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第一章 名無しのゼロプレイヤー
□reflection 1-1
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ガタンゴトン派手に揺れる。
弱々しいうめき声と悪態が、ピンボールの様に飛び跳ねる。
月が照らす深夜。
黒々とした森を貫く悪路。
その上を駆け抜けていくボロ馬車の中は、居心地が良すぎて死人もよみがえりそうだった。
容赦なく全身がシェイクされ、視線が定まる事は一瞬もない。
目を開けているとひどく酔うが、目を閉じると今度は悪臭が鼻をつく。
大抵のケースと同じように今回のクライアントも相当なケチだったらしく、現場監督が移動の足として用意したのは家畜用の荷馬車だった。
たぶん豚だろう。
適当に雑巾で拭かれただけの荷台はそこかしこに糞尿らしき染みが付いている。
鼻の良い同業者の一人は十メートル離れていてもこのロールス・グロイスの正体に気づいて顔をしかめた。
「グゲェエ」
「くそっ、こいつまた吐きやがった!」
「昨日買った俺のブーツがあああ」
とまあ、そいつは馬車が走り始めて一分そこらでたまらず嘔吐し、よせばいいのに仕事前に一杯酒を引っかけてきた連中がソレを見てもらいゲロ。
豚のクソとションベンのデュエットに、胃液と溶けかけた芋料理の臭いがめでたく加わった。
人間は豚以下だと分かる最高のアンサンブルだった。
「ハァ、後どれくらいこの地獄が続くんだろうね?」
チッと舌鼓を打っていると、隣に座る一頭の豚が話しかけてきた。
いや、ごつい鎧を身に纏ったデブマッチョ、一応人間だ。
出荷時に見逃されたわけじゃない。
見た目は品評会で優勝しそうな立派なオス豚だが、同業者の中では極めて良識的で頭の出来もいい希有なプレイヤーだ。
たまにキレて大勢をミラールーム送りにするが、基本的に心の優しい豚である。
この仮想世界――歪鏡界における数少ないフレンドの一人でもある。
ラーディー・ラーダス。
すなわち、脂ぎったデブ。
現実世界において、幼少期から太っていた彼を周囲が真心を込めて呼んだ名。
それをこの世界の分身につけたのだそうだ。
中々に歪んでいる。
そこにシンパシーを覚えたからの付き合いでもある。
デカい顔を汗まみれ、いや脂まみれにしたラーディーに首を横に振ってみせる。
「さあね。でもま、どこぞの深夜企画潰しだろ? 移動にはそんな時間かけられないんじゃね? あれ、名前なんつったっけ」
「スターフォール・エンターテイメントのミラーズハイだよ。時間帯人気ランキングじゃ八百位程度だけど、先月まで一万以下だったからね。競争相手の怒りを買ったのさ」
「へえ、凄い上昇率だな。ストリップでもやってるのか?」
「ストリップをやったのはスターフォールの新人タレントだろうね。場所はこっちじゃなくてあっち。グラマラ・スワンの会長室さ」
「ああ、グロマラ……業界大手のプロダクションだっけ? ははあ、なるほど。現実世界のベッドで接待しまくったわけか」
「そう。昔から腐るほどある話さ。下調べが相当に上手くいったのか、情報が手に入ったから仕掛けたのか。何にせよ、よっぽど会長の好みにあったんだろう、全面的にバックアップをしてクオリティと人材レベルを一気に押し上げた。飛ぶ鳥を落とす勢いってやつさ」
「新人タレントの接待ねえ。どんだけイイ女なんだか」
「女じゃなくて男さ。一説には性同一性障害の美少年だって話もある。まあ犯罪的なデザートを用意したんだろうさ」
「ハハ、グルメを落とすのは大変だよなあ」
大抵のモノを手に入れられる大金持ちが涎を垂らしたわけだから、とんでもないゲテモノなんだろう。
世の中には色んな性的嗜好があるもんねー知り合いにもさあ……と、うめき声とゲロ音をBGMに、変態趣味についての他愛ない話をしていると、突然馬車が一際大きく揺れた。
と言うよりも宙を舞った。
総勢十四名を乗せた荷台は轟音と共にすぐさま落下したが、落ちた先は地面ではなかったらしい。
横倒しになり悲鳴と罵声を上げる男達を襲ったのは、冷たい水だった。
至る所から次々に水が流れ込んでる。
「池――いや、川に落ちたんだ!」
誰かが叫んだ。
クソまみれだが修羅場になれた者達である、明るい昼間であれば舌打ちをしながら素早く対処したであろうが、あいにく今は深夜だった。
淡い月明かりだけが唯一の光源、どう動くべきか理解できたものはほんのわずかだった。
水を吸ってまとわりついてくる服に自由を奪われ、馬車と共に水中へと沈んでいくのは愉快な体験ではない。
数名がパニックに陥り、周囲の人間にしがみついたりよじ登ろうとしたりする。
混乱は伝染した。
「大丈夫か!」
馬鹿の一人に腕を掴まれ、溺れかけていたところを救ってくれたのは他でもない、この世界で最も頼れる豚である。
ラーディーはパワーにものを言わせて、人間を襲う怨霊と化したプレイヤーを引きはがしては放り投げ、お姫様を荷台の外へと連れ出してくれた。
「とにかく岸に上がるぞ」
その力強い声に危うく惚れそうになりながら必死で頷く。
馬車は幅五十メートルほどの川にかけられた橋の半ばで落ちたらしい。
ずぶずぶ音を立てて水没していくのを尻目に、巨体を器用に駆使して泳ぐラーディーを追って岸へと向かう。
水を含んでトレーニングウェイトと化した軽装鎧に苦戦しているこちらと違い、ラーディーを初め装備に金をかけてる連中は腕の良い錬金術師に頼んで鎧に浮水・防水効果を付与してもらっているため、蛙のように楽々と泳いでいく。
羨ましすぎて溺れさせてやりたいくらいだ。
しかし抱きつくどころか彼我の距離はどんどん広がっていくばかり。
