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A09運行:国鉄ミステリー②蒲須坂事件
0096A:一度東京に帰るという選択肢もあった。でも、真相の究明は事を急ぐ
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「馬鹿野郎!」
突然、灰皿が飛んでくる。まだ火が消えてない煙草が降ってきて、井関は痛みに顔をゆがませた。
「どうせオレ達を犯罪者扱いするために来たんだろう。帰ってくれ!」
保線作業員が詰める”保線区”の中で、その惨事は起きていた。那須野保線区保線作業員のリーダー格の男が叫ぶ。
「ですから、事故発生日周辺の保線作業記録を提出してくださいといっているだけで……」
「それで? どうするんだ?」
「形式的な調査報告をするだけです。別に、誰かを処分するためにやるわけではありませんし、それを詳しく報告することはありません。記録が提出された、という事実が必要なんです」
半分、ウソだ。笹井はこの仄かにウソを含んだ弁舌で彼らの懐柔を図る。しかし、無駄だった。
「聞いているぞ、特殊事故調査掛! アンタらは技術に明るく、本質的な事故調査とやらをすると評判だ。そんな連中がわざわざ”形式”の為にこんなところまでくるものか!」
今度は酒瓶が飛んでくる。那須野保線区の荒廃具合が嫌というほど伝わってくる。
「我々は決して、あなた方の中に犯人が居るだなって言っていません」
「ウソを言う。どうせ適当に犯人をデッチあげて、特別高等警察に突き出すんだろう。お前たち、内務省官僚の犠牲に、俺たちはなるんだ。これが権力の暴走と言わずしてなんというか!」
「違います、この件がどうなろうと、我々国鉄官僚は責任を取り……」
「それから、小林ぃ!」
井関の言葉を無視して、リーダー格の男が胸倉をつかむ。小林は冷徹な顔の中にうんざりとした感情を含ませながら目を逸らした。
「お前のお仲間がまたやってきて、俺達を樺太送りにすると言ってきた。これは明確な人権侵害だ!」
「いえ、ですから……」
「うるさい、許さんぞ!」
そう言って、彼らは聞く耳を持たなくなってしまった。いや、元から井関達の言葉など、まるで聞くつもりはなかったようだ。彼らは徹頭徹尾、拒絶の姿勢だった。
それに対して、宝積寺保線区の人間はとても静かだった。
「事故の復旧は我々がやりました。記録もすべて残っておりますよ」
そう言って彼らはとてもよくまとまった記録を差し出してきた。
「……とても綺麗な記録ですね」
「いえ、記録自体は取っていたのですが、字があまりにも汚すぎて皆さん方に見せるにはあまりにも忍びなかったもので……。これは清書したものになります」
申し訳なさそうに言う男は、宝積寺保線区のリーダー格、小松だ。彼は決して恫喝することも無く、物腰低く応対してくれた。
「そうでしたか、わざわざすみません」
「いえいえ。他のところは記録なんて取ってないでしょうから、我々だけでもきちんとしようとおもいまして。でも、管轄が違いますからあまり役には立たないでしょう」
「そんなことはありません。こんなきれいな記録ですから、必ず役に立ちますとも」
そう言うと、小松は目を細める。
「そうですか、それは僥倖というものです」
井関の言葉はお世辞ではなかった。彼らの記録には、近隣保線区、つまり那須野保線区の作業工程についても記録されていた。これは大変な足がかりになると、心の中で小躍りする。
事故調査は、この小松のおかげで確かに一つ前進した。
小松によってもたらされた記録を紐解くと、面白いことが分かった。当日は那須野保線区が事故現場付近で保線作業を行う予定になっていた。
「作業内容は……レール継目の訂正か」
「なんだいそれは」
小林が疑問を口にすると、驚いたことに笹井がそれに答えた。
「熱膨張って知ってるか?」
