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異世界急行 第一・第二
整理番号2:こんにちは、新たなる世界
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目が覚めた。すると、鋭い日光が眼を差した。
―――次の人生、か。まさか輪廻転生の理を実体験するとは―――
眼を横にやると、どうやら気持ちのいい野原が見える。御岳はつい笑ってしまった。
―――あの地獄のような状況から、いやに牧歌的なところに飛ばされてきたもんだ―――
気圧は明らかに高い。一度死んだせいで体感が狂っていなければ、今の気圧は一気圧を少し越える程度であろうと御岳は思う。低気圧にもみくちゃにされた後では、涙が出るほどの良い天気だ。
目の前にはここ数日全く拝めていなかった青空が広がっており、ついつい笑みがこぼれてしまった。
しかし、御岳はふと心配になってしまう。
―――いやまてよ? 生まれたばかりの赤ん坊をこんな野原に放り出す親なんて、ロクな親じゃないぞ―――
御岳は、今まさに輪廻転生したわけであるから、まさに産まれたばかりの赤子であるはずである。そんな赤子がなぜ、野原で一人昼寝をしているのだろうか。
育児放棄か、学のない常識不足の両親の下に産まれてきたか、はたまたこの世界には文明が存在しないか。御岳は寒気がする。
―――せめて、せめて産業革命後ぐらいの文明は、いや、江戸時代中期ごろぐらいの文明はあってくれ―――
祈るような気持ちで天を仰ぎ見ると、若い女が目に入る。
「おーい、聞こえてますかー」
―――それにしても、なぜこの女は先ほどから赤ん坊に話しかけているんだ―――
碧眼でブロンド髪で肌は気持ち悪いくらいに白い。そんなステレオタイプな西洋人然とした容姿の女が、寝ころんだ御岳に向かって必死に話しかけていた。
「聞こえてたら返事をしてくださーい」
―――赤ん坊ができる返事なぞ、せいぜいおぎゃーがいいとこだろうに―――
そして、女は母というには若すぎるような気がするし、そもそもとして経産婦のようには見えなかった。
じゃあ、この女はなんだ? 御岳は訝しがる。
「おーい、起きてますかー?」
依然、女は御岳に話しかけることをやめない。そしてその表情を段々と曇らせていく。
―――乳母にしては頭が足りんような気がする―――
そんな失礼なことを思いながらも、御岳は赤ん坊らしくそろそろ愛想でも振りまいてやらねばと、奇妙な作り笑顔で手を振った。
「はいはーい、起きてますよー」
―――どうせ、おぎゃーぐらいの言葉が出ているんだろう。こうしてそれなりの愛嬌があるふりをしていれば、とかく赤ん坊はなんとかなる―――
その証拠に、女はにっこり笑顔になって御岳に話しかけた。
「やっぱり起きてたんですね。おはようございます。こんなところでどうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、死んだと思ったらここに飛ばされてきて……。あれ?」
ここで、御岳はある違和感を覚えた。
おかしい。なぜか意思の疎通ができている。
「そうでしたか。それは大変でしたね」
おかしい。こちらの言っていることが確実に相手に伝わっている。そして、完全に大人への対応をされている。
御岳は、びっくりして立ち上がった。
「うわぁ!」
そして、立ち上がれた事にびっくりしてしりもちをついた。
「おわぁ!」
無様に転んだ御岳を、女は不思議なものを見るような目で見つめている。
御岳はそれを無視してもう一度立ち上がった。足には、確かに地面があり、それを二本の足でしっかりと踏みしめている。土の冷たさが、確実に伝わってくる。
空を見上げる。青い空がある。そして風が吹いている。それは、日本のじめっとした風ではなく、からっとした、それでいて不快でない気持ちの良い風だった。
辺りを見渡す。一面の金色に光り輝く畑があった。土を踏み固めただけの道があり、そしてそのそばにため池のようなものがあった。
御岳は、ため池に向かって猛然と走り出した。
「ちょっと、お水ならこの水筒のものを! その水は飲んではなりませんよ!」
