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第47章:聖女は微笑みながら、ろくでもない夢を見る(寝言)②

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 夕食後、俺は洗い物を集めて、キッチンのシンクで流しはじめた。食事の用意は光琉ひかるに任せ、後片付けは俺が担当する。我が家の普段からの役割分担である。

 光琉と父は、リビングのテレビ前に並んで座り◯ーファミで対戦している。先にシャワーを済ませた光琉がパジャマ姿で戻ってくると、ひとりでビールを舐めていた父に「ちょっとでいーからゲームしよ!」とねだったのである。父が明朝早く家を出ると聞いて、せめて今晩の内だけでも遊んでほしかったのだろう。

「いやあ、しばらく見ない内に上手くなったなあ、光琉は。5回に1回必殺技入力が成功するなんて、以前は考えられなかったことだよ」

「えへへ、そーでしょそーでしょ。もっとほめて!!」

 父の(随分低い次元の)賞賛を受け、光琉は大層ご満悦だった。あまり甘やかさないでほしいものだが。

 光琉に強引に誘われた形とはいえ、父もしごく無邪気にゲームに興じている。一般的な中年男性だったら夕食後はテレビのニュースで社会情勢を確認したり株価をチェックしたりして過ごすのかもしれないが(偏見だろうか?)、天代家の家長はそういうタイプではなかった。

 父はテレビ、特に報道番組を敬遠しているし、我が家では新聞も取っていない。「テレビや新聞なんてのは、権力者や金持ちに都合の良い情報しか流さないからな。あんなもの見続けて真に受けてたら、まともな判断ができなくなってしまう」というのが、よく冗談混じりで口にする父の言い分である。

 昨日までの俺には、その言い分がよく飲みこめなかった。単に世間の動向を追うのが面倒たからもっともらしい言い訳をしているだけだろう、程度に考えていた。しかし今は、父の主張を一笑に付す気にもなれないでいる。

 前世の俺と光琉――サリスとメルティアは、魔王を倒した直後、間違いなく英雄だった。自分で言うのもなんだが、フェイデア中から称賛か嫉妬の視線を送られる存在だった。その視線が嫌悪と侮蔑に転換するのは、あっという間だった。人類の裏切り者、魔族との内通者、堕落した背教者と奸婦……それらの汚名をフェイデアの権力者たちが2人に被せ、広く喧伝したからである。

 それまでメルティアを崇拝していたフェイデアの民が、一切に彼女を忌避するようになった。サリスとの逃避行の最中、立ち寄った町や村で、幾度石を投げつけられたかわからない。メルティア自身は逃亡の最中、一度も弱音を口にすることはなかったが、内心では辛い思いを押し殺していたに違いなかった。

 国を動かすほどの権力・財力を持つ人間には、そのような真似ができる。流言を駆使し、一方で自分たちに都合の悪い事実は隠蔽いんぺいし、状況証拠を捏造し、思いのままに民の心象を誘導する。それは異世界だろうがこの現世だろうが、人間の社会が存在する限り変わらないのではないか。まして現代の地球には、新聞やテレビ、ネットなど、フェイデアには存在しなかった情報メディアがあふれているのだ。

 それらを踏まえれば、テレビや新聞と距離を置こうとしている父の姿勢は賢明というべきではないか。酔いで身体をふらつかせながらもコントローラーを握り続ける父に眼を向けながら、俺は内心でそんなことを考えていた。前世の記憶を取り戻したことで現世の父親を見直す気になる、というのも妙な話だが。

「あれ、◯イルが3体に分裂したぞ? そんな技あったっけか?」

「あはは、おとーさん、酔っぱらいすぎ。もう眼の焦点もあってないじゃん!!」

 ……やっぱり見直したのは早計だったかもしれない。

 久々に父とゲームができてはしゃぐ光琉の大声はキッチンにまで響いていたが、段々とその声は小さくなっていき、いつしか完全に途絶えてしまった。洗い物をひと通り終えた俺が手についた泡を流してリビングへ向かうと、妹はコントローラーを握ったまま舟を漕いでいた。傍らで、父がとろんとした眼で娘を見つめている。テレビに映るゲームはPAUSE画面で止まっていた。

 今日は朝から多事多難だった。いきなり前世の力に目覚め、魔物と死闘を演じ、その後で料理に発奮したのである。元気の塊みたいな我が妹も、さすがに相当疲労がたまっていたのだろう。ひょっとしたら襲いくる睡魔に対抗するために、無理して活発にふるまっていたのかもしれない。

「こら、こんなとこで寝たら風邪引くぞ。ちゃんと自分の部屋にもどれ」

 妹の肩を揺すって注意すると、寝ぼけ声で反論が返ってきた。

「やら……このあと、にいちゃんとも対戦するんらもん……ぜったい、昨日のをするんらから……」

、な?」

 言い間違いからさえ、昼間のキレ(?)が失われている。俺のツッコミにも反応することなく、光琉はそのまま崩れ落ちるようにしてフローリングの床に横たわり、寝息を立て始めた。寝ていようと起きていようと、兄貴の言うことをまるで聞かない妹である。

