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第二章 婚前編

【結婚式の012時間前~再会~】

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「……円佳……」

 透也君にまじまじと見つめられた挙句、つぶやかれてしまった。

 そりゃ、驚くよね。
 背中の中ほどまで伸ばしていた黒髪を、うなじのあたりでばっさり切った挙句にピンクに染めて。
 焦げ茶の瞳には、紫のカラーコンタクトまで装着しているのだから。

 耳にはじゃらりとピアスもどき。……穴を開けるのは躊躇ちゅうちょした。だって、透也君にキスしてもらえなくなるし。

 は! 
 なにを考えてるのかな、私?
 でも……腫れちゃったら結婚式がぁ。ではなくて。
 ともかくっ! 

 吉と出るのか凶とでるのか。
 無駄な抵抗かもしれないけれど、すぐには結婚式が出来ないようにしてみたんである。

 私が固唾を呑んでいると、透也君は微笑んだ。

 へにゃり、としか言いようのない緩んだ表情。
 あ。
 この顔を知っている。

 透也君は仮面をかぶるのが上手い人で、ご両親にすら悪人面しか見せていない。
 この顔は二人きりのときに、私にしか見せない甘えたときの表情だった。 

 あ、あれ……?
 とまどったりとか、良家の嫁に相応しくない!とかの反応は?

「相変わらず、円佳はすごいなあ。君のことはなんでも知っていると思っていたのに、円佳はびっくり箱だね。僕を驚かせるのがうまい。惚れ直すよ」

 透也君の言葉にぽーっとなった。

 そういえば透也君に否定されたことはなかった。
 私が相談すれば道筋を幾とおりも示してくれるけれど、最終的には選ばせてくれる。

 そして言うのだ。
『どんな選択をしても、僕だけは円佳の味方だよ』って。
 過去も未来も、私の意思。

 ……いかん、術中に嵌る!

 考えてみたら、言葉巧みな透也君に誤魔化されて、なんだかんだ流されてきた。
 もう騙されないんだからっ!

「私達の結婚は政略結婚ってほんと?」

 不退転の決意で訊ねた。

「円佳はどうあって欲しい?」
「はぐらかさないで!」

 質問で返してきた透也君を睨みつければ、彼はつるっと自白した。

「君のお父さんの特許を嘉島家が占有しているのは本当」

 やっぱり……!
 わかっていても息をのんでしまう。
 心臓が痛い。

 彼は底知れぬ深い瞳で私を見つめてきた。

「僕が君を愛しているのも本当」

 甘い衝撃が胸にどん、ときた。

 地獄まで落ち込んでいた気分が一気に天国まで駆け上がる。
 今まで、なんの疑いもなく受け止めていた言葉。

 だけど――!

「私が『特許』を透也君に譲ったら、結婚はなかったことにしてくれるの?」

 ごくりと唾を呑み込んで、ささやいた。

 途端、彼の顔面から表情が消えた。
 他人にはめったに見せない、本気で怒っているときの表情だ。
 室内の温度が一気に十度くらい冷えたみたい。

 こわい。

「いまさら僕を棄てるなんて、赦さない」

 言下に否定される。
 顔と同じく静かな声だった。

「……私が透也君を捨てる……?」
「そうだ」

 違うでしょ、透也君こそが私のことをオマケ扱いしたくせに――!

「『特許』さえあれば、私なんて必要ないんでしょう!」

 悲鳴のように叫べば、黒い焔のような双眸で見つめられた。
 恐ろしさに、体が動かなくなる。

「……なにか誤解しているようだけど。君が手に入らないのなら、特許にはなんの価値もない」
「え」

 私は固まった。

 あれ?
『オ父サンノ特許』は要らないもの? 
 一部の人にしか需要がない?

 でも、透也君は経営者。ってことは商人さんであるわけで、誰の目にもゴミな物でも価値をつけるのが仕事じゃないの?

 混乱してきた。

「たとえ世界が欲している技術であっても、円佳かどちらか選べというのなら僕にとって必要ないものだ」

 特許のほうがおまけ、って透也君はそんな風に思ってくれていたの?

 とくんとくんと、心臓が嬉しそうに動く。
 ほわっと温かいものが体の中心から四肢に広がる。

 でも。
 一瞬、晴れはしたものの、再び曇ってしまったであろう私の顔を見て、透也君は低い声で呟いた。

「円佳が望むなら、僕は嘉島家の跡取りであることを放棄する」
「っ、駄目!」

 とんでもないことを言われて、咄嗟に反対する。

 透也君はカリスマ経営者だ。
 彼が携わっている企業はことごとく業績を上げ、社員たちの給料も待遇も向上させている。
 透也君が退いても嘉島家の屋台骨は揺らがないかもしれないけれど、数十万人に及ぶ生活が彼の肩にかかっているのだ。

