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A10運行:首都圏大騒動~”五方面”への道~

0103A:夕方帰宅ラッシュを経験してみよう

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「まさか東京に戻ったら、窓際に転属とは思わなかった」

 小林がおどけてそう言う。

「といっても、ただ単に机が窓際にある、というだけだったがね」

「まあ仕方がないだろう。我々は基本的に、あの机には帰らんのだから」

「いつの間にかに私物も書類もハンコも、移動されていて驚きました。国鉄の人事異動はこうなのですか?」

「どうだろうな。これが異動への蔑みなのか、それとも”国鉄的やさしさ”なのかは、判断に困るところだ」

 彼らは丸の内の大通りを悠々と歩く。心なしか、地面を踏みしめる足取りは軽やかでもあるし、その感触を味わうかのように穏やかでもあった。

「それにしても、久しぶりに帰ったら嫁が随分とおふくろにイビられていたよ。あれは近いうちに、助け出さなければいけないかしらん」

 小林がうんざりしたような顔になる。井関は、そう言えばと思いだした。

「小林ん家の母さんかっちゃは強烈な人だったねえ。ワイフが居ると大変だ。僕はしばらく独り身でいいや」

「君はそろそろ”行き遅れる”ぞ」

「冗談を。二人が結婚しても、ボクには水野という頼もしい仲間がいる」

 井関が洋々と肩を組むと、水野は苦笑いで返した。小林がお返しとばかりに衝撃的な情報を挟む。

「なあ井関、仙台の時の女の子覚えてるか?」

「……ああ、あの陽動作戦に協力してくれた女の子たちか。それがどうした?」

「水野が家に帰ったら、女の子たちから手紙が来ていたらしいぞ」

「ええ、そうなのかい!?」

 びっくりして水野の顔を見ると、彼は気まずそうに後頭部をポリポリしていた。一人勝手に裏切られた気持ちになった井関は、小突く。無言で、呆けた口を開きながら。

「先輩にも、その、ね」

 水野は憐れむような目線でそのチョッカイに抗する。それがますます井関の心に火をつけた。

「井関、本題に戻ろう。我々は今から通勤電車で起きた事故を調査しに行くんだ」

 不憫に思った笹井が強引に話を元に戻した。井関は不満げにそれに従う。

「通勤というと、東京に戻ってめっぽう驚いたのが、随分と電車を使う人間が増えていることだね」

「それは俺も感じた。ゲタ電って、あんなに勤め人サラリーマンがこぞって使うものだったかい」

 小林の言葉に、水野は首を振る。

「通勤電車はそもそも、近距離利用客が遠距離列車に乗り込んで相互に不愉快な思いをしないように、という意味合いでつくられました。まさか、こんなに利用されるなんて」

「そうだよなあ……。これは国鉄としても予想外にすぎる。なんとも荒れそうな事案だね」

「ともかく、同調査するかい?」

 笹井の形式的な問いかけに、井関は決まっていると返した。

「当然、その通勤電車に乗ってみよう」



 まずは帰宅ラッシュアワーから経験してみることにした。

 高崎線下り第741M列車。新橋駅17時49分発車。

 次いで、東京駅17時55分発車。上野18時10分発車。このあたりは非常にゆっくりと走る。そして、お客の数も少ない。
 それは隣に京浜・山の手線が走っているからだ。停車駅はこの741Mの方が多いのだが、時間は山手線電車の方が圧倒的に早い。わざわざこちらを使う物好きはあまりいない。

 さて、上野を発車すると、通勤列車の面目躍起となる。車内にはそこそこの立ち客。こうなるとこの横須賀線のお古である42系電車の構造は好く働く。
 42系は、元は京阪神地区の急行電車(=快速電車)用に製造された車輛であり、戦中の横須賀線の需要増と共に横須賀にやってきた。

 もともとは大阪の混雑を捌くために生まれたこの車輛は、広々とした立ち客スペースを十分にとっており、普通であればそろそろ乗客が音を上げそうな混雑でもへっちゃらだ。

 それだけではない。元々は関西の速達通勤電車として設計されたこの42系である。その速度性能は、その他の電車とは比べ物にならない。
 そのモーターを一心にうならせ、隣を走る京浜線電車を軽々と追い抜かす。

―――ま、これが鉄道の本場、関西の底力やなあ―――

 井関はそんな空耳を聞きながら、その乗り心地に舌鼓を打った。

 さて、列車は赤羽駅に至る。

「ここで京浜線電車専用の線路が終わるわけだ」

 上野から赤羽までは、京浜線電車しか走らない線路がある。だがしかし、赤羽から先はこの741Mも、京浜線の各駅停車も同じ線路を共有する。

 それだけではない。ここからは、新宿や池袋から山手線経由のお客を連れてくる赤羽線も合流する。井関達は、ここで乗客が一気に増えるのではないかと身構えた。

 赤羽停車。ドアが開く。それと同時に……。

 乗客はそれなりの数が下車し、それなりの数が乗車した。つまるところ、乗客数の変化はあまりない。

「池袋から埼玉方面だと、東上鉄道を使うかもねえ」

「そもそも通勤輸送は私鉄の本分だから。国鉄がそこに手を出すと、本当は私鉄のお株を奪ってしまうことになるから、あまりやってはいけないんだよね」

 列車はそのまま赤羽を発車する。
 浦和などを通過し、大宮に至る。ここで京浜線電車はおしまい。また、ここからは、今まで線路を共にしていた東北本線が分離される。

 要するに、ココから列車本数が急激に減るのである。井関は再び身構えた。

 だが、ここでもそこまでの乗客数の変動はなかった。

「……あまり混まないね」

「本当だね。うーん、朝と夕では事情が違うのかな……」

 わからないまま、列車は終点の高崎に到着する。この時、20時35分。

「うん、いい時間じゃないか」

「東京から二時間。夕飯には少し遅い時間かね」

「この時間帯にはこれより早い列車も何本かあったし、晩飯を急ぐ人間はもっと早い列車に乗るのだろう。だがしかし、いずれにしろそこまでの混雑ではなさそうだ」

「うーん、困ったねえ……」

 井関は、朝の出勤ラッシュが混むのであれば、その乗客がそっくりそのまま帰ってくる夕方の帰宅ラッシュも混雑するものと思っていた。
 だが、そうではない。

「こりゃ、明朝に出直すしかないね。それで、何かわかればよいのだが……」

 井関たちは不安になりながら、高崎で一夜を過ごした。
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