Mind Revive Network System 

MONCHER-CAFE

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エピローグ

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また目の前が白くなり、またどこかに転送された事に気づいた。
目を開けると、なんと一面が白い雪で覆われた場所に立っていた。でも理由はわからないが寒さは全く感じなかった。
服もさっきまでタキシードを着ていたが普段着に戻っていた。

「ここは……」

周りを見ると針葉樹が所々に植えられていて、どれも雪が積もっていた。

「唯祐……?」

突然、後ろから声を掛けられ振り返った。

「友利歌……どうして?」

僕の目の前にウェディングドレスを着る前の友利歌が立っていた。

「わからない……気がついたらここにいたの……」

彼女は不思議な表情を浮かべ周りをキョロキョロ見ていた。

「一体……ここはどこなんだろう……」

僕も周りの景色を見ながら自分の過去ではない事だけは確証があった。そして改めて友利歌を見ると僕の頭上を見上げて瞳を輝かせていた。

「唯祐見て!空!」

僕は彼女に急かされ、また振り返りながらゆっくり視線を空に向けた。

「これは……」

空には緑色の光の筋が棚引いて、それが空一面に神秘的な光を放っていた。

「初めて見た……オーロラ……」

「ああ……僕もだよ……とても幻想的な光だ……」

しばらく僕たちは無言でオーロラを眺めていた。この現象を目の当たりにすればどんな言葉の形容も陳腐なものになってしまうだろう。

「なんか……新婚旅行ができちゃったね」

「そうだね……出来なかった夢がもう一つ叶えられた」

さっきは強制的にミッションが終了したので、もう友利歌には会えないと思っていた。

(このミッションは誰かの贈り物なのか……)

「さっきね……試着室で遥香ちゃんと2人でお話したんだけど……唯祐がリトライをする前に私たち新宿御苑で偶然会ってたんだって……」

「そっか……だから僕たちの事を知ってたんだね」

「うん……私達の事を知って唯祐を絶対に助けたいって思ったって……彼女、真っ直ぐでとっても優しい娘ね……少しの間だったけど妹ができたみたいで嬉しかった」

「年齢も近いから、なおさらそう感じたかもしれないね」

僕の言葉に友利歌は嬉しそうに頷いた。

「彼女だけじゃなく、藤乃くんや平さんにも本当に助けられた……こうやって友利歌と一緒にいられるのも彼らが道を踏み外そうとしていた僕を救ってくれたからなんだ……そして友利歌……君も」

僕は下を向きながら自分のした行為の愚かさを改めて恥じた。そんな僕を見ていた友利歌は隣に寄り添って優しく手を握ってくれた。手元に視線を落とすと彼女の左手の薬指には、さっきはめた結婚指輪が光っていた。

「唯祐……私と約束してほしい事があるの……私は唯祐の弾くピアノが本当に好き……初めて会った時からずっと……出来る事なら唯祐の隣でこれからもずっと歌っていたい……でもそれは無理なんだよね……」

「友利歌……」

僕は無意識に名前を呼んでいた。そして彼女はうつむいて下を見ていた。

「だから……せめて私たちを繋げてくれた音楽は……音楽だけは続けてほしい」

顔を上げて僕を見る友利歌の表情は切実だった。

「君を失ったとき……全てが終わったと思った……事件のトラウマからピアノに触れる事も出来なくなって……ただ容疑者を憎悪するだけの日々に変わってしまった。自分自身と向き合えなくなっていたんだ……でもさっきピアノに触れて思い出した事がある」

僕は友利歌の正面に立って抱きしめた。

「僕の人生には常にピアノがそばにあって音楽と共に生きてきた……だから約束するよ。ピアノを続けようと思う……音楽をやめてしまったら君と過ごした大切な時間さえ否定する事になってしまう」

友利歌は涙ぐんで僕の背中に手を回して抱きしめ返していた。

「私は……いつでも唯祐の近くにいるから………それだけは忘れないで」

そして僕たちは見つめ合いキスをした。

友利歌のこの願いだけは大切に守り続けたいと思った。僕がピアノを弾いていればきっと友利歌はそばで聴いてくれている。それを信じていれば彼女のいない世界でも自分を見失わずに生きていける気がした。

