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少女期~新しい日々と、これからのあれこれ~
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ミーティアは部屋でナンシーと荷解きをしていた。
一人でやると言って聞かないナンシーを説き伏せて、本や数少ないドレスを洋服ダンスに収めていく。入学式は明日なので、荷物を片付けてしまうと特にやることもなくなった。
「お嬢様、お茶のご用意をして参りますね」
「ナンシー、あなたも疲れているでしょう?少しのんびりしたら?」
「いえ、私はお嬢様が心地良くお過ごしいただく為にいるのです。それに、お湯を頂く場所も確認しておきたいので」
「そう?それなら私も行くわ」
「いえ、それは……」
「お湯をもらいに調理場に行くんでしょう?食堂の場所も確認しておきたいし、一緒に行きましょう?」
「畏まりました、ではご一緒させて頂きます」
ホリーに渡された紙を頼りに、食堂へと向かう。
王立学園の寮は、学舎の上階に位置していて、二階までが学舎、三階以上が寮となっており、上階に行くほど部屋が広くなるようだ。だが、上階に行くほど建物の床面積は小さくなるので、部屋数が少なくなっている。女子寮と男子寮はちょうど真ん中に位置している食堂とホールで仕切られており、当然と言えば当然だが、それぞれの扉には副寮監室があって、そこを通らなければ寮には戻れない。
ミーティアが通った寮監室は、学舎の東側に位置していて、学舎から寮に入れる階段は東階段一つしかない。同じように男子寮は西側階段を上るという具合だ。王立学園の学舎が南側を正面に、東西に真横に建てられているので、西と東に男子寮と女子寮が分かれていた。
廊下を来た時と同じ方向に進むと、突き当たりに扉があった。どうやら、この扉が食堂に続くようだった。
扉を抜けると、ホリーよりは幾分若そうなご婦人が、一人掛けのソファに座って刺繍をしていたが、つと顔を上げて、ミーティア達を認めた。
「あら、新しい方ね?」
「ミーティア・マッコールと申します、よろしくお願いいたします」
そう挨拶をして軽く膝を折る。先ほどホリーに言われたので、こちらでは略礼で留めておいた。
「私はミリアム。みなミリーと呼ぶわ、よろしくね」
「はい、ミリー副寮監」
「それより、食堂へ行くの?今日はお休みよ?」
「侍女がお湯をもらいに行くと言うので、食堂の場所を確認しようと思いまして」
「そう、お湯は調理場でもらうといいわ。食堂の奥にあるわよ」
「ありがとうございます」
ミーティアは膝を折って礼をすると、食堂へ抜ける扉を開けた。ナンシーが調理場に行ってお湯をもらってくる間、食堂の椅子に腰かけて待つ。食堂の天井は吹き抜けになっていて、四階から上の生徒はぐるりと階段を上って寮に戻るようだ。高い天井に合わせて縦に細長い窓からは、温かい日差しが降り注いでいる。物珍しく周囲を眺めていると、ポットを抱えてナンシーが戻ってきた。
「お待たせしました、お嬢様」
「では戻りましょうか」
ナンシーと連れ立って、また扉を潜り、副寮監室を通って自分の部屋へ戻る。
屋敷から持ってきた茶器をテーブルに用意したナンシーが、こぽこぽと茶葉の入った小さなポットにお湯を注ぐ。
すると、花のような甘い香りが室内に広がった。
「あら、この香り……」
「はい、ガラント様が持たせてくださった紅茶です。お嬢様がご領地でお気に召したと伺っております」
「そうだったの」
この紅茶は、オルヴェノクで祖母がよく飲んでいたものだ。
甘い香りなのに、飲んだ後はさっぱりとした後味の良さが好きで、オルヴェノク領にいた頃は好んで飲んでいた。きっと祖母が祖父に頼んでくれたに違いない。
「ナンシーもよかったら飲んでみて」
「そんな、私は……」
「あら、主の好みを知っておくのも必要よ?」
「……畏まりました、では後ほど頂きます。ありがとうございます。それよりお嬢様、お昼はどうされますか?」
「そうねぇ……」
ミーティアは思案するーーーせっかくだから、王都のあのカフェに行ってみようか。
そう、王子ルートでヒロインが王子と語らった、あのカフェ。