「笹井の口からそんな言葉がでるとは思わなかったぞ」
「馬鹿野郎、いくら文系学科とはいえ、帝大は化学も範囲だ!」
井関の驚きに笹井は顔を真っ赤にする。
「それで、その熱膨張がどうしたんだい」
はいはい、と笹井を宥めながら、小林は先を促した。
「レールは熱膨張によって、気温と共にその長さが変化するんだ」
「……ウソだろ?」
「本当だ。列車が走るときガタンゴトンというのは、その膨張を見越してレールに隙間を開けてあるからだ」
「その隙間に車輪が乗っかるとき、ガタンと音がするんだ。レールは一本25mと決まっているから、ガタンゴトンの周期でだいたいの速度がわかる」
井関が横からいらないうんちくを垂れるのを無視して、笹井は話を続ける。
「だが、冬場などではこの隙間が空きすぎて都合が悪い。そこでこの線路の隙間を調整する工事が必要になってくる」
「なるほど、それがこの継目訂正か」
小林はやっと納得した。それで、ひらめいたように顔を上げる。
「じゃあ、この作業中に列車が通りかかったら……」
「もしかしたら脱線、ということにもなるかもしらん」
「これは那須野保線区の怠慢による事故ということになる。この記録がすべての証拠だ」
「おお、解決だ!」
笹井が顔を明るくさせる。だがその横で、水野は暗い顔をしていた。
「いや、ちょっと引っかかることがあります。……こう、言葉にはできませんが」
そう言うと、笹井も急にしおしおと顔を暗くさせた。
「実を言うと、ワシもだ。なにかこう、”ひっかかる”んだよな」
ポリポリと頭を掻いた後で、笹井は井関の方を見た。
「どうする?」
その一言で、だいたい言わんとすることがわかる。
これを最終結果として、本庁に帰るか。それとも、まだ調査を続けるか。
だが、それは愚問に思えた。
「ここで引き下がるのは、ボクらじゃないね」
井関は極めて明快に答えた。その一言で、四人の足並みは揃う。
「あの未亡人の家に行こう。さすれば、決定的な証拠が得られるはずだ」
井関がそう言うまでも無く、彼らの足はあの事故現場へと向かっていた。
突然、灰皿が飛んでくる。まだ火が消えてない煙草が降ってきて、井関は痛みに顔をゆがませた。
「どうせオレ達を犯罪者扱いするために来たんだろう。帰ってくれ!」
保線作業員が詰める”保線区”の中で、その惨事は起きていた。那須野保線区保線作業員のリーダー格の男が叫ぶ。
「ですから、事故発生日周辺の保線作業記録を提出してくださいといっているだけで……」
「それで? どうするんだ?」
「形式的な調査報告をするだけです。別に、誰かを処分するためにやるわけではありませんし、それを詳しく報告することはありません。記録が提出された、という事実が必要なんです」
半分、ウソだ。笹井はこの仄かにウソを含んだ弁舌で彼らの懐柔を図る。しかし、無駄だった。
「聞いているぞ、特殊事故調査掛! アンタらは技術に明るく、本質的な事故調査とやらをすると評判だ。そんな連中がわざわざ”形式”の為にこんなところまでくるものか!」
今度は酒瓶が飛んでくる。那須野保線区の荒廃具合が嫌というほど伝わってくる。
「我々は決して、あなた方の中に犯人が居るだなって言っていません」
「ウソを言う。どうせ適当に犯人をデッチあげて、特別高等警察に突き出すんだろう。お前たち、内務省官僚の犠牲に、俺たちはなるんだ。これが権力の暴走と言わずしてなんというか!」
「違います、この件がどうなろうと、我々国鉄官僚は責任を取り……」
「それから、小林ぃ!」
井関の言葉を無視して、リーダー格の男が胸倉をつかむ。小林は冷徹な顔の中にうんざりとした感情を含ませながら目を逸らした。
「お前のお仲間がまたやってきて、俺達を樺太送りにすると言ってきた。これは明確な人権侵害だ!」
「いえ、ですから……」
「うるさい、許さんぞ!」