そしてゆっくりお互いの顔を離すと僕の利き腕にあるリストバンドが光り出した。
リストバンドに触れると液晶画面が出て『ミッションコンプリート』の文字が見えた。


「友利歌、さよならは言わないよ」


「うん……唯祐、私の人生を素晴らしいものにしてくれてありがとう……」

僕は頷いて液晶画面に触れた。


「友利歌……今までも……これからもずっと愛してる」


言葉のあと、目の前を包み込む光の中で樹友利歌が優しく微笑む顔を僕は最後に見ることができた……。




















「ここはどこや……?」

目を開けると薄暗い場所に立っていた。森の中らしいが白い雪に覆われていて周囲はよく見えなかった。さっきまで結婚式場にいたが、突然この場所に転送されていた。

(他の3人は無事なんやろか……)

ゆっくり周りを確認しながら後ろを向いた。すると暗闇の先から人影が二つ……こちらに近づいてくるのに気づいた。

「誰や?」

「その声……稔さん?」

「好子か……それに眞も……」

信じられなかった。もう会えないと思っていた好子と眞が目の前に立っている。

「二人ともどないしたんや?」

「気がついたら眞とここにおったんです」

心配そうな顔で話す好子の隣で眞は不思議そうに俺を見ていた。ここは誰の過去なのか、自分たちの他に人がいる気配はなかった。

「あ!お父さんお母さん!上見て!」

急に眞が声を上げた。その声につられて俺と好子は空を見上げた。

「すごいな……これは……」

濃く青みがかった空には光り輝く緑色のカーテンがどこまでも続いていた。

「私ら夢でも見てるんやろか……?」

「この際、夢でも何でもええやろ……眞、こっち来い」

「うん……」

「お父さんが肩車してやるからな………おっと……」

眞をそばに呼んで肩車をしようとして少しよろめいた。

「あなた、無理はせんといて」

その一部始終を見ていた好子はすぐに俺の体を支えた。

「大丈夫や、肩車なんてするの久しぶりやな……眞、見えるか?」

「よく見えるよ。お父さん、これがオーロラ?」

俺に肩車されたまま眞は夜空を見上げていた。俺も視線を空の方へ向けた。

「そうやな……お父さんも初めて見るわ」

横を見ると隣で体を支えていた好子も俺のそばにぴったりくっついてオーロラを見ている。

「ホンマに綺麗やね……」

「ああ……自然の力はすごいな」

オーロラを眺めながら俺はまた家族に会えた事を心の中で誰かに感謝していた。

「眞、今から雪遊びしよか?」

「うん!やりたい!」

俺はゆっくりと膝をついて眞を地面におろす時、手が雪に触れたが何故か冷たくなかった。そういえばさっきからこんな雪の中にいるのに全然寒くない。

俺はとっさに思いつき掌に雪を出来るだけ集めておもいっきり上に放り投げた。

「あなた!ちょっと何してるの!」

俺の急な行動に好子が驚きの声を上げた。舞い上がった雪が好子と眞の頭や服を白くした。

「ガキのころようやったんや……これ結構ストレス発散になるんや」

そして近くで見ていた眞が俺を真似て手ですくった雪を勢いよく放り投げた。

「ええぞ!眞その調子や!」

俺たち家族は雪と戯れながら全てを忘れておもいっきりはしゃいだ。



そのうち遊び疲れて3人は川の字で雪の上を寝っころがっていた。

「お母さん、髪が白なっておばあちゃんみたいや」

「ハハハッ、ホンマやな……好子婆さんや」

俺と眞の言葉に反応して好子は上半身を起こしてムッとしたが、すぐ笑顔になった。

「そんなこと言うてる2人も雪で頭、真っ白やないの」

好子に言われ俺と眞はお互い見合った。

「ホンマやな……みんな白髪や」

3人は笑い合った後、ゆっくりと立ち上がり寄り添ってまた空を見上げた。



しばらくすると右腕のリストバンドが光っているのに気づいた。

(ミッション終了か……どんな夢もいつかは覚める)

俺は両脇にいる眞こっちと好子をぐっと抱き寄せた。

「好子……眞……ホンマにありがとうな。俺は明日からとにかく頑張ってみるわ」

「たとえ離れてても家族は一緒やから安心してください」

好子の言葉は心に安らぎを与えてくれる。何もかも失っても家族と過ごした日々の記憶が消えることはない。
治験を受ける前は喪失感と孤独感に支配されていた心も今は過去と向き合い自分の未来に少しだけ希望みたいなものを持てるようになれた。
システムを体験する中で他の治験者の辛い過去を知り、それが更に大きく意識を変えた。

「もうええ加減……夢から覚めんといかんな…」

そう呟くと左手でリストバンドに触れ液晶画面を出した。

(もし生まれ変わりっちゅうもんがホンマにあるんやったらまた家族3人がええな……)

