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夏の夕暮れ

大穴…落下(修正8.20)

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そして、現在・・・

 肉じゃがを手に帰宅すると一哉のカバンが玄関先に置きっぱなしだった。よほど慌てて実験室に向かったのだろう。一瞬もやっとした奇妙な何かが腹のあたりで生まれた郁人だったが、一呼吸置き、カバンをリビングへ持って行き、肉じゃがはキッチンへ、着替えるために自室に向かった。
 実験室が気になったが食事が遅くなるのは困る。郁人は少しだけ肩をすくめ階段に足を掛けた。
 …その時。

「ん?……」

 ふと足元が揺れた気がした。そして地震を疑うよりも先に実験室に視線を向ける。物理的に見えるわけではないが、以前、小さな爆発を起こして消防隊が出動する騒ぎになり、それを懸念してのことだった。けれど揺れは一瞬で警報音もなく、郁人は気のせいだと判断した。しかし今も実験室で2人楽しくしているのは気のせいではない。また、もやりとした気分になるが、

「……日曜は2人で映画を見に行く約束や。今は好きなだけ実験しとれ」

 それを打ち消すかのようにつぶやいた。


~~~~~~


 ジーンズとTシャツに着替えてキッチンに戻った郁人は、夕食の支度に取り掛かった。米を研ぎ、炊飯器をセット。肉じゃがはレンジで温めるために皿に移し、次に味噌汁作りに移る。肉じゃがをメインにしても小鉢が欲しいなどと考えながら味噌を入れようとした瞬間だった。

 ドン!という激しい音とズ、ズズズズ、という重い地鳴りが響き渡った。それは郁人の足元が揺れるほどの衝撃で、

「ちゃー!またやってもうたんか!?」

 それはまさしく庭にある実験室からだと思い、さすがに郁人も菜箸を放り出すと駆け出した。
 いつもより少し音が大きく。いつもより少し揺れが激しかっただけである。
 駆ける郁人は心の中で小さく手を合わせた。

 消防車が来ませんように。近所の人が通報しませんように!

 しかし、駆けつけた実験室の建物に変化は見られず、

「なんや、ちごたんか?……佐波?…親父?」

 怪訝に眉を寄せながら郁人は扉を開いた。

「なっ!?」

 ————足が、止まった。

 室内にはすり鉢状の大きな穴…そう蟻地獄が作るような穴があり、実験で使うなんらかの機器、全国で集めた土や岩石、まとめた資料や手つかずの諸々、所狭しと置かれていたものが滑り落ちただろう跡が残っていた。

 それよりも何よりも……二人の姿が見当たらなかった。

「佐波…?…親父?」

 何が起きたのかわからないまま茫然と佇む。

「え……っと。なんや……」

 目の前の状況を把握できずに幾度も瞬き、自分自身に確認を求めるかのように声を発した。そうすることでようやく少しだが思考が動いた。

「よう言われとんのは、不発弾…。」

 いやいや、と郁人は頭を振った。

 それやったら建物もふっとぶやんか、なぁ……と苦笑を交えて考えながら、いやいや!と郁人はあわや現実逃避しそうになった自分を引き戻した。

 今大切なのは一哉と隆文の所在安否に他ならない。
 2人は確かにこの部屋にいたはずなのだ。もちろん、郁人は見て確認したわけではない。けれど、例えばここにいなかったとして、あの音で隆文が飛んでこないのは考えられず、

「佐波っ!親父っ!」

 郁人は大声で2人を呼んだ。しかし、返答はなく叫んだ声だけが奇妙な音で響き渡り、土くさい湿った風がひょう~と音をたてる。
 考えられるのはこの穴に滑り落ちた……という事だった。

 落ちた…?いや、…………吸い込まれた?

 郁人は状況が把握できないまま、

「いるんかぁ!二人ともっっ!」

 ただもう一度叫んだ。

「……っ……ぃ……」

 すると……小さく、僅かだったが何かが穴深くから聞こえた気がした。一哉なのか父親なのか。そもそも声だったのかも判別はつかない。けれど郁人の行動は早かった。辺りを見廻し自動巻き取り型ロープを見つけると、土台を固定し、腰ベルトを装着。幸いにもやり方はわかっていた。

 レスキューを呼ばなかったのは、次やったらこの建物は撤去していただきます、ときつく言われていたこともあるが、実際のところそこまで頭が回らなかったからだ……。

 ……とは言えやはり、足元の見えない穴に入っていくのは心もとなかった。

 以前も穴を降りたことはあった。けれどその時は一哉が先行して、父が上で支えていた。それがない今こんなにも不安を覚える。

 しかし、行くと決めたのだ。

 ロープの操作はベルトに着いているスイッチだ。
 手には軍手、首から懐中電灯。どれも部屋の隅に置いてあった物だ。

 郁人は深い呼吸を一つつき、土が剥き出しになった床を滑るように降りて、穴の中に身を投じた。
 足裏がゾワゾワして落ち着かなかった。けれどそれよりも身体から冷や汗が止まらなかった。ロープが伸びるカラカラと言う音だけが郁人の耳に残り、遠ざかっていく。首に掛けた懐中電灯はゆらゆらと足元を揺らす。何もない土の竪穴が続き、心細さを伴う中、不意に足元が開けた。

「だっ!」

 広い空間でプラプラとただ浮いている状況に、思わず両手でロープをきつく握り直し、何度も呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせた。そしてゆっくりと懐中電灯の明かりで周囲を照らす。

「な……んや…?…」

 下にオブジェのようなものが見えた。穴はこの上の実験室よりも広く、庭一面を有しているようだった。

「地下室……ちゅうんか?」

 これも。とつぶやく。

 幼い自分たちが探し回ったこの洋館の最後の秘密の部屋。しかし、ここに通じる道は庭にはもちろん、家の中にもありはしない。それは小学生だった頃から一哉と二人で家の中を探索してきたから断言できる。

 庭の地下に部屋。部屋というよりは庭園と言っても良かった。何しろ木まで存在しているのだ。陽のないこの場所で、植物…。そんなことがあり得るのかと郁人は思う。

 そういえばと、やや冷静さを取り戻した郁人はつぶやいた。

 幽霊屋敷やて呼ばれとったな……。

「なんやねん…」

 つぶやくと同時にロープが止まった。どうやら最大まで使いきったようで、下を見ると測ったかのように地面があり、ロープの固定を確認して腰から外す。そして足を下ろすと、その時初めて郁人は自分が室内スリッパであることを知り苦笑した。瞬間、忘れていた事実を思い出す。

「…無事……なんか?」

 そう、一哉と隆文が落ちたはずなのだ。慌てて懐中電灯を床に走らせると、壊れた大きな石造りのオブジェが転がり、その横には見覚えのある土を撹拌するための機械が衝撃で形を成していないことが認められた。

 その衝撃たるや。

「さ…佐波っ~!親父!……いてるんかぁ」

 かなりの高さだ。すでに……………。
 ぶん、と郁人は思考を拒否するかのように大きく頭を振った。
 とにかく今は2人を探すだけだった。

「親父っ!…佐波っ!……おいっ!返事せんかいっっっ!!」

 これほど叫んだことはないと言う大声で郁人は2人を呼んだ……。

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