こうなったらいっそ潜った方が早いかと若干キレ気味に手足をばたつかせていると、まるでこちらをあざ笑うかのように、いち早く脱出に成功した二三人のプレイヤーが川岸に上がる事に成功した。
一人は赤髪のチャックだ。
事あるごとに金をせびってくるクソ野郎。
肩で息をしながらもほっとした様子の後ろ姿に、思わずその幸運を自分のことのように喜んだ。
死ね。
その瞬間、チャックがぐらりと傾いた。
「ギッ」
いかにもクソ野郎らしいクソ悲鳴。
ハッハー、まさかマジで天罰があたったか。
頬が自然とにやけたのも束の間、鈍い悲鳴を上げて河原に崩れ落ちたその胸に矢が生えているのを見て、すぐさま真顔に戻った。
「襲撃だ! 身をかく――――」
事態を把握した川岸の一人が警告を途中まで発したところで、飛来した数本の矢に射貫かれ沈黙する。
弾かれたように橋の影に向かう者共の頭上に矢の雨が容赦なく降り注ぐ。
こうなるとどうしたって浮いてしまう連中は哀れなものだ。
貧乏人の虚しい勝利。
目的地とする岸辺の橋脚の位置を急いで確認、大きく息を吸って水中に潜る。
川の流れに逆らう形になるが、幸い流れは緩やかだったため泳ぐのは困難ではなかった。
問題は夜の水中が本当に真っ暗で、先ほどの記憶を頼りにする他ない点だ。
そろそろ到着着くはずだと水中で目を瞬かせた時、少し離れたところに何か光るものが見えた気がした。
一か八かそちらに向かって泳いでみる。
水中に顔を出せば、橋脚の影に身を潜めるラーディー他二人のプレイヤーと目が合った。
光ったのはこいつらの鎧か何かだったらしい。
「おうデカいの、無事だったか」
「お互いにね。でもだいぶ数が減らされたよ。このメンツ以外で無事なのも、きっと弓にやられる」
「スターフォールかグラマラのカウンター部隊か」
「練度が高いかららきっと後者だ。ボスはダミーの馬車を二つ走らせたと言ってた。敵さんが部隊を幾つかにわけたのか、それとも情報が漏れたのか。何にせよ、この数で相手をするには厄介だよ」
「ったく、護衛を先行させて罠がないか橋の点検するのがセオリーだってのに。荷馬車だけで突っ込むとかアホかよ」
「緊急の安い依頼だから無理だったんだろうけど……まあその通りだ。結果は最悪のものになりそうだ」
ラーディーとため息をついていると、険しい顔で水面に映る月を見つめていたプレイヤーの一人が吐き捨てるように言った。
「こいつは立案係の責任だ。俺達のせいじゃねえ。諦めてさっさとルーム送りになろうぜ。装備を隠して自刃すればマイナスも少ない。どうだ?」
穴を掘って骨を隠して舌を噛みましょう。
負け犬でもしないような提案だったが、この業界じゃ有り触れた話だった。
事実、もう一人のプレイヤーはすぐに同意を示した。
「お前達は?」
ラーディーは答えず、こちらを見た。
それだけで言いたい事は分かる。
問いかけに答える。
「生憎、失って困るものを何一つ持ってないんだ。やれるだけやってみるさ」
俺は蓄えがあるから楽しむよ、ラーディーが続いた。
資産と自身のあり余る肉にひっかけた台詞である。
中々に気が利いていたが、しかし二人の負け犬ならぬ負けグソは笑わなかった。
「お前……ゴミみたいな装備してると思ってたが、まさかゼロプレイヤーか。くそっ、ただの数あわせがマジな仕事に混ざるんじゃねえよ!」
「と言うか現実から出てくんなって話だな」
クソがクソを見るような目でこちらを睨むが、全く気にはならない。
気にしたのはラーディーで、半笑いになって得物の馬鹿でかいウォーハンマーの柄を握りしめている。
このままだとその命より大切な装備ごと二人を叩きつぶしてしまいそうな雰囲気である。
クソは潰してもクソにしかならないが、畑にまけば肥やしになる。
モッタイナイの精神に従って怒れる戦士をなだめ、肉塊十秒前のプレイヤー共に言ってやる。
「確かにやり方は不真面目だが、違反者じゃない。説教がしたきゃ坊主にでもなれよ。こっち二人はこっちの、あんたらはあんたらの目的を果たせばいいだけだ。ただおそらく付近は既に囲まれてる。それなら協力した方がいいんじゃねえか?」
二人は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
まあ、苦虫をかみつぶした経験はないから適当な例えだけど。
ああでもダンゴムシならあるな。
あれは味というよりも喉につかえる。
召し上がるときは是非ミルクと共に。
苦労して虫を飲み干した二人は、まるで付き合って三日目の恋人のように頬を寄せて囁きあっていたが、やがて眉間に皺を寄せて頷いた。
式場でも決まったのか。
「ふん、分かったよ。ただ、最初だけだ。包囲の一部を突破して森に逃げ込んだら、後は関係ない。それでいいな?」
「上等上等。ラーディー、作戦は?」
「アイアイ。今夜は幸い、月が明るいが雲も多い。風向きから見て、そうだな……あっちの大きい雲が月を覆って暗くなったら飛びだそう。ただ、敵の配置は不明だから逃げ込む方角は各自臨機応変に判断しよう」
「あいよ。お二人さんは?」
「それでいい」
「ああ」
行動方針が決まった。
急いで鎧という名の雑巾もどきを頭と身体から引きはがして水に流す。
所詮レベルゼロだ、ハイレベルプレイヤーを相手にすれば一撃で行動不能に陥る。
身につけていたのはただのマナー、プールにおける水着に相当する。
みすぼらしいモノを大衆の目から隠すためだけのものだった。
必要なのは武器だけでいい。
上は長袖のインナーシャツ、下は武器携帯用のベルトとカーゴパンツだけになる。
身が幾分軽くなった。
戦場のストリッパーを件の二人は軽蔑の目で、豚さんは愉快そうに見つめていたが、水音に紛れて複数の足音が近づいてきている事に気づき、全員顔を引き締めた。
敵の刃がめり込むのが先か、月が隠れるのが先か。
こうなるともはや運任せだ。
さあ、神様に祈ろう……ンン、あいつの名前はなんつったっけ?