「先ほどは政略結婚じゃないと言ったけれど。むしろ君を手に入れるためなら、僕はどんな手段でも使うつもりだ。君を破滅に追いやってから救いの手を差し出すとか。例え、僕じゃない男と婚姻の祭壇に進んでいても、円佳を僕のものにする」

 ギラギラとした瞳は本気だ。

 …………嬉しい、のに。
 透也君には、私が迷っているのがわかっているようだった。

「どうすれば、僕の気持ちに偽りはないと信じてもらえる?」

 透也君がつよい視線でぐいぐい圧してくる。

「……それは……」

 私は途方にくれた。

 百パーセント彼を信じてしまいたいと感情は私を引っ張り、理性は疑えと私を引っ張りかえす。

 わからない。

 眼を逸らして俯いてしまった私を、彼はしばらく眺めていたようだった。
 そして。

「……迂闊だったよ」

 はあああ、と透也君が深いため息をついたので、私はびくりと体を震わせた。

 精密な計算のもとで動く透也君がなにをやらかしたの?
 固唾をのんで見守っていると、彼は自嘲気味に囁いた。

「こんなことなら、円佳のことを好きだって自覚してすぐに、君を無人島にでも閉じ込めておけばよかったんだ」

 ……今、なんて?

 信じられないことを言われたので、透也君の顔を凝視する。
 すると、彼も見返してくる。

「別に僕の部屋の中に君を閉じ込めるのでもいいけど。円佳の眼には僕の姿しか映らず、君の耳には僕の言葉しか聞こえないようにしておけばよかったって話。君の世話は一切僕がやり、他人を近づけず。念のため、鎖に繋いだり暗示を使ってもね」

「………………はい?」

 さっきは百歩譲って、誰もいないリゾート地に二人で旅行、って意味でもいいと思う。

 け・ど!
 今の発言は犯罪そのものの薫りしかしないよ。

 思わず、彼の顔をまじまじと見てしまったら、透也君の眼には仄暗い光が宿っていて、冗談を言っているとは思えない。

 背中に、ぞくぞくっとふるえが走った。

 透也君にいだいた感情が恐怖だけじゃなくて、違う気持ちが混じっていることに気づいたから。
 私、そんなにも執着されていることに喜んでいる。

 ふ、と透也君の表情が変わる。
 私を見つめる口元が和らぎ、艶な雰囲気になった。

「あの、色っぽい眼で見ないでもらえるかな。腰が砕けそうになるんだけど」

 思わず小声で抗議すれば、しっかりと耳に入ったらしい。

「じゃあ、もっとしよう」

 ひええ、猛毒注意!
 甘くてねっとりとした毒に体も脳も冒されたら、もう助からない。

 どうして、こんな危険な透也君に気づけなかったんだろう。

 ……彼の瞳には、魔力でもこもっているのかな。私は透也君から眼を逸らせない。
 魅せられる。
 膝まづいて、愛を乞うてしまいたくなる。

 だめぇ、私! 踏みとどまるのよおおお!

「透也君、色仕掛けなんてずるい!」

 呪縛よ解けろぉとばかりに絶叫すれば、透也君は耳を押えながら呻いた。

「ち、しぶとい」

「あ、あったりまえでしょー! 透也君と何年一緒に暮らしてきたと思ってんのよ! 簡単に墜ちてたまるもんですかっ」

 嘘です。いつも心臓ばっくばくです。

「言っただろう、『使えるものはなんでも使う』と」

 透也君は私の抗議なんて聞いていないのか、髪をぐしゃぐしゃにして、サイドテーブルからショットグラスを取り上げた。
 中身をぐい、と一気に喉に流し込む。

 ……こんなやさぐれている透也君、初めて見た。
 私のせい、だよね。

「本音を言えば、君が僕と共に生きることを望んでいなくても手放したくない。円佳が嫌がって泣きわめいても、名実僕のものにしてしまいたい」

 どきん。

「憎まれてもいい、僕のことを考えてくれているのだから。恐怖のあまり、君が狂ってしまっても構わない。――そうしたら、いつでも僕の傍で笑っていてくれるよね?」

 淫蕩にすら見える笑みを浮かべられてしまう。

 い、言ってることがあまりにもデンジャラスなんですが! 

 なのに。
 私ったら、怖さより歓喜に体をふるわせているなんて。

 ……私。
 もしかしたら、『飛んで火にいる夏の虫』をしてしまったのだろうか。

 真実という宝物を目指して洞窟に訪れた。
 遭遇してしまった宝物の番人はイケメンで大好きな人だけれど、最上級の魑魅魍魎感がハンパない!

 透也君はまた、髪をぐしゃぐしゃにかきあげると、悩まし気な声で呟いた。

「円佳が閉所恐怖症じゃなきゃね」

 透也君は、はあああ、と何度目かのため息をついた。

「へ」

 いま、私達は透也君ヤンデレの話をしていたのに。
 この場にそぐわない単語に、私は面喰う。

「……ソレ、なんの関係があるの?」

 話の転換についていけない。


 
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