背後から女の声が起きかけてくるが、御岳はお構いなしだ。
ため池にたどり着くと、しゃがみこんで水を覗き見る。
その水面に映る自分の姿を見て、御岳は三度目の驚愕の声と二度目の尻もちをついた。
「あれぇ!」
水鏡にはまるで、その昔にチョコを配りに来た米兵のような、そんな顔をした男が映っていた。
ブロンド髪で鼻は嫌味なくらいに高く、眼は蒼く。無精な口ひげを生やし顔は角ばっている。
御岳は自分の頬を触る。すると、その男も頬を触った。
「これが、俺か?」
自分の顔面をこれでもかとさわり倒す。それでも、御岳はそれが自分の顔であることが信じられなかった。
「まるで今初めてご自分の顔を見たようなマネをしますのね」
「ああそうさ、この顔を見るのははじめてだ!」
追いかけてきた女につい、そんな事を口走る。そのあとで、御岳は「まずった」と我に返る。
―――自分の顔を見たことがない者なんて、まるで異常者じゃないか―――
ひどく怪しまれたのではないか。御岳はおそるおそる振り返って彼女の顔をのぞき込む。
が、その顔は楽し気に揺れていた。
「まるで今この場に産まれたかのようね。おもしろいわ」
彼女はコロコロ笑った。その笑みに救われるような気分になった御岳は、正直に事の顛末を彼女に語った。
「実は、そうなんだ。死んだと思ってしばらくして、気が付いたらここに……」
変なことを口走っているのは、御岳も重々承知である。だが、彼女ならそれを受け止めてくれるのではないかという希望が、御岳の心中にあった。
「あら、だからそんな恰好をしているのね」
期待通り、彼女は御岳の話を嫌な顔一つせずに聞いてくれた。
「ああそうだ。信じてくれるかい?」
「ええ、信じない訳にはいかないわ」
彼女の視線が下半身の辺りに注がれる。御岳はまたもや違和感を感じ、自分の身体を見てみる。すると、明らかに肌色であった。
「あー、私は今、裸か?」
御岳が尋ねる。
「ええ、まさに産まれたままの姿、よ」
女は満面の笑みで答えた。
御岳は頭を抱えた。
―――これでは、金曜深夜の泥酔した迷惑客を笑えないではないか。それも、若い女子の前で全裸とは―――
うなだれる御岳に羽織をかぶせながら、彼女は朗らかにひとつの提案をした。
「ねえ、もしよかったら私の屋敷に来ませんか? そんな恰好じゃ困るでしょう」
思いがけない申し出に、御岳は礼を言うより先に「正気か?」と声に出してしまった。
「ああ、いや失礼。だが、こんな見るからに不審な男を連れて帰ろうというのは、君のような若い女のやることとしてはあまりに感心しないね」
「あら、ご自分のその格好で言えたことかしら?」
そう見事に切り返されて、御岳は思わず膝をついた。
「いや、確かにその通りだ。申し訳ない」
あまりにも自分の立場をわきまえていなかった。御岳は大いに反省する。そんなうなだれる御岳の姿を見て、彼女はやはり笑顔を崩さなかった。
「私の名前はシグナレス。貴方のお名前は?」
シグナレスと名乗った彼女は、そう言いながら御岳に手を差し伸べた。御岳はその手を取りながら答える。
「私は御岳篤志。どうぞよろしく」
彼女はどうも荷馬車を待たせていたようで、御岳はその荷馬車に連れ込まれた。御岳は人身売買でもされるのかと身構えたが、シグナレスはそんな心配を笑い飛ばしながら御岳にボロ布の服を着せた。
荷馬車が再び動き出すと、シグナレスは興味津々という顔で矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
「ねえ、あなた。死んだと思ったらここに飛ばされてきた、と言ったわよね」
「ああ、そうだ。何が何だかさっぱりだ」
「じゃあこの紙を見てくれる?」
シグナレスは御岳に紙きれをみせた。そこには、見たこともない文字でなにやら文章が書いてあった。御岳はその文章の意味が、文字の意味すら分からないのにわかってしまう気がした。
「なんて書いてあるかしら?」
「この文字が読めますか……と読める気がするのだが、私はこの文字を知らんのだ」
「文字を全く知らないのに、読める?」
「ああ。何を言っているのかわからんと思うが……」
混乱しながら紙きれから目線を上げると、シグナレスは御岳の目をじっと見据えていた。