自分の心の声が世界を創造しているであろう大いなる者に届くように願った。そして『ミッションコンプリート』の文字にゆっくりと右手の人差し指を近づけた。

目の前が光で溢れてゆく中で2人の顔がおだやかに揺れていた。
それは全てを許し、全てを受け入れた人間の表情だった。やはり好子と眞はこちらの世界の住人ではないと改めて気づかされる。


「これからの俺を見といてくれ……」


俺の言葉に2人が頷いたように見えた……。






















目を開けると暗闇の中に立っていた。そして足元を見ると白い雪が僕の靴の甲にかかっているのが見えた。

「ここは……一体……」

だんだんと目が暗闇に慣れて周りが見えるようになってきた。どうやら僕は森の中にいるらしい。
辺りは自分の耳が悪くなったのかと思うくらい無音だった。
とりあえず周りに何があるのか確認するため歩き出した。僕が雪を踏みしめる音だけが辺りに響いている。周辺には雪をかぶった木々が並んでいた。それを通り越すと広い場所に出た。

一面が雪に覆われた広場の真ん中に人影が一つあるのが見えた。
僕は警戒しながらゆっくりと人影に近づいていった。

「………織音さん?」

後ろ姿で彼女だと気づき声をかけた。

「え……藤乃さん?」

「うん……どうやらまた違う場所に転送されたみたいだね……」

さっきの結婚式場に比べたら随分と辺鄙な場所だった。

「誰の過去なんだろう……」

織音さんは周りをキョロキョロしながら不思議な顔をしている。

「もしかしたら誰の過去でもないんじゃないかな……」

「どうしてそう思うの?」

「うーん……システムが最後に迷惑を掛けたお礼とかで見せてくれてるのかも……その証拠に上を見てごらんよ」

僕は彼女に人差し指を上に向けて空を見るよう促した。

「あっ………」

一瞬で織音さんの目が輝いて感動しているのがわかった。

空を見上げると赤と緑の光がアーチ状に伸びて神秘的な輝きを放っていた。
初めて見るオーロラに僕と織音さんはしばらく言葉を失っていた。こんな地球規模の自然現象を目の当たりにすれば自分がどれだけ狭い世界で生きているかを思い知らされる。ふと我に返り空から視線を落として織音さんを見た。
そして彼女と目が合った、どうやら視線を落とすタイミングが一緒だったようだ。

「藤乃さんの言ってた事は本当かもね……これなら今までの事は全部許せるかも」

僕は織音さんらしいと思い笑みをこぼした。

「でもこういう景色は誰か大切な人と見たいと思ってたから今日、夢が叶ったみたい……」

嬉しそうに言う彼女に僕は思わずドキッとした。


「藤乃さん……私……どうしても藤乃さんに言いたい事があるの……」

僕は彼女の真剣な眼差しにゆっくり頷いた。

「最初は軽い気持ちで治験に参加したけど榊毅仁が仕組んだ恐怖体験のせいで精神がおかしくなりかけた私の心を藤乃さんが救ってくれた。私だけじゃなくて平さんや樹さんのときも過去に苦しむ治験者をあなたは自分の事のように必死で守ろうとした……だから私たちは過去と向き合えて自分を取り戻す事ができたの」

真剣に話す彼女の声だけが辺りに響いていた。

「僕はこれまでずっと当たり障りのない人生を送ってきた。この治験に参加したのも非日常を体験すれば自分の中で何かが変わるんじゃないかと淡い期待感からなんだ。以前は人の過去をそこまで意識する事なんてなかった……でも君の辛い過去を知って僕の心は大きく揺さぶられた。目の前で過去に苦しんでいる人を本気で助けたいと心から思った……その瞬間から織音さんや他に治験者の過去が他人事じゃなくなったんだ……」

僕がこの治験を通して感じたのは人のために行動した事は無駄にはならないという事だった。誰かの事を考えている時は前向きになっている自分に気づけた。

「自分の意志で行動すれば必ず心は変えられる。藤乃さんが私に言ってくれた言葉……この言葉が間違いなく私たち治験者の心の原動力になっていたと思う。だから今回も自分の意志で勇気を出して行動しようと思うの……」


織音さんは一旦、深呼吸をして改めて僕を見た。




「私は藤乃さんの事が好き……」




その言葉で白銀の世界は二人だけの空間に変わっていった。彼女は想いをやっと言えた安堵の表情を見せていた。

「怖くて大変な思いをたくさんしたけど……このシステムを体験して良かったと思えたのは藤乃雅臣という人に出逢わせてくれた事……普通に生活してたら絶対に出逢う事はできなかったと思うの」

