31 / 39
炎に包まれて②
しおりを挟む
頬がこけ、目の下にクマを作っている克明さんの顔を僕はまじまじと見つめた。僕は一人っ子なので、妹がいる人の気持ちはわからないが香織ちゃんを、兄として守りきれ無かった事に罪悪感を感じているのだろうか。
背中を強かに打ったばぁちゃんが、僕と変わらないような年齢の姿で腰を擦りこちらに歩み寄ってきた。
「克明さん、一体あの日なにがあったんですか?」
克明さんの話によれば、香織ちゃんとは血の繋がりのない兄妹だったが、本当の兄弟のように仲が良かった。もともと、教員になりたいと思っていた克明さんは面倒見が良く、香織ちゃんの事も兄として世話を焼いていた。
僕はすっかり記憶から抜け落ちているが、雨の日や、僕の家に寄ったり部活の朝練や、遅くなる日などは免許を取り立ての車で、義妹を送り迎えをしていたそうだ。
そんな香織ちゃんが、ある時期から家に帰りたがらなくなったと言う。
思春期の子供に良くある、家族の事を疎ましく思うような年齢にさしかかったんだと克明さんは感じていたらしい。
だが、事件の起きる前日に中学を出たら、島を出て東京の高校に進学するか、就職したいと言い出して両親と口論になっていた。
「十五年前でも、中卒で就職は難しいだろ。香織は……俺が東京の大学に行くのを追いかけたくて、私立高校に行きたかったのかも知れない。ともかく、香織が島を出たがっていたのはわかった……。その理由を聞いても、話さなくて……。
お兄ちゃんには分からないんだ、って言われて俺もムキになってしまったんだ。
あの日の朝、送り届ける道中に喧嘩になって、今日はもう一人で帰れ、と突き放してしまったんだ。だから……俺は……俺は、香織を迎えにいってやらなかった。いつものように迎えに行ってたら、香織は……あんな……あんな、酷い目に合わされて死ぬことも無かった」
そう言うと、克明さんは号泣した。
僕はなんて言葉をかけてやれば良いのかわからず口をつぐんだ。
身内を事件で亡くしたような人に出会ったのは生まれて初めてだ。
例え二人の間に些細な喧嘩をしても、克明さんの行動がいつもとは違っても、香織ちゃんが悲劇に巻き込まれたのは、克明さんのせいではないと僕は思う。
だが、それを友人でもない赤の他人の僕が言ったところで、殻にこもった克明さんの心に届くとは思えない。
「克明さん、香織ちゃんがあんたを恨んでるんならわざわざ健の所にに姿を現して、あんたを助けてくれなんて言わないでしょう。とにかくこんな所に長居は無用さ」
「克明さん、とりあえずこの邸を出ましょう。ここから出れば絵画の世界から抜け出せるはずです」
「あ、ああ……」
ばぁちゃんの言葉に僕はうなずき、頬がこけてやつれた克明さんの腕を首に回すと僕は立ち上がった。まだ納得していない様子だったがもうそんな事はお構いなしだ。
抵抗する間もなく、克明さんは僕に抱えられるようにして、地下室の階段を一段、二段と登っていく。開け放たれた光が漏れる扉から出れば、僕は梨子の元に帰る事ができる。
きっと、意識を失った僕を心配しているに違いない。優秀な彼女なら僕を救うために懸命にその手段を探しているかもしれない。
――――梨子に会いたい。早くあの明るい笑顔が見たい。
光を求めるように開け放たれた扉の向こうに手を伸ばした瞬間に、ズルリと赤黒い影が揺らめいた。
僕の網膜に短時間で焼き付いた華やかな着物に、黒くて細いミイラのような手。落ちくぼんだ瞳と抜け落ちて僅かに残る髪。
――――ああ、僕はすっかり忘れていた。
遠山千鶴子はこの邸そのものだってことを。
彼女の秘密が暴かれる度に、部屋は焼け落ちていた。まるで彼女の心と連動するような動きだったじゃないか。
だから僕は、秘密を暴けば彼女の力を完全に弱められると思い込んでいた。いや、確かに他の悪霊や彼女の断片を浄化したぶんの力は弱くなっただろう。
