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第7章:「終わりよければすべてよし」、ってよく聞くよねえ(遠目)
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「なんだったんだ、一体……」
俺は突然あらわれた幽霊少女が、あっという間に消滅してしまったのを目の当たりにし、知らずそうつぶやいていた。
登場も唐突なら、退場の仕方もあまりに急ではないか。まるで作者が文字数かせぎのためだけに登場させたかのような……いや、なんでもない。
ともあれ、彼女は元々負の情念が凝り固まって現世に留まっていた歪な存在だったのだ。浄化され旅立てたのなら、本人にとっても救いだったろう。
俺は心中で自分にそう言い聞かせ、消え去った幽霊少女のために合掌した。どうかもう化けて出てきませんように、これ以上事態がややこしくなったらたまらないので。
ちなみにフェイデア界で死者を弔うときには、当然仏教とは異なる祈り方があったが、やはり今はこの現世の習慣の方が感覚的にしっくりくるようだ。とっさに手を合わせていた。
さて、自己満足の儀式も済ませたところで、目下の課題に向き合わねばならない。
我が妹様は部屋の中で、以前発光し続けているのだ。夢中で泣いたままで、多分自分がこの間に一体の霊人を浄化したことにも気づいてないんだろうな。つくづくあの幽霊少女への哀れさが増す。まあ光琉の魔力をねらっていたのだから、自業自得とも言えるのだろうけど。
妹が垂れ流し続けている明かりはLEDライトよりも白く鮮明で、しかも電気代が一切かからないというお得さだが、発光にこの泣き声がともなうんじゃ誰も照明代わりに利用したいとは思わないだろう……などとアホなことを考えている場合ではない。こうしている間にも荒れ狂う聖なる光は、俺の部屋の各所を着実に削り取っているのだ。
いや、それ以前にこのまま魔力を消耗し続けては、光琉の身が心配だ。聖女が内包する魔力は膨大だが、もちろん無限ではない。魔導士や神官などの魔法を行使する者にとって、魔力と生命力はほぼ同義。使い果たせば、当人の生命にもかかわる。
内心でひとつ踏ん切りをつけると、俺はあらためて妹(発光中)に向き直り、歩み寄りはじめた。
聖光の圧力に全身が押されるのも感じるが、それよりもやはり問題はこのまぶしさだ。目蓋を閉じてさえ眼球が刺激されるのに加え、その状態では当然光琉の正確な位置は把握できない。
誠意をもって妹を諭そうと思えば、目を瞑りっぱなしというわけにもいかないだろう。
「……ええい、くそ!」
俺は悪態をつくと同時に、目蓋を開いた。白の奔流が視界を覆い、網膜が炙られ、眼球から血が流れないのが不思議なほどの痛みだったが、そんなことに構ってはいられない。
「光琉! 落ち着け!」
眩んだ視界の中でかろうじて妹の姿を見分けると、両手を伸ばして光琉の左右の二の腕をつかんだ。今度こそ離さない、という決意とともに。
妹はいやいやするように身をよじり、俺の手を振りほどこうとする。その反応に、俺は反って勇気づけられた。リアクションがあるということは、まだこちらの呼びかけが届くということではないだろうか。
「まずは、話を聞いてくれ」
「いや! あーあー、なにもきこえなーい」
聞こえてんじゃねえか。
「なあ光琉、前世は前世、現世は現世なんだ。サリスと俺、メルティアとお前は、まるで違う人間なんだよ」
「そんなことわかってるもん! でも、だからって前世の記憶が戻ったなら、気持ちだって蘇るもん! これは簡単に消せないし、現世のあたしもにいちゃんが好きだもん!」
「それは勘違いだ。お前は、前世の幻影を追っているだけだ。メルティアはサリスが好きだった、その惰性で、お前も俺が好きだと思いこんでいるんだよ」
