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【霧首島編】

第二十三話 怨嗟②

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 式神御札セットを民宿に置いてきたので、とりあえず祝詞を唱えて、後ろに這いずり回っている亡者を浄化するしか無い。
 だが、霊の数が多いのでこちらに気付いていないようなら、やり過ごした方がいい。
 僕は、額に汗を浮かべながら無意識にジオラマの方に視線を向けると、蛆を撒き散らした餓鬼のような亡者たちの背後に、今まで無かったモヤモヤとした黒い影が、立ち込めているのが見えた。
 彼らは必死に、この嫌な感じのする黒い影から逃げている。
 しかし、ノイズが走るように黒い影が揺らめくと、彼らを逃さないかのように、魚の鱗が生えたような腕がニュッと出てきた。
 そして、遠くから女性のブツブツという声が聞える。
 まるで、ジオラマの中で起こっている体験を僕が追体験しているようで鳥肌が立った。

『んふふ……あはっ、あははっ……遼太郎さん……んふふっ……ふふっ』

 楽しげな女の笑い声がした。
 その声には狂気と、高揚感が入り混じっていて、一度聞いたら耳から離れないような恐怖を感じる。
 全身が総毛立ち、それが近付いてくるにつれて、悪霊でも魔物でもない別の威圧感と、おぞましい不快感に襲われる。
 たぶん、今このジオラマの小さな影を霊視すれば、僕の背後からくるモノの正体を視ることができるのだろうが、視線を向ける勇気がない。
 餓死した怨霊たちの怯えるようなうめき声がした。
 ヒタヒタと冷たい足音が、いびつなリズムで背後から迫ってくる。よろけながら女が僕を探しているのか、こちらに近づいてくるのが体感でわかった。
 もう、亡者たちの声は聞こえず僕は久しぶりに死の恐怖を感じて、体が震えた。

「高天原坐し坐して天と地に御働きを現し給う龍王は大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て……」

 僕は震える指を動かし、一心に龍神祝詞を唱えると、まるでその声に呼応するかのように女のいびつな足音が早くなり、息を切らしながらこちらに向かってくるのがわかった。
 女の歩調が変わり、おそらく四つん這いになってこちらに向かってきている事が想像できて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
 漠然と、安藤さんを霊視した時に視えたあの不気味な海神うなかみ様と、山神やまつみ様なのだろうかという思いが過ぎった。
 いつの間にか、隣りにいたばぁちゃんも僕と同じように龍神祝詞を唱えている。
 僕はもう恐怖のあまり、全身全霊で龍神様に助けを求める勢いで唱えてしまった。

『恐み恐みも白す』
「恐み恐みも白す」
「ねぇ、健くん!」

 女の指先が僕に触れるか否かで、すっと僕とばぁちゃんの体の周りを、光の龍がとぐろを巻くように現れた。
 透明に光る鱗が見えたかと思うと、その場の気が弾けるように浄化された。
 それと同時に、梨子に声をかけられ僕は目を見開いたまま、反射的に振り返った。

「ねぇってば。さっきから健くんを呼んでたんだよ。大丈夫? 真っ青だけど、気分でも悪いの?」
「梨子……あ、ありがとう。助かった」
『龍神様と梨子ちゃんのおかげだね。梨子ちゃんが足を踏み入れたから、気の流れが変わったんだよ。でも、この島じゃあ油断できないね。こりゃ常に式神も御札も、御神刀も持ち歩かないといかんわ』

 たとえば金縛りや恐ろしい霊体験をしても、他人が入ってくると、その現象がピタリと止む事がある。龍神様のお力と、梨子が足を踏み入れた事で気の流れが代わり撃退できたのだろう。
 しかし、あんな恐ろしい目にあっても、ばぁちゃんはなんで冷静にいられるのか……。
 だけど、これまで浄霊してきた魔物化した悪霊の気配とは明らかに異なるし、話が通じないような恐ろしさがあった。また、あれと対峙するのかと思うと心底ゾッとする。
 あれが祟り神のような部類なら本当に命がいくつあってもたりない。
 僕はようやく、心配そうにする梨子に気づいて言う。

「いや、ちょっと変な霊を視ちゃって……追い払ったから大丈夫だよ。気分は悪くないし。梨子は何か見つけたの?」
「えっ! やっぱりここ何かいるんだ。うん、ちょっと気になる文献を見つけてね。こっち来て」

 梨子は一瞬、辺りを見渡し顔を強張らせたが、思い出したように僕を案内した。
 小部屋の手前くらいで、梨子は何かの資料を見つけたようで、そこを指さす。
 それは今まてのジオラマではなく、水墨画のような絵巻物になっていた。
 僕は会話に入ってこない間宮さんが気になって小部屋を覗いてみたが、彼の姿は無かった。

「あれ、間宮さんは?」
「間宮先生は、小部屋には特に何もなかったから、隣の民族博物館の方に行ったよ」
「そうなんだ、大丈夫かな」

 あんな事があった後なので、単独行動する間宮さんの事が心配になってしまう。しかし間宮さんは、ゼロ霊感を自称しているし、おかしなことにはならないと思うが、今日は妙な胸騒ぎがするんだよな。

「これ……、鎌倉時代に、双子の妹の華夜姫かよひめと兄の依華寿よりかずが近親相姦の罪で島流しになったんだって。そして、ここに流れついたんだけど、大飢饉で命を落として華夜姫は海神として、依華寿は山神として対に祀られたんだとか。なんかこれ……関係してそうじゃない?」
「華夜姫《かよひめ》……。安藤さんを霊視した時に聞いた言葉だ。だけど祀るとなると、大飢饉で命を落としたというだけじゃないと思うな。なんかもっと深い、祟るようなことを――――」

 僕がそういった瞬間、ガラスケースがグラグラと揺れだし、梨子の悲鳴があがる。
 このタイミングで地震なのか……!?
 耐久性に不安を感じるこの場所で大きい地震がきたら悲惨だ!
 ばぁちゃんは、じっと辺りを見渡しているだけで、慌てた様子もない。

「きゃあ!! じ、地震!?」
『これは地震じゃないねぇ。ほら、照明が動いとらん。この島の霊は、触れられたくないとよう騒ぐみたいだよ。でもまぁ、さっきの祟り神が戻ってきたら大変だからね。あんたらはよ、この場から離れなさい』
「わぁ! ちょ、ちょっと梨子、外に出よう!」

 ポルターガイストだなんて、もっと駄目なやつじゃないか!
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