学園祭で実行役を押し付けられてしまったヒロインに、王子が買い出しに付き合うと言って、王都を色々案内してやった時に、休憩がてら入ったのが最初だったーーーそれ以来、何かと二人は……。
「……お嬢様……お嬢様?」
ナンシーに呼びかけられてハッとする。
いかん、いかん、すっかり妄想モードに突入していたとミーティアは緩く頭を振る。
「王都に素敵なカフェがあるの。そこでお昼にしましょうか」
「……私もご一緒してよろしいのでしょうか?こういった時は勝手がわからないのですが……」
ニナにあれこれ仕込まれたナンシーだが、まさか主人とカフェに入るとは想定外だろう。いいのかしら、でも、、、。とブツブツ言っているナンシーの顔は困り顔で眉が下がっている。その顔がなんだか可愛らしくて、でも面白くて、思わずミーティアは笑ってしまった。
「私が一緒にと言ってるんだから、構わないのよ?寧ろ一人で昼食なんて、寂しいわ」
「本当によろしいのですか……?」
「ナンシー、お願いだから私に付き合って?」
「畏まりました、ではご一緒させていただきます」
ナンシーはそばかすの散った鼻に軽く皺を寄せて笑った。
*****
王城へ到着したレナードは封蝋付きの封書を門番に見せ、馬を預けて城へ入った。
城の扉を開けた侍従の一人に案内されて、将軍の部屋の控えの間に通される。
「ヒューバート将軍は、只今陛下とご懇談中ですので、しばらくお待ちください」
「わかった」
レナードは一つ頷くと、控えの間の椅子に腰かけた。
ヒューバートが何をさせるつもりなのか、なんとなく見当は付く。大方、他に任せられない事を依頼してくるのだろう。そもそも、レナードは一介の騎士のはずで、第三騎士団の自分が王城に出向くこと事態、異例で、目立つことなく、ひっそりと生きていたい自分としては不本意なのだが。
扉が開いて、ヒューバート将軍が部屋に戻ってきたらしい。物音でそれとわかると、ピッと背筋を伸ばす。
「待たせたな、入れ」
「失礼いたします」
控えの間の扉を開けると、執務机の向こう側に、口髭を蓄えた大柄の、この国の軍事の要であるヒューバート将軍が座っていた。
「久しぶりだな、レナード・スタスィオン」
「はい、ご無沙汰しております」
「そこへ掛けてくれ。お前たちは呼ぶまで控えていろ」
「はっ……」
将軍の両隣に控えていた騎士を部屋の外に出すと、レナードが座るソファの対面にゆっくりと腰かけたヒューバートは、一枚の封筒をレナードに寄越した。
「これをある男に届けてもらいたいのです」
「これは……?」
「通行証です、その男は王命により隣国に渡るので、それが必要なのです」
「……なぜ、私が?」
「レナード様……いえ、レオナルド様は今、マッコール領にいらっしゃるのでは?」
「ええ、団長命令でそこで世話になっていますが……」
「その男は今、マッコール領の傍にある、ある領地で身を潜めているのです。秘密裏に事を運んでいるので、出来るだけ漏れないようにするには……」
「私が適任と。こういう訳ですね……」
ーーーレナード・スタスィオンとは別の名、『レオナルド・アンドレア・ファランダール』。これが彼がこの世に生まれ出た時に、最初に付けられた名前だった。
レオナルドが生まれたのは先王の御世。先王が晩年に、身分の低い侍女に産ませた子がレオナルドだった。身籠ってすぐ、母は側妃として召し上げられたのだが、レオナルドが無事に生まれて一年後、風邪を悪化させた先王はあっさりとこの世を去った。
王位継承権第一位だった王太子、現エルドァード・ルーク・ファランダールが王位を継ぐと、年の離れた弟王子は母と共に王宮を去ることになる。母は後ろ盾も何もない側妃だったし、弟王子がいることで政争の火種になりかねないことを恐れたエルドァードによって、親子で流行り病であっけなく亡くなったことにされ、市井で生きていくことになったのだ。
確かに生まれたはずの弟王子は、人々の記憶から忘れ去られていった。
元々、爵位も持たぬ家の出身だった母は、王家からの援助で細々と暮らしていたが、ある時、商人であるスタスィオン家の当主に見初められて後妻として嫁いだ。そこで王家との縁も切れたはずだった。
