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A05運行:国鉄三大ミステリー①下田総裁殺人事件

0059A:自分より狡猾な相手と対峙するのは、こういう時でなければ楽しいのだがね

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「なぜ、下田総裁のニセモノを作る必要があったかということだ」

 舞台は札幌駅に映った。所狭しと列車が並び、汽車や客車から白い蒸気がたなびく。そんな喧騒から少し外れたホームの隅っこに、彼らは居た。

「シゲさん、持ってきました」

 そこへいきなり、一人の男がやってきた。その男は仕立てのよさそうな茶色のコートを羽織っている。見た感じ、若手の刑事といったいで立ちだった。

「おお、神山君か。久しいね」

 井関の予想は見事に的中したらしく、その彼は刑事だった。かれはわざわざ、なんらかの資料を持ってきてくれたようだ。

「その資料はなんです?」

「事件当時の、国鉄職員の動きです。正確に言うと、下山氏失踪直後から国鉄がどのように下山氏を探そうとしていたか、のまとめです」

 神山はそう言うと、資料をその場で出そうとした。その瞬間、冷風が身体を突き刺す。

「……どこかに入りましょうか」

「といってもなあ。こんな話を待合でするわけには」

「先輩、今機関士の方とお話ししまして、この使っていない車輛を待合の代わりに使っていいそうです」

 いつのまにか駅員らと話を付けてきた水野がそう言った。井関は再び水野の手の速さに呆れながら、水野の提案を受け入れた。



「さて、これを見てください」

 神山の資料には、失踪当日国鉄職員がどう動いていたのかということが克明に記されていた。

「秘書が異変に気が付いたのが6時ごろ。7時ごろに秘書が国鉄本庁に電話連絡し、本件が露見した」

「……一時間もかかっているじゃないか。この間、何をしていたんだ?」

「どうやら、同行していた運転局の堤下局長が対応を遅らせたようですね」

 記録には、その点もしっかりと記録されていた。

「どうせいつもの放浪だろうから、放っておけばいいよ……か」

「まあそう言う考えになっても仕方がない。誰かが居なくなったとして、一時間は待ってみようというのは人情だ」

 官僚としては絶望的に判断力が欠如しているがね、と笹井は付け加えながらページをめくる。

「その後、室蘭周辺から捜索を開始。だが、その状況は一本の電話によって一変する」

「伊達紋別駅からの電話連絡だな。総裁を見かけた、という」

「もうすでに下田氏は伊達紋別駅から姿を消していた。そこから札幌鉄道管理局は、下田氏が札幌方面に向かうものと考えて東室蘭駅で検問を張ったのか」

「正確には、伊達紋別方面から苫小牧・札幌方面へ向かう列車全てに対し車両点検を実施したようですね。ですが、見つからなかった」

「ほぼ同時刻、倶知安駅での目撃証言が出る。これは倶知安駅長が発見しているな。駅長は下田総裁に声をかけようとしたが、すぐに列車に乗ってしまった、と」

「連絡を受けて札幌局は、東室蘭の職員を急遽札幌に派遣。しかし、確保には至らず……」

「こうしてみると、国鉄はものの見事に目撃情報に振り回されているな」

 小林が呆れたように言う。しかしながら事実として、国鉄の動きはすべて後手々々で、そして空振りであるとしか形容しようが無い。

「当時は戦時中で、下田総裁の保護に割ける人材が少なかったことが一因として挙げられるだろうな。そして、犯人はそれを熟知していた」

「しかし、こうまでして犯人は何がしたかったのだろうか」

 井関はうーんと考え込む。その末に、ハッとひらめいた。

「もしかしてだが、自分たちの移動ルートから目を逸らせたかったんじゃないか?」

 井関は路線図と手に取る。

「どういうことだ?」

「時刻表との矛盾から考えて、下田総裁は伊達紋別で殺害されたものとする。ここが矛盾の出発点だからだ」

「確かに、この伊達紋別で札幌方面へ行くか、それとも倶知安方面を迂回するかで、時刻表上の矛盾が生じたね」

「では、この伊達紋別から足寄へ、遺体を運搬することを考える。この時、東室蘭が封鎖されているのはマズい。東室蘭はどのルートでも必ず通ることになるからだ」

「その通りだね。なるほど、だから職員を札幌方面に向かわせることによって、東室蘭の封鎖を解除させたのか」

「しかし、札幌に職員が向かったところで、足寄へ向かうには札幌を経由しなければならないんじゃないのか?」

 笹井がそんな疑問を呈する。しかし、水野は興奮気味にそれを否定した。

「ああ! 笹井先輩、思い出してください。先ほど岩見沢を通過したでしょう!」

「岩見沢、岩見沢……ああ!」

「そう。東室蘭から足寄方面へは、室蘭本線を使用すれば札幌を経由せずに向かえる。犯人たちはこのルートを使用して遺体を運んだ」

「だが、もし職員が、札幌ではなく岩見沢を封鎖していたらどうするつもりだったんだ? 犯人たちは、国鉄がどこを封鎖するかなんて知らないだろう」

「だからニセモノは、わざわざ札幌で奇怪な行動をして見せたんだ。そうやって、自分が札幌で汽車を降りて、街中へと消えたように見せかけるために」

 シゲが不意に井関の方を叩いた。

「上出来の推理だ。国鉄で遊ばせとくにはもったいない」

「へ?」

「それは冗談として、ともかく犯人は室蘭本線経由で国鉄の目をかいくぐり、旭川方面へ向かったのは間違いなさそうだ」

「ともかく、これで犯人の行動はなんとなく判明したね!」

 小林は無邪気のそう言う。だが、なんだか釈然としない。

「いや、まだ見落としている点がある」

 芝が、冷静に異を唱えた。笹井はちょっと不安げな顔になる。

「ここまででわかったことは、犯人はあまりにも狡猾であるということだ。二重三重にもトリックを仕掛け、我々の行動を揺さぶっている」

「ええ、そうですね」

 笹井が相槌を打つ。その眼に、芝はビシっと人差し指を立てた。

「だとするならば、足寄で発見された遺体にも何かワナが仕掛けられていると考えてもいいんじゃないか? 少なくとも、事故から遺体発見まで数時間の空隙がある」

 その間に、何か手を打つことは可能だ。

「芝の言う通りだな。それに、国鉄は遺体発見の報を受けて捜査を打ち切っている。それも、犯人の狙い通りだったとしたら……」

「考えすぎじゃないでしょうか? 少なくとも、下田総裁の指紋と、遺体の指紋は一致しています」

「そこも、なんだか釈然としない」

 シゲはそう言った。

「そこにも、ワナが潜んでいそうな気がするんだ、私は」

 もっとも、それは我々の想像にすぎんがね、と芝はそう言った。
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