出てきそうで出てこない。
そもそも男だったか女だったか。
人種すらも思い出せない。
いやはや、神様はどうやら匿名希望のアノニマスだったらしい。
どこの国の言葉で祈ればいいかも当然分からないから、取りあえず手でも合わせとけ――と、無意識にナムナム呟いている間に、天秤がかくんと傾いた。
名も知らぬ神は脳みその代わりにこんにゃくが詰まってる阿呆にも慈悲深かったらしい。
じゃなきゃ救う相手を間違ったか。
月がすっと陰った。
音もなく闇が満ちる。
最初に動いたのはラーディーだ。
と言うよりも動かした。
より正確に言えば月が陰るや否や橋脚の下から飛び出し、ソレを放り投げた。
ソレとは全長158センチ、重さ44キログラムの人型。
股間には一揃えぶら下げてるくせに、サイズはまるで女のプロフィール。
裸になれば骨が浮いて見え、Sサイズだって持てあます。
見窄らしいこの肉体は反吐が出るほど嫌いだが、宙を飛ぶには悪くない。
そう、この身は闇を舞う一羽の蛾となった。
「いけ、ハンガァ!」
下から叫ぶラーディーに応えるべく、腰に下げた鞘から得物を引き抜き上段に構えた。
一夜刀。
正式名は無銘四番。
この世界で手に入る最も安い刀の一つで、最も薄い刀の一つ。
通称が語るとおり、上手く使っても一晩しか持たない粗悪品だ。
誰かのように、性能だけでなく見た目も見窄らしいが、果たしてこの瞬間はどう映ったか。
身体が上昇から落下に転じた時、雲がはがれて月が顔を出した。
運悪く、落下地点にちょうど立っていたプレイヤーの一人が一瞬遅れてこちらに気づく。
逆光で視線が合わない。
やつが見ていたのは月光を受けて光る刀の切っ先だった。
「ア」
驚愕に目を見開いたそいつを一息に脳天から真っ二つ――なんて格好いい事、兜を被った相手にこのナマクラが出来るわけないのであっさりと袈裟斬り。
落下の勢いを乗せた一撃は、こちらを見上げていたせいでむき出しになった首筋を軽々と切断した。
勢いよく吹き出した血がかかり、水で冷えた身体を幾らか暖める。
着地の衝撃を殺しきったのと「ア」の人が地面に倒れたのはほぼ同時、視界の端に捉えた複数の敵が怪訝な顔でこちらを振り返った。
はっとして連中がそれぞれの武器を構えだした時には、下から切り上げた刀が手近な一人の脇を通り抜けている。
「くそっ、二人やられた!」
上手い具合に動脈をざっくりやれたらしい。
脇からビューッとお漏らししながら崩れ落ちていく野郎の向こうで、焦りと怒りを混ぜ合わせた気配がどよどよと蠢く。
七八人くらいか。
正面からやり合えばもちろん勝負にはならないので、即死できずにもたついているお漏らしさんを蹴りつけ、槍を構えて踏み込もうとしていた商売敵へとプレゼント。
槍マンは白状にも瀕死の仲間を受け止めずに横に飛び退いたが、時間は稼げたのでよし。
中指を突き立ててさようなら、八メートルほど先の森へと脱兎のごとく走り出す。
「追え、追えええ!」
すかさず放たれた矢が、背後からひょんひょん音を立てて跳んでくる。
やめろ卑怯だろ!
でもまあ身を低くして斜めに揺れながら走っているので早々には当たらない。
当たらないよね?
