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資格なき者②

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 坂田は明らかに動揺している様子だった。呪符を素手で握り潰せるような鬼は、未だかつて遭遇した事が無い。槐の体から放たれる殺気は数々の戦を経験した事がある者のみが持っている。
 無能な部下の行動に舌打ちをした渡辺が、刀を抜くと慎重に間合いを詰めた。

「やれやれ、血の気が多いことよ。俺はもう人間を殺す気は無いのでな、安心してかかってこい」
「渡辺の子孫よ、お前は私が相手になろう。やすやすと、私に騙されたお前達一族の汚名返上の機会をあげますよ」

 その気迫とは裏腹に、槐と雅はまるで子供の稽古けいこに付き合うような口ぶりだった。くるみはハラハラとしなから二人を見守る。
 槐は、もう人を傷付ける事は無いと誓っていたし、雅も素直じゃないが主君には絶対服従の臣下だ。だが、それとは反対に坂田と渡辺は捕獲できなければ、鬼など斬り捨ててしまえと言う考えでいる。
 
「黙れ、朱点童子! 一度は我々に負けた鬼達だ。樹様の手を煩わせるまでもない。大人しく我々の道具になれ!」

 張り詰めた空気を破るように、渡辺が怒号を浴びせるとそれが合図となって風を斬る音と共に金属音が鳴り響いた。槐はまるで美しい舞を舞うように軽やかに坂田の刀を受け止め、攻撃を繰り返す。
 無駄な動きは一切無く、水鏡すいきょうの面を滑る蝶のように軽やかだ。それとは正反対に、坂田は闘犬とうけんのように荒い呼吸で槐の刀を必死に受け流していた。
 力の差は、くるみから見ても分かるほど。

「のう、どうした小僧。もう呼吸が上がっているようだな。観念してもいいのだぞ?」
「う、うるさい!」

 一方、茨木童子こと雅も因縁の相手である渡辺の鋭い振りをかわしながら、しなやかに刀を振った。どちらも破邪の呪術が刀に刻まれているせいか、ぶつかりあう度に激しく火花が散り音が鳴り響く。

「朱点童子様の命令が無ければ、お前など直ぐに斬り捨てるのですが……。それにしてもその腕前はなんです? 現代の妖怪おに達はよほどぬるま湯に浸かっているようです、ね!」
「――――黙れ!」

 渡辺はそういうと、呪符を投げつけた。
 雅が避けた瞬間、頬に真紅の血が滲み銀髪の髪が風に舞った。
 それを指でなぞると、強く雅が刀を振る。
 槐に襲いかかっていた坂田が、気合を入れて再び大きく踏み込むと、槐の背中に朱点童子の常夜とこよが広がった。
 そして闘牛のように、突進してくる男をヒラリと避けると、勢い余った坂田は真紅の美しい紅葉を映す水鏡に吸い込まれ、派手な水音を立てて沼に落ちた。
 そして、またたく間に鬼の異界が閉じらる。

「っ、坂田! 貴様、坂田を常夜とこよに封じ込めたのか!」 
「心配するな、あの沼を通り抜けて日本のどこかの街に移動しただけだ」
「渡辺、お前の一族には恨みがありますから、私の常夜の中で一生でられなくしてやりましょうか?」

 槐の側で控えるようにして、己の血を拭って指先を舐めた雅が薄く笑う。坂田を失い、ぐっと言葉に詰まった渡辺を見ていた槐を安堵したように肩を落としたが、何かに気付いたように険しい表情になると前方を睨み付けた。
 主君の変化に気付いて、雅もまたそちらに視線を移したが、同じく表情を強張らせ唇を噛み締めた。