王家との縁は切れたものの、他所の子種の子はやはり可愛がられることはない。やがて弟が生まれ、スタスィオンの家を継ぐのは弟とばかりに英才教育が施されていった。それを傍目で見ていて、自分の立ち位置がわからないほど、レオナルドも馬鹿ではない。
一人家を出ると、騎士として身を立てようと入団試験を受けた時、ヒューバートに出自を見破られて以来、こうしてたまに王城で極秘の任務を任されている。不本意だが、これも己が宿命と諦めてはいる。
「殿下、恐れ多いのは重々承知しておりますが……」
「やめてください、私はもう王子でもなんでもない、ただの騎士ですよ」
レオナルドではない、ただのレナードは、王家を恨んでもいないし、寧ろこの堅苦しい王城の中で暮らしていくなんて考えたくもなかった。騎士として国に仕え、やがて家族を持ち、騎士として人生を全う出来れば、ずっと気楽で自由だ。
「確かにこの任、お受け致します。それでは失礼いたします」
「殿下!」
立ち上がったレナードは、将軍の顔をじっと見つめる。
「私はこの暮らしが気に入っています、ですから、同情など必要ありません。兄上によろしくお伝えください、それでは」
今度こそ、レナードは将軍の前から去って行った。
*****
王都の地図を事務棟で貰い、後見人である、ヴァランタイン侯爵家に挨拶に行っておかなくてはならないことを失念していたミーティアは、カフェの前にヴァランタイン侯爵家の街屋敷に出向くと、ナンシーに先触れを頼み、自分は屋敷をぐるりと囲む塀にもたれてナンシーの帰りを待っていた。
母がヴァランタイン侯爵家にお伺いの手紙を送っていたので、今日挨拶に行くことはすでにわかっているとは思うが、念のため出しておかないと、後で母が恥をかく。
何の気なしに周囲に目を向けていると、ミーティアの前を扉にヴァランタインの家紋を付けた馬車が通りかかった。通り過ぎるのを目で追っていると、屋敷の門の手前で馬車が停まる。
馭者によって扉が開かれ、中からルシアン・ヴァランタインが出てくるではないか。ミーティアは辺りを見回して隠れる場所はないかと探したが、あいにく、この辺りは何もなかった。
「どうしました、レディ?何かお困りごとでも?」
ルシアンが近付いてきて、ミーティアに話しかけた。確かに貴族の屋敷の塀にもたれて、侍女を待つ貴族などいるわけがない。どうしたものか、ミーティアは頭の中で素早く言い訳を考える。
「お嬢様?」
ちょうどその時、ナンシーに呼びかけられ、ギクっと肩を震わせる。なんというタイミング……ミーティアは頭を抱えたかったが、実際にそうする訳にもいかない。
「レディ、我が家に用向きがおありですか?」
ナンシーが屋敷から出て来たのがわかったのだろう、ルシアンの声がやや詰問口調になっている気がする。どうしよう、想定外だ……仕方ない、ここは正直に話そうとミーティアは腹を括った。
「ミーティア・マッコールと申します、ルシアン・ヴァランタイン様。一度学園でお目にかかったのですが、覚えておいででしょうか?」
ミーティアが略礼で膝を折ってからそう告げると、ルシアンははて?と言った顔をしたが、マッコールの名には覚えがあるのか、合点がいったという表情だった。
「ああ、そういえばそうだったような……そうでした、今日、我が家にお見えになるんでしたね。父からそう聞いています。ですが、なぜ歩いていらっしゃったのです?」
学園の馬車を借りればよかったとミーティアは激しく後悔したが、もう遅い。
「お屋敷には後程、お伺いさせていただきますが、その前に、王都を見て歩こうと思い立ちまして……」
ミーティアは顔を俯けてボソボソと言い訳をした。貴族は基本的に馬車に乗って移動するのだ、ミーティアのように歩き回ることはほとんどない。
一瞬、ポカンとした顔をしたルシアンだったが、段々と面白いものを見るような顔つきになったと思ったら、ミーティアの想定外のことを言い出した。
「でしたら僕がご案内しましょう。王都は初めてでいらっしゃるのでしょう?せっかくですから、我が家の馬車で行きませんか?」
「そ、それは……」
ミーティアは言葉に詰まった。ルシアンは確かに攻略対象の一人で、ミーティアだって嬉しくないわけがないが、これは本来ヒロインが告げられる言葉ではなかったか。だが、ここで断るのも惜しい、非常に惜しい気がする。