運良く怪我一つなく森に逃げ込む。
速度を一気に落とす。
川べりはともかく、暗すぎてまともに走れない。
殺し合いなど言わずもがな、だ。
さあて追跡者をまいて取りあえず木登りでもしようかと考えていると、どこかで複数の悲鳴が響いた。
続いて金属のかち合う音、豚さんが暴れ始めたらしい。
ならば木登りは取りやめだ。
刀を鞘に戻して腰を落とす。
ポケットから水を吸った黒い布きれを取り出し、顔に素早く巻き付ける。
オオウ、ジャパニーズニンジャイエェェス。
両手を地面につき、モンキーウォークで来た道を弧を描くように戻る。
ヌキ足、サシ足、シノビ足。
すると間もなく、援護に向かうべきか小声で話している追跡者一団を発見した。
数は三、こちらには気づいていない。
ラーディーを待たせてもいけないので、さっさと始末しよう。
小石を拾って適当な方向に投げつけると、連中は反射的に音の方に振り向いた。
すかさず中腰の姿勢で抜刀、勢いそのまま近場の敵ふくらはぎを切りつけた。
悲鳴。
うずくまるメイス使いの向こう、闇の中に白い顔が二つ、はっと浮かぶ。
まだこちらを捉えられていない。
もう一人くらいなら流れでやれそうだ。
すかさずそう判断するや否や、メイちゃんの背中を踏み台にして飛びかかる。
が、以外に間合いが遠い。
首を狙うのを止め、ぎょっと突き出された顔面にターゲットを変更、斜めに浅く切り裂く。
「アアアアアァ!」
中々のイイ声で叫びながら両手で顔を押さえる男、その傍らで思わぬ形の再会に顔をほころばせる槍マン。
どう、元気にしてた?
パルチザン。
ゲリラの名を冠する槍の三角形の穂先が、すうっとこちらを向いた――と思った瞬間、飛んできた。
正確に首を狙った一撃は辛うじて刀身を差し込んで逸らせたが、衝撃でバランスを崩してしまう。
無理に体勢を立て直そうとはせず、流れに身を任せて地面の上を転がった。
それが良い判断だったことは回転の最後の勢いで立ち上がった時に分かった。
先ほどまでいた場所に槍が刺さっている。
敵は初撃が躱されても集中を切らさず、地面に落ちたところを素早く狙っていたのだ。
そこそこの使い手だ。
だからこそ攻撃をかわせたとも言える。
正確な攻撃は予想しやすい。
「刃物を持ったまま転がるとは器用なやつだな」
槍を手元に戻しながら男が笑う。
余裕に満ちている。
当然だ。
転がったおかげで間合いは開いているが、あちらが一歩踏み込めばその穂先はこちらに届く。
優位は揺らがない。
「しょっちゅう転がされてるもんでね。しかしまあ、あんたのイチモツにフックがついてたら、転がるまでもなく二撃目でやられてたよ!」
口を覆う布越しに声を張る。
話したがりは好都合。
男を適当におだてつつ、戦場から這って逃げ出そうとしていたメイス使いの背中に刀を突き立て、死体にジョブチェンジさせてやる。
ザ・ボディを足で蹴り飛ばし、奇襲を受けたり回避の邪魔になるリスクを減らす。
勝ち目が上がる訳ではないが、何もしないよりはマシだと願いたい。
ゲリラはそれを見て愉快そうな顔をした。
余裕は消えない。
やはりこの野郎、打ち合えば自分が勝つと踏んでいる。
「あれは便利だが、こういう場所で振り回すのには向かないからな。服や骨に引っかかったりもするしな、でもこれならほら――」
男はくるっと得物を回すと、顔を押さえてヒイヒイ言ってる仲間を後ろから刺し殺した。
ずるっと音を立てて槍を引き抜きながら、より一層笑みを深めた。
「ストレスがない。シンプルなのが一番だ。お前だってそうだろう? 日本刀ってのはいいよな。突くことも出来るが、あくまで人を斬るためのもの。良い趣味をしている」
「こっちは趣味じゃなくて実益なんだけどな。色々やったが、一番様になったのがこいつってだけ。別に選んだわけじゃない」
「刀に選ばれたってか。はは、中々格好いいこと言うじゃねえか。お前、日本人か?」
「さあね。大体そういう話、ここじゃタブーだろ?」
「それは蝶のルールだ。蠅である俺達には関係ない!」
蝶と蠅。
ベターフライ、バッドフライ。
前者はこの仮想世界を純粋に楽しむ人々、後者は前者を利用して現金を稼いでいる人々。
たまに誰かが話題にする、馬鹿馬鹿しい例えだ。
言い出しっぺが誰だかは知らないが、きっとそいつは自分を特別な存在にしたかったんだろう。
しかし、なんともはや。
こっちはおしゃべりにも辟易してきたってのに、あっちはいよいよテンションが上がってきたらしい。
と言うよりも何か逆鱗に触れたのか?
