僕は虐待を受けていた?

僕は虐待を受けていた？

「やさしいね」。
母親、祖父母、学校の先生、塾の先生、友だち、みんなが僕に言ってくる。
悪いが僕はその言葉が嫌いだ。なぜなら僕は優しくないからだ。みんなが優しいと言う自分は本当の自分ではない。本当の自分はしばらく出していない間に見失っている。それか、出せない。本当の自分を出してしまうと何を吐き、何をするのかわからないからである。
　小さい頃から僕はよく父から殴られていた。拳のときも多かったし、ベルトの金属部分のときも孫の手の丸くなっている木の部分のときもあった。多分、父はそれを覚えていないだろう。
父は殴るときにいつもこう言った。
「これは躾だ。痛みでやってはいけないことをわからせるんだ」。

　よく、母方の祖父母に父の話をする。すると祖父母は虐待だからすぐに警察に言いなさいと言った。しかし、僕は警察には言わなかった。いや、言えなかった。
僕自身はこれが当たり前だと思っていたし、他所も皆こうだと思っていたからだ。それに、虐待はもっと酷いことをされていることを指すのだと。父は躾だと言っていたし、祖父母の早とちりだろうと思っていた。また、父のことを警察に言ったとして、連れていかれたら母が働いて大変になるとも考えていたからだ。
　残念なことに祖父母の話も完全には聞き流すこともできず、友だちの何人かにもこのことを話した。友だちは
「そんなのやり返せよ、俺なら楽勝だね」。
などと平気で言う。やり返せるものか、やり返したら何倍にもなってやり返されるだけ。それに、小さい頃に見た自分より何倍も大きい父が殴りかかってくる映像が頭で再生されて、まともにやり返せるわけがない。誰も僕の気持ちをわかってはくれなかった。
友だちは父の姿を何回か目撃している。さすがにうちの父もわけもなくよその子を殴ることはなく、笑顔で挨拶をする。
「なんだよ、全然恐くないじゃん」。
と僕の背中に嘘というレッテルがたくさん貼られる。嘘じゃないんだよ、脳内で再生される父の恐ろしい姿を一度見せてあげられたらと何度思ったことか。

　僕は昔から困っている人を助けることが好きだった。困っている人に声をかけたり、相談事に乗ったりすることも少なくなかった。なので、僕は福祉の学校に行くことにした。
ある日の講義で虐待の話を学んだ。その時、自分が父にされていたことが虐待だと気づいた。虐待をされていたときよりも虐待だと気づいたときが恐かった。
僕は、小さい頃から極力父に逆らわないようにしてきた。つまり、言いなりになってきた。なので、父が虐待を辞めたわけではなかった。虐待だと気づき、次また虐待を受けるのか。いつ、虐待が始まるのかが恐かった。
また、教授はこうも言った。
『たまに虐待を受けていた人の中に虐待は自分の子どもには絶対にしないと思っていたが身体に沁みついていてつい、手がでてしまったなどという人もいる。虐待をしていた親に話を聴くと自分も受けていたなどといった話も稀ではない』
僕は全身の血が引いていった。まさに、自分は人にはやらないと決めていた人だったからである。
自分が目指しているのは介護職。最近テレビでも介護職の虐待が目立つ。もしかしたら、今違うと思っていても、いずれそのようになってしまうかもしれないとも考えた。現在、介護職を目指すかどうかはまだ、検討中だ。

　また、別の講義でも忘れていたことを思い出した。
『叩く方だって痛いんだよ。叩きたくて叩いているんじゃないんだよ』
というフレーズが出てきた。
小さいとき何回聞いたフレーズか。すっかり忘れていたのに鮮明に思い出してきた。教授は
「そんなことはないです。叩かれた方が絶対に痛いです。身体も心も」
と続けたが僕はそれどころじゃなかった。しばらくは教授の話が頭に入ってこなかった。
当時、僕はそのままの意味で捉えていた。僕が悪いことをしたから仕方なく叩いている。叩きたくて叩いているわけではないと。今日、また一つ洗脳が解けた。

　大学の友達に不安とその経緯を話すと、だいたいは自分もね～から始まる。
福祉系の学校というのもあり、自分がこういった過去を持ち同じような人々を助けたいという思いから入学する者も少なくはない。そのため、似たような過去を持っている人が多々いるのだ。しかし、自分の不安を聴いてもらいたいがために
「お前の過去よりこっちの過去の方が悲惨なんだよ、お前の過去の方がまだマシだよ」。
と思ってしまう。まるで雄の孔雀のように自分の過去を大きく見せようとする。その反面、この人自分と似ているという安心感も得られる。これは僕だけではなく、僕の大学にいる人のほとんどがそうだろう。

　冒頭でも述べたように僕は優しくはない。今でも父にやり返す機会があればやり返したいと思っている。さすがに、今の自分が父にやり返すとなると現実問題では高齢者虐待に当たってしまうのでできないが。それがまた、僕の悔しさを倍増させる。僕は、こう考えてしまう偽善者なのである。
　
　たまに、父に本音をぶつける夢を見る。夢の中でも父はものすごく大きな体でこっちに向かってくる。こっちに来るとき足音が床に振動してくる。そして、夢の中でも謝っている。「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も。