ミーティアは激しく葛藤していたが、そんなミーティアの返事を待たず、ルシアンはその右手を取った。
驚いて顔を上げたミーティアに、ルシアンが優しく微笑む。
「さぁ、行きましょう。そちらの侍女の方も一緒なら、大丈夫でしょう、ね?」
やや強引とも思える誘いに、断る術を持たない、ミーティアだった。
一人でやると言って聞かないナンシーを説き伏せて、本や数少ないドレスを洋服ダンスに収めていく。入学式は明日なので、荷物を片付けてしまうと特にやることもなくなった。
「お嬢様、お茶のご用意をして参りますね」
「ナンシー、あなたも疲れているでしょう?少しのんびりしたら?」
「いえ、私はお嬢様が心地良くお過ごしいただく為にいるのです。それに、お湯を頂く場所も確認しておきたいので」
「そう?それなら私も行くわ」
「いえ、それは……」
「お湯をもらいに調理場に行くんでしょう?食堂の場所も確認しておきたいし、一緒に行きましょう?」
「畏まりました、ではご一緒させて頂きます」
ホリーに渡された紙を頼りに、食堂へと向かう。
王立学園の寮は、学舎の上階に位置していて、二階までが学舎、三階以上が寮となっており、上階に行くほど部屋が広くなるようだ。だが、上階に行くほど建物の床面積は小さくなるので、部屋数が少なくなっている。女子寮と男子寮はちょうど真ん中に位置している食堂とホールで仕切られており、当然と言えば当然だが、それぞれの扉には副寮監室があって、そこを通らなければ寮には戻れない。
ミーティアが通った寮監室は、学舎の東側に位置していて、学舎から寮に入れる階段は東階段一つしかない。同じように男子寮は西側階段を上るという具合だ。王立学園の学舎が南側を正面に、東西に真横に建てられているので、西と東に男子寮と女子寮が分かれていた。
廊下を来た時と同じ方向に進むと、突き当たりに扉があった。どうやら、この扉が食堂に続くようだった。
扉を抜けると、ホリーよりは幾分若そうなご婦人が、一人掛けのソファに座って刺繍をしていたが、つと顔を上げて、ミーティア達を認めた。
「あら、新しい方ね?」
「ミーティア・マッコールと申します、よろしくお願いいたします」
そう挨拶をして軽く膝を折る。先ほどホリーに言われたので、こちらでは略礼で留めておいた。
「私はミリアム。みなミリーと呼ぶわ、よろしくね」
「はい、ミリー副寮監」
「それより、食堂へ行くの?今日はお休みよ?」
「侍女がお湯をもらいに行くと言うので、食堂の場所を確認しようと思いまして」
「そう、お湯は調理場でもらうといいわ。食堂の奥にあるわよ」
「ありがとうございます」
ミーティアは膝を折って礼をすると、食堂へ抜ける扉を開けた。ナンシーが調理場に行ってお湯をもらってくる間、食堂の椅子に腰かけて待つ。食堂の天井は吹き抜けになっていて、四階から上の生徒はぐるりと階段を上って寮に戻るようだ。高い天井に合わせて縦に細長い窓からは、温かい日差しが降り注いでいる。物珍しく周囲を眺めていると、ポットを抱えてナンシーが戻ってきた。
「お待たせしました、お嬢様」
「では戻りましょうか」
ナンシーと連れ立って、また扉を潜り、副寮監室を通って自分の部屋へ戻る。
屋敷から持ってきた茶器をテーブルに用意したナンシーが、こぽこぽと茶葉の入った小さなポットにお湯を注ぐ。
すると、花のような甘い香りが室内に広がった。
「あら、この香り……」
「はい、ガラント様が持たせてくださった紅茶です。お嬢様がご領地でお気に召したと伺っております」
「そうだったの」
この紅茶は、オルヴェノクで祖母がよく飲んでいたものだ。
甘い香りなのに、飲んだ後はさっぱりとした後味の良さが好きで、オルヴェノク領にいた頃は好んで飲んでいた。きっと祖母が祖父に頼んでくれたに違いない。
「ナンシーもよかったら飲んでみて」
「そんな、私は……」
「あら、主の好みを知っておくのも必要よ?」
「……畏まりました、では後ほど頂きます。ありがとうございます。それよりお嬢様、お昼はどうされますか?」
「そうねぇ……」
ミーティアは思案するーーーせっかくだから、王都のあのカフェに行ってみようか。
そう、王子ルートでヒロインが王子と語らった、あのカフェ。