「俺達はただ、連中がしたクソに群がる蠅の一匹だ。俺達がこういった汚れ仕事をやるから、連中が楽しめる。連中は俺達を軽蔑することで、まともなプレイヤーとして振る舞うことが出来るんだ。ルール? 俺達にそんなもんありゃしねえ。俺達は俺達で好きにやるんだ!」
事の最中だってのにため息をつきたい。
あちらさん。
何やらこの仮想世界の中ですら色々と境界線を引いて差別化し、自分よりも恵まれているように見えるものを勝手に憎んでいるらしい。
おそらくこっちと同じでこういった仕事をする事で現実世界の肉体を維持している底辺労働者なのだろう。
現実から解き放たれ、ただ自由に楽園で楽しんでいるプレイヤーが羨ましくて仕方ないのだ。
気持ちは分からなくもない。だが、こいつは勘違いしている。
ベタフライだのバドフライだの馬鹿馬鹿しい。
自分と他者をわけた時点でこの世界の住人だ。憎むというのも楽しみ方の一つに過ぎない。
この男も立派なロールプレイしてるわけだ。
「人生楽しんでんなあ」
「あ? 何か言ったか?」
弱々しいうめき声と悪態が、ピンボールの様に飛び跳ねる。
月が照らす深夜。
黒々とした森を貫く悪路。
その上を駆け抜けていくボロ馬車の中は、居心地が良すぎて死人もよみがえりそうだった。
容赦なく全身がシェイクされ、視線が定まる事は一瞬もない。
目を開けているとひどく酔うが、目を閉じると今度は悪臭が鼻をつく。
大抵のケースと同じように今回のクライアントも相当なケチだったらしく、現場監督が移動の足として用意したのは家畜用の荷馬車だった。
たぶん豚だろう。
適当に雑巾で拭かれただけの荷台はそこかしこに糞尿らしき染みが付いている。
鼻の良い同業者の一人は十メートル離れていてもこのロールス・グロイスの正体に気づいて顔をしかめた。
「グゲェエ」
「くそっ、こいつまた吐きやがった!」
「昨日買った俺のブーツがあああ」
とまあ、そいつは馬車が走り始めて一分そこらでたまらず嘔吐し、よせばいいのに仕事前に一杯酒を引っかけてきた連中がソレを見てもらいゲロ。
豚のクソとションベンのデュエットに、胃液と溶けかけた芋料理の臭いがめでたく加わった。
人間は豚以下だと分かる最高のアンサンブルだった。
「ハァ、後どれくらいこの地獄が続くんだろうね?」
チッと舌鼓を打っていると、隣に座る一頭の豚が話しかけてきた。
いや、ごつい鎧を身に纏ったデブマッチョ、一応人間だ。
出荷時に見逃されたわけじゃない。
見た目は品評会で優勝しそうな立派なオス豚だが、同業者の中では極めて良識的で頭の出来もいい希有なプレイヤーだ。
たまにキレて大勢をミラールーム送りにするが、基本的に心の優しい豚である。
この仮想世界――歪鏡界における数少ないフレンドの一人でもある。
ラーディー・ラーダス。
すなわち、脂ぎったデブ。
現実世界において、幼少期から太っていた彼を周囲が真心を込めて呼んだ名。
それをこの世界の分身につけたのだそうだ。
中々に歪んでいる。
そこにシンパシーを覚えたからの付き合いでもある。
デカい顔を汗まみれ、いや脂まみれにしたラーディーに首を横に振ってみせる。
「さあね。でもま、どこぞの深夜企画潰しだろ? 移動にはそんな時間かけられないんじゃね? あれ、名前なんつったっけ」
「スターフォール・エンターテイメントのミラーズハイだよ。時間帯人気ランキングじゃ八百位程度だけど、先月まで一万以下だったからね。競争相手の怒りを買ったのさ」
「へえ、凄い上昇率だな。ストリップでもやってるのか?」
「ストリップをやったのはスターフォールの新人タレントだろうね。場所はこっちじゃなくてあっち。グラマラ・スワンの会長室さ」
「ああ、グロマラ……業界大手のプロダクションだっけ? ははあ、なるほど。現実世界のベッドで接待しまくったわけか」
「そう。昔から腐るほどある話さ。下調べが相当に上手くいったのか、情報が手に入ったから仕掛けたのか。何にせよ、よっぽど会長の好みにあったんだろう、全面的にバックアップをしてクオリティと人材レベルを一気に押し上げた。飛ぶ鳥を落とす勢いってやつさ」
「新人タレントの接待ねえ。どんだけイイ女なんだか」
「女じゃなくて男さ。一説には性同一性障害の美少年だって話もある。まあ犯罪的なデザートを用意したんだろうさ」
「ハハ、グルメを落とすのは大変だよなあ」
大抵のモノを手に入れられる大金持ちが涎を垂らしたわけだから、とんでもないゲテモノなんだろう。
世の中には色んな性的嗜好があるもんねー知り合いにもさあ……と、うめき声とゲロ音をBGMに、変態趣味についての他愛ない話をしていると、突然馬車が一際大きく揺れた。
と言うよりも宙を舞った。
総勢十四名を乗せた荷台は轟音と共にすぐさま落下したが、落ちた先は地面ではなかったらしい。
横倒しになり悲鳴と罵声を上げる男達を襲ったのは、冷たい水だった。
至る所から次々に水が流れ込んでる。
「池――いや、川に落ちたんだ!」
誰かが叫んだ。
クソまみれだが修羅場になれた者達である、明るい昼間であれば舌打ちをしながら素早く対処したであろうが、あいにく今は深夜だった。
淡い月明かりだけが唯一の光源、どう動くべきか理解できたものはほんのわずかだった。
水を吸ってまとわりついてくる服に自由を奪われ、馬車と共に水中へと沈んでいくのは愉快な体験ではない。
数名がパニックに陥り、周囲の人間にしがみついたりよじ登ろうとしたりする。
混乱は伝染した。
「大丈夫か!」
馬鹿の一人に腕を掴まれ、溺れかけていたところを救ってくれたのは他でもない、この世界で最も頼れる豚である。
ラーディーはパワーにものを言わせて、人間を襲う怨霊と化したプレイヤーを引きはがしては放り投げ、お姫様を荷台の外へと連れ出してくれた。
「とにかく岸に上がるぞ」
その力強い声に危うく惚れそうになりながら必死で頷く。
馬車は幅五十メートルほどの川にかけられた橋の半ばで落ちたらしい。
ずぶずぶ音を立てて水没していくのを尻目に、巨体を器用に駆使して泳ぐラーディーを追って岸へと向かう。