だけど、いくら彼女の断片を浄化して地獄に落としたって、この絵画を外から浄霊しなけりゃ幾らでも内側から新しい彼女の分身が蘇ってくる。
「この館に入ったのが運の付きだったかも知れないね……」
疲労感を隠せないばぁちゃんの言葉に、千鶴子はニヤリと笑みを浮かべた。
だが、背後から男の腕が伸びて絡みついてくる。
「ココデズット イッショヨ 遠山家はもう……ダメダメ……おしまいだ。全部……トジコメテハナサナイ……燃やさなきゃ……」
千鶴子と重なるように兄の達郎が見える。
邸を燃やす事を拒否し、僕や克明さんを閉じ込めておきたい千鶴子と、再び遠山家の恥と罪を贖罪する為に邸を燃やそうとしている兄の達郎が、ひとつの体の中で互いに争っているように、異様な動きでくねり階段から転がり落ちてくると、僕達はとっさにそれを避けると、反射的に克明さん引きずるように階段を駆け上がる。
「克明さん、千鶴子を見ないでください! 真っ直ぐ前を見てできるだけ早く走ってください! 玄関まで走ります!」
玄関まで来て脱出できるかわからないが、僕はもう自分の霊感に頼ることにした。龍神様の声は聞こえたんだ。
背中を強かに打ったばぁちゃんが、僕と変わらないような年齢の姿で腰を擦りこちらに歩み寄ってきた。
「克明さん、一体あの日なにがあったんですか?」
克明さんの話によれば、香織ちゃんとは血の繋がりのない兄妹だったが、本当の兄弟のように仲が良かった。もともと、教員になりたいと思っていた克明さんは面倒見が良く、香織ちゃんの事も兄として世話を焼いていた。
僕はすっかり記憶から抜け落ちているが、雨の日や、僕の家に寄ったり部活の朝練や、遅くなる日などは免許を取り立ての車で、義妹を送り迎えをしていたそうだ。
そんな香織ちゃんが、ある時期から家に帰りたがらなくなったと言う。
思春期の子供に良くある、家族の事を疎ましく思うような年齢にさしかかったんだと克明さんは感じていたらしい。
だが、事件の起きる前日に中学を出たら、島を出て東京の高校に進学するか、就職したいと言い出して両親と口論になっていた。
「十五年前でも、中卒で就職は難しいだろ。香織は……俺が東京の大学に行くのを追いかけたくて、私立高校に行きたかったのかも知れない。ともかく、香織が島を出たがっていたのはわかった……。その理由を聞いても、話さなくて……。
お兄ちゃんには分からないんだ、って言われて俺もムキになってしまったんだ。
あの日の朝、送り届ける道中に喧嘩になって、今日はもう一人で帰れ、と突き放してしまったんだ。だから……俺は……俺は、香織を迎えにいってやらなかった。いつものように迎えに行ってたら、香織は……あんな……あんな、酷い目に合わされて死ぬことも無かった」
そう言うと、克明さんは号泣した。
僕はなんて言葉をかけてやれば良いのかわからず口をつぐんだ。
身内を事件で亡くしたような人に出会ったのは生まれて初めてだ。
例え二人の間に些細な喧嘩をしても、克明さんの行動がいつもとは違っても、香織ちゃんが悲劇に巻き込まれたのは、克明さんのせいではないと僕は思う。
だが、それを友人でもない赤の他人の僕が言ったところで、殻にこもった克明さんの心に届くとは思えない。
「克明さん、香織ちゃんがあんたを恨んでるんならわざわざ健の所にに姿を現して、あんたを助けてくれなんて言わないでしょう。とにかくこんな所に長居は無用さ」
「克明さん、とりあえずこの邸を出ましょう。ここから出れば絵画の世界から抜け出せるはずです」
「あ、ああ……」
ばぁちゃんの言葉に僕はうなずき、頬がこけてやつれた克明さんの腕を首に回すと僕は立ち上がった。まだ納得していない様子だったがもうそんな事はお構いなしだ。
抵抗する間もなく、克明さんは僕に抱えられるようにして、地下室の階段を一段、二段と登っていく。開け放たれた光が漏れる扉から出れば、僕は梨子の元に帰る事ができる。