「やっぱり。私の見込んだ通り、あなたはダクターね」
「ダクター?」
聞きなじみのない単語が聞こえ、御岳はつい聞き返した。
「ええ。ダクター。この世界ではあなたのような人のことをそう呼ぶの」
「私のような人って……。どういうモンだい、そりゃあ」
御岳が問うと、シグナレスは少し困ったような顔をした。
「あまり正確な表現ではないけれど……。近いものと言えば、輪廻転生をしてきたという表現が一番近いかも……」
「輪廻転生? ここにも仏教はあるのか?」
聞きなじみのある言葉を聞いて、御岳は色めきだった。だが、シグナレスの表情は芳しくなかった。
「ブッキョウ? それはなあに?」
彼女の反応を見て、御岳は落ち着きを取り戻した。そして、目の前の彼女が仏教徒であるわけが無かろうと、そう勝手に決めつけた。
「ともかく、あなたは他の世界からやってきたダクター呼ばれる者。そして、私たちはあなたのようなダクターを保護する使命があるわ」
「言っている意味がよくわからんな……」
「無理もないわ。あとでいくらでも説明してあげる」
違う世界にやってきた? 私は畜生道にでも飛ばされたのだろうか。
それともなにか、別の論理があるのか。
ぼんやり仏教徒の御岳にはもう何が何だかわからない。御岳はこの先の命運の全てを、目の前の女シグナレスに任せることにした。
「ひとつ、聞いてもいいかい?」
「ええ、どうぞ」
御岳は荷馬車の幌の隙間から外の景色を見ながら、力なく問いかけた。外には、あからさまに西洋風、詳しく言えばイギリス積みのレンガ造り家屋が見える。
「ここは、なんてところだい」
シグナレスは自信たっぷりに答えた。
「ここはサンロード皇国。太陽と貿易の国よ」
御岳にとって聞いたことのない国名だ。
御岳は大学はおろか(新制・旧制)高校にも通っていない。よくそのことを大卒の人間に馬鹿にされたものだ。
だが御岳は運動で交流した大学生活動家などからいろんなことを学び、それなりの知識はあった。もちろん、交通に関することなら大学生も専門家も舌を巻くほどの知識と経験、そして思考があることを自負していた。
そんな御岳の頭の中の辞書が、そんな名前の国は地球上に存在しないはずだと告げている。
「ああ、そうか。私は本当に違う世界に迷い込んだのだな」
「理解が早くて助かるわ」
流れる景色の奥に、明らかに人間には見えない恰好をした男が近くの人間と普通に会話を交わしていた。御岳は、その事実をゆっくりと受け止めることにした。
「さあ、そろそろ着くわ。着いたら汗を流してちょうだい」
そう言われて前を見ると、なにやら大きな屋敷が見えた。御岳はその立派さに驚いてしまった。
「なに。さてはブルジョアだな?」
「あら、お嫌い?」
「私が元居た世界には、あまり良い奴はいなかった」
御岳は憎々し気に答える。前に居た従者らしき男は、それを聞いて苦笑いをしていた。
荷馬車はいよいよ屋敷の中に入っていった。すると、なにやら煙の上がっている場所があった。屋敷の一角が、明らかに煙突から煙を吐いていた。
それに気を取られていると、荷馬車が停まった。御岳は従者に促されて荷馬車から降りた。
その時、御岳の耳に怒鳴り声が飛び込んできた。
「バカヤロウ! 何度言ったらわかるんだ!」
驚いて声がした方を見ると、一人の男が大男に殴り飛ばされていた。その男は手にスコップを持っていて、あたりにはなにやら石のようなものが散らかっていた。
「まったく、ゲラルドはまたあんなことを……」
シグナレスが呟く。御岳は静かにシグナレスを問い質した。
「なあ、あれはお湯か何かを沸かしているのか? あの男は火夫かなにかか?」
「ええ、よくわかったわね……。って、ちょっと!」
シグナレスの返事を聞いた瞬間、御岳の頭が沸騰した。気が付いたら御岳は走り出していた。
御岳は、目の前の光景が許せなかった。背後から追いかけてくるシグナレスの声をものともせず、御岳は走り、そして大男の横っ面を殴り飛ばした。
「おいてめぇ、何をしやがる!」
吹き飛ばされた大男の怒号が響く。御岳は真っ赤な顔で、大男に立ち向かっていった。
「なんてことしやがる……この野郎!」