「え、槐……助けて……」

 そこには、源樹に背後から抱かれて刀を喉元に向けられ顔面蒼白で小刻みに震えるくるみの姿があったからだ。
 槐と雅の戦う様子に気を取られていたくるみは、背後から忍び寄る樹に気が付ず捕まってしまった。あいにく、漣といえば麻酔で眠らされ役に立たない。
 良く研がれた童子切安綱どうじきりやすつなの刃が光り、今にもくるみの喉元を傷付けそうだ。
 幼き日に運命の出逢いをし、同棲するようになってから、一度も槐の怒る姿を見た事が無かったくるみだが、その時の表情は朱点童子という名前にふさわしいほどの鬼の形相だった。

「貴様……どこまでも卑劣な男よの。源の誇りも汚い金に変えたのか? くるみを離せ……彼女を少しでも傷付けたら、お前の一族を全員闇に葬るぞ」
「――――朱点童子に茨木童子か。まさか、生き残っているとは驚いた。源頼光の残した鬼の記録の中でお前達は、最強の鬼だったな。今まで見つからずにいたのが信じられん……空蝉姫に誘われて出てきたのか?」

 自分の腕の中で震えるくるみの、首筋の匂いを嗅ぐように鼻を近付けられると悪寒が走り、涙がポロポロと溢れてきた。樹に威勢いせい良く啖呵たんかを切っていたのが嘘のようだ。
 生まれて初めて人に刃物を向けられた。それがこんなにも恐ろしいなんて思いもしなかったくるみは、恐怖に震えて槐と雅を見つめる。

「いまさら強さなどどうでもいい事よ。のう、貴様は、いったい何が目的なんだ?」
「空蝉姫に俺の子を産ませるつもりだったが、この女の恋人が朱点童子だったとはな。そうなると、話が変わってくる。この女を離して欲しかったら俺の言う事を聞け……お前ほどの強い鬼なら待遇たいぐうはいいぞ? 刀を捨てろ」

 くるみを無理矢理誘拐し俺の子を産ませるなどという、自分勝手きわまりない言葉だけでも、血管が切れそうになっていた槐だったが、深く深呼吸をする。
 安心させるようにくるみに向かって微笑み頷くと刀を放り投げた。

「――――朱点童子様!」
「駄目だよ、槐っ、こんな奴の言う事聞かないで!」
「のう、樹と言うたか。待遇が良いなら少しは手伝ってやっても良い。だから、怪我をさせる前にくるみを離せ」

 その言葉に樹は鼻で笑うと、自分の近くまで来るように顎で合図をする。いつの間にか上司の側に居た渡辺が、鵺につけていたような古い鎖の首輪を手にしていた。駆け付けてきた数人の部下もくるみと鬼達を囲む。
 その中に、首根っこを掴まれた鵺がぶらんとぶら下がっていた。
 
「俺の前でひざまづけ。この鎖をつけてから空蝉姫を開放する」

 言われるまま、無言で槐は跪くと樹は眼鏡の奥で目を光らせ満足げに笑った。まさかご先祖様である頼光が狩りそこねた最強の鬼が、自分の目の前にいて忠誠を誓うなどと、一族の中で語り継がれる事だろう。
 まるで、幼い日になかなか手に入らない高価な玩具を手にした時のような高揚感こうようかんを樹は感じていた。
渡辺が持つ鎖の首輪が槐の首元に絡まると、見ていられないとばかりに雅は思わず目を背ける。
 その瞬間、くるみの背中を乱暴に押して樹は言った。

「今は手を離してやろう、くるみ。そして槐といったか、朱点童子よ。鬼は角が欠けると存分に妖力を使えないそうだなぁ? お前は最強の鬼だ。いつ、あの鵺のように首輪を外すかわからない。俺がその角の一本を人質として預かっておこう」

 そう言って、樹が眼鏡を指先であげると霊刀童子切安綱どうじきりやすつなを目の前に膝まづく槐に向かって振り上げた。
 くるみの鼓動が激しく脈打ち、思わず槐の側まで駆け寄ると力の限り大きな声で叫んだ。