僕は自分の心拍数が上がっているのがわかった。彼女の想いに答えようと僕も一度、深呼吸をした。


「僕も……織音さんの事が好きだ……」

僕の告白に織音さんは目に涙を浮かべていた。

「僕がここまでやれたのは織音遥香という人が近くにいてくれたからなんだ……君の笑顔と元気な声を聞くだけで何でも出来る気がしてきたし、君の明るさのおかげでどんな辛いミッションでも乗り越えようって思える事ができたんだ……ありがとう……」

僕は彼女に近づいて優しく抱きしめた。

「ううん……私の方こそたくさんお礼を言わないといけないのに……藤乃さん……ありがとう……」

僕の耳元で彼女は涙声で言った。早い心臓の鼓動がお互いの体に響いていた。僕らは気持ちを確かめ合うように抱き合っていた。そして二人は見つめ合い自然とキスをしていた。
彼女の柔らかい唇に触れて緊張のあまり僕の体は震えていた。キスの最中、織音さんの震えも僕に伝わってきて自分と同じ気持ちでいてくれてるのがとても愛おしく思えた。

そして顔をゆっくり離してお互いの表情を見合った。

「これってファーストキスになるのかな?」

「どうだろう……バーチャル世界だからカウントされないんじゃないかな?」

「そっか……じゃあこれはファーストキスの練習だね……」

彼女の答えに自然と笑みがこぼれた。

「練習か……そういう発想も前向きでいいね」

僕が言うと織音さんは笑顔を見せた。そして改めて二人で空を見上げた。僕は隣にいる彼女の手を優しく握った。

「このミッションが終わったら現実世界に帰れるのかな?」

「きっと帰れるよ。非日常が終わってまた日常の世界に戻る……僕らの暮らしはこの二つの繰り返しなんだ……でも日常があるからこその非日常だと今日は本当に思い知らされたよ」

人は日常に対してあまり深く考えて生きてはいない……だからこその非日常なのかもしれない……人間は過去と未来を常に考えているから不幸な生き物だと誰かが言っていた。だが、僕はこのシステムを体験して出した答えは例えどんな過去であっても、その人の捉え方、考え方ひとつで未来をかけがえのない日常にする事ができるという事だ。

「現実世界に戻れたら……いつかまた2人でオーロラを見に行こう」

「うん!きっとね……約束だよ」

視線を落とすと彼女は小指を僕の前に出していた。僕は笑顔で頷きながら自分の小指を出して2人は指切りをした。

そして僕と織音さんのリストバンドが同時に光り出した。

「このミッションも終わりみたいだね……」

自分のリストバンドを見ながら織音さんは残念そうに言った。

「やり残した事はある?」

「ううん……藤乃さんと一緒にオーロラ見れたし……それにお互いの気持ちも知る事ができたから……」

指切りしたまま僕と彼女はリストバンドに触れて液晶画面を出した。

「最初にした約束……必ず守るから待っていてほしい」

「うん、信じて待ってる」

そして2人は一緒にミッションコンプリートの文字に指を触れた。


また目の前が白くなって意識が遠くなっていくのがわかった。

今度こそ現実世界に戻れることを祈りながら僕らはどこかに転送されていった……。

























僕は長野県のある駅の改札に立っていた。梅雨の時期にもかかわらず、この日は晴れていて汗ばむほど気温が高かった。


治験を受けたあの日から1ヶ月が過ぎようとしていた。無事に仮想世界から生還した僕ら治験者には病院側の配慮から検査とカウンセリングが行われた。
三神さんは治験者を事故に巻き込んでしまったのは自分たちのミスだからとカウンセリングを受けた時に言われた。

行方不明だったシステム開発者の榊知仁が警察に出頭し、兄の毅仁殺害と死体遺棄の容疑者として逮捕され、しばらくニュースやワイドショーで取り上げられ世間の騒ぎになっていた。

あの日、榊知仁が突然、三神さんたちの前に現れて僕らを助けてくれたと聞いたときは正直複雑な気持ちだった……。
三神さんの話によれば開発者の事件が表沙汰になった以上、当面システムの運用は出来ないらしく最悪の場合はマザーコンピューターは解体されプロジェクトは白紙になると言っていた。