シグナレスも従者も、そして殴り飛ばされた大男すらも、何が起きたのかわからない。その中で御岳はただ一人、怒りの炎を燃やしていた。
―――次の人生、か。まさか輪廻転生の理を実体験するとは―――
眼を横にやると、どうやら気持ちのいい野原が見える。御岳はつい笑ってしまった。
―――あの地獄のような状況から、いやに牧歌的なところに飛ばされてきたもんだ―――
気圧は明らかに高い。一度死んだせいで体感が狂っていなければ、今の気圧は一気圧を少し越える程度であろうと御岳は思う。低気圧にもみくちゃにされた後では、涙が出るほどの良い天気だ。
目の前にはここ数日全く拝めていなかった青空が広がっており、ついつい笑みがこぼれてしまった。
しかし、御岳はふと心配になってしまう。
―――いやまてよ? 生まれたばかりの赤ん坊をこんな野原に放り出す親なんて、ロクな親じゃないぞ―――
御岳は、今まさに輪廻転生したわけであるから、まさに産まれたばかりの赤子であるはずである。そんな赤子がなぜ、野原で一人昼寝をしているのだろうか。
育児放棄か、学のない常識不足の両親の下に産まれてきたか、はたまたこの世界には文明が存在しないか。御岳は寒気がする。
―――せめて、せめて産業革命後ぐらいの文明は、いや、江戸時代中期ごろぐらいの文明はあってくれ―――
祈るような気持ちで天を仰ぎ見ると、若い女が目に入る。
「おーい、聞こえてますかー」
―――それにしても、なぜこの女は先ほどから赤ん坊に話しかけているんだ―――
碧眼でブロンド髪で肌は気持ち悪いくらいに白い。そんなステレオタイプな西洋人然とした容姿の女が、寝ころんだ御岳に向かって必死に話しかけていた。
「聞こえてたら返事をしてくださーい」
―――赤ん坊ができる返事なぞ、せいぜいおぎゃーがいいとこだろうに―――
そして、女は母というには若すぎるような気がするし、そもそもとして経産婦のようには見えなかった。
じゃあ、この女はなんだ? 御岳は訝しがる。
「おーい、起きてますかー?」
依然、女は御岳に話しかけることをやめない。そしてその表情を段々と曇らせていく。
―――乳母にしては頭が足りんような気がする―――
そんな失礼なことを思いながらも、御岳は赤ん坊らしくそろそろ愛想でも振りまいてやらねばと、奇妙な作り笑顔で手を振った。
「はいはーい、起きてますよー」
―――どうせ、おぎゃーぐらいの言葉が出ているんだろう。こうしてそれなりの愛嬌があるふりをしていれば、とかく赤ん坊はなんとかなる―――
その証拠に、女はにっこり笑顔になって御岳に話しかけた。
「やっぱり起きてたんですね。おはようございます。こんなところでどうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、死んだと思ったらここに飛ばされてきて……。あれ?」
ここで、御岳はある違和感を覚えた。
おかしい。なぜか意思の疎通ができている。
「そうでしたか。それは大変でしたね」
おかしい。こちらの言っていることが確実に相手に伝わっている。そして、完全に大人への対応をされている。
御岳は、びっくりして立ち上がった。
「うわぁ!」
そして、立ち上がれた事にびっくりしてしりもちをついた。
「おわぁ!」
無様に転んだ御岳を、女は不思議なものを見るような目で見つめている。
御岳はそれを無視してもう一度立ち上がった。足には、確かに地面があり、それを二本の足でしっかりと踏みしめている。土の冷たさが、確実に伝わってくる。
空を見上げる。青い空がある。そして風が吹いている。それは、日本のじめっとした風ではなく、からっとした、それでいて不快でない気持ちの良い風だった。
辺りを見渡す。一面の金色に光り輝く畑があった。土を踏み固めただけの道があり、そしてそのそばにため池のようなものがあった。
御岳は、ため池に向かって猛然と走り出した。
「ちょっと、お水ならこの水筒のものを! その水は飲んではなりませんよ!」
背後から女の声が起きかけてくるが、御岳はお構いなしだ。
ため池にたどり着くと、しゃがみこんで水を覗き見る。
その水面に映る自分の姿を見て、御岳は三度目の驚愕の声と二度目の尻もちをついた。
「あれぇ!」