学園祭で実行役を押し付けられてしまったヒロインに、王子が買い出しに付き合うと言って、王都を色々案内してやった時に、休憩がてら入ったのが最初だったーーーそれ以来、何かと二人は……。
「……お嬢様……お嬢様?」
ナンシーに呼びかけられてハッとする。
いかん、いかん、すっかり妄想モードに突入していたとミーティアは緩く頭を振る。
「王都に素敵なカフェがあるの。そこでお昼にしましょうか」
「……私もご一緒してよろしいのでしょうか?こういった時は勝手がわからないのですが……」
ニナにあれこれ仕込まれたナンシーだが、まさか主人とカフェに入るとは想定外だろう。いいのかしら、でも、、、。とブツブツ言っているナンシーの顔は困り顔で眉が下がっている。その顔がなんだか可愛らしくて、でも面白くて、思わずミーティアは笑ってしまった。
「私が一緒にと言ってるんだから、構わないのよ?寧ろ一人で昼食なんて、寂しいわ」
「本当によろしいのですか……?」
「ナンシー、お願いだから私に付き合って?」
「畏まりました、ではご一緒させていただきます」
ナンシーはそばかすの散った鼻に軽く皺を寄せて笑った。
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城の扉を開けた侍従の一人に案内されて、将軍の部屋の控えの間に通される。
「ヒューバート将軍は、只今陛下とご懇談中ですので、しばらくお待ちください」
「わかった」
レナードは一つ頷くと、控えの間の椅子に腰かけた。
ヒューバートが何をさせるつもりなのか、なんとなく見当は付く。大方、他に任せられない事を依頼してくるのだろう。そもそも、レナードは一介の騎士のはずで、第三騎士団の自分が王城に出向くこと事態、異例で、目立つことなく、ひっそりと生きていたい自分としては不本意なのだが。
扉が開いて、ヒューバート将軍が部屋に戻ってきたらしい。物音でそれとわかると、ピッと背筋を伸ばす。
「待たせたな、入れ」
「失礼いたします」
控えの間の扉を開けると、執務机の向こう側に、口髭を蓄えた大柄の、この国の軍事の要であるヒューバート将軍が座っていた。
「久しぶりだな、レナード・スタスィオン」
「はい、ご無沙汰しております」
「そこへ掛けてくれ。お前たちは呼ぶまで控えていろ」
「はっ……」
将軍の両隣に控えていた騎士を部屋の外に出すと、レナードが座るソファの対面にゆっくりと腰かけたヒューバートは、一枚の封筒をレナードに寄越した。
「これをある男に届けてもらいたいのです」
「これは……?」
「通行証です、その男は王命により隣国に渡るので、それが必要なのです」
「……なぜ、私が?」
「レナード様……いえ、レオナルド様は今、マッコール領にいらっしゃるのでは?」
「ええ、団長命令でそこで世話になっていますが……」
「その男は今、マッコール領の傍にある、ある領地で身を潜めているのです。秘密裏に事を運んでいるので、出来るだけ漏れないようにするには……」
「私が適任と。こういう訳ですね……」
ーーーレナード・スタスィオンとは別の名、『レオナルド・アンドレア・ファランダール』。これが彼がこの世に生まれ出た時に、最初に付けられた名前だった。
レオナルドが生まれたのは先王の御世。先王が晩年に、身分の低い侍女に産ませた子がレオナルドだった。身籠ってすぐ、母は側妃として召し上げられたのだが、レオナルドが無事に生まれて一年後、風邪を悪化させた先王はあっさりとこの世を去った。
王位継承権第一位だった王太子、現エルドァード・ルーク・ファランダールが王位を継ぐと、年の離れた弟王子は母と共に王宮を去ることになる。母は後ろ盾も何もない側妃だったし、弟王子がいることで政争の火種になりかねないことを恐れたエルドァードによって、親子で流行り病であっけなく亡くなったことにされ、市井で生きていくことになったのだ。
確かに生まれたはずの弟王子は、人々の記憶から忘れ去られていった。
元々、爵位も持たぬ家の出身だった母は、王家からの援助で細々と暮らしていたが、ある時、商人であるスタスィオン家の当主に見初められて後妻として嫁いだ。そこで王家との縁も切れたはずだった。