「だめぇぇぇ!!!」

 その瞬間、樹が手にしていた童子切安綱どうじきりやすつなが、ずっしり石のように重くなったかと思うと、刃先が地面に降りた。
 いや、強制的にねじ伏せられたようにも見える。突然、持ち上げられなくなる位に重くなった刀に樹は驚き、焦るように声を上げた。
 無理矢理刀を上げようにも、床を削る音が虚しくするだけで、一同は動揺を隠せず一体何が起こっているんだとざわめいた。

「くそっ、童子切安綱どうじきりやすつなが動かん、一体どうなっているんだ……! おい、まさかお前、何か術をかけたのか!?」

 樹が焦ったようにくるみに問いかけて来た。もちろん、普通のカフェ店員兼、絵本作家の卵であるくるみが、陰陽師や霊能力者のような呪術を知っているわけが無い。
 だが、彼女自身思い当たる節がある。
 鵺を繋いでいた鎖の力を、無効化する事ができた。

「空蝉の姫には術が効かないの。鵺くんを縛っていた鎖の霊力を無効化したのは私……。童子切安綱どうじきりやすつなの霊力を封じたのは空蝉姫の力かも知れない。
 でもそんな事どうでもいいよ! あんたには、その刀を扱う資格なんて無い!」

 くるみは、言いながら槐の首に巻き付いた鎖の首輪に触れると、鵺の時と同じように力を失ったように割れ床に散らばった。槐は首元を擦りながらニヤリと笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がり、華奢な彼女の肩を抱く。
 ――――その刀を扱う資格なんて無い。
 くるみがそう言い放った瞬間、刀にヒビが入った事に樹は気が付いた。

「お、おい、やめろ! この刀が壊れれば人間を害する鬼を狩れなくなるんだぞ!」
「だったら、その刀の主にふさわしい振る舞いをしなさい。きっと……あんたのご先祖様も、今まで空蝉姫として生まれてきた人達もみんな同じ意見だよ。
 槐も、茨木くんも、漣ちゃんも、鵺くんも人間とは違う種族だけど、私のお店の大事な店員です。今後一切、うちには関わらないって約束して。そうでないと童子切安綱どうじきりやすつなをへし折るからね! わかった!?」

 この霊刀が彼等にとって、どんなに強力な武器で彼らを支配するのに必要なのかは、捕らえられた鬼の数と彼等の反応から見ても良くわかる。樹は言葉に詰まると舌打ちした。
 強力な鬼は欲しいが、この刀を折られては商売が立ち行かなくなるのだろう。

「お前のことを侮っていたな、神代くるみ。空蝉姫に鬼の術は効かないと聞いたが、まさか霊刀さえも弾くか。くそっ、良いだろう……今は見逃してやる」

 苦し紛れに言う樹に、呆れたように槐が笑った。

「俺達に構っている暇はなさそうだぞ、源樹。鬼檻にいた全ての鬼達が、散り散りに逃げ出したからのう」
「鬼檻の結界を内側から破ったのはお前か……、お前たち、霊力を追って早く逃げ出した鬼を捕まえろ!」

 樹の怒号に、男達は一斉に動き始めた。東西南北、散り散りに逃亡した妖怪おにを捕まえるのは骨が折れる作業だろう。
 不意に、首根っこを離された鵺は、大きなモップ犬のような獣の姿になって爆睡する漣を背中に乗せると、槐とくるみ、そして君主の刀を持って歩み寄ってきた雅の元へとぴょんっと飛び出した。

「おい、鵺! 俺達を裏切る気か?」
「もう~~お努めたくさん頑張ったよ~~、僕、くるみの元で働くから~~樹様、お元気で~~! みんな~~のって~~帰るよ~~!」

 樹に呼び止められた鵺は、振り返ると大きな丸い目でにっこりと微笑み一方的に別れの挨拶をした。雅が鵺の背中に乗り、槐がくるみを抱いて乗ると、肩越しに悔しげに唇を噛みしめる源樹を見た。

「それじゃあ、もう二度とうちの店には来ないでね!!」

 そう強く念を押して言うと、鵺はふわりと浮き、開け放たれていた扉を軽やかに走り抜けた。
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