「ちがうちがう! 自分の気持ちくらい、自分でわかってるもん。メルティアがサリス様を愛したのと同じくらい、ううん、それに負けないくらい、あたしは」
「だってお前はさっきから、俺のことを”にいちゃん”としか呼んでないじゃないか」
え、と虚をつかれたような声をあげ、光琉はようやく俺の顔に目を向けてきた。心なしか、妹が発する白光の明るさも弱まったようだ。
よし! どうやら正解の選択肢を引き当てたようだ。正直自分でも苦しまぎれの論法だと思うが、妹がその気になってくれたのなら躊躇することはない。
「好意を寄せる異性なら、”にいちゃん”じゃないはずだろ?お前は”サリス様”とは呼んだけど、一度も俺の名前を呼んでない。つまりお前は、現世の俺を男としてみてないんだよ」
「そ、そんなことない! 単に”にいちゃん”の方が呼びなれているから、そっちで呼んじゃってただけだよ! うん、よし、わかった。今からにいちゃんのこと名前で呼ぶ」
言ったそばから”にいちゃん”になってるぞ、このポンコツ妹。
「だったら呼んでみろよ。俺の名前を」
「よ、呼ぶよ。ま、まままままままま、まさ……まひゃっ!?」
あ、また舌噛んだ。
たった三音の俺の名前を口にできなかった妹は、再び口をおさえ悶えている。俺はそんな光琉の頭を、優しく撫でた。
「無理するなよ」
「む、無理なんかしてない!……にいちゃんの名前、呼びにくいよ」
「”真人”のどこに呼びにくさのエッセンスがあるよ!?」
全国の”マサト”さんにあやまれ。
「な? そういうことだ。お前は俺を名前で呼ぶのがしっくりこなすぎて、口にすることさえできないじゃないか。お前にとって俺は、あくまで”にいちゃん”なんだよ。それでいいじゃないか」
「う……」
「お前にとって俺は兄貴で、俺にとってもお前は大事な妹だ。そうやって15年間かけて築きあげた、家族の絆がある。サリスとメルティアの人生はそりゃ劇的なものだったけど、現世の俺たちが過ごしてきた時間だって、あいつらに負けてないぜ? いくら前世の記憶が戻ったからって、一朝でそれが全部消えてたまるかよ」
俺と光琉の兄妹としての関係を否定すれば、まるで前世に現世でのこれまでの人生を塗りつぶされてしまうような気がする。そんなことはさせない。天代真人も天代光琉も、確かにこの地球に生まれ、成長し、兄妹として時をかさねてきた。それは、俺にとっては前世なんかよりもはるかに手ごたえを感じる、ゆるぎない事実だ。たとえ勇者にも、聖女にも、否定させはしない。
「お前は俺の妹だ。聖女なんかじゃない。わがままで、うるさくて、寝相が悪くて、何か気に入らないことがあるとすぐ蹴ってきて、甘いものが大好きで、それで俺が買い置きしていたプリンを食べちまうくらい食い意地がはっていて、格ゲーが下手で、リアル〇マーソルトキックをやろうとして失敗してしまうくらい頭が悪くて……」
「こういう時って、もう少し相手をほめるものじゃないの!?」
「そんなアホアホな妹のままで、お前にはいてほしいんだよ。お前はどうだ? 俺はお前の、兄貴でなくなった方がいいか? 俺が兄貴のままでいるのは、もういやか?」
「……いやなわけ、ないでしょ」
白光はみるみる弱まり、やがて妹の身体からまったく発散されなくなった。よかった、ギリギリ視力を失う前におさまってくれたようだ。
「あたしにとってだって、にいちゃんはサリス様とは大違いだよ。口うるさくて、面倒くさがりで、ケチで、だらしがなくて、隠れ中二病で、偉そうなことばかり言っているくせにいざとなったらヘタレで、格ゲーで対戦してもはめ技ばかりやってきて、妙におじさんくさくて、流行に乗れないからクラスでも地味に浮いてて……」
さっきの反撃とばかりに並べ立ててきやがる我が妹。というか、最後のは何で知ってるんだ? 図星だけどさ!