榊兄弟の事がなければ人間の心を救う一助に成り得るシステムだっただけにとても残念に思えた。




改札の大きな柱のそばで待っていると目の前を行き交う人々の中に前から近づいてくる女性に目が止まった。

現実世界で初めて会うその人は僕を見つけると嬉しそうに小走りで僕に駆け寄ってきた。

「藤乃さん。やっと会えた……」

「遅くなってごめん。あの時の約束を果たしにきたよ」

「うん……信じて待ってた……」

ひさしぶりに聞く織音さんの声はとても心地よく僕の心を打った。そして僕らは見つめ合い、お互いの存在を再確認していた。

「これって……現実なんだよね?」

「僕も今、おんなじ事を考えてた」

僕の言葉に彼女は笑い、次に僕もつられて笑っていた。

「あっ!そういえば……ちょっと前に平さんに偶然会ったの!」

「え!?どこで?」

「大阪に行く用事があって……新大阪の駅の構内を一人で歩いてたら急に肩を叩かれて振り向いたらスーツ姿の平さんが立っていたの……本当にビックリしちゃった。そしたら平さんが開口一番『まだシステムの中ちゃうやろな?』って私も思わず自分の利き腕確認しちゃった」

織音さんはとても嬉しそうに話している。

「その状況が想像できるよ……平さん変わりなかった?」

「うん!会った時はたまたま仕事で大阪にいたらしいの……あと平さんからの言伝で『俺が今こうしていられるのも藤乃と遥香ちゃんのおかげや、ありがとう』って言ってた……」

平さんらしいと僕はフッと笑った。あのシステムの中で僕らがやった事は無駄ではなかったんだと改めて思った。

「あっ、そうだ……その関連で織音さんに見せたい物があるんだ」

僕はバッグの中から一枚の紙を出して彼女に渡した。

「チャリティーコンサートのチラシ?」

「下の出演者のところを見て」

彼女はチラシを両手で持って下の方を目で追っていた。

「………あっ!樹さんの名前だ!」

「そう……僕も偶然このチラシを見つけたんだよ」

樹さんの名前を見たときは素直に嬉しかった。彼も友利歌さんの事を乗り越えて新しい人生を歩んでいこうとしている。

「樹さんのピアノまた聴きたいなぁ」

「コンサートは来月だから一緒に行く?」

「うん!行きたい!」

彼女からチラシを受け取るとバッグに入れ直した。

「どこかでお茶でもしようか?」

「あっ…そうだね。気がつかなくてごめんなさい……少し歩くけど私がよく行くカフェがあるの」

「じゃあ、そこに行こうか」

僕らは改札口から出て駅前のロータリーをゆっくり迂回しながら目的地を目指した。

「実は……治験が終わってからずっと考えてた事があるんだ……」

僕は歩きながら言葉を漏らした。彼女が僕の顔を見ているのが横目でわかった。

「僕はあのシステムで織音さん、平さん、樹さんの悲しくて辛い過去を知った……同じ後悔繰り返さないよう必死だったけど治験者の人たちと関わる中で徐々に人を助ける事が自分の喜びになっているのに気付いたんだ……」

彼女は隣で真剣に僕の話を聞いている。

「それで最近『作業療法士』って仕事がある事を知ったんだよ」

「作業療法士……それって『理学療法士』とは違うの?」

「うん……理学療法士は主に事故や病気で日常生活に必要な動作が出来なくなった人へ身体の基本的な機能回復をサポートするのがメインなんだ……いわゆる身体のリハビリだよ。そして作業療法士の方は主に身体と心のリハビリをするんだ。うつ病や摂食障害などの精神疾患を患った人たちが人たちが自立した日常生活が送れるようにサポートするのが目的なんだ」

彼女は僕の説明に納得した様子だった。

この前、三神さんに作業療法士について話をしたら資格の取り方や専門学校の事を色々と教えてくれた。そして三神さんは僕に『大変な仕事だけどやりがいはあるから頑張りなさい』と背中を押してくれた。


「僕は作業療法士になる為の勉強を始めようと思ってる」

これがこの治験で出した僕の答えだった。誰かの心の支えになって寄り添い元気づけてあげたい。

「そっか……じゃあ……今度は私が藤乃さんを励ます番だね」

「織音さん……」

僕らは立ち止まり見つめ合っていた。

「藤乃さんの夢をそばで見守りたい……」

気がつくとお互い手を繋いでいた。そして前を見ると商店街の入口の看板が視線の上にあった。

「うん……ありがとう……遥香がいてくれたらもっと自分らしく生きていけると思うんだ……」

僕は初めて下の名前で呼んだ。

「私も……雅臣とならどんな未来でも乗り越えられそうな気がするの……」

遥香も僕の名前を初めて呼んでくれた。僕らは恥ずかしそうにぎこちなく笑い合ってから改めて商店街の中に入って行った。


この商店街の景色が将来……僕と遥香の大切な思い出の場所になる。だから今……目に映る全てを心に刻んでおきたかった。
遥香とこれから一緒に過ごす限りある時間を大切にしたかった。






リトライの無い世界で………後悔しないように……。
    
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