水を含んでトレーニングウェイトと化した軽装鎧に苦戦しているこちらと違い、ラーディーを初め装備に金をかけてる連中は腕の良い錬金術師に頼んで鎧に浮水・防水効果を付与してもらっているため、蛙のように楽々と泳いでいく。
羨ましすぎて溺れさせてやりたいくらいだ。
しかし抱きつくどころか彼我の距離はどんどん広がっていくばかり。
こうなったらいっそ潜った方が早いかと若干キレ気味に手足をばたつかせていると、まるでこちらをあざ笑うかのように、いち早く脱出に成功した二三人のプレイヤーが川岸に上がる事に成功した。
一人は赤髪のチャックだ。
事あるごとに金をせびってくるクソ野郎。
肩で息をしながらもほっとした様子の後ろ姿に、思わずその幸運を自分のことのように喜んだ。
死ね。
その瞬間、チャックがぐらりと傾いた。
「ギッ」
いかにもクソ野郎らしいクソ悲鳴。
ハッハー、まさかマジで天罰があたったか。
頬が自然とにやけたのも束の間、鈍い悲鳴を上げて河原に崩れ落ちたその胸に矢が生えているのを見て、すぐさま真顔に戻った。
「襲撃だ! 身をかく――――」
事態を把握した川岸の一人が警告を途中まで発したところで、飛来した数本の矢に射貫かれ沈黙する。
弾かれたように橋の影に向かう者共の頭上に矢の雨が容赦なく降り注ぐ。
こうなるとどうしたって浮いてしまう連中は哀れなものだ。
貧乏人の虚しい勝利。
目的地とする岸辺の橋脚の位置を急いで確認、大きく息を吸って水中に潜る。
川の流れに逆らう形になるが、幸い流れは緩やかだったため泳ぐのは困難ではなかった。
問題は夜の水中が本当に真っ暗で、先ほどの記憶を頼りにする他ない点だ。
そろそろ到着着くはずだと水中で目を瞬かせた時、少し離れたところに何か光るものが見えた気がした。
一か八かそちらに向かって泳いでみる。
水中に顔を出せば、橋脚の影に身を潜めるラーディー他二人のプレイヤーと目が合った。
光ったのはこいつらの鎧か何かだったらしい。
「おうデカいの、無事だったか」
「お互いにね。でもだいぶ数が減らされたよ。このメンツ以外で無事なのも、きっと弓にやられる」
「スターフォールかグラマラのカウンター部隊か」
「練度が高いかららきっと後者だ。ボスはダミーの馬車を二つ走らせたと言ってた。敵さんが部隊を幾つかにわけたのか、それとも情報が漏れたのか。何にせよ、この数で相手をするには厄介だよ」
「ったく、護衛を先行させて罠がないか橋の点検するのがセオリーだってのに。荷馬車だけで突っ込むとかアホかよ」
「緊急の安い依頼だから無理だったんだろうけど……まあその通りだ。結果は最悪のものになりそうだ」
ラーディーとため息をついていると、険しい顔で水面に映る月を見つめていたプレイヤーの一人が吐き捨てるように言った。
「こいつは立案係の責任だ。俺達のせいじゃねえ。諦めてさっさとルーム送りになろうぜ。装備を隠して自刃すればマイナスも少ない。どうだ?」
穴を掘って骨を隠して舌を噛みましょう。
負け犬でもしないような提案だったが、この業界じゃ有り触れた話だった。
事実、もう一人のプレイヤーはすぐに同意を示した。
「お前達は?」
ラーディーは答えず、こちらを見た。
それだけで言いたい事は分かる。
問いかけに答える。
「生憎、失って困るものを何一つ持ってないんだ。やれるだけやってみるさ」
俺は蓄えがあるから楽しむよ、ラーディーが続いた。
資産と自身のあり余る肉にひっかけた台詞である。
中々に気が利いていたが、しかし二人の負け犬ならぬ負けグソは笑わなかった。
「お前……ゴミみたいな装備してると思ってたが、まさかゼロプレイヤーか。くそっ、ただの数あわせがマジな仕事に混ざるんじゃねえよ!」
「と言うか現実から出てくんなって話だな」
クソがクソを見るような目でこちらを睨むが、全く気にはならない。
気にしたのはラーディーで、半笑いになって得物の馬鹿でかいウォーハンマーの柄を握りしめている。
このままだとその命より大切な装備ごと二人を叩きつぶしてしまいそうな雰囲気である。
クソは潰してもクソにしかならないが、畑にまけば肥やしになる。
モッタイナイの精神に従って怒れる戦士をなだめ、肉塊十秒前のプレイヤー共に言ってやる。
「確かにやり方は不真面目だが、違反者じゃない。説教がしたきゃ坊主にでもなれよ。こっち二人はこっちの、あんたらはあんたらの目的を果たせばいいだけだ。ただおそらく付近は既に囲まれてる。それなら協力した方がいいんじゃねえか?」
二人は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
まあ、苦虫をかみつぶした経験はないから適当な例えだけど。
ああでもダンゴムシならあるな。
あれは味というよりも喉につかえる。
召し上がるときは是非ミルクと共に。
苦労して虫を飲み干した二人は、まるで付き合って三日目の恋人のように頬を寄せて囁きあっていたが、やがて眉間に皺を寄せて頷いた。
式場でも決まったのか。
「ふん、分かったよ。ただ、最初だけだ。包囲の一部を突破して森に逃げ込んだら、後は関係ない。それでいいな?」
「上等上等。ラーディー、作戦は?」
「アイアイ。今夜は幸い、月が明るいが雲も多い。風向きから見て、そうだな……あっちの大きい雲が月を覆って暗くなったら飛びだそう。ただ、敵の配置は不明だから逃げ込む方角は各自臨機応変に判断しよう」
「あいよ。お二人さんは?」
「それでいい」
「ああ」
行動方針が決まった。
急いで鎧という名の雑巾もどきを頭と身体から引きはがして水に流す。
所詮レベルゼロだ、ハイレベルプレイヤーを相手にすれば一撃で行動不能に陥る。
身につけていたのはただのマナー、プールにおける水着に相当する。
みすぼらしいモノを大衆の目から隠すためだけのものだった。
必要なのは武器だけでいい。
上は長袖のインナーシャツ、下は武器携帯用のベルトとカーゴパンツだけになる。
身が幾分軽くなった。
戦場のストリッパーを件の二人は軽蔑の目で、豚さんは愉快そうに見つめていたが、水音に紛れて複数の足音が近づいてきている事に気づき、全員顔を引き締めた。
敵の刃がめり込むのが先か、月が隠れるのが先か。
こうなるともはや運任せだ。
さあ、神様に祈ろう……ンン、あいつの名前はなんつったっけ?