「だけどそんなにいちゃんがあたしが今までずっと一緒に過ごしてきたにいちゃんで、にいちゃんがにいちゃんじゃなくなるのはあたしだって……う、う……」
光琉はまた言葉を詰まらせ、涙ぐみはじめた。俺は先ほどのことを思い出して反射的に身構えたが、今度は光の奔流がおそってくるようなことはなかった。
「う、うえーーーん」
癇癪を爆発させた豪雨のようなさっきの泣き声とは違い、しとしとと降る小雨を思わせる静かな涙だった。どうやら妹も、ようやく(ほんっとうにようやく!)理解してくれたようだ、と俺は思った。その証拠に、魔力も暴走していない。
気持ちを整理するために、涙を流さねばならないこともあるだろう。俺は光琉を引き寄せ、自分の胸にその顔をうずめさせた。もちろん家族として。兄として。
「恋人同士だったらいつか別れることがあるかもしれないけどさ、兄妹だったらずっと一緒だ。血の繋がりがある以上、縁を切りたくたって切れるもんじゃない。案外これは、サリスもメルティアも望んだことなのかもな」
極力やさしく、子供をあやすような声で、泣きじゃくる妹に語りかけた。
「俺はずっとお前のそばにいるよ。兄貴として。だからもう泣くな、な?」
我ながらくさい言い回しだが、ともかくこれで今朝の嵐もおさまった。思春期の兄妹が気の迷いからちょっとギクシャクしたけど、ぶつかりあってまた元の家族に戻る。ありふれた、しかし微笑ましい美談として、ことは完結したのだ。
一件落着、めでたしめでたし。
……
落着してくれ、頼むから。
光琉は相変わらず俺にしがみついて涙を流している。妹のしたいようにさせておきながら、しかし俺は、はやくも自分の行動を後悔していた。今光琉が顔を押しつけている俺の胸は、前世の恋人に密着されたことで、再びバクバクしてきやがったのである(何度目だ!?)。
散々偉そうなこと言っておきながら、俺の方が気持ちの整理をまったくできてねえ! 妹を異性として、超意識してしまってるよ。そりゃそうだ、今朝前世での恋人との記憶を思い出したばかりで、そんな簡単に割り切れるはずもないよな……今さっきはよくも上から目線で妹様に説教できたな、俺!?
俺の胸に顔をあてている状態の光琉に、この心臓の爆音ビートに気づかれたら、これまた厄介なことになりかねない。
そろそろ引き離した方がいいだろうか、と考えはじめた時、妹が自分から離れてくれた。もう泣き止んでいて、指先で目元の涙を拭うと、その表情はさっぱりしていた。
「そうだよね、あたし達は家族なんだもん、これからもずっと一緒だよね」
「……ああ」
どうやら光琉の方は割り切ってくれたようだと思い、安堵と同時にほんの少しの寂しさを覚える。勝手な心理だが、この激動の朝を乗りきったことを思えば、この程度のメランコリーは許されるだろう。
「ずっと一緒なんだから、いくらでもチャンスはあるよね!」
「……は?」
メランコリーはたちまち吹き飛んだ。
妹の眼がキラキラ光っている。夢見る少女のような、という形容は穏当に過ぎる。獲物を狙う、野獣の眼光だった。
「ヘイ、マイシスター、チャンスっていったいなんのチャンスだい?」
「もちろん、にいちゃんをオトすチャンス」
「オマエハナニヲイッテイルンダッ!?」
衝撃のあまり、思わず片言が再発しちゃったよ。いや、その前からあやしい外人口調だったけどさ。
「家族としてのにいちゃんはとっても大事だし、これからもずっといてほしいけど、それとオトメゴコロは別。あたしはやっぱりにいちゃんが好きだから、兄妹でありかつ恋人でもある、これをリョーリツできる関係がベストだと思うの」
「”ベスト”の和訳知ってるか、”最悪”って意味じゃねえぞ!?」