きっと、意識を失った僕を心配しているに違いない。優秀な彼女なら僕を救うために懸命にその手段を探しているかもしれない。
――――梨子に会いたい。早くあの明るい笑顔が見たい。
光を求めるように開け放たれた扉の向こうに手を伸ばした瞬間に、ズルリと赤黒い影が揺らめいた。
僕の網膜に短時間で焼き付いた華やかな着物に、黒くて細いミイラのような手。落ちくぼんだ瞳と抜け落ちて僅かに残る髪。
――――ああ、僕はすっかり忘れていた。
遠山千鶴子はこの邸そのものだってことを。
彼女の秘密が暴かれる度に、部屋は焼け落ちていた。まるで彼女の心と連動するような動きだったじゃないか。
だから僕は、秘密を暴けば彼女の力を完全に弱められると思い込んでいた。いや、確かに他の悪霊や彼女の断片を浄化したぶんの力は弱くなっただろう。
だけど、いくら彼女の断片を浄化して地獄に落としたって、この絵画を外から浄霊しなけりゃ幾らでも内側から新しい彼女の分身が蘇ってくる。
「この館に入ったのが運の付きだったかも知れないね……」
疲労感を隠せないばぁちゃんの言葉に、千鶴子はニヤリと笑みを浮かべた。
だが、背後から男の腕が伸びて絡みついてくる。
「ココデズット イッショヨ 遠山家はもう……ダメダメ……おしまいだ。全部……トジコメテハナサナイ……燃やさなきゃ……」
千鶴子と重なるように兄の達郎が見える。
邸を燃やす事を拒否し、僕や克明さんを閉じ込めておきたい千鶴子と、再び遠山家の恥と罪を贖罪する為に邸を燃やそうとしている兄の達郎が、ひとつの体の中で互いに争っているように、異様な動きでくねり階段から転がり落ちてくると、僕達はとっさにそれを避けると、反射的に克明さん引きずるように階段を駆け上がる。
「克明さん、千鶴子を見ないでください! 真っ直ぐ前を見てできるだけ早く走ってください! 玄関まで走ります!」
玄関まで来て脱出できるかわからないが、僕はもう自分の霊感に頼ることにした。龍神様の声は聞こえたんだ。
10
お気に入りに追加
54
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
花の檻
蒼琉璃
ホラー
東京で連続して起きる、通称『連続種死殺人事件』は人々を恐怖のどん底に落としていた。
それが明るみになったのは、桜井鳴海の死が白昼堂々渋谷のスクランブル交差点で公開処刑されたからだ。
唯一の身内を、心身とも殺された高階葵(たかしなあおい)による、異能復讐物語。
刑事鬼頭と犯罪心理学者佐伯との攻防の末にある、葵の未来とは………。
Illustrator がんそん様 Suico様
※ホラーミステリー大賞作品。
※グロテスク・スプラッター要素あり。
※シリアス。
※ホラーミステリー。
※犯罪描写などがありますが、それらは悪として書いています。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
今際の際の禍つ姫〜雨宮健の心霊事件簿〜①
蒼琉璃
ホラー
リコから久し振りに連絡が入った時、僕は正直に言うとちょっと期待していた。2年ぶりだった彼女との再会でもしかしたら、なにか進展があるんじゃないかと思ったからだ。
だが。
それは違った。
またしても、僕は心霊現象に首を突っ込んでしまったのだ。
北関東で有名な「成竹さんの家」と言う心霊スポットに行った4人の級友達、彼等に巻き込まれた僕は、心霊現象と謎の儀式を追う事になってしまった。
※他サイトにも掲載させて頂いております。
※不定期連載
※毎話、2000〜3000文字で更新します。
※Illustrator 逢沢様
※素材 ぱくたそ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる