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第一話
しおりを挟む月明かりに照らされた薄暗い部屋の中、一人の少年が姿見の前に立ってた。
置いてあるのは白を基調としたベッド、テーブル、椅子、本棚、壁、絨毯。それらには欠かさず金の刺繍が施されており異様な空気が漂っている。
子どもが暮らす部屋にしては十分に広いが、少年には息苦しく思えて仕方ない。
鏡に映る自分はこの部屋と同じ『白』だらけだ。暗闇でも煌めく白髪に病人にすら見える真っ白な肌。瞳は薄く金色を纏っている。加えてガウンまでシミ一つない白色だ。
それら全てを汚してしまいたくて少年は鏡の中の白に触れた。
「え………?」
想像していた冷たく硬い感触とは違う。沼にハマるようにやわらかく自分の手を呑み込んでいく。
少年がここに連れてこられてから七年。初めてこの部屋から人が居なくなった。
✽✽✽
「わぁ!」
目の前に広がる初めての景色に少年は目を輝かせる。
この不可解な状況に対して恐怖よりも好奇心の方が遥かに勝るようだ。
絵本で見た森とは少し違う。本に描かれていたのは緑の葉と太い幹、そして和気藹々と生活する様々な動物の姿だった。
今自分がいるのも恐らく森ではあるがあまりにも色がない。
いや、『ない』とは少し違う。
正確には全てがとある一色に染まりきっていた。
「黒色の木だ」
幹も葉も土もここにあるもの全てが黒色だった。更には空まで仄暗く、月の光すら見当たらない。
少年は恐る恐る今にも折れてしまいそうな細い幹に触れた。ひんやりとした温度が気持ち良い。
「汚れるぞ」
「ひっ」
突然後ろから聞こえてきた声に背筋が凍る。
低く響く声には棘があり、どうしても振り返ることができなかった。
『絶対に汚れてはなりません。黒に触れてはなりません』
『貴方様のその白はこの世界の宝なのです』
『部屋から出たい?いけません。そのような願いを持つことすら許されないことが分かりませんか』
あの部屋と同じく、無機質なメイド達の声が脳内で繰り返し再生される。
またあの部屋に連れ戻されてしまう。
帰りたくない。違う色に触れていたい。
「だから汚れるって。ほらこっち向け」
「あ………黒………?」
「んだよ。人様の領域に勝手に入っておいて色にまでケチつける気か?まあ慣れてるけど。俺が言えたことじゃないが、お前はなかなか珍しい色持ってんな。純粋な白を見たのなんて千年ぶりだよ」
肩を掴まれ無理矢理目を合わせられる。
黒のローブを身に纏った青年が少年の背丈に合わせるようにしゃがみ込んでいた。
尻を付けずはしたなく足を開いて座っている青年は喋り方と同様佇まいからも柄の悪さが滲み出ている。
悪そうな人。怖そうな人。初めて見る黒色を持つ人。
「格好良い!」
「おお。分かってんじゃねえか。黒色、カッケェだろ」
青年が深く被っていたフードを雑に取る。
そうして漸く見ることが出来た青年の顔は粗暴な言動が似合わないほどに整っていて意外にも綺麗という言葉がよく似合う人だった。
ローブだけではない。目と髪まで一切曇りのない黒色だ。
「なんか言えよ。どうせ初めて見るんだろ、黒持ちなんて。今は黒混じりが生まれたら即死刑なんだったよな。あーいや、そろそろ黒混じりすら生まれなくなってんのか」
「えっと、綺麗、です」
「はは、赤くなってやんの。子どもが気使いやがって。ほらこっち来い。そんな真っ白な服着て来んじゃねえっつの」
別に気を遣ったわけではない。
思ったことを口に出しただけなのに、頬が熱を持って頭から湯気が出そうだ。
無造作に掴まれた手が熱い。
手を引かれながらこっそり見上げた横顔はやっぱり綺麗で、ますます顔が赤くなってしまう。
「お前名前は?何歳?」
「リュカ、です。十歳です」
「十歳?ちっせーな。ちゃんと飯食わせてもらってねえのか」
「食べてます。でも、白が無くなったら困るから色が薄いものしか食べちゃ駄目だって」
「はあー?ったく、食べもんなんかで生まれ持った色が変わるかよ。相変わらずイカれてんなあ。
腹減ってるか?なんか食わせてやるよ」
「黒い食べ物ですか?」
「あー、黒の食いもんなんかあるか?普通に肉とかじゃ駄目なのか」
「お肉………!食べたいです!」
「ん。分かった肉な」
青年は代わり映えしない黒の森を迷わず進んでいく。
「わっ、」
「っと。危ねえな」
枝に躓いたリュカの腕を青年が強く上に引っ張る。おかげで転びはしなかったが、ガウンの裾が土埃で汚れてしまった。