俺は床に膝をつきたい気分だった。結局またふりだしじゃねえか! これまでの俺の説得は一体何だったんだ……ラスボス前まで進めていたRPGのセーブデータが消えたような徒労感におそわれる。
「今はにいちゃんにオンナとしてみてもらえないかもしれないけど、いつか絶対振り向かせてみせるからね! あたし抜きじゃ生きられないカラダにしてあげる」
「表現がイチイチきわどいんだよ! ちゃんと意味わかって言ってる!?」
「あたしは我慢づよいオンナだから、焦らずじっくりいくの。まずはトモダチからはじめよ。よろしくね、にいちゃん!」
「握手の手を差し出すな! 友達って何、俺たちは家族だってさっきから言ってんだろうがああああああああああ」
妹の顔に浮かぶ輝くような笑みが、俺に眩暈を誘発した。くそ、なんだこの理解力ゼロの超絶美少女。そもそも俺を振り向かせる努力なんかする必要ないんだよ、俺はとっくにお前にオチてるんだから!
オチながら戦うってよく聞くけど、こういうことかしら……
どうやら、前世の記憶が蘇ったことではじまったこの騒動は、当分おさまりそうにない。俺はいつまで理性を保ち、貞節とモラルと世間体を守ることができるだろうか……将来に暗澹としたものを感じながら、またしても前世の恋人と瓜二つの容姿をした実妹が迫ってくるのを、鉄の心で押し返すのだった。
なお、この朝の騒動のうちに時間は無情にも過ぎ、すでに登校時間ギリギリになってしまっていると俺が気づくのは、それからさらに数分後のことでしたとさ。
遅刻はほぼ確定、自室は半壊状態、光琉はおかまいなしにじゃれてくる……この三重苦の状況。いくら勇者の生まれ変わりだって、もう泣いてもいいよね、俺?
俺は突然あらわれた幽霊少女が、あっという間に消滅してしまったのを目の当たりにし、知らずそうつぶやいていた。
登場も唐突なら、退場の仕方もあまりに急ではないか。まるで作者が文字数かせぎのためだけに登場させたかのような……いや、なんでもない。
ともあれ、彼女は元々負の情念が凝り固まって現世に留まっていた歪な存在だったのだ。浄化され旅立てたのなら、本人にとっても救いだったろう。
俺は心中で自分にそう言い聞かせ、消え去った幽霊少女のために合掌した。どうかもう化けて出てきませんように、これ以上事態がややこしくなったらたまらないので。
ちなみにフェイデア界で死者を弔うときには、当然仏教とは異なる祈り方があったが、やはり今はこの現世の習慣の方が感覚的にしっくりくるようだ。とっさに手を合わせていた。
さて、自己満足の儀式も済ませたところで、目下の課題に向き合わねばならない。
我が妹様は部屋の中で、以前発光し続けているのだ。夢中で泣いたままで、多分自分がこの間に一体の霊人を浄化したことにも気づいてないんだろうな。つくづくあの幽霊少女への哀れさが増す。まあ光琉の魔力をねらっていたのだから、自業自得とも言えるのだろうけど。
妹が垂れ流し続けている明かりはLEDライトよりも白く鮮明で、しかも電気代が一切かからないというお得さだが、発光にこの泣き声がともなうんじゃ誰も照明代わりに利用したいとは思わないだろう……などとアホなことを考えている場合ではない。こうしている間にも荒れ狂う聖なる光は、俺の部屋の各所を着実に削り取っているのだ。
いや、それ以前にこのまま魔力を消耗し続けては、光琉の身が心配だ。聖女が内包する魔力は膨大だが、もちろん無限ではない。魔導士や神官などの魔法を行使する者にとって、魔力と生命力はほぼ同義。使い果たせば、当人の生命にもかかわる。
内心でひとつ踏ん切りをつけると、俺はあらためて妹(発光中)に向き直り、歩み寄りはじめた。