「あーあ、よだれまで垂らしやがって……ったく、しゃあねえなあ」

 俺は一旦しゃがんで光琉の身体を両手ですくい上げると、そのまままた立ち上がった。いわゆる"お姫様だっこ"のポーズになる。

 無論、このまま妹を部屋まで運んでベッドに横たえてやろうと考えての行動である。他意はなかった。しかし、いささか迂闊ではあったかもしれない。

 「あ、やべ……」

 両手から妹の重みと体温と身体の柔らかさが伝わり、自分の体温が急速に上昇してしまうのがわかった。おまけにシャワーを浴びたばかりの光琉からは石鹸の良い香りが漂ってきて、俺の理性に追撃をくらわせる。こうなると妹が身につけている、薄い桃色をした地味なデザインのパジャマまでやたら扇状的に見えてくる。しかもいかにもズボラな妹らしく、上着の上方のボタンが外れ胸元がはだけていやがった。その隙間からチラリとのぞいたあるかなしかの膨らみが網膜に映ってしまい、あわてて上を向いたらグキッという鈍い音がした。くそ、首がいてえ!

 我ながら朝から”まるで成長していない”……〇西先生もびっくりの体たらくである。いくら前世の恋人とはいえ妹を異性として意識してどうする、と何度も己に言い聞かせているのだが、身体器官が一向に従ってくれなかった。夢の国に出向いた光琉を抱えたまま、全身がカチコチに固まってしまった。朝から何度もヒステリーを起こしている心臓さんも、当然の如くまた暴れ出しおってからに。

 まあまだ、前世の記憶を取り戻して24時間も経っていない。もう2、3日過ぎれば、慣れてくるだろうか。そうでなければ困るのだが。

「おい、真人まさと

「ひゃいっ!」

 リビングの床に腰をおろしたまま俺を見上げる父に名前を呼ばれ、思わず大声で噛んでしまった。冷や汗が滝のように流れる。

「お前、変わったなあ」

 しみじみした声でそう言われ、俺は内心「しまった!」と叫んだ。妹に対して(不本意ながら)煩悩が隆起したことを、見抜かれたのだろうか。1番バレてはいけない人間の前で、失態を演じてしまったのでは……

「男子三日会わざればというが、ちょっと見ない内に随分たくましくなった」

 どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。ホッとしかけたが、同時に思いがけない父からの高評価に、別の意味で面喰らってしまった。

「……どうしたよ、いきなり」

「光琉を軽々と抱き上げるお前を見ていたら、何だかそう伝えたくなっちゃってな」

「いや、以前からこれくらいの力はあったよ。光琉は小柄だし、食いしん坊のくせに全然重くならないからな」

 とはいえ確かに昨日までの俺だったら、こんなにあっさり妹を抱き上げる気にならなかったかもしれない。いくらスリムとはいえ、人体である以上それなりの重さはあるし抱えていれば腕だって疲れる。夕方不良たちに囲まれた時もそうだったが、前世を思い出したことでメンタル面がなったという実感は自分でもあった。妹に煩悩を掻き立てられた時を除けば、の話だが。

 親父はそれ以上言葉を続けることなく、テレビ画面に向き直るとPAUSE画面を解除し、CPUを相手に黙々と1人プレイをはじめた。単なる酔っ払いの戯言ざれごとだったのかもしれないが、妙に面映おもはゆい気分になった。「親父もさっさと寝ろよ、明日はやいんだから」と声をかけて、光琉を抱えたままそそくさとリビングを後にする俺だった。

 階段を昇っているところで、腕の中の妹が何やらむにゃむにゃとつぶやき始めた。

「えへへ、にいちゃんにおひめさまだっこしてもらえるなんて、ラッキー……」

 起きてるのかと思って光琉の顔をのぞいてみたが、眼は閉じたままで意識も覚醒した様子はない。どうやら寝言だったらしい。頬の筋肉を限界まで弛緩させ、実に幸福そうな笑みを浮かべてやがる。

「ったく、一体どんな夢を見てんだか……」

「きゃ、いやん、だめよ、こんなところで服を……もお、にいちゃんてばケダモノなんだからあ❤️……」

「いや、ほんとになんつー夢見てんの!!??」

 眠ってる時まで兄貴の名誉を貶めることに余念がねえな、このアマ! 親父の前でこの寝言が漏れなくてよかったよ、と心から思った。

 俺は階段を昇りきると両手が塞がった状態で何とかドアを開き、妹の部屋に入った。半分類人猿とはいえ年頃の女子の部屋に無断で入るのは気が引けたが、この際やむを得ない。そのままベッドに横たえ、はだけた胸元を極力視界に入れないようにしながら毛布と布団をかけてやると、足早に部屋を後にした。廊下でドアに背をもたせかけながら、かろうじて理性を保ち切ったことに安堵する。息遣いが荒くなっているのが、我ながら何とも情けない。

 気を抜いたら、疲労が全身にのしかかってきた。今日は妹だけでなく、俺にとっても波乱に満ちた1日だった。このまま自分のベッドにダイブしたい心境だったが、そうもいかない。まだ今夜のうちに、済ませておくべきことが残っている。
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