「入れないよ?」
「入れましょう!」
「やだ」

 しばしの駆け引きを繰り返し、その押しに負け入れる羽目となってしまった。

 舌に合わなければ彼女が完食し代金を払うという約束の元、わっさわっさと一味をぶち込まれ白を失うシチュー。
 己のあいでんなんとかを失い、どこか悲しげな雰囲気を纏わっているように見えるのは私の気のせいだろうか。

「……」
「ハイ一気に!」
「んん……!?」

 ……結構イケる。

 確かにこれは辛い、一口含むごとに体がカッと熱くなる。
 しかしただ辛いだけではなくどろりと煮込まれたシチューから感じる複雑な甘みなどが、その辛さをどっしりと包み込んでいた。
 見た目ほど辛くないのは牛乳のコクからきてるのだろうか。

 案外美味しい、悔しいけど。

「ね?」

 くそっ

 猫もカリカリの山に乗せられたツナにがっついている、いやカリカリも食えよ。



 食事が終わり、琉希は猫を連れ店の端にある動物と遊べるスペースで転がっている。
 気分も緩んでいたからだろう、何となしに先ほどから気になっていたことを口に出してしまう。

「ねえ、なんでここ動物置いてないの?」

 空気がピンと張り詰めたのが分かった。
 いくら私でも分かる、これはきっと容易に踏み入ってはいけないものなのだと。

「うち? んー……昔は置いてたんだけどね。これ言っていいのかなぁ……ほら、売れ残った子って処分されちゃうでしょ? 知ってすぐは割り切ろうと思ってたんだけど、やっぱり駄目だったわ。きっと私には向いていなかったのね、それでも簡単に廃業って訳には行かないのが辛いところなのだけれど」

 最初こそ言ってもいいのか悩む様子だったというのに、ジワリと溢れ出してしまえば最期、一度堰を切って溢れ出した感情の発露にこちらまで飲み込まれそうになる。
 無意識にだろう、カウンターの上で握り締められた彼女の拳は汗ばみ、爪痕が残るほど握り締められ震えていた。

 何か言い返さなくては。
 焦燥に脳が焼かれそうだというのに、唇は震え定まった言葉が出てきそうにない。

「あっ……えっと、その……」

 思い出したくないものだったのだろう、その細い瞳の奥に隠していたものなのだろう。
 じわりと端に浮かんだ涙が輝く。

 しまった。
 きっとこういうところが、私が人に嫌われいじめられていた要因なのかもしれない。
 だからお前はだめなんだ、何も考えていない馬鹿な自分が嫌になる。

「あー! いいのよ、ごめんなさいね若い人にこんな話。あんまり聞いてて気持ちのいいものじゃなかったわね」

 正直私は命の大事さだとか、生という物をあまり理解できていない。
 ダンジョンで死にかけて必死に生きている感覚へ縋っているだけで、ダンジョンで見知らぬ誰かが死んだと聞いても全く実感だとか、感情が大きく揺さぶられることもなかった。
 なのにどういうことだろう。こうやって目の前で、人間ですらない動物の命が散ることに痛みを覚えている人を目にすると、不思議と私まで心の奥がつんと痛んでくるのは。

 分からない。
 本当に最近は分からないことだらけだ。

「えっと……」
「んん、こほん。じゃあ貴女の悩み事でも聞こうかしら! こう見えても教えたりするのは得意なの、勉強で悩み事とかはない!? ほら、初めて会う相手だし普段は言えない悩みとか……!」
「分からない……」

 悩み事と言ったって、一番どうしたらいいのかわからないスキルのことはあまり人に言えないし……ああ、それなら

「どうしてみんな、他人のために命張れるのかな」
「……年頃の女の子が出す話題じゃない気がするわね」
「琉希もそうだった。私より断然弱いくせに、膝もがくがく震えて内心怖がっているのが丸わかりなのに、私が守ります、私が守りますって馬鹿みたいに言い切って」

 本当に理解できない。
 彼女や安心院さんたち、そして先日のダンジョン崩壊で命を張って死んでいった、姿すら知らない探索者の人たち。
 どうしてそうやって自分の命を張れるのだろう。必ず守れるわけでもない、守って誰もが崇め奉るわけでもない、むしろ世の中の大半はそんなことより自分の夕飯に何を食べるかの方が大切だろう。

 他人のために命を張るのなんて馬鹿だ。

「なにかいいましたー!?」
『み゛いぃぃ!』

 名前が出たのが聞こえてしまったのだろう、ネコとねこじゃらしを抱えこちらへ寄ってくる彼女。

「何でもない、向こうで遊んでて」

 その手にある猫じゃらしをひったくってぽいっと放り投げれば、ネコと共に走り去っていく。
 本当に能天気な奴め。

「うーん……誰しも守りたいものってあると思うの。家族や友人だとか、大切なものだとか、或いは目の前の命だとか……善人悪人関わらず必ず何かあるはずよ。いつ気付くかは分からないわ、もちろん失って初めて気付く人だっているでしょう」
「守りたいもの……」

 私の守りたいもの……

 家族だっていない、家なんてない、手持ちはスポーツ店で買った子供用金属バットカリバーや服など、大きなリュックに詰め込めば済んでしまうほど。
 そんな私の守りたいもの、か。

「もちろん人にとって線引きはそれぞれだけれど、全て等しく価値があるわ。他の人のために命を張れる人は、きっとその線引きの境界が広いのね」
「そう……なんだ……」

 私とは遠くかけ離れた人たちだな。
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