水鏡にはまるで、その昔にチョコを配りに来た米兵のような、そんな顔をした男が映っていた。
ブロンド髪で鼻は嫌味なくらいに高く、眼は蒼く。無精な口ひげを生やし顔は角ばっている。
御岳は自分の頬を触る。すると、その男も頬を触った。
「これが、俺か?」
自分の顔面をこれでもかとさわり倒す。それでも、御岳はそれが自分の顔であることが信じられなかった。
「まるで今初めてご自分の顔を見たようなマネをしますのね」
「ああそうさ、この顔を見るのははじめてだ!」
追いかけてきた女につい、そんな事を口走る。そのあとで、御岳は「まずった」と我に返る。
―――自分の顔を見たことがない者なんて、まるで異常者じゃないか―――
ひどく怪しまれたのではないか。御岳はおそるおそる振り返って彼女の顔をのぞき込む。
が、その顔は楽し気に揺れていた。
「まるで今この場に産まれたかのようね。おもしろいわ」
彼女はコロコロ笑った。その笑みに救われるような気分になった御岳は、正直に事の顛末を彼女に語った。
「実は、そうなんだ。死んだと思ってしばらくして、気が付いたらここに……」
変なことを口走っているのは、御岳も重々承知である。だが、彼女ならそれを受け止めてくれるのではないかという希望が、御岳の心中にあった。
「あら、だからそんな恰好をしているのね」
期待通り、彼女は御岳の話を嫌な顔一つせずに聞いてくれた。
「ああそうだ。信じてくれるかい?」
「ええ、信じない訳にはいかないわ」
彼女の視線が下半身の辺りに注がれる。御岳はまたもや違和感を感じ、自分の身体を見てみる。すると、明らかに肌色であった。
「あー、私は今、裸か?」
御岳が尋ねる。
「ええ、まさに産まれたままの姿、よ」
女は満面の笑みで答えた。
御岳は頭を抱えた。
―――これでは、金曜深夜の泥酔した迷惑客を笑えないではないか。それも、若い女子の前で全裸とは―――
うなだれる御岳に羽織をかぶせながら、彼女は朗らかにひとつの提案をした。
「ねえ、もしよかったら私の屋敷に来ませんか? そんな恰好じゃ困るでしょう」
思いがけない申し出に、御岳は礼を言うより先に「正気か?」と声に出してしまった。
「ああ、いや失礼。だが、こんな見るからに不審な男を連れて帰ろうというのは、君のような若い女のやることとしてはあまりに感心しないね」
「あら、ご自分のその格好で言えたことかしら?」
そう見事に切り返されて、御岳は思わず膝をついた。
「いや、確かにその通りだ。申し訳ない」
あまりにも自分の立場をわきまえていなかった。御岳は大いに反省する。そんなうなだれる御岳の姿を見て、彼女はやはり笑顔を崩さなかった。
「私の名前はシグナレス。貴方のお名前は?」
シグナレスと名乗った彼女は、そう言いながら御岳に手を差し伸べた。御岳はその手を取りながら答える。
「私は御岳篤志。どうぞよろしく」
彼女はどうも荷馬車を待たせていたようで、御岳はその荷馬車に連れ込まれた。御岳は人身売買でもされるのかと身構えたが、シグナレスはそんな心配を笑い飛ばしながら御岳にボロ布の服を着せた。
荷馬車が再び動き出すと、シグナレスは興味津々という顔で矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
「ねえ、あなた。死んだと思ったらここに飛ばされてきた、と言ったわよね」
「ああ、そうだ。何が何だかさっぱりだ」
「じゃあこの紙を見てくれる?」
シグナレスは御岳に紙きれをみせた。そこには、見たこともない文字でなにやら文章が書いてあった。御岳はその文章の意味が、文字の意味すら分からないのにわかってしまう気がした。
「なんて書いてあるかしら?」
「この文字が読めますか……と読める気がするのだが、私はこの文字を知らんのだ」
「文字を全く知らないのに、読める?」
「ああ。何を言っているのかわからんと思うが……」
混乱しながら紙きれから目線を上げると、シグナレスは御岳の目をじっと見据えていた。
「やっぱり。私の見込んだ通り、あなたはダクターね」
「ダクター?」
聞きなじみのない単語が聞こえ、御岳はつい聞き返した。
「ええ。ダクター。この世界ではあなたのような人のことをそう呼ぶの」