聖光の圧力に全身が押されるのも感じるが、それよりもやはり問題はこのまぶしさだ。目蓋を閉じてさえ眼球が刺激されるのに加え、その状態では当然光琉の正確な位置は把握できない。
誠意をもって妹を諭そうと思えば、目を瞑りっぱなしというわけにもいかないだろう。
「……ええい、くそ!」
俺は悪態をつくと同時に、目蓋を開いた。白の奔流が視界を覆い、網膜が炙られ、眼球から血が流れないのが不思議なほどの痛みだったが、そんなことに構ってはいられない。
「光琉! 落ち着け!」
眩んだ視界の中でかろうじて妹の姿を見分けると、両手を伸ばして光琉の左右の二の腕をつかんだ。今度こそ離さない、という決意とともに。
妹はいやいやするように身をよじり、俺の手を振りほどこうとする。その反応に、俺は反って勇気づけられた。リアクションがあるということは、まだこちらの呼びかけが届くということではないだろうか。
「まずは、話を聞いてくれ」
「いや! あーあー、なにもきこえなーい」
聞こえてんじゃねえか。
「なあ光琉、前世は前世、現世は現世なんだ。サリスと俺、メルティアとお前は、まるで違う人間なんだよ」
「そんなことわかってるもん! でも、だからって前世の記憶が戻ったなら、気持ちだって蘇るもん! これは簡単に消せないし、現世のあたしもにいちゃんが好きだもん!」
「それは勘違いだ。お前は、前世の幻影を追っているだけだ。メルティアはサリスが好きだった、その惰性で、お前も俺が好きだと思いこんでいるんだよ」
「ちがうちがう! 自分の気持ちくらい、自分でわかってるもん。メルティアがサリス様を愛したのと同じくらい、ううん、それに負けないくらい、あたしは」
「だってお前はさっきから、俺のことを”にいちゃん”としか呼んでないじゃないか」
え、と虚をつかれたような声をあげ、光琉はようやく俺の顔に目を向けてきた。心なしか、妹が発する白光の明るさも弱まったようだ。
よし! どうやら正解の選択肢を引き当てたようだ。正直自分でも苦しまぎれの論法だと思うが、妹がその気になってくれたのなら躊躇することはない。
「好意を寄せる異性なら、”にいちゃん”じゃないはずだろ?お前は”サリス様”とは呼んだけど、一度も俺の名前を呼んでない。つまりお前は、現世の俺を男としてみてないんだよ」
「そ、そんなことない! 単に”にいちゃん”の方が呼びなれているから、そっちで呼んじゃってただけだよ! うん、よし、わかった。今からにいちゃんのこと名前で呼ぶ」
言ったそばから”にいちゃん”になってるぞ、このポンコツ妹。
「だったら呼んでみろよ。俺の名前を」
「よ、呼ぶよ。ま、まままままままま、まさ……まひゃっ!?」
あ、また舌噛んだ。
たった三音の俺の名前を口にできなかった妹は、再び口をおさえ悶えている。俺はそんな光琉の頭を、優しく撫でた。
「無理するなよ」
「む、無理なんかしてない!……にいちゃんの名前、呼びにくいよ」
「”真人”のどこに呼びにくさのエッセンスがあるよ!?」
全国の”マサト”さんにあやまれ。
「な? そういうことだ。お前は俺を名前で呼ぶのがしっくりこなすぎて、口にすることさえできないじゃないか。お前にとって俺は、あくまで”にいちゃん”なんだよ。それでいいじゃないか」
「う……」
「お前にとって俺は兄貴で、俺にとってもお前は大事な妹だ。そうやって15年間かけて築きあげた、家族の絆がある。サリスとメルティアの人生はそりゃ劇的なものだったけど、現世の俺たちが過ごしてきた時間だって、あいつらに負けてないぜ? いくら前世の記憶が戻ったからって、一朝でそれが全部消えてたまるかよ」