出てきそうで出てこない。
そもそも男だったか女だったか。
人種すらも思い出せない。
いやはや、神様はどうやら匿名希望のアノニマスだったらしい。
どこの国の言葉で祈ればいいかも当然分からないから、取りあえず手でも合わせとけ――と、無意識にナムナム呟いている間に、天秤がかくんと傾いた。
名も知らぬ神は脳みその代わりにこんにゃくが詰まってる阿呆にも慈悲深かったらしい。
じゃなきゃ救う相手を間違ったか。
月がすっと陰った。
音もなく闇が満ちる。
最初に動いたのはラーディーだ。
と言うよりも動かした。
より正確に言えば月が陰るや否や橋脚の下から飛び出し、ソレを放り投げた。
ソレとは全長158センチ、重さ44キログラムの人型。
股間には一揃えぶら下げてるくせに、サイズはまるで女のプロフィール。
裸になれば骨が浮いて見え、Sサイズだって持てあます。
見窄らしいこの肉体は反吐が出るほど嫌いだが、宙を飛ぶには悪くない。
そう、この身は闇を舞う一羽の蛾となった。
「いけ、ハンガァ!」
下から叫ぶラーディーに応えるべく、腰に下げた鞘から得物を引き抜き上段に構えた。
一夜刀。
正式名は無銘四番。
この世界で手に入る最も安い刀の一つで、最も薄い刀の一つ。
通称が語るとおり、上手く使っても一晩しか持たない粗悪品だ。
誰かのように、性能だけでなく見た目も見窄らしいが、果たしてこの瞬間はどう映ったか。
身体が上昇から落下に転じた時、雲がはがれて月が顔を出した。
運悪く、落下地点にちょうど立っていたプレイヤーの一人が一瞬遅れてこちらに気づく。
逆光で視線が合わない。
やつが見ていたのは月光を受けて光る刀の切っ先だった。
「ア」
驚愕に目を見開いたそいつを一息に脳天から真っ二つ――なんて格好いい事、兜を被った相手にこのナマクラが出来るわけないのであっさりと袈裟斬り。
落下の勢いを乗せた一撃は、こちらを見上げていたせいでむき出しになった首筋を軽々と切断した。
勢いよく吹き出した血がかかり、水で冷えた身体を幾らか暖める。
着地の衝撃を殺しきったのと「ア」の人が地面に倒れたのはほぼ同時、視界の端に捉えた複数の敵が怪訝な顔でこちらを振り返った。
はっとして連中がそれぞれの武器を構えだした時には、下から切り上げた刀が手近な一人の脇を通り抜けている。
「くそっ、二人やられた!」
上手い具合に動脈をざっくりやれたらしい。
脇からビューッとお漏らししながら崩れ落ちていく野郎の向こうで、焦りと怒りを混ぜ合わせた気配がどよどよと蠢く。
七八人くらいか。
正面からやり合えばもちろん勝負にはならないので、即死できずにもたついているお漏らしさんを蹴りつけ、槍を構えて踏み込もうとしていた商売敵へとプレゼント。
槍マンは白状にも瀕死の仲間を受け止めずに横に飛び退いたが、時間は稼げたのでよし。
中指を突き立ててさようなら、八メートルほど先の森へと脱兎のごとく走り出す。
「追え、追えええ!」
すかさず放たれた矢が、背後からひょんひょん音を立てて跳んでくる。
やめろ卑怯だろ!
でもまあ身を低くして斜めに揺れながら走っているので早々には当たらない。
当たらないよね?