「私のような人って……。どういうモンだい、そりゃあ」
御岳が問うと、シグナレスは少し困ったような顔をした。
「あまり正確な表現ではないけれど……。近いものと言えば、輪廻転生をしてきたという表現が一番近いかも……」
「輪廻転生? ここにも仏教はあるのか?」
聞きなじみのある言葉を聞いて、御岳は色めきだった。だが、シグナレスの表情は芳しくなかった。
「ブッキョウ? それはなあに?」
彼女の反応を見て、御岳は落ち着きを取り戻した。そして、目の前の彼女が仏教徒であるわけが無かろうと、そう勝手に決めつけた。
「ともかく、あなたは他の世界からやってきたダクター呼ばれる者。そして、私たちはあなたのようなダクターを保護する使命があるわ」
「言っている意味がよくわからんな……」
「無理もないわ。あとでいくらでも説明してあげる」
違う世界にやってきた? 私は畜生道にでも飛ばされたのだろうか。
それともなにか、別の論理があるのか。
ぼんやり仏教徒の御岳にはもう何が何だかわからない。御岳はこの先の命運の全てを、目の前の女シグナレスに任せることにした。
「ひとつ、聞いてもいいかい?」
「ええ、どうぞ」
御岳は荷馬車の幌の隙間から外の景色を見ながら、力なく問いかけた。外には、あからさまに西洋風、詳しく言えばイギリス積みのレンガ造り家屋が見える。
「ここは、なんてところだい」
シグナレスは自信たっぷりに答えた。
「ここはサンロード皇国。太陽と貿易の国よ」
御岳にとって聞いたことのない国名だ。
御岳は大学はおろか(新制・旧制)高校にも通っていない。よくそのことを大卒の人間に馬鹿にされたものだ。
だが御岳は運動で交流した大学生活動家などからいろんなことを学び、それなりの知識はあった。もちろん、交通に関することなら大学生も専門家も舌を巻くほどの知識と経験、そして思考があることを自負していた。
そんな御岳の頭の中の辞書が、そんな名前の国は地球上に存在しないはずだと告げている。
「ああ、そうか。私は本当に違う世界に迷い込んだのだな」
「理解が早くて助かるわ」
流れる景色の奥に、明らかに人間には見えない恰好をした男が近くの人間と普通に会話を交わしていた。御岳は、その事実をゆっくりと受け止めることにした。
「さあ、そろそろ着くわ。着いたら汗を流してちょうだい」
そう言われて前を見ると、なにやら大きな屋敷が見えた。御岳はその立派さに驚いてしまった。
「なに。さてはブルジョアだな?」
「あら、お嫌い?」
「私が元居た世界には、あまり良い奴はいなかった」
御岳は憎々し気に答える。前に居た従者らしき男は、それを聞いて苦笑いをしていた。
荷馬車はいよいよ屋敷の中に入っていった。すると、なにやら煙の上がっている場所があった。屋敷の一角が、明らかに煙突から煙を吐いていた。
それに気を取られていると、荷馬車が停まった。御岳は従者に促されて荷馬車から降りた。
その時、御岳の耳に怒鳴り声が飛び込んできた。
「バカヤロウ! 何度言ったらわかるんだ!」
驚いて声がした方を見ると、一人の男が大男に殴り飛ばされていた。その男は手にスコップを持っていて、あたりにはなにやら石のようなものが散らかっていた。
「まったく、ゲラルドはまたあんなことを……」
シグナレスが呟く。御岳は静かにシグナレスを問い質した。
「なあ、あれはお湯か何かを沸かしているのか? あの男は火夫かなにかか?」
「ええ、よくわかったわね……。って、ちょっと!」
シグナレスの返事を聞いた瞬間、御岳の頭が沸騰した。気が付いたら御岳は走り出していた。
御岳は、目の前の光景が許せなかった。背後から追いかけてくるシグナレスの声をものともせず、御岳は走り、そして大男の横っ面を殴り飛ばした。
「おいてめぇ、何をしやがる!」
吹き飛ばされた大男の怒号が響く。御岳は真っ赤な顔で、大男に立ち向かっていった。
「なんてことしやがる……この野郎!」
シグナレスも従者も、そして殴り飛ばされた大男すらも、何が起きたのかわからない。その中で御岳はただ一人、怒りの炎を燃やしていた。
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