俺と光琉の兄妹としての関係を否定すれば、まるで前世に現世でのこれまでの人生を塗りつぶされてしまうような気がする。そんなことはさせない。天代真人も天代光琉も、確かにこの地球に生まれ、成長し、兄妹として時をかさねてきた。それは、俺にとっては前世なんかよりもはるかに手ごたえを感じる、ゆるぎない事実だ。たとえ勇者にも、聖女にも、否定させはしない。
「お前は俺の妹だ。聖女なんかじゃない。わがままで、うるさくて、寝相が悪くて、何か気に入らないことがあるとすぐ蹴ってきて、甘いものが大好きで、それで俺が買い置きしていたプリンを食べちまうくらい食い意地がはっていて、格ゲーが下手で、リアル〇マーソルトキックをやろうとして失敗してしまうくらい頭が悪くて……」
「こういう時って、もう少し相手をほめるものじゃないの!?」
「そんなアホアホな妹のままで、お前にはいてほしいんだよ。お前はどうだ? 俺はお前の、兄貴でなくなった方がいいか? 俺が兄貴のままでいるのは、もういやか?」
「……いやなわけ、ないでしょ」
白光はみるみる弱まり、やがて妹の身体からまったく発散されなくなった。よかった、ギリギリ視力を失う前におさまってくれたようだ。
「あたしにとってだって、にいちゃんはサリス様とは大違いだよ。口うるさくて、面倒くさがりで、ケチで、だらしがなくて、隠れ中二病で、偉そうなことばかり言っているくせにいざとなったらヘタレで、格ゲーで対戦してもはめ技ばかりやってきて、妙におじさんくさくて、流行に乗れないからクラスでも地味に浮いてて……」
さっきの反撃とばかりに並べ立ててきやがる我が妹。というか、最後のは何で知ってるんだ? 図星だけどさ!
「だけどそんなにいちゃんがあたしが今までずっと一緒に過ごしてきたにいちゃんで、にいちゃんがにいちゃんじゃなくなるのはあたしだって……う、う……」
光琉はまた言葉を詰まらせ、涙ぐみはじめた。俺は先ほどのことを思い出して反射的に身構えたが、今度は光の奔流がおそってくるようなことはなかった。
「う、うえーーーん」
癇癪を爆発させた豪雨のようなさっきの泣き声とは違い、しとしとと降る小雨を思わせる静かな涙だった。どうやら妹も、ようやく(ほんっとうにようやく!)理解してくれたようだ、と俺は思った。その証拠に、魔力も暴走していない。
気持ちを整理するために、涙を流さねばならないこともあるだろう。俺は光琉を引き寄せ、自分の胸にその顔をうずめさせた。もちろん家族として。兄として。
「恋人同士だったらいつか別れることがあるかもしれないけどさ、兄妹だったらずっと一緒だ。血の繋がりがある以上、縁を切りたくたって切れるもんじゃない。案外これは、サリスもメルティアも望んだことなのかもな」
極力やさしく、子供をあやすような声で、泣きじゃくる妹に語りかけた。
「俺はずっとお前のそばにいるよ。兄貴として。だからもう泣くな、な?」
我ながらくさい言い回しだが、ともかくこれで今朝の嵐もおさまった。思春期の兄妹が気の迷いからちょっとギクシャクしたけど、ぶつかりあってまた元の家族に戻る。ありふれた、しかし微笑ましい美談として、ことは完結したのだ。
一件落着、めでたしめでたし。
……
落着してくれ、頼むから。
光琉は相変わらず俺にしがみついて涙を流している。妹のしたいようにさせておきながら、しかし俺は、はやくも自分の行動を後悔していた。今光琉が顔を押しつけている俺の胸は、前世の恋人に密着されたことで、再びバクバクしてきやがったのである(何度目だ!?)。
散々偉そうなこと言っておきながら、俺の方が気持ちの整理をまったくできてねえ! 妹を異性として、超意識してしまってるよ。そりゃそうだ、今朝前世での恋人との記憶を思い出したばかりで、そんな簡単に割り切れるはずもないよな……今さっきはよくも上から目線で妹様に説教できたな、俺!?
