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旅人

旅人の名はタシュ

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「旦那ぁ、このあたりでよろしいでしょうか?」

「ああ、ありがとう。南はあっちであっているかい?」

 牛車の荷台から飛び降りた青年は、太陽に愛された褐色の肌に理知的な漆黒の瞳を持っていた。街を出る前に短く切りそろえた髪は、もう結えるほどの長さになっている。

「へえ。あっちでさ。でもこんな所で本当にいいです?牛車はもちろん、ラクダだって稀の、だーれも住んでいない土地ですぜ。遊牧民ですらこの向こうには行きやしない、恐ろしい土地です」

 牛車の主は相場よりかなり良い賃金を渡してきた青年を思ってそう忠告した。ここから先は、砂漠とオアシスが混在し、地図すら作られていない地域だ。老人たちは特に恐れが大きく、名を呼ぶことすら憚れたせいで【名の無い土地】と呼ばれている場所だ。強欲な人間が、足を踏み入れない未知の土地は、もうここくらいだ。

 乾いた風が、頬を撫でてくれた。少しだけ水辺の花の香りが混じっている。

 これから死の道へ一歩踏み出す者へのたむけか、新たなる出会いへのはなむけか。

「白の国を信じるだなんて、変わりもんだなあ」

「国でもよく言われてたよ。変わってるって。ああそうだ、もしあんたに商売っ気があるなら、俺が死んでいても乗せてくれないか?」

「はっはっは。儲かる話は好きだけど、死体は乗せたくねぇなあ」

 長旅を共にした牛の頭を撫でながら、その牛と同じくらいぽっこりしたお腹をぽんと叩くと牛車の主は笑った。

「もし死体の俺を乗せてグラゴルの国に行けば相当な金が手に入ると思うけどなあ」

「へえ、それはどのくらいの?」

「ん-……家が10軒は立つんじゃないか?」

 別れ際の与太話かと軽く流していた男の目の色が、言葉とは裏腹な青年の真面目な声色加減に変わった。

 そもそも金払いが良い客だ。生きていても金になるし、死体でも大金になるとなっちゃあ、いつもより少し足を伸ばして牛の散歩をするのも悪くないかもしれない。

「ひえーそりゃあ良いや。じゃあワシは死体探しに七日毎にここへ来ますよ」

「はは、生きていても殺されてしまいそうだな」

「そんな滅相も無い。お客を殺しちまったら信用がた落ちですからねえ」

「その言葉信じるよ」

「じゃあお客さん――お名前聞いておこうかな」

「俺はタシュだ」

「タシュの旦那、また乗せられる日を待ってますね」

「ああ、頼んだよ」

 白い歯を見せ笑顔を見せると、美しい異国の織物で出来た筒状の袋を肩に担いだ青年は、砂漠の向こうへと消えていった。彼の歩いた足跡は、風が何度か行き来するとすっかり消えて無くなってしまった。

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