運良く怪我一つなく森に逃げ込む。
速度を一気に落とす。
川べりはともかく、暗すぎてまともに走れない。
殺し合いなど言わずもがな、だ。
さあて追跡者をまいて取りあえず木登りでもしようかと考えていると、どこかで複数の悲鳴が響いた。
続いて金属のかち合う音、豚さんが暴れ始めたらしい。
ならば木登りは取りやめだ。
刀を鞘に戻して腰を落とす。
ポケットから水を吸った黒い布きれを取り出し、顔に素早く巻き付ける。
オオウ、ジャパニーズニンジャイエェェス。
両手を地面につき、モンキーウォークで来た道を弧を描くように戻る。
ヌキ足、サシ足、シノビ足。
すると間もなく、援護に向かうべきか小声で話している追跡者一団を発見した。
数は三、こちらには気づいていない。
ラーディーを待たせてもいけないので、さっさと始末しよう。
小石を拾って適当な方向に投げつけると、連中は反射的に音の方に振り向いた。
すかさず中腰の姿勢で抜刀、勢いそのまま近場の敵ふくらはぎを切りつけた。
悲鳴。
うずくまるメイス使いの向こう、闇の中に白い顔が二つ、はっと浮かぶ。
まだこちらを捉えられていない。
もう一人くらいなら流れでやれそうだ。
すかさずそう判断するや否や、メイちゃんの背中を踏み台にして飛びかかる。
が、以外に間合いが遠い。
首を狙うのを止め、ぎょっと突き出された顔面にターゲットを変更、斜めに浅く切り裂く。
「アアアアアァ!」
中々のイイ声で叫びながら両手で顔を押さえる男、その傍らで思わぬ形の再会に顔をほころばせる槍マン。
どう、元気にしてた?
パルチザン。
ゲリラの名を冠する槍の三角形の穂先が、すうっとこちらを向いた――と思った瞬間、飛んできた。
正確に首を狙った一撃は辛うじて刀身を差し込んで逸らせたが、衝撃でバランスを崩してしまう。
無理に体勢を立て直そうとはせず、流れに身を任せて地面の上を転がった。
それが良い判断だったことは回転の最後の勢いで立ち上がった時に分かった。
先ほどまでいた場所に槍が刺さっている。
敵は初撃が躱されても集中を切らさず、地面に落ちたところを素早く狙っていたのだ。
そこそこの使い手だ。
だからこそ攻撃をかわせたとも言える。
正確な攻撃は予想しやすい。
「刃物を持ったまま転がるとは器用なやつだな」
槍を手元に戻しながら男が笑う。
余裕に満ちている。
当然だ。
転がったおかげで間合いは開いているが、あちらが一歩踏み込めばその穂先はこちらに届く。
優位は揺らがない。
「しょっちゅう転がされてるもんでね。しかしまあ、あんたのイチモツにフックがついてたら、転がるまでもなく二撃目でやられてたよ!」
口を覆う布越しに声を張る。
話したがりは好都合。
男を適当におだてつつ、戦場から這って逃げ出そうとしていたメイス使いの背中に刀を突き立て、死体にジョブチェンジさせてやる。
ザ・ボディを足で蹴り飛ばし、奇襲を受けたり回避の邪魔になるリスクを減らす。
勝ち目が上がる訳ではないが、何もしないよりはマシだと願いたい。
ゲリラはそれを見て愉快そうな顔をした。
余裕は消えない。
やはりこの野郎、打ち合えば自分が勝つと踏んでいる。
「あれは便利だが、こういう場所で振り回すのには向かないからな。服や骨に引っかかったりもするしな、でもこれならほら――」
男はくるっと得物を回すと、顔を押さえてヒイヒイ言ってる仲間を後ろから刺し殺した。
ずるっと音を立てて槍を引き抜きながら、より一層笑みを深めた。
「ストレスがない。シンプルなのが一番だ。お前だってそうだろう? 日本刀ってのはいいよな。突くことも出来るが、あくまで人を斬るためのもの。良い趣味をしている」
「こっちは趣味じゃなくて実益なんだけどな。色々やったが、一番様になったのがこいつってだけ。別に選んだわけじゃない」
「刀に選ばれたってか。はは、中々格好いいこと言うじゃねえか。お前、日本人か?」
「さあね。大体そういう話、ここじゃタブーだろ?」
「それは蝶のルールだ。蠅である俺達には関係ない!」
蝶と蠅。
ベターフライ、バッドフライ。
前者はこの仮想世界を純粋に楽しむ人々、後者は前者を利用して現金を稼いでいる人々。
たまに誰かが話題にする、馬鹿馬鹿しい例えだ。
言い出しっぺが誰だかは知らないが、きっとそいつは自分を特別な存在にしたかったんだろう。
しかし、なんともはや。
こっちはおしゃべりにも辟易してきたってのに、あっちはいよいよテンションが上がってきたらしい。
と言うよりも何か逆鱗に触れたのか?
「俺達はただ、連中がしたクソに群がる蠅の一匹だ。俺達がこういった汚れ仕事をやるから、連中が楽しめる。連中は俺達を軽蔑することで、まともなプレイヤーとして振る舞うことが出来るんだ。ルール? 俺達にそんなもんありゃしねえ。俺達は俺達で好きにやるんだ!」
事の最中だってのにため息をつきたい。
あちらさん。
何やらこの仮想世界の中ですら色々と境界線を引いて差別化し、自分よりも恵まれているように見えるものを勝手に憎んでいるらしい。
おそらくこっちと同じでこういった仕事をする事で現実世界の肉体を維持している底辺労働者なのだろう。
現実から解き放たれ、ただ自由に楽園で楽しんでいるプレイヤーが羨ましくて仕方ないのだ。
気持ちは分からなくもない。だが、こいつは勘違いしている。
ベタフライだのバドフライだの馬鹿馬鹿しい。
自分と他者をわけた時点でこの世界の住人だ。憎むというのも楽しみ方の一つに過ぎない。
この男も立派なロールプレイしてるわけだ。
「人生楽しんでんなあ」
「あ? 何か言ったか?」
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