俺の胸に顔をあてている状態の光琉に、この心臓の爆音ビートに気づかれたら、これまた厄介なことになりかねない。
そろそろ引き離した方がいいだろうか、と考えはじめた時、妹が自分から離れてくれた。もう泣き止んでいて、指先で目元の涙を拭うと、その表情はさっぱりしていた。
「そうだよね、あたし達は家族なんだもん、これからもずっと一緒だよね」
「……ああ」
どうやら光琉の方は割り切ってくれたようだと思い、安堵と同時にほんの少しの寂しさを覚える。勝手な心理だが、この激動の朝を乗りきったことを思えば、この程度のメランコリーは許されるだろう。
「ずっと一緒なんだから、いくらでもチャンスはあるよね!」
「……は?」
メランコリーはたちまち吹き飛んだ。
妹の眼がキラキラ光っている。夢見る少女のような、という形容は穏当に過ぎる。獲物を狙う、野獣の眼光だった。
「ヘイ、マイシスター、チャンスっていったいなんのチャンスだい?」
「もちろん、にいちゃんをオトすチャンス」
「オマエハナニヲイッテイルンダッ!?」
衝撃のあまり、思わず片言が再発しちゃったよ。いや、その前からあやしい外人口調だったけどさ。
「家族としてのにいちゃんはとっても大事だし、これからもずっといてほしいけど、それとオトメゴコロは別。あたしはやっぱりにいちゃんが好きだから、兄妹でありかつ恋人でもある、これをリョーリツできる関係がベストだと思うの」
「”ベスト”の和訳知ってるか、”最悪”って意味じゃねえぞ!?」
俺は床に膝をつきたい気分だった。結局またふりだしじゃねえか! これまでの俺の説得は一体何だったんだ……ラスボス前まで進めていたRPGのセーブデータが消えたような徒労感におそわれる。
「今はにいちゃんにオンナとしてみてもらえないかもしれないけど、いつか絶対振り向かせてみせるからね! あたし抜きじゃ生きられないカラダにしてあげる」
「表現がイチイチきわどいんだよ! ちゃんと意味わかって言ってる!?」
「あたしは我慢づよいオンナだから、焦らずじっくりいくの。まずはトモダチからはじめよ。よろしくね、にいちゃん!」
「握手の手を差し出すな! 友達って何、俺たちは家族だってさっきから言ってんだろうがああああああああああ」
妹の顔に浮かぶ輝くような笑みが、俺に眩暈を誘発した。くそ、なんだこの理解力ゼロの超絶美少女。そもそも俺を振り向かせる努力なんかする必要ないんだよ、俺はとっくにお前にオチてるんだから!
オチながら戦うってよく聞くけど、こういうことかしら……
どうやら、前世の記憶が蘇ったことではじまったこの騒動は、当分おさまりそうにない。俺はいつまで理性を保ち、貞節とモラルと世間体を守ることができるだろうか……将来に暗澹としたものを感じながら、またしても前世の恋人と瓜二つの容姿をした実妹が迫ってくるのを、鉄の心で押し返すのだった。
なお、この朝の騒動のうちに時間は無情にも過ぎ、すでに登校時間ギリギリになってしまっていると俺が気づくのは、それからさらに数分後のことでしたとさ。
遅刻はほぼ確定、自室は半壊状態、光琉はおかまいなしにじゃれてくる……この三重苦の状況。いくら勇者の生まれ変わりだって、もう泣いてもいいよね、俺?
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