「どうしよう」
リュカは白い顔から更に血の気を引かせる。
ガウンが汚れているのがメイドにバレてしまったら外に出たのに気付かれてしまう。
「わり、先に着替えさせれば良かったな」
青年がそう言ったと同時にリュカの身体が幾つもの黒色の粒子に包まれ、その粒子が無くなるとガウンの汚れも綺麗さっぱり無くなっていた。
「魔法だ…!」
「初めて見たか?こんなことも出来るぞ」
「わあぁ!!!」
青年が人差し指を得意気に揺らすと一瞬で服装が変わった。青年のものよりは随分と小さいが、青年が着ているものと同じローブだ。
「黒のお洋服なんて初めてです!ありがとうございます!」
リュカは猫が自分の尻尾を追いかけるように背中まで見ながらその場でくるくる回る。
何の装飾もされていないシンプルなもので怪しさ満載だがそれがリュカには嬉しかった。
「そっちに喜ぶのかよ。俺の魔法は?」
「あ、魔法も凄いです!」
「取って付けたみたいに言いやがる。これだから餓鬼はよ」
「ぷっ、あははっ」
自分より背の高い青年が子どもみたいに唇を突き出すのが面白くてリュカはクスクスと笑った。
子どもらしい素直な笑い方だ。
リュカが落ち着いたところで再び手を引かれ森の中を進んで行く。
「あ、あの、お兄さんのお名前は?」
「ん?俺か?俺はラシオン。この森の主だ」
「ラシオン………」
「なんだ?リュカ」
名前を呼んで、呼び返される。
そんな会話を自然と交わせるのが嬉しい。
ラシオンが連れてきたのは小さな家だった。
殺風景な森の中に途端に現れたその家は黒色ではあるが大きな窓と煙突が絵本の中に出てくる魔法使いの家とそっくりだ。
中に入るとテーブルと椅子が一つ、そしてベッドにキッチンがある。勿論どれも黒色だ。
「座って待ってな。肉焼いてやる」
そう言ってキッチンに立つラシオンに付いていく。
「あ?見てんのか?」
リュカが頷くと、ラシオンはそれ以上何も言わなかった。
「おいひいです!」
サイコロのように細かく切られたステーキをフォークで刺しながらリュカはまた金色の目を輝かせた。
「だろ?やっぱ料理は自分でしなきゃな」
「ふへーひもだへるんへふか?」
「誰も奪いやしねえから飲み込んでから喋れ」
「………、ステーキも出せるんですか?」
というのもこのお肉はラシオンが魔法で出したものだった。それを味付けし、更に魔法の火を使って焼いたのだ。
そして今リュカが座っているこの椅子もラシオンがリュカの為に出してくれた。何故か肘付きの椅子で背もたれには猫の耳が装飾してある。
ラシオンにはリュカが何歳に見えているのだろう。
「まあ出そうと思えばな。俺ほどの魔法使いは今は王国の何処にもいねえよ。会えたことを光栄に思え」
「お、俺も魔法、使えますか?」
「そりゃ使えるだろ。そんなけの白があるってのは精霊に愛されてる証拠だ。つーかまだ使えてねえの?そっちに驚くわ」
「………」
分りやすく表情を曇らせたリュカのせいでラシオンは罰が悪くなった。別に馬鹿にしたわけではなく、これだけ周りに精霊が群がっているのに使えないわけがないと知っているだけだ。
「リュカ。ソースついてる」
「ん、」
ラシオンはリュカの口元についたソースを親指で拭って、躊躇なくそれを舐め取る。それを見たリュカの頬は何故か再び赤く染まった。
「そろそろ時間だな」
お皿が空になった頃、頬杖を付きながら眺めていたラシオンがそう呟いた。
「え?」
「夜が明ける。帰らねえと怒られるぞ。怒られるで済めばいいけど」
「………」
リュカは捨てられた子犬みたいに眉を下げた。黒のローブを握り締めて俯いてしまう。
「帰りたくねえのか?」
「………」
「言わないと分かんねえ」
「か、帰りたくないです」
「そうか」
怒ることなく立ち上がるラシオンにリュカは身体を硬くする。
部屋を出たいと言う度、メイド達は困ったような顔をした。また困らせてしまったのだろうか。
「悪いが帰ってもらう」
「あ………はい」
当然だ。自分がここにいたらラシオンにまで迷惑をかけてしまう。
「また夜になったら来たら良い。一体何処と繋がったのか知らんが、一度繋がった道はそう簡単には閉じないはずだ」
ラシオンは人差し指の腹をリュカの額に当てる。その瞬間、リュカの身体が透けていき気づいた時にはいつもの部屋に戻っていた。
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