王家との縁は切れたものの、他所の子種の子はやはり可愛がられることはない。やがて弟が生まれ、スタスィオンの家を継ぐのは弟とばかりに英才教育が施されていった。それを傍目で見ていて、自分の立ち位置がわからないほど、レオナルドも馬鹿ではない。
一人家を出ると、騎士として身を立てようと入団試験を受けた時、ヒューバートに出自を見破られて以来、こうしてたまに王城で極秘の任務を任されている。不本意だが、これも己が宿命と諦めてはいる。
「殿下、恐れ多いのは重々承知しておりますが……」
「やめてください、私はもう王子でもなんでもない、ただの騎士ですよ」
レオナルドではない、ただのレナードは、王家を恨んでもいないし、寧ろこの堅苦しい王城の中で暮らしていくなんて考えたくもなかった。騎士として国に仕え、やがて家族を持ち、騎士として人生を全う出来れば、ずっと気楽で自由だ。
「確かにこの任、お受け致します。それでは失礼いたします」
「殿下!」
立ち上がったレナードは、将軍の顔をじっと見つめる。
「私はこの暮らしが気に入っています、ですから、同情など必要ありません。兄上によろしくお伝えください、それでは」
今度こそ、レナードは将軍の前から去って行った。
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何の気なしに周囲に目を向けていると、ミーティアの前を扉にヴァランタインの家紋を付けた馬車が通りかかった。通り過ぎるのを目で追っていると、屋敷の門の手前で馬車が停まる。
馭者によって扉が開かれ、中からルシアン・ヴァランタインが出てくるではないか。ミーティアは辺りを見回して隠れる場所はないかと探したが、あいにく、この辺りは何もなかった。
「どうしました、レディ?何かお困りごとでも?」
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「お嬢様?」
ちょうどその時、ナンシーに呼びかけられ、ギクっと肩を震わせる。なんというタイミング……ミーティアは頭を抱えたかったが、実際にそうする訳にもいかない。
「レディ、我が家に用向きがおありですか?」
ナンシーが屋敷から出て来たのがわかったのだろう、ルシアンの声がやや詰問口調になっている気がする。どうしよう、想定外だ……仕方ない、ここは正直に話そうとミーティアは腹を括った。
「ミーティア・マッコールと申します、ルシアン・ヴァランタイン様。一度学園でお目にかかったのですが、覚えておいででしょうか?」
ミーティアが略礼で膝を折ってからそう告げると、ルシアンははて?と言った顔をしたが、マッコールの名には覚えがあるのか、合点がいったという表情だった。
「ああ、そういえばそうだったような……そうでした、今日、我が家にお見えになるんでしたね。父からそう聞いています。ですが、なぜ歩いていらっしゃったのです?」
学園の馬車を借りればよかったとミーティアは激しく後悔したが、もう遅い。
「お屋敷には後程、お伺いさせていただきますが、その前に、王都を見て歩こうと思い立ちまして……」
ミーティアは顔を俯けてボソボソと言い訳をした。貴族は基本的に馬車に乗って移動するのだ、ミーティアのように歩き回ることはほとんどない。
一瞬、ポカンとした顔をしたルシアンだったが、段々と面白いものを見るような顔つきになったと思ったら、ミーティアの想定外のことを言い出した。
「でしたら僕がご案内しましょう。王都は初めてでいらっしゃるのでしょう?せっかくですから、我が家の馬車で行きませんか?」
「そ、それは……」
ミーティアは言葉に詰まった。ルシアンは確かに攻略対象の一人で、ミーティアだって嬉しくないわけがないが、これは本来ヒロインが告げられる言葉ではなかったか。だが、ここで断るのも惜しい、非常に惜しい気がする。
ミーティアは激しく葛藤していたが、そんなミーティアの返事を待たず、ルシアンはその右手を取った。
驚いて顔を上げたミーティアに、ルシアンが優しく微笑む。
「さぁ、行きましょう。そちらの侍女の方も一緒なら、大丈夫でしょう、ね?」
やや強引とも思える誘いに、断る術を持たない、ミーティアだった。
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