そう言って、彼らは聞く耳を持たなくなってしまった。いや、元から井関達の言葉など、まるで聞くつもりはなかったようだ。彼らは徹頭徹尾、拒絶の姿勢だった。
それに対して、宝積寺保線区の人間はとても静かだった。
「事故の復旧は我々がやりました。記録もすべて残っておりますよ」
そう言って彼らはとてもよくまとまった記録を差し出してきた。
「……とても綺麗な記録ですね」
「いえ、記録自体は取っていたのですが、字があまりにも汚すぎて皆さん方に見せるにはあまりにも忍びなかったもので……。これは清書したものになります」
申し訳なさそうに言う男は、宝積寺保線区のリーダー格、小松だ。彼は決して恫喝することも無く、物腰低く応対してくれた。
「そうでしたか、わざわざすみません」
「いえいえ。他のところは記録なんて取ってないでしょうから、我々だけでもきちんとしようとおもいまして。でも、管轄が違いますからあまり役には立たないでしょう」
「そんなことはありません。こんなきれいな記録ですから、必ず役に立ちますとも」
そう言うと、小松は目を細める。
「そうですか、それは僥倖というものです」
井関の言葉はお世辞ではなかった。彼らの記録には、近隣保線区、つまり那須野保線区の作業工程についても記録されていた。これは大変な足がかりになると、心の中で小躍りする。
事故調査は、この小松のおかげで確かに一つ前進した。
小松によってもたらされた記録を紐解くと、面白いことが分かった。当日は那須野保線区が事故現場付近で保線作業を行う予定になっていた。
「作業内容は……レール継目の訂正か」
「なんだいそれは」
小林が疑問を口にすると、驚いたことに笹井がそれに答えた。
「熱膨張って知ってるか?」
「笹井の口からそんな言葉がでるとは思わなかったぞ」
「馬鹿野郎、いくら文系学科とはいえ、帝大は化学も範囲だ!」
井関の驚きに笹井は顔を真っ赤にする。
「それで、その熱膨張がどうしたんだい」
はいはい、と笹井を宥めながら、小林は先を促した。
「レールは熱膨張によって、気温と共にその長さが変化するんだ」
「……ウソだろ?」
「本当だ。列車が走るときガタンゴトンというのは、その膨張を見越してレールに隙間を開けてあるからだ」
「その隙間に車輪が乗っかるとき、ガタンと音がするんだ。レールは一本25mと決まっているから、ガタンゴトンの周期でだいたいの速度がわかる」
井関が横からいらないうんちくを垂れるのを無視して、笹井は話を続ける。
「だが、冬場などではこの隙間が空きすぎて都合が悪い。そこでこの線路の隙間を調整する工事が必要になってくる」
「なるほど、それがこの継目訂正か」
小林はやっと納得した。それで、ひらめいたように顔を上げる。
「じゃあ、この作業中に列車が通りかかったら……」
「もしかしたら脱線、ということにもなるかもしらん」
「これは那須野保線区の怠慢による事故ということになる。この記録がすべての証拠だ」
「おお、解決だ!」
笹井が顔を明るくさせる。だがその横で、水野は暗い顔をしていた。
「いや、ちょっと引っかかることがあります。……こう、言葉にはできませんが」
そう言うと、笹井も急にしおしおと顔を暗くさせた。
「実を言うと、ワシもだ。なにかこう、”ひっかかる”んだよな」
ポリポリと頭を掻いた後で、笹井は井関の方を見た。
「どうする?」
その一言で、だいたい言わんとすることがわかる。
これを最終結果として、本庁に帰るか。それとも、まだ調査を続けるか。
だが、それは愚問に思えた。
「ここで引き下がるのは、ボクらじゃないね」
井関は極めて明快に答えた。その一言で、四人の足並みは揃う。
「あの未亡人の家に行こう。さすれば、決定的な証拠が得られるはずだ」
井関がそう言うまでも無く、彼らの足はあの